新たな戦場へ
墓は湖中央部陸地の畔に掘った。
エルフの少年少女は土汚れも厭わず膝をつき、墓碑へ祈りを捧げている。僕もレティリエも、離れた場所でその二人の背中を見守っていた。
ゴブリンの死体と、里に潜んだ残党の始末は終わっている。
結局三日ほどかかったが、放っておくことはできない。生きたヤツはどんな悪さをするか分からず、死体は瘴気を発する。
多少時間がかかっても、霊穴であるこの里に放置できなかった。
もうやり残しの憂いは無い。今日、僕らはこの里を去る。
だからお別れの祈りくらい、気が済むまですればいい。いくら僕だって、あれを急かすほど無粋じゃないしな。
「結局、サリストゥーヴェさんは人界の楔を護ろうとしてたのですね。彼女は最期まで勇者の仲間として、戦うことを選んだ……尊敬します」
「どうだろうな。今の自分では森の協力を得られない、ってなこと言ってたし。やっぱり憎悪と復讐で戦いを決意してたんだと思うが」
「……リッドさんはもう少し、情緒というものを大事にした方がいいかと」
故人のことはもう、誰にも分からない。生きている相手だって何を考えているのか分からないんだ。理解できると思うことすら間違っている。
僕らは想像するしかない。そしてそこに、かすかな慰めを探すしかない。
死者にはもはや手遅れだとしても、遺してくれた道を、僕らは歩いていくのだから。
……だから、僕も少しだけ感傷的になってもいいだろう。
「婆さんにとってはこの里が、かつての称号以上に大切だった、ってことだよ。僕はそちらの方が羨ましいね」
「…………そうですね」
かつて世界の危機を救った魔女は、ただの人としてこの地で過ごしていた。
僕らの旅が終わった後、レティリエは姫様の侍女であったときのように、平穏を取り戻すことができるのだろうか。
「ボルドナ砦を攻めたエルフも間違っていなかった。楔の大樹を護るためには、砦にいる魔族と戦うしかなかった。この里には、あの婆さんの子らには、愚か者も腰抜けもいなかった。自分の功績なんかより、よほど自慢の子供らだったんだろうさ」
「はい。……はいっ。そのとおりです」
黒髪の少女がくしゃりと微笑む。……なんで君が泣いてるんだ。まったく。
「すみません、終わりました」
「悪かったわね。待たせちゃって」
エルフの二人が小走りに向かってくる。レティリエは二人に隠れて涙を拭いた。
「かまわないよ。じゃあ、もうやり残しはないな?」
僕は二人に念を押す。
この里を去るにあたって、僕はモーヴォンに迷いの森の術式を強化してもらっていた。
里のエルフが出入りすることを前提とせず、霊穴の魔力を繋げて最大限に効力を高め、立ち入る者の全てを拒絶するものに仕上げたのである。
一度出れば術者のモーヴォンですら、戻るにはかなりの苦労を要するだろう。
この二人が去れば里は住民を失い、完全に廃墟となる。
「大丈夫です」
「問題ないわ」
僕はレティリエへと視線を向ける。少女は頷いた。
「では、行きましょうか」
「ああ」
勇者の控えめな号令で、僕らは湖の一本道を歩き出す。
チラリと横目で見やれば、エルフの姉弟は振り向かないように強がってか、口の端を引き結んでいた。
決意を宿す瞳は暗く鋭く、しかししっかりと前を見据えている。
哀れで、健気で、強い二人だ。僕にはまぶしいほどに。
湖面を風が揺らした。小鳥が飛び立ち、木の葉が舞った。
それに紛れるように、僕は胸中でのみ呟く。
ああ、まったく。せめてこの姉弟に……―――
「じゃあね、お前さんたち。達者で行ってきな」
背後から投げかけられたそれは、聞き覚えのあるしわがれた声で。
婆さんの、声で。
僕らは―――もう後ろは見ないと決意していたミルクスとモーヴォンですら、驚愕に振り向く。
「やっほーぅ、ひっかかったー」
……ああくそ、完っ璧にやられた。僕のヒーリングスライムを起動させた、声色模写の魔法。
そういや、コイツを忘れてたな。
「ポンペ。今までどこにいたんだ?」
声すら失って驚いている―――ミルクスは不謹慎だと憤慨している―――他の三人に代わって問うと、妖精は手足と羽をいっぱいに広げて僕らに見せた。
「からだをつくりなおすの、てまどっちゃってