胸になに隠してんの?
おかしい。明らかに。
寄せて上げたって、あそこまで著しい成長を遂げるはずはない。
ばったりと出会ったのは、横浜駅徒歩10分程度のビルが立ち並ぶ場所だった。
「ももしおじゃん」
「あ、宗哲君」
オレは、部活後、男子硬式テニス部の友達と分かれて、塾のパンフレットをもらいに行くところだった。高2の夏が過ぎて、大学受験を意識したから。
ももしおは1人、腕組みをして歩いていた。違和感。
「どーした?」
違和感その1、友達と一緒じゃない。
放課後のももしおといえば、バドミントン部の女子とつるんでいる。株の売買をする相場とやらは、午前9時スタート午後3時終了らしい。だから、ももしおは、授業は度々さぼるが部活は参加する。その流れからか、放課後、ももしおが1人でいるところを見たことがなかった。
「幻のラーメン屋さん探してたの。
今日の星占いの運勢が『運命的な出会い』だったから、幻のラーメン屋さんに出会えるかなーって」
「運命ねー。女子、そーゆーの好きだよな」
ゼットンだけじゃねーのかよ。ももしおの貪欲さに頭が下がる。ってかさ、ももしおにとっては、男との出会いとラーメン屋との出会いが同列なんだなー。
そういえば、あの金色のボタン、どっかで見たことあるんだよな。Zと高が重なったやつ。
違和感その2、ジャージ。
学校の行き帰りは一般的に制服。部活後、体育会系部員は着替える。なのにももしおは、下は制服の紺のスカートを穿いているものの、上はいつもの紺のカーディガンじゃなく、水色のバドミントン部のジャージを着ている。しかも、ファスナーをきっちりと上まで閉めて。
「運命的な出会いがあるなら、行動範囲を広げようって思ったの」
「へー。幻のラーメン屋見つけたら、教えて」
「うん。舌の上でとろけるチャーシュー、食べたいよね」
違和感その3、腕組み。
ももしおは腕組みをしながらなんて歩かない。両手はいつも、ぷらんぷらんと自由気まま。興味のあるものに手を伸ばす。腕を組んでいるだけじゃなく、弱冠前かがみに見える。長身で姿勢がいいから、いつも群衆の中で細長いシルエットが際立つってのに。
「ももしお、カーディガンは?」
「あ、えーっと、汚れちゃった、かな?」
あ、嘘ついた。
ももしおは分かり易い。視線が斜め上に向かい泳いでいる。
なんでそんな、どーでもいいことで嘘つくんだろ。ま、いっか。
違和感その4。
まず断っておく。オレは、カノジョの親友を、しかも、脳内が男子中学生のようなももしおのことを、邪な目で見たことはない。服の下を想像したことすらない。
けどさ、明らかにおかしいんだって。
スレンダーなももしおはモデル体型。すらっとして無駄な肉が付いていない。それは残念ながら上半身も。胸の辺りはすぺーんとしている。いつもは。
が、目の前のももしおの胸は、ねぎまクラス。推定でしかないが、DとかE? ジャージの盛り上がり方が違う。
昼、外階段の踊り場で会ったときは違和感を感じなかった。誓っても、友達のそんなとこばっか見てねーし。……いや、女テニの脚は見てる。クラスのかわいい女子の胸部も。
だけどさ、ももしおはない。第一、好みのタイプじゃない。
とにかく、昼休みから数時間でサイズがアップするなんて、豊胸手術でもしない限りムリ。
「で、ゼットンの高校は分かった?」
聞いてみた。どうせ制服売り場に行って確認済みだと思う。
「うん。都内のZ高だったの♡」
「Z高?! へー。Z高って、オレの兄貴が行ってた高校じゃん。もう卒業したけど」
だから、あのボタンを見たことあったのか。
Z校。通称モテ校。都内の私立男子絞でZ大の附属高校。
「そーなの? 宗哲君のお兄さんが」
「分かってよかったじゃん。ゼットンと何喋った? 株主総会に行く高校生なんて珍しーじゃん」
「喋ってないよ。データ改ざんの事件で株主総会がぴりぴりしてて、話しかけるチャンスなんてなくって」
「おいー。それって、出会いじゃなくて、見かけただけじゃん」
「うっるさいなー。いーの!」
ももしおの頬がぷーっと膨らみ、目はぎろっとオレを睨む。そんな顔までかわいい。
「ははは。じゃな」
ん? 今、胸の辺り、ちょっと動いたような。気のせいか?
