邂逅
最初は黒い閃光だった。
次は轟音。
そして衝撃。
かつての軍事大国、ロムタヒマが誇る防衛の拠点は、僕らの前で爆発と共に粉砕された。
パラパラと細かな破片が降ってくるまで、誰もが声を上げなかった。みんな馬鹿みたいに口を開けて、ちょっと半笑いみたいな間抜け顔でその光景を眺めていた。
わりと離れた場所にいて良かった、などと思ったのすらしばらくたってからで、もうもうと立ちこめる土埃を真っ白な頭で見守る。
ほわっつはぷんど?
ありのままに今起こったことを話せば、なんかよく分からないが、厄介な攻略目標が無くなった。……うん、それはまあいい。ラッキーだろう。
目下の問題は、なぜ三人の視線が僕に集まってるかだ。
「リッドさん、まさか……」
「ぼ……僕は何もしてないぞ?」
冤罪だ。弁護士を呼んでくれ。カツ丼は代金請求されるからいらない。
「じゃあ何が起きたのよ?」
「なぜ僕に聞く」
「他に誰に聞けっていうの!」
「無茶言うなそんなの分かるか!」
「み、皆さん見てくださいあそこ!」
ミルクスとの不毛な言い争いが始まりかけたところで、割り込んだモーヴォンが指さす。
土煙がおさまってきて、だんだんと様子が分かってきた。
砦はほとんど倒壊している。ほとんど瓦礫の山だ。柱や壁がまだ残ってるところもあるが、もはや住居の役割は果たしそうにない。もうここに魔族が棲み着くことはないだろう。
オークの姿も見えたが、無惨な有様だ。千切れて潰れて血だるまで、動く者は確認できない。……エルフ姉弟のミッション終了だな、これは。
そして。―――その瓦礫の山の中心地で、その男は戦っていた。
ボサボサの黒髪を中途半端に伸ばした、半袖にだぶついたズボンという軽装の青年だった。遠目だからよく分からないが、見た目は人間のようにも見える。
戦っている相手は鎧と槍で武装した、鷲の頭と翼を持つ上級魔族。高度な魔術と素早い動き、そして空中戦を絡めた高い戦闘技術が特徴のガルラ族。それも深紅の羽色からして最上位の力を持つ稀少個体。
僕は目を懲らす。―――そして、己の目を疑う。
そいつは素手でガルラを一方的にボコっていた。
空中戦を得意とするガルラの御株を奪う、物理法則を無視した空中三段蹴りが決まる。
着地と同時に流れるような動きで懐に入り、腹部に何発も拳をめり込ませて胴体をくの字に折らせると、差し出された顎を天を貫くアッパーカットでカチ上げた。
コマンドキャンセルからの天地上下の構えは、息吹と共に。
凝縮された強力な魔力弾が至近距離から半蛇の魔族に放たれ、吹き飛ばす。
しかし青年はそれだけで飽き足らない。
開いた距離をスプリンターダッシュで埋めて襟首を掴むと、背負い投げで地面に叩きつける。
固い瓦礫を粉砕しながらバウンドしたガルラはさらに蹴りで強引に空中へ跳ね上げられ、そのまま凄まじい打撃コンボを叩き込まれていく。
その光景に、思わず目を奪われた。
技の一つ一つが完成され、流れるように繋がっていくのにもかかわらず、全ての一撃が重く鋭い。
―――だが、それだけではないのだ。
僕は食い入るように、その男の芸術的なまでの絶技を見る。……驚愕と共に。
知っていた。知っていたのだ。僕の魂がどうしようもなく震えているのだ。
そうだ。間違いない。見間違えるはずが無い。
その動き、その流派は、前世からの記憶が覚えている。
あれは……あれは某有名格闘ゲームの主人公―――のパチモン劣化、面白挑発おじさんのモーションだっ!
クッソ完成度高ぇ! 必殺技どころか通常技や歩き方までそのままじゃねぇか! ああそうだ、その超必の後はその挑発ポーズだよ基本だよなチクショウ!
異世界で物理法則とかいろいろ融通できるからって完コピするとか馬鹿かアイツ馬鹿だな!
