ク ソ し ないで
ももしおも助けたいが、多勢に無勢。まず、ねぎまとパンダ。許せ、ももしお。
「急がないと、さっきの子がスマホ持って戻ってくる」
オレは部屋のドアをそっと開けた。ラッキー。誰もいない。
ミナトと2人で関係者以外お断りのエリアから脱出。成功。
「給湯室は、こっち」
ミナトが会場案内マップを見て進んでいく。
2階の片隅にある給湯室は、マークが外されて、ただの扉になっていた。でも、場所は間違いない。
2階から会場に入った人は、そのまま階段を下りて1階の展示会場に向かう。その動線から外れた場所で、給湯室の前を通る人はほとんどいなかった。
コンコン
給湯室の扉をノックした。
応答なし。音もなし。
がちゃがちゃ
ドアノブを回すと鍵がかかっている。
くんくんくん
ここだ。
臭う。
アイツ、大もしやがったな。人間とは違う排出物の臭いがかすかにする。
「マイ、オレ。宗哲」
声をかけると、かちゃっと鍵を開ける音がした。
ねぎまは、パンダを赤ちゃんの用に長い布に入れて抱っこしていた。ささっとミナトとオレは給湯室に入った。
すかさず、施錠&換気扇のスイッチをON。念のため、カーディガンで指を覆ってスイッチに触れた。犯罪って分かっているから。ドアノブを回すときもカーディガン越しにした。
「どうしてここが?」
ねぎまはピリピリと張りつめた空気を纏っていた。
「ももしおに会った」
「シオリンは?」
「雑技団の女の子と間違えられて連れていかれた」
「は?」
「ホントなんだって、ねぎまちゃん」
ミナトが言うと信じてくれた。なにそれ。
「どうするつもりだった?」
オレが聞くと、ねぎまはパンダを抱きしめて、きっとオレを睨んだ。
「ねぎまちゃん、ひょっとして、パンダ犬とすり替えようと思ってる?」
今度はミナト。
「シオリンから聞いたの?」
ビンゴか。発想は想定内。
だからオレは言った。
「すり替えよう」
「宗哲クンっ」
「失敗したら、その時はその時」
一寸先が闇であろうが知るかよ。ねぎまがパンダを助けたい。オレはねぎまの望みを実現させてやりたい。どーしよーもねーよ。そう思うんだから。そうしたいんだから。
「ねぎまちゃん、1時まであと30分だよ」
ミナトがスマホで時間を確認した。
そーいえば、SIMカードどこへやったんだよ。聞きたいけど後だ。
ねぎまはももしおのことを心配した。
「シオリンはね、犬を探しに行ったの。でも、見つからなかったんだね」
「なあ、犬がいなくてもさ、取りあえず、パンダを五重の塔に置いてこよう」
「うん」
「どした?」
ねぎまが不自然にそっぽを向いた。顔を覗きこむと、はらはらと泣いていた。
「怖かったの。シオリンがぜんぜん戻ってこなくて」
ぽん
オレは無言でねぎまの頭に手を置いた。1人で不安だったのか。
「ももしおちゃんなら、きっと大丈夫。人違いされただけだから、危険な目には合わない」
ミナトの言葉はねぎまを安心させた。ついでにオレの心も。
「重いだろ。貸して」
オレはパンダ入りの布を自分の背中に装着した。重っ。どーやって隠すんだよ。目立つって。
「来るときはこれに入れてきたの」
ねぎまは黒いかご型のでかいバッグを出した。だよな。こっちだよ。
星条旗のバスタオルに包んだパンダをバッグに入れる。パンダはなされるがまま。
「きっと大丈夫だから。もうちょっと頑張れ」
オレがパンダに言うと、パンダはゆっくり手を動かして手提げかばんの縁につかまる。
「ごめんね」
ねぎまがパンダの手を優しく格納。
すぐに逃げられるようにか、その場にあったのはリュックだけ。
心配した大の方の臭いは、処理したらしく残り香だった模様。
「出よう」
「うん」
オレは不自然に膨らんだバッグを持って、1階の会場に入った。急がないと。
11時のショーのときは開始10分前くらいから準備が始まってたっけ。
怪しまれないよう、走らずに歩く。すたすたと。
みしっとかご型のバッグの布が軋む音がする。到着するまでなんとかもってくれ。破れるな。動くな。鳴くな。
幸いパンダは動かなかったし鳴かなかった。
ねぎまを見張りに立てて、ミナトと2人で舞台裏に入った。
誰もいない。
雑然と、フラフープみたいな輪っかや音響や電源用のコード、工具ボックス、ペットボトル、軍手が置かれていた。というより転がっていたって表現の方が近い。
オレは軍手を手に取った。ちょうどいい。
誰が使ったから分からないものを自分の皮膚に接触させるのは嫌だが、背に腹は代えられない。ミナトにも1組渡した。ハシゴを支えてもらうために。
ハシゴが短い。え。マジで? 届かねーじゃん。
いやいやいや、パンダ犬が入ってたんだから、そんなはずはない。
ん?
