遙か高みにも、いずれ届くように
嵐のような男だった。災禍のような青年だった。
この偶然の出会いを手放しで喜び、子供のように屈託無く笑って、心底から楽しんで帰っていった。
たしかに……あれはイカレだ。ゾニの言うとおり、僕とは逆方向の。
「迷いが、あるのか」
暗く、どす黒く、暗鬱とした声。
僕の声。
教えてくれ、と。彼は言った。自分たちがここに居る意味を。
あれだけ楽しんでいても、魔王にまで上り詰めても、新たな生を謳歌していても。……それでもあの転生者は、異世界の迷い子だった。
分からないでもない。共感はできる。僕はなんのために転生したのだろう、なんて、ルトゥオメレンの研究室で何度も自問したテーマだ。
それはおそらく、異世界転生してきた僕らが必ず所持する命題だ。
僕には、世界を変えるほどの力も、変えられると自惚れるほどの自尊心も無かった。
彼には、世界を変えるだけの力と、変えられると確信するほどの自信が有った。
故に僕は目の前に精一杯で、やがて問うことすら忘れ。
故に彼は今もまだ、問い続けている。
「その隙、利用させてもらうぞ」
僕はロムタヒマの方向へと呟く。
同郷のくせに、僕とは違う、遙か上から世界を見下ろす男。
あれは殺す。殺さなければならない。人族のためでもあり、同郷の転生者としてでもある。
彼は未だ答えの出ない使命を帯びている。自分で自分に課した鎖だ。誓いと言っていい。
そしておそらく、その答えをレティリエとの最終戦で求めようとしている。勇者と魔王の決戦にだ。
ならば、その時まで彼は戦うまい。
けれど、その時に得た答えによっては……―――
「ごぶじ、ですか……?」
声に、思考の彼方から引き戻された。
「僕は無事だよ。君はそうでもなさそうだが」
見れば、レティリエは蒼白な顔で地面に膝を突いている。顔も上げられないようで、顎から滴った汗がむき出しの地面を湿らせていた。
発作か。広範囲の探知に加えて、後先考えない魔力全力使用だっただろうからな。こうなるのも無理はない。
あと、樹に激突したり高いところから落下したりしたから、怪我の心配もある。
やれやれだ。そんな状態で、僕なんかの心配が先なのか。この娘は。
「……ありがとう」
僕を助けるために無理をした。その浅慮を叱ろうと思ったが、口から出てきたのは感謝の礼だった。
むぅ、と小さく唸る。これはダメだ。少し恥ずかしい。先に言うべきはそれじゃなかった。
多分だけれど、僕は彼女が助けに来てくれて、少し嬉しかった。
そう思い至ってしまっては、小言も続かない。
「横になってくれ。すぐに処置をする」
結局何も叱らぬまま、僕は懐から発作時専用のヒーリングスライムを取り出し、起動する。
宙に浮かんだスライムが魔術陣を描き、仰向けに地面に横たわったレティリエに淡く光る魔素を降らせていく。
だんだんと彼女の顔色が戻っていくのを見ながら、僕は地べたに座り込んだ。右手で髪を掻き上げるふりをして、頭を押さえる。立っている気力が無かった。
「攫われて、何をされたんですか?」
「魔王は僕が同郷だと知っていて、前世のことを話した。大したことじゃない」
どうやって同郷であると知ったのかは知らなくとも、なんとなく察していたのだろう。僕の答えに、レティリエは納得したように頷く。―――魔王が僕だけに興味を持つ理由なんて、それしかないしな。
「あの姉弟は置いてきたのか?」
「はい。モーヴォンさんが魔術で隠れておくと言っていました。迎えに行かねばなりませんね……」
「エルフ魔術で森に隠れるなら、心配は無いな」
この森は魔族がうろついている。特にゴブリンはまとまりを失って森中に散ったはずだ。あの姉弟も、後衛しかできない二人だけでむやみに動きはすまい。
「見逃されました」
「ああ」
独白に、僕はただ頷く。
互いの疑問は解消し、もう目を逸らす話題はなくなった。だからここに戻るのは必然で、僕らは直視すべき現実に身を晒す。
こちらの攻撃を全てくぐられ、躱され、逸らされた。けれど、通用しなかっただけではない。
魔王は結局、こちらを一度も攻撃しなかった。それなのにレティリエは今、動けもしない状態だ。
あの男が強いからではない。もちろん魔王だから強いのだろうが、今回の敗因は違う。
「少しは、強くなれたと思っていました」
レティリエは仰向けに寝転んだまま、目を閉じて言う。
あの遺跡で神の腕として調整した身体に転生し、バハンで氷雪の剣を手に入れ、エルフの里で溢れる魔力を扱う術を覚えた。彼女が手応えを感じるのも無理はない。
けれど、まだ足りない。それを思い知らされる一戦だった。
敗因は一つ。こちらが弱すぎた。
「リッドさん……」
「なんだ?」
自分から話しかけてきたにもかかわらず、レティリエはなかなか続きを言おうとしなかった。
何か言おうとして唇が震え、逡巡して口を閉じ、意を決するまでにしばらくかけて。
「強くなりたいです」
脳裏によぎる数多の弱音は吐かず、ただ上を向いて。
彼女の奥にはたしかに輝く宝石があるのだと、証明するようで。
そんな少女が、羨ましいほど眩しくて。
「僕もだ」
彼女だけに先へ行かせるわけにはいかない。足りないのは彼女だけではない。
僕だって何もできなかった。
けれど僕もきっと、もっと前へ進める。進まなければならない。
「一緒に強くなろう」
「はい」
蒼天は高く。
あの賑やかな敵のいなくなった森は、酷く静かで。
僕らはささやくように誓い合う。




