魔王ラーメン(仮)
「最初は俺が喰いたかったんだよ、ラーメン。なんか人界で食べ歩きしてたら懐かしくなってさ。ただ作り方が分からなかった。……で、王女さんにレシピ知らないか、って聞いてみたんだ。そしたらあの女、食べたこともない、なんて言いやがったんだぜ。ビックリするだろ?」
凄まじくどうでもいい。
「で、なんだまさか前世は超金持ちで、スシとステーキとメロンしか食べてなかったのかよって聞いてみたらさぁ」
高級料理のチョイスが貧乏人くさい。
「あの王女さんが言うには、今世と違って前世はすげー病弱で、ほとんど病院暮らしだったらしいんだわ。ラーメンなんて身体に悪そうなものは食べる機会がなかった、ってさ」
その話になんの意味も見いだせない。
「なあ、分かんだろ? 分かってくれるだろ俺のショックがよ? 前世であの世界に生まれたクセに、ラーメンも食ったことがないんだぜ。なんて不幸だよ。あの王女さんはまさに薄幸の美少女だってわけだ。そんなこと言われちゃよ―――喰わすしかねぇだろうがよ。最っ高のラーメンをよ!」
それってありがた迷惑なんじゃないかな! 別に懐かしい味ってわけでもないんだし!
握り拳をつくって力説する魔王に対して、僕は信じられないものを見るような心地で固まっていた。ツッコミすら声に出ない。
なんてことだ。こんな時どういう表情を作ればいいのか、僕は知らない。
コイツ……馬鹿だ。頭の中がゴキゲンな感じのマジモン馬鹿だ。
恥ずかしい。なんか凄く恥ずかしい。
僕、今まで魔王のことかなり高く評価してきたんだけど、それが恥ずかしくなるくらいの馬鹿だ。
この同郷が迷惑かけたところに謝って回りたいくらいの馬鹿だ。
勇者を目の前にして、ラーメンを優先する魔王っているか?
「んで、よっしゃじゃあまず材料集めじゃー、って食料庫に行ってみたのよ」
魔王は説明を続けている。
相手は馬鹿だ。それはいい。おもしろ挑発おじさんモーションの時にはもう察せることだった。
だから組み立て直せ。少しでも頭を回せ。
ここから生き残る方法を、探れ。
「そしたらどうも、在庫量が数字より全然少ないのな。そこでぶちキレだよ。絶対どっかで横領されてるって調べて、どうやら物資があそこの砦でめっちゃ摂取されてるって知ってさ、ふざけんなボケどもって軽くシメに来たわけよ」
……ということは、魔界からの補給部隊があるのは確定だな。僕の予想は当たってたわけだ。
なるほど。少しこの男の行動が理解できた。
この遭遇はタイミングこそ偶然ではあったが、僕らも彼も、魔族軍の補給絡みでボルドナ砦を訪れたということか。
そうだ。少し自分を取り戻したぞ。この調子で考えろ。
なんか理解したら完全に僕らの落ち度がなくて、コイツの気まぐれに翻弄されてるだけの気がして少しイラッとしたが、それは飲み込め。行動理由が本気でラーメン発端なのも忘れろ。
相手は会話ができる類の馬鹿だ。なら交渉の余地がある。
まずは情報だ。これからコイツの話を一言たりとも聞き逃すな。
「けど問い詰めてみたらゴチャゴチャ文句ばっか言ってきやがってさー―――じゃあもうお前らがラーメンになれよ、と。贖罪させる代わりに食材にしてやったわけだ……そう、ショクザイだけに! ショクザイだけにな!」
あっはっは、と自分のクソみたいなダジャレに大笑いしてゴキゲンな魔王様。
その得意げに胸を張る姿に、プチ、と自分の中で何かがキレる音が聞こえた気がした。