女の子と話すときは、胸を見ていると間違われないように目を見て話す。でもさ、大抵の女子ってのは自分よりも背が低いから見下ろすわけで。
オレの視界の片隅で、ももしおの胸部の中央、谷間辺りが微かに動いた。ような気がする。
「じゃっ……ぁふ……」
ももしおから、なんとも色っぽい息が漏れた。別れの挨拶「じゃっね」と最後まで聞こえなかったオレの鼓膜は確かにそれを捕えた。
ももしおは左目を細め、唇は僅かに開いたままで動きを止めた。それはほんの一瞬。
次の瞬間、ももしおは驚きに目を見開き、オレを凝視。そして、両腕で前を抑えて逃げるように横浜駅方面へ走って行ってしまった。
わけ分からん。
胸に何か入れてたんだろーな。
隠さなきゃいけねーもんって、何?
そんなことよりも、塾へ行き始めた方がいいか考えたい。
ねぎまとの関係を、なんとか、めくるめくものに持ち込みたい。
ねぎまと約束した2人での旅行を実現させたい。
もう少し上半身には筋肉をつけて、ステキと思われたい。
忙しいんだよ、オレは。取りあえず、塾のパンフレットだ。
3つの塾を巡り、パンフレットを貰って授業料の説明を聞いた。
どーすっか。
相鉄線の中で、どの塾にするかを思案する。自分がすっげー頭よかったら塾になんて通わなくてもいいのかも。でもさ、凡人。学校の授業を受けながら、授業で高1のときに終わった科目やらなんやらをしてセンター試験に備え、更に同時進行で、二次試験に備えるなんて、道しるべがなかったら、ムリ。
附属高校からエスカレーターで大学へ行った兄には、アドバイスなんて聞けない。
つーか、兄は地頭がオレと違って賢い。要領がよくて、オレとタイプがちげーんだよな。
相鉄線&チャリで帰宅。
「腹減ったー」
「うぃぃぃ、宗哲、久しぶそり」
「あ、帰ってたんだ」
ダイニングにいたのは、ビールで一息つく兄。
大学生の兄は生活時間帯が違うから、ときどきしか会わない。だいたいコイツ、カノジョの部屋に入り浸りで、テスト期間とかレポートんときしか帰ってこね―んだよ。
「スペアリブのママレード煮あるぞー」
兄は鍋を火にかけてくれた。いい匂い。コーンスローとトマトのマリネ、ほうれん草のスープもある。
「お母さんは?」
小うるさい母の姿がない。
「塾に迎えに行った」
「ふーん」
中学生の妹を塾まで迎えに行ったらしい。
リビングのテレビでは、ニュースが流れていた。
『アメリカと中国の覇権争いは熾烈を極め、これによる世界経済への影響が懸念されています。米大統領の側近による非公式な発言が問題視されていますが、真偽はまだ確認されていません。これに対して中国側はアメリカ政府への……』
テーブルの横には、スペアリブの骨を狙う諭吉。
諭吉はでっかいコリー犬。お座りすると、目はテーブルの高さ。めっちゃ狙ってる。
「アメリカがさ、中国が持ってる分の国債だけデフォルトにしよっかなーって言ってるかもしんねーじゃん? ヤバいよな」
兄がテレビに視線をやりつつ、ビールをぐびっと飲む。
「なにそれ。そんなんできるの? 中国に借りた金だけ踏み倒すってことだろ?」
知らんかった。
「物理的にはできるんじゃね? アメリカ最強だし。経済的なモラルとして、やったらとんでもねーけど」
兄はチーズたらを諭吉に1本あげた。諭吉がシアワセそうに味わう。
「ま、米国債デフォルトなんてデマだろーけど。今、世界経済大荒れ。世界同時株安」
「ふーん。ま、オレには関係ねーけど」
しがない一高校生のオレは、世界経済とは無縁。関係ねーし。
ぶぶー
テーブルの上のスマホがメッセージの着信を告げた。
送り主はねぎま。
『塾はどうだった?
勉強もしなきゃだけど、遊んでね。
(すき焼きの絵文字)-((焼肉の絵文字)ー(骨付き肉の絵文字))だよ♡』
すき焼きー(焼肉ー肉)って、つまり、「好き」って?
かわいー。
にやける。
絵文字の遊びが女子っぽい。
オレにとっては、ねぎま>飯>勉強>世界経済。でもって世界経済への興味は=0。
すぐさま返信。
『たぶん**塾にする』
一緒に可愛い犬のスタンプ。『大好き』ってハート抱えてる絵のやつ。
「きもっ。宗哲。顔がすっげーゆるゆる」
斜め前に座る兄が「げっ」て顔をする。
「あー。はは」
「女?」
「まあ」
「可愛い?」
「かなり」
「ふーん」
オレのことより。
「あのさ」
話題を変更。かつてZ高に通っていた兄に、母校のことを聞いてみよう。