ハシゴが3段階に伸びるタイプだった。知らねーし。
そして、なぜ、五重の塔が舞台の端に追いやられているのかが分かった。
五重の塔は張りぼてだからハシゴをもたせ掛けることができない。だから、ハシゴは舞台の仕切りの壁に立てかけるしかない。人が何人も演舞をする舞台や照明が取り付けられている仕切りの壁は、鉄パイプで組み立てられているからハシゴを立てかけられる。
ミナトと2人でハシゴを伸ばし、五重の塔のすぐ横に立てかけた。
五重の塔が左横、ハシゴが前にある感じ。ハシゴは若干斜めに立てかけることになるから、ちょうど柵のある辺りはかなり接近している。
オレはパンダを背中に装着。ハシゴを上っていった。
証明が当たっていない舞台裏からは、布に描かれた天安門広場ごしに明るいフロアが見える。
くっ、動くなよ。
がりっ
痛って。パンダがもそもそと背中で動く。首筋やられた。
このやろう。それくらいなら許すから。頼むから大の方はするなよ。オレの背中でしやがったら、たぶん、驚きと動揺でお前も一緒に落っこちるからな。
パンダが背中から落ちないよう、片方の軍手を口で外して布がしっかりとパンダを包んでいることを確認する。大丈夫、落ちない。結び目もOK。
その時、オレの目に入った手の甲のピンクの文字。
『ク ソ し ないで』
再び軍手をはめて、柵より上のところに背中が来るところまで登った。
ハシゴの一番上が五重塔の屋根の天辺の高さ。
オレはハシゴに蝉みたいにとまったまま、体をねじった。ハシゴはミナトが支えてくれる。大丈夫。
不安定な姿勢で布を解く。少しずつ肩からずらして柵の中に入る位置に持っていく。
くっ。腕が。コイツ、重ぇぇ。
最後、パンダを滑らせるようにして柵の中に、
すとっ
落とした。
ころん
パンダは星条旗のバスタオルに包まれたまま、柵の中で丸くなった。
ふわっ
オレは不要になった布を下にほおる。
即行でハシゴを下りる。
「じゃな」
パンダに顔の高さがきたとき、オレは言ったけど、パンダはオレにもこもこしたケツを向けて寝転んだ姿勢のままだった。動かない。でももふもふは息をするリズムで微かに上下している。
この先、いつありつけるか分からないからって、ねぎまはミルクを上げたばかりだって言ってた。腹いっぱいで眠いのかも。
かわいいケツ。
ちょっと臭うけど。きっとこれとミルク臭いのが、赤ちゃんパンダの匂いなんだな。
!
ヤバい。
自然に頬を緩めていると、天安門広場ごしに派手な舞台衣装を着た雑技団ご一行が会場の遠くの入り口を入ってくるのが見えた。
「もうこっち来る。見えた」
とんっと地上に下り立ち、手早くハシゴを元に戻した。
ぽいっ
軍手を元あった辺りにほおり投げる。
急げ。今ならまだ雑技団ご一行は色んな企業のブースの向こう側を歩いているはず。
ミナトと2人で舞台裏から出た。オレは黒い大きなバッグを持って。
舞台から少し離れた会場の隅でねぎまと合流した。
「ねえ、考えたんだけど、もう犬を探すのはやめない?
これ以上人と接触するの、やめよう?」
ねぎまが不安気に訴える。
「だな」
「そーだね。ねぎまちゃん。まず、ももしおちゃんを探さないと」
ねぎまが言う通り、もう極力人との接触を避けた方がいい。
長居は無用。
1階の展示会場を出る前に、3人で遠くから中央の舞台を眺めた。
舞台に誰もいない様子は、天安門広場が閑散としているよう。
「シオリン?」
一緒に舞台を見ていたねぎまが首を傾げた。
「「え?」」
ミナトとオレがねぎまを見る。
「あれ、シオリンに似てない? 雑技団の1番後ろを歩いてる女の子」
「ああ、1人、ももしおに似た、細いマッチ棒みたいな子いたいた」
オレはお団子頭の女の子を思い出した。姿勢のいとこまで似てた。
ひょっとすると、あのフレンドリーで細かいことを気にしない性格も似てるかも。
「でも、やっぱり、シオリンっぽい。手をぶらぶらさせて跳ねるような歩き方」
「あ、あれ、ももしおちゃんだ」
ミナトまで。確かに服交換してたけどさ。
「そっか?」
「そうだって、宗哲。ほら、髪形がポニーテール」
「ホントだ」
ももしおは雑技団の女の子と服を交換したとき、化粧をして髪をポニーテールにしてもらっていたっけ。
確かに。言われてみれば、歩き方はももしおそのもの。ぴょんぴょんと跳ねるような歩き方。
服は、さっき交換したものと一緒。きらきらした飾りがついた赤いレオタード。脚も赤いスパッツに覆われている。
マジで?