あと僕、お前が誰か分かったわ! 絶対同郷で、こんなマネができるのなんて……。
「魔王……っ!」
レティリエが驚愕と憎悪の入り交じった声で、低く呟く。控えめで温厚な彼女にしては珍しい、怒りを隠さぬ表情―――ゴメン、今ちょっとそのノリに追いつけない。
「魔王って……あれがっ?」
「そんな、なんでこんなところに……」
ミルクスとモーヴォンが驚き恐れている―――本当にゴメン。頑張って気持ちを切り替えるからちょっと待ってくれ。
「落ち着け―――いいか、絶対に見つかるな」
僕はなんとか重い声を出す。
実際あれはヤバイ。状況的にボルドナ砦を瓦礫にしたあの爆発は、おそらくあの魔王の仕業に違いない。しかも上級魔族を遊びながらフルボッコにする戦闘力はどう考えても手に負えない。
あんなの見つかったとたんにデッドエンドだ。強さインフレしすぎだろどうなってる。
どうやら戦闘は終了し、魔王はさもいい汗かいたとばかりに右手で額をぬぐっていた。
左手にぼろ雑巾同然の、もはやピクリとも動かない鷲頭の魔族を掴み持って、ズリズリと引きずりながら歩き出す……キョロキョロと、何かを探すように瓦礫の上を徘徊する。
「……何をしているんでしょうか?」
レティリエが誰へともなく聞くが、答えられる者はいない。
誰もが固唾を呑んで見守っていると、魔王は腰から下が千切れたオークの死体を瓦礫の下から引きずり出した。しばらく検分するように眺めてから、肩に担ぐ。
死体回収……? なんのためだ?
意味不明な行動を見守っていると、青年は不意に空を見上げた。何かを悩むように首を傾げて数秒止まって、
その姿が、消え去る。
「お、マジかよレティじゃねーか。奇遇だなこんなところで」
ゾクリ、と。
背後から聞こえたのは、軽い、あまりにも軽い声だった。
なぜバレた―――自問も後回しに振り向く。懐からヒーリングスライムを掴み出す。
ミルクスが早業を見せる。神速で弓に矢をつがえ、目視より早く声がした方向へ放つ。
モーヴォンが身体を投げ出すように地面に手をついた。詠唱破棄で魔術を発動し、地面から円錐状の槍が出現する。
『結晶解凍・ヒーリングスライム・オーバーリミット』
僕は三人の前に出て、ヒーリングスライムを発動させる。
問答は無用。そんなことしていては間に合わない。
誰もが躊躇しなかった。当然、我らが勇者も。
振り向きざま、レティリエの剣が閃く―――
『日本人みっけ』
だが、それでも遅い。
見えている世界が違うかのように全ての攻撃をかいくぐって、わざわざ日本語でそう言って、ガルラとオークの死体を担いだままの魔王は僕に肉薄する。
寝て起きてそのままのような、黒いボサボサの髪。焦げ茶色の瞳は好奇の輝きに満ち、伸ばした右手は武人特有の堅さを備え。
数奇な偶然に喜び溢れた顔で、メチャクチャ楽しそうに。……やっべこれ死んだ。
「悪ぃな、ちょっとコイツ借りてく!」
嵐のように、災禍のように、僕の胸ぐらを引っ掴む。
魔王の肌に魔術式が浮かび上がるのを、僕は確かにこの目で見て。
ぐわん、と。世界が歪むような感覚に襲われた。
―――アイツはお前とは逆方向のイカレだ。楽しくて楽しくて仕方がない、って感じのナ。
世界が歪み、内臓と脳みそがぐっちゃぐちゃにかき回されるような、吐きそうな気持ち悪さに襲われ、それが収まった時―――視界に、見覚えの無い景色が飛び込んできた。
僕は地面にへたり込んだまま、視線だけを動かす。
森の中だ。植生からしておそらくターレウィム森林ではある。だが周囲の木々がさっき居た場所よりだいぶん若い。
明らかな別の場所。当然、レティリエもミルクスもモーヴォンも、姿は見えない。瓦礫になったボルドナ砦もなかった。
「おーい、大丈夫か? ちょっと雑に跳び過ぎたしな、もしかして転移酔いで吐きそう?」
