第14話 見習い天使・ティナ
「良かった。地上の位置関係まで狂っていなくて」
前方に村の影が見え始め、僕はホッと胸を撫で下ろしながらそう言った。
少し前までは森だった倒木だらけの荒野を抜けた僕らは、西の方角はるか彼方に天樹の姿を横目に見ながら、北に見える小さな村を目指して進む。
そこは僕らがこの世界に転移してきた時に、最初に足を踏み出した場所だった。
転移装置は馬車を貸し出している馬屋の中に置いてある。
僕とミランダ、そしてヴィクトリア、ノア、ブレイディ、アビー、エマさんの7人は皆、村の姿が見えてくると自然と足取りが早まった。
元の世界に戻るための転移装置を早く確保しておかなければならない。
皆、そうした同じ思いを抱いているんだ。
ゾーラン率いる悪魔の集団とはまだ合流できていないけれど、彼らは統率の取れた集団だから、多少の犠牲は出しても無事に坑道を脱出しているだろうとミランダは言っていた。
「あの村から始まったんだね」
僕は誰に言うともなくそう言った。
ほんの2日前のことなのに懐かしく感じる。
この2日間は激動の時間だったから。
だけど村に近付くにつれ、そんな懐かしさは吹き飛んでしまった。
「様子が変ね。村人の姿が見えないわ。誰ひとりとしてね」
僕よりもずっと視力のいいミランダがいち早くその異変に気が付いた。
2日前にこの世界での冒険をスタートさせた時、村は小さいけれどそれでも数十人の村人たちが活発に動き回っていた。
誰の姿も見えないというのは明らかにおかしい。
「とにかく急ごう!」
そう言った僕の体がふいにフワリと浮かんだ。
ミランダが僕を背後から抱えて空中浮遊を始めたんだ。
「先行するわよ! あんたたちは後からついて来なさい!」
ヴィクトリア達にそう言ってミランダが高速で飛び始めると、数百メートルあった村までの距離が一気に縮まり、あっという間に村の上空にたどり着いた。
上空から見ると村の異変が一目で分かる。
「本当だ。誰もいない」
村の中には人影ひとつなく、さながらゴーストタウンのような様相を呈していた。
村の外れには馬屋があり、その敷地内にいくつもの馬車が駐車していたけれど、どれも荷車ばかりで馬は一頭もいない。
動くものが何もなく不気味な静けさに包まれた村を前にして僕は息を飲む。
「いや……気配があるわ。油断禁物よ。アル」
ミランダはそう言うと僕を抱えたまま馬屋の建物の裏手に静かに降り立った。
その途端だった。
馬屋の窓を突き破って何者かが外に飛び出して来たんだ。
そのまま地面に倒れ込んだその人影を見て僕はハッと緊張に身を固くした。
そこに倒れていたのは堕天使だった。
ミランダは即座に身構えたけれど、堕天使はすでに何者かに手痛いダメージを与えられていたようで、そのライフはゼロになっていた。
そしてすぐにゲームオーバーとなり、黒い粒子を撒き散らしながら消え去っていく。
割れた窓越しに建物の中から声が聞こえてきた。
「転移装置はどこだ!」
「知りません! 知っていても教えません!」
堕天使のものと思しき男の声に反抗するその声は女の子のものだった。
続いて中から争うような物音が聞こえてきた。
僕とミランダは顔を見合わせる。
「どうやら転移装置はまだ生きてるみたいね。アルはここで待機しなさい!」
そう言うやいなやミランダは粉々にガラスの割れた窓枠から建物の中に飛び込んで行った。
僕はその窓枠の端から中を覗き込む。
すると1人の女の子が大勢の堕天使によってたかって押さえ込まれていた。
それはまだ幼さの残る天使の少女だった。
こ、これはマズイぞ。
少女は見るからにボロボロで、すでにグッタリと力を失っている。
堕天使たちは今まさにその少女にトドメを刺そうとしているところだった。
「そんな弱そうな小娘をいたぶってないで、私にかかってきなさい!」
そうミランダが大きな声を響かせて飛び込んで来たもんだから、堕天使たちは虚を突かれて一瞬、動きを止めた。
そこに襲いかかるミランダはまるで獰猛な虎のようだった。
黒鎖杖を容赦なく振るい、ミランダは堕天使を1人2人となぎ倒す。
加減知らずの一撃を頭部に浴びた堕天使らは、昏倒して短く痙攣すると動かなくなった。
これを見た他の堕天使らが少女を放り出してミランダに襲いかかるけれど、時すでに遅かった。
ミランダの動きが速すぎて堕天使らのモーションが全て1コマ2コマ遅れて見えるほどだ。
さらにミランダは頭部や首などの急所に的確かつ強烈な打撃を与え、堕天使をほとんど一撃で葬り去っていく。
すべてが終わるのに20秒とかからなかった。
10人ほどいた堕天使らは全員、もの言わぬ骸と化していた。
ミランダは魔法のひとつも使うことなくその場を制圧して物足りなさそうに声を上げる。
「ヌルい! ヌルゲー過ぎる!」
堕天使たちはゲームオーバーとなって消えていくけれど、天使の少女は力なく横たわったまま起き上がらない。
