間接キスに躊躇え
週末の夜、マリーナは静かだった。
「オレ、入出港届出してくる」
みんなはオレの家の釣り船を知っている。先に船に行ってもらった。
水曜日に来たばっかりじゃん。なんか、すっげー遊び人に思われるかも。
「船好きなんですね。あ、米蔵さん、よかったら」
マリーナの人は、オレを1人の大人として接してくれる。
でもって、下心のために船を利用したとか密談をしたいだとかなんて露ほども想像していなくて好意的。バナナを1房くれた。5本もある。友達とタクシーから降り立つところが見えたんだろう。
船に行くと、デッキでももしおがパンダを膝の上に乗せて「寒くない?」なんて聞いてっし。
「取り敢えず、船、出すから」
ライフジャケットを置きっぱにしておいてよかった。2人分はねぎまと使ったときのがある。荷物入れを見たら、あと3人分あった。ちょっと魚臭い。
少しだけ沖の方へ行って、停船。
オレは、みんなが座っているデッキに出た。
「はー。どーする?」
オレの第一声。もー、分かんねーし。
「なんか、あのままにしてたら、この子、殺されちゃうみたいなこと言ってたじゃん。そんなの嫌だもん。あり得ないもん。こんなにかわいいのに」
ももしおはパンダを抱きしめる。でかっ。
胴回りはももしおよりもありそう。ももしおの膝に座っていて頭が顎くらいまで来ている。でも、たぶん、公開されたときのシャンシャンよりは小さい。
「あの男ってなに? 『人しかやらない』の『やる』って、殺すってこと?」
ミナトは、バナナの皮を剥きながら眉をひそめる。
ねぎまは難しい顔をした。
「ねー、国交問題って言ってたよね。明るみになったらまずいみたいな。それって、動物の密輸じゃなくて、パンダ限定で問題ってことでしょ? パンダって特別だもんね」
パンダは特別。中国の外交に使われる。中国はパンダで他国と友好関係を築き、他国にパンダを貸し出して億単位の金を稼ぐ。
「日本にパンダが密輸されてたなんてなったら、大問題だよな。日本はとんでもない国ってことになりかねない」
ミナトの言う通り。レッドラインって言葉を知らなかったオレも、パンダ外交、パンダビジネスについては知っていた。世論の操作なんてどんな風にでもできる。
「青龍刀」なんて言葉が出たくらいなんだから、あの言葉が冗談だとしても、ヤバイ中国人が絡んでる。だいたいパンダは中国の動物。中国人の組織による密輸事件として扱われて終わればいい。
もしも、日本に購入者がいて依頼したところに焦点を持ってくれば? 昔の中国じゃパンダを殺したら死刑だったなんて噂がある。中国にとってシンボル的動物。中国の国民感情は激しく刺激されるだろう。
『ヤバいんだよね』―――んな軽く話せるレベルの話じゃねーじゃん。
頭痛くなってくる。
オレもちょっと腹が減ったかも。バナナ食おっと。
ねぎまは、パンダを抱っこして手が塞がっているももしおに、バナナを剥いてあげていた。
「はい、シオリン」
「あ、ありがと。マイマイ」
ももしおがバナナを食べていると、パンダがバナナに手を伸ばした。
「シオリン、この子、バナナ欲しがってるみたい。ね、お腹空いてるの?」
ねぎまがパンダに話しかける。
「食べる?」
ももしおは、自分が1口齧ったバナナをパンダに差し出した。
「おいおい、ももしお。パンダって笹食うんじゃねーの?」
バクっ
食った。こいつ、バナナ食った。
あれ? 歯形が付いただけ。バナナは残ってる。
「ん? 不思議な味だった?」
嬉しそうにパンダに話しかけるねぎま。
ぱく
げっ。ももしおは、パンダの歯形が付いたバナナを1口食べた。
大丈夫なのか? あんな環境にいたやつだぞ。菌とかいそうじゃん。間接キスに躊躇えよ。
またパンダがバナナに手を伸ばす。
カミカミカミ
お、かわいー。
でろん
パンダはまた食べなかった。ももしおの手には、パンダ何度も噛んだ歯形付きのバナナがねちょーっとなって残っている。
ぱく
それをももしおが食った。
げぇぇぇ―――。ムリ。オレには絶対にできねー。
「ももしおちゃん、この子はどこへ連れて行っても、日本じゃ殺されるんだよ」
ミナトははっきりと告げた。
「動物園でも?」
ももしおは消えそうな声を出した。ムリって分かってたからだと思う。
「ひょっとしたら、動物園がこっそり内緒でバックヤードで飼うなんてことをしてくれちゃったり、って、ないよね」
ねぎまが諦めたように体操座りで顔を膝に埋めた。
「オレらが殺すなんて、絶対に嫌。できねーって」
それだけは避けたい。
「そんなことするために連れてきたんじゃないよ!」
ももしおは声を荒げた。驚いたパンダが膝で「ぐーぶー」と鳴く。
「なー、宗哲。できるだけ沖に出て、ボートに乗せて漂流させて中国に返すとか、ムリ?」
「ムリ。ここ、太平洋。でも、日本海だったとしてもムリだと思う」
ミナトの意見を即刻却下するオレ。
「じゃ、中国行きの船を探して置いてくるとか」
「コンテナ船ばっかりだろ。密輸船を探せたらできるかもだけど。そんなん、どーやって探すんだよ」
「ダメか」
「「「「はーっ」」」」
4人で項垂れる。
「ねえ、あのパピコ横浜でやってるのって中国のものを展示してるんでしょ?