居るのは僕の目の前でヤンキー座りして覗き込んでくる魔王と……地面に転がされた、ガルダとオークの死体だけ。
絶体絶命のピンチなのだが、イマイチ緊張感が無い。命をとられる恐さはとりあえずない。
それよりもさっき起こった現象の方に驚いてしまって、上手く感情が働かない。
「……瞬間移動、なのか?」
「そうそう。正確に言うなら転移魔法な。便利だろ」
「一人で、無詠唱で?」
「おう、努力したぜ」
便利とか、そんな段階じゃない。努力でなんとかできるものでもない。ひたすらヤバイ。
なんて反則技だ。魔術陣も使わず、たった一人で空間転移を決めるとか聞いたことがない。
ていうかこいつの戦闘能力でそんなことされたら、要人暗殺し放題じゃないか。厄介なんてもんじゃない。
『……日本人か?』
あえて日本語で尋ねてみる。さっきこの男が喋った日本語は短かったが、間違いなくネイティブの発音だった。
魔王は、ニィ、と笑った。
『その通り。あの詠唱でピンと来たが、お前もだな?』
ヒーリングスライムの合い言葉、変えようかな……最近ちょっと長い気もしてきたし。
『ってことは、お前がリッド・ゲイルズか』
……へぇ、僕の名前を知ってるか。
『遺跡を調べたんだな。まあ、あの魔具の製作者なら気づくと思ったよ』
ハルティルクの遺跡で、僕が残したサイン。それを僕の敵は見つけたのだろう。
なにせ霊穴の魔力を一気喰いする大術式なうえ、世界の理を書き換えるなんて無茶苦茶だ。魔法に聡い者ならどれだけ離れていても異変に気づく。未知の全てをつまびらかにすると豪語してみせる芸術家なら、察知した時点で飛んでいったに違いない。
『いやー、しっかし奇遇だよな。こっちで日本語のおしゃべりができるヤツは二人目だぜ。レティもずいぶん異世界人に縁がある』
「僕はもうこっちの言葉の方が楽だがな。ていうか、なんでレティリエを愛称呼びなんだ」
力の差は歴然だが、命惜しさにへつらう気にはなれなかった。そこまで生に未練があるわけでもないしな。
敵である以上、敬語など使うべきではない。おそらく相手も望むまい。
「へぇ、アイツ本当はレティリエっていうのか? そいつは知らなかった。王女さんはレティって呼んでたからよ」
「ああ、そんな理由か……自己紹介もしてない間柄ってことな」
「俺は名乗ったけどな。アイツ、最初に会ったときはただの侍女だったし」
そりゃそうか。魔王はフロヴェルスの王女に用があって密会してたんだから、そこで侍女まで自己紹介する意味ないもんな。
「日本語が二人目ってことは、王女も日本人か?」
「そだぜ。あ、そうか。レティ……レティリエは日本人かどうかまでは教えてくれなかったか。分かるはずねぇもんな」
「ああ。君も王女さんも星が同郷なのは聞いていたが、国籍まで同じとは知らなかった」
「ってことは、お前はレティリエに正体明かしてるわけだ? おいおい聞かせろよ。どういう経緯で勇者パーティやってんのお前?」
おもしろそうに、楽しそうに。屈託の無い笑みを向けてくる魔王。
僕が彼に興味を持つように、彼もまた僕に興味を持っている。……ていうかコイツ、予想外に人懐っこいな。外見が人間と変わらないこともあってマジで恐さとかない。
ええー、コイツが魔王? なんか威厳とかゼロじゃない? 駅前で酔っ払って騒いでそうな、気のいい兄ちゃんって感じがするの気のせい?
なんだか拍子抜けだ。気が抜けてしまう。なんならこのまま無傷で帰れる気すらしてきた。
マジでなんなんだコイツ。
「別にいいけどさ。その前に聞かせてくれるか? ……君、なんで僕を攫ったんだ?」
「おう、それだそれだ」
魔王はポンと手を叩いて、親指で肩越しに、彼の背後に転がしてあるガルラとオークの死体を示す。
「実はラーメン作ろうと思ってよ」
…………………………は?
「お前、鶏ガラと豚骨どっちがいいと思う?」