ゆっくりと立ち上がる。馬鹿はうんこ座りのままケラケラ笑っている。僕は右足を上げた。
後先を考えられる心の余裕は無く。
とりあえずそのダジャレは許さん。
「ふざけすぎだろコラこのクソ魔王!」
「ギャフンッ?」
思いっきり放った蹴りは狙い違わず命中し、靴底が魔王の顔面にめり込んだ。
「くっ……初対面の権力者相手に遠慮の無いケンカキックとはたまげた。こいつぁ反社の臭いがプンプンするぜ。テメェもしや前世はロクデナシだな?」
蹴りをマトモに受けて大げさに倒れ込んだ自称魔王(ただの馬鹿)は、わざとらしい演技で口元の血を拭う。お前それわざと唇噛んで出血したろ見てたからな。
僕は汚物を見下ろすようにその様を眺める。……もはやコイツに遠慮する気は失せていた。
もういい。もうどうなってもいい。どうせ一人連れ去られた時点で死は確定したようなものだ。なら遠慮なんてするだけ損である。
この男の扱いはアノレ教室式でいく。
「なぁおい魔王殿。お前の事情はよく分かったよ。だからちょっとこっちの話も聞けや」
「ガンのくれ方が素人じゃねぇんだよなぁ……」
「お前さぁ、僕ら勇者パーティがいったいどうやってここまで来たか分かるか? なあおい当ててみろよ」
「えー……えっと、徒歩で?」
「違う。いいか、よく聞けこのちゃらんぽらん野郎」
僕は苦渋を噛み締めるような心地で、僕は今までの旅路に想いを馳せる。
レティリエが降ってきたあの夜を。ハルティルクの遺跡の真実を知った絶望を。決意の星空を。
共に屍竜に立ち向かった仲間を。試練で立ちはだかった男たちを。初めて心よりの信仰を理解させてくれた、神のごとき女王を。
滅びに瀕したエルフの里を。おぞましき数多のゴブリンを退けた戦場を。古き伝説と、輝かしき未来の象徴のような二人を。
ああそうだ。胸を張って言える。
ここまで、こんなところまで、レティリエ・オルエンとリッド・ゲイルズは間違いなくそれで来たと。
僕らは―――
「シリアスだ! 僕らは百パーセントのドシリアスでここまでやってきてんだよ!」
「うっそマジで? 超モノ好きげぼあ!」
酔狂でやってるワケじゃねぇんだよ。
「ま、魔王のタマぁ蹴るとは不遜すぎてビックリするぅ……俺、この肩書きになってからこんな扱いされたの、さすがに初めて」
「普通に避けられるくせに律儀に喰らってるのそっちだろ。さては関西だなお前」
「ブッブー違いますー! 成人式で有名な北九州でっす!」
「前世も魔界産まれかよ」
元気に跳ね起きやがって。やっぱり僕の蹴りなんか全然効いてないな。
「ていうか、ラーメン作ろうとしてたら偶然勇者とエンカウントしたとか、本気でふざけすぎにもほどがあるぞお前……。しかもそんな理由で攫われたとか、三人になんて説明すりゃいいんだ……」
「まあ俺はおかげで貴重なアドバイザーに出会えたわけだがな。それで、お前は鳥と豚どっちがいいと思う? あとラーメンのレシピ知らねぇ?」
僕は改めて食材? を見た。鷲頭の上級魔族と、豚鼻の下級魔族。
なるほど稀少価値という点では鳥かもしれないが、安定供給を考えるなら豚も捨てがたく、まだ試行錯誤を繰り返していく段階なら豚一択と言えよう。だが女性に食べさせるなら話は別で、こってり系の豚骨スープよりあっさり系の鶏ガラの方が喜ばれる気もする―――なんて、花畑が咲き誇りそうな頭で考えてしまってから、その思考を丸めて叩きつけて踏みつぶした。
血迷うな。気を確かに持てリッド・ゲイルズ。ここで言うべきことは一つだけだろう?