僕は扉を開けて馬屋の中に入り、すぐさま少女の元へと駆け寄った。
「もう大丈夫だよ! しっかりして!」
僕は少女にそう呼び掛けてからハッとした。
少女のライフはすでにゼロになっていた。
その目からはすでに光が失われている。
こうなるともう回復の見込みはない。
くっ……。
「もう手遅れよ。アル」
ミランダはそう言うけれど、そこで少女の唇が小刻みに震えた。
ま、まだ意識があるぞ。
彼女は掠れて小さな声を漏らした。
「ど、どなたか、そこに、いらっしゃる……のですね」
少女の声はようやく聞き取れるほどの小ささだ。
どうやらもう目が見えなくなっているんだ。
「も、もう堕天使はいなくなったから大丈夫だよ。安心して」
僕は少しでも彼女が安心できるよう静かにそう語りかけた。
少女の口元にわずかな笑みが浮かぶ。
「よ、よかった……地下に……馬……」
そこまで言って少女は事切れた。
その体が光の粒子に包まれて消えていく。
僕は成す術なくそんな彼女を見送った。
どういうわけか分からないけれど、彼女は単独行動をしながら、この馬屋の中にある転移装置を堕天使たちから守ろうとしていたようだ。
そんなことするのには何か特別な理由があるはずなんだ。
光の粒子が完全に消え去った後、僕とミランダは顔を見合わせた。
「地下に馬とか言ってたわね。この建物に地下なんてあったかしら?」
2日前にこの馬屋を利用した時、2階の廊下にいくつもあった扉のうち一つが転移装置の出口となっていた。
僕はミランダと試しに2階の全ての扉を開けてみたけれど、開けた先にあるはずの出口の扉はなく、恐る恐る僕が部屋の中に足を踏み入れてみても何も起こらなかった。
「これはやっぱりあの天使の小娘が言っていた地下を探してみるしかないわね」
2日前も僕らはそれほどここに長居したわけではないので、建物内部の構造を熟知してはいない。
だけどそれからすぐにヴィクトリアたちが追いついてきてくれたので、全員で建物内を探してみたんだ。
すると以前は馬屋の主人が陣取っていた1階のカウンター奥に地下に降りる階段を見つけたんだ。
そこに降りて突き当たりにある扉を開いた途端だった。
『ブルルルルッ! ひぃぃっ! わ、私はひからびた老馬ですから、食用には適していませんよ!』
その地下室には一頭の喋る馬が隠れていたんだ。
馬とはいってもその顔は非常に人間味のある表情をしている。
僕がその馬を忘れるはずがなかった。
2日前、この馬屋から僕らは馬車に乗って天樹を目指した。
その馬車を引っ張ってくれたのが、この馬だったんだ。
「う、馬! 馬じゃないか!」
『おおっ! 冴えない兵士殿ではないですか!』
冴えないは余計だ。
君も似たようなものだぞ。
馬。
『悪魔の流れ矢でゲームオーバーとなったあの後すぐにコンティニューすることが出来まして、この馬屋でいつもの業務に従事しておりました。ですが……』
その後、サーバーダウンが起きてそれから堕天使たちが村になだれ込んで来たらしい。
いち早く気付いた幸運な村人は逃げ出したけれど、逃げ遅れた不運な村人の多くが堕天使らの犠牲になった。
馬屋の主人は一目散に逃げ出し、繋がれたまま残された馬は震えながらこの馬屋の中に隠れていたんだけど、そこにさっきの天使の少女が駆けつけたのだという。
少女は転移装置のシリアル・キーを2階の扉から抜き取ると、それをある手紙の中に隠して馬に渡し、突入してきた堕天使から隠すために咄嗟に馬を地下室に向かわせたらしい。
「転移装置のシリアル・キー?」
『はい。それを扉から抜き取ると転移装置の機能は失われます』
「だ、だから僕らがこの世界に来た時に使った転移装置はただの扉になっていたのか。天使の人たちにはそんなことが出来るの?」
『いいえ。そうは思えませんが……。どうしてそんなことが出来るのか分かりませんが、どうやらあのお嬢さんは何か特殊な力があるようですな。堕天使から転移装置を咄嗟に隠すためにそのようなことをされたのでしょう。ところで彼女はその後どうされました?』
そう尋ねる馬に僕は思わず言葉に詰まり、黙って首を横に振った。
馬は残念そうに目を伏せる。
『そうでしたか。たった1人で私を守ろうとしてくれたのに。無念です』
そう言ってうなだれる馬だけど、彼はすぐに顔を上げて僕に言った。
『おそらくこのお手紙は兵士殿への伝言でしょうか』
そう言う僕のアイテム・ストックに馬は一通の手紙を譲渡してくれた。
転移装置のシリアル・キーがこの中に隠されているという。
【異世界の貴方へ】と題されたその手紙には少女が見習い天使であり、ティナという名前であることが記されていたんだ。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
次回 第四章 第15話 『天使長の思惑』は
12月23日(日)に掲載予定です。
よろしくお願いいたします。