それを運んできた船とかないのかなー」
ねぎまが遠くに明るく光る、パピコ横浜に目をやった。
「船じゃなくても、荷物とかな」
オレが何気なく口にした言葉に、ももしおが反応した。
「それだよ! 宗哲君、それしよう!」
「ももしお、お前、BAKAだろ。どんなもん展示してるかも分かんねーし。中国のもの展示してるっつったって、主催は日本だろーし。そこに置いて来ていいわけねーじゃん。結果は一緒だろ。始末されるって」
ねぎまがスマホをいじっている。
「ねえねえ、イベントの主催者って、中国の企業っぽいよ? 見て見て」
ねぎまが差し出すスマホの画面には、様々な中国企業のロゴがあった。独特の漢字や馴染みのないマーク。
ももしおは記憶をたどりながらそれらを指差した。
「えーっと、これが繊維の大手企業。これとこれが生活雑貨の会社。こっちは流通。お菓子、調味料、化粧品だったかな。あとは分かんない。けど、機械とか医薬品とか通信会社は入ってなさそう」
すげー。さすが、グローバル投資をやりたがってるだけのことはある。
「だよね、タクシーの運転手さんにチケット配るくらいだもん。専門的なのじゃないよね」
ねぎまはスマホをオレに手渡して、さっきタクシーの運転手に貰ったチケットを取り出した。貰ったのは4枚。会場には無料で入れる。
ミナトが重い口を開いた。
「例えば、荷物の中に紛れ込ませることができたとして、どーするんだよ。
その荷物が空港とか税関とかでチェックされて、パンダが出て来たら、終わりだって。中国人じゃなく、運んだ日本の企業が犯人になったら? 結果は一緒じゃん。
一緒じゃないかも。もっと酷い。
あのトラックに置いたままだったら、パンダの命は助からなかったとしても、外交問題は避けられたんだから」
その場はシーンと静まり返った。
「警察行くか」
とうとうオレは自分の履歴に「前科」というものがつくことを覚悟した。キャパオーバー。ゲームオーバー。
すると、ねぎまがじっとオレを見た。
「宗哲クン、船をマリーナに戻して」
「分かった」
自主するってことか。
オレはキャビンに入った。
心が重い。窃盗罪。ももしおが実行犯だとしても、共犯者。
家族は泣くだろう。
恐らく高校は退学。
大検か。
その前に、オレ、捕まって牢屋に入るんだよな?
悪い方向にしか考えられなかった。
こんな時ですら、横浜の夜景は呆れるほど綺麗で。
インターコンチ、ランドマーク、観覧車、クイーンズスクエア、赤レンガ、マリンタワー。
オレは船の速度を落として、人工的なドリームランドの光をゆっくりと脳内に録画した。
じゃあな。横浜。
マリーナに到着すると、ねぎまがオレに言った。
「ミナト君と宗哲クンは家に帰って。
それで、宗哲クンにお願いがあるの。1晩、船の中で過ごさせて」
ねぎまはミナトとオレを巻き込まないつもりだ。
「ミナトは帰れよ。オレんとこの船だから、オレは残る。船長ってそーゆーもんだから」
そんな風に言ったけど、ミナトは帰らなかった。
「もうさ、抱っこしてタクシーに乗ったんだよ。タクシーに映像記録残ってるだろ。今更」
ミナトはこーゆーヤツ。
「きゃ」
深刻な話をしてたのに、ももしおが突拍子もない声を出した。
「どーしたの? シオリン」
「パンダがおしっこしちゃった」
「あ、まだしてるしてる」
ももしおがパンダを持ち上げてもちょろちょろと続く。あ、終わった。
ももしおのスカートはびしょびしょ。船にはほとんど影響なし。
だよな。動物って、食うし出すんだよな。
ももしおはねぎまと2人でマリーナのトイレに着替えに行った。