こんなの誰が見ても明らかだ。
「せめて普通の食材使おうぜ……」
「それな」
それな、じゃねぇよ。こんなん喰わせたら姫さん泣くぞ。
くそ、ダメだこのままじゃ何一つ話が進まない。多分だけどこの男、ファミレスで何時間でも話しっぱなしで盛り上がれるタイプだ。パリピってやつだ。全く相容れる気がしない。
「というか、その姫さんは無事なのか?」
僕は強引に話を軌道修正する。
相手のペースに巻き込まれちゃダメだ。早く必要な情報を仕入れなければならない。自分の根暗が浮き彫りにされて惨めになる前に。
なんて強敵なんだ魔王め。
「おう、安心しろよ。危害とかは加えてねぇ。むしろ賓客待遇してるくらいだ」
「賓客? じめじめした地下牢かどっかに閉じ込めてるわけじゃなく?」
「まさかだろ。俺だって同郷をそんな扱いするほど非道じゃねぇぜ。ロムタヒマで一番見晴らしのいい塔の最上階をあてがってやったさ。わざわざ王族が使ってた家具も運んだし、俺の部屋よりいいくらいだ」
口軽いなコイツ……楽だけど。
とにかく姫さんの居場所情報はゲットだ。これでターレウィム森林に来た目的は全部果たした。
「なんか王女さん、最近は捕虜の自覚も無くなってきた感じでよ。うちのやつら集めて勉強会なんかしてるんだぜ。ガキどもにもかなり人気みたいで俺より人望ありやがる。やっぱ美女には勝てないよなー、っていじけちまうよ俺は」
「なんだよそれ……まさか姫さんもお前みたいに頭がパッパラパ-なのか?」
「テメェそろそろシバくからな? つーかあの王女さんは馬鹿じゃねぇよ。わりと頭いい系だ。空回り気味だけどな」
まあレティリエが仕えてた人物だからな。馬鹿ではないだろう。
侍女を使って魔王暗殺なんて企てる時点で、度胸と正義感はピカイチ。ただし魔王が言うとおり、知性はあっても空回り……って感じなら、なんとなくイメージに合う。
「そうそう、王女さんの話で思い出した。お前さ、いあいあ、とか、ふたぐん、とかって外国語知らないか? なんか王女さんが広めてるらしくて、魔族の中で流行ってるみたいなんだが」
「知らない」
全力で関わりたくない。姫さん元気そうだしルトゥオメレンに帰っていいかな?
僕は改めて、そっかー知らないかー前世の言葉だと思うんだけどなー、とか言ってる魔王のとぼけ顔を観察する。
間抜け面だ。
ラーメンのことしか考えてなかったり、勇者の仲間たる僕に満面の笑顔を向けたり、捕虜が自分の部下と集会してるなんてのを見過ごしたり、完璧なまでの馬鹿だ。
どこからどう見てもそう見える。
だから、どうしようもない違和感がある。
「なぜボルドナ砦を壊した?」
「あん?」
問いに、怪訝な顔をする魔王。
僕は自分を戒める。
目の前の男を侮るな。気を抜いてはならない。ただの馬鹿が魔王になれるはずが無い。
ここから先、一言たりとも聞き逃すな。
「オークとガルラに懲罰が必要だったのは分かる。それを死罪としたのも君の勝手だ。だが、砦まで壊す必要があったのか、と聞いている」
「そりゃあるだろう。別にあんな砦、占拠してても魔族にとっては大した意味はねーんだ。けどな、大した意味は無いのに、ある。これが問題でな。魔族は悪いことばっかり考えるから、そういうとこがいつの間にか病巣になる。特にあの場所は行き来も多くて悪事し放題だったぽいし、もうない方がマシってことだ。分かる?」
分かる。
不必要で弊害があるなら、取っ払って単純化してしまった方がいい。実に合理的な判断だ。
単純思考で即決解答か。
思えば、サリストゥーヴェが語った魔王軍の侵攻方法は、凄まじいカリスマや圧倒的な知略がある者の策ではなかった。
できないことはできないとスパッと諦めて、そのうえで最短距離を選べる者。……それが僕の目の前にいる男。今の魔王か。
「この森にあったエルフの里を滅ぼすよう、ゴブリンロードに命じたのは君か?」
違うと理解しながら、あえて聞く。反応を見るために。
「そりゃ知らん。ゴブリンロードがいたってのも知らないな。鶏ガラの仕業かね」
魔王はそう首を横に振った後、こう付け加える。
「けど邪魔なら潰すだろ。俺だってそう命じる」
よく分かった。この男は危険だ。
僕はさらに問う。
「君は人間か?」
「いいや、魔族だよ」
ニィ、と笑む魔王。質問の意味を理解したな。
この男は、僕の同郷であるはずの彼は、もはや人間の価値観で動いていないのだ。
「なぁリッド君よ。勇者のお仲間さんよ。魔王の俺がいいこと教えてやろう」
「ご教授願おう」
「人族は、数を減らして魔族の家畜にしてやった方がいい」
「ハハハッ」
言いぐさに思わず笑ってしまった。こう言い切られると気持ちがいいな。しかもちょっと分かるぞそれ。
人間なんてそれぐらいがちょうどいいのでは無いか、なんて思ってしまう自分は、確かにいるさ。
「いいや、魔族は全て殺し尽くして滅ぼすべきだ」
「あっはっは!」
笑いながら返してやると、魔王も笑った。爽やかなヤツだ。
「いいな、最高だなお前。さすがアイツが敵と認めるヤツだ。なあおい、お前―――寝返る気はないか? 俺の直属なら待遇いいぞ?」
「そちらこそ。今寝返るなら高枝切りばさみを進呈するが?」
顔を見合わせて笑い合う。
僕は魔王を見直していた。これはただの馬鹿じゃない。ちゃんと現実が見えている。
僕らは互いに互いの立場を示した。
双方が、魔族と人族が相容れる可能性を見限っていた。
そのうえで僕らはとるべき選択を知っている。ならば、己が内の迷いなど一顧だにする必要もない。
ならもう会話は終わりだ。少しだけ名残惜しいし、まだまだ知りたいことは多いが、この辺で終わっておいた方がいい。
―――けど、まあせっかくだ。
いろいろ情報はくれたし、疑問も解消した。だから少しだけ彼の手助けをしてやってもいいだろう。
「魔王。僕からもいいことを教えてやるよ」
「お、なんだなんだ? 何を教えてくれるんだ?」
「君のラーメンに足りないモノさ」
「おおう、まさかレシピかっ! 知ってるのか?」
「それは知らない」
目に見えて落胆する魔王。本当に喰いたいんだな。あと姫さんにも食わせてやりたいんだろう。
この男が魔族であることと、個人であることは別の話だ。それもちゃんと分かったうえで彼は振る舞っている。―――いや、おそらくは驚くほど明確に、その二つを分けている。僕が抱いていた違和感の正体はそれだ。
逆らうモノなら同じ魔族であっても、圧倒的な力で死の制裁を与える魔王。
僕を攫うとき、悪ぃな、とわざわざレティリエに断わった馬鹿な青年。
その混在がこの男だ。
酷く不安定な二つの性質に仕切りを設け、その間を自由に行き来する者。
異世界転生者の魔王。
「けど、僕は錬金術師だ。マジメにやればそれっぽいのは再現できるだろう。息抜きついでで研究してやってもいい」
「マジで! いいのか本気か? 一週間ごとに進捗聞きに行っていいか?」
勇者のとこに通う魔王とか無いだろ。自重しろ。
「修行だよ」
「は?」
僕はどうにも嫌いになれない間抜けヅラに笑いながら、教えてやる。
「最高のラーメンを姫様に食べさせたいんだろ? 前世の世界の職人を侮るな。毎日朝から晩まで修行して、最短で十年ってところだな」
まあラーメン職人の修行期間なんて知らんけど、本気でやるならそんなもんだろ。
「………………なあリッドさん。いやリッド様。お前、ラーメン職人になる気ない?」
「断わる」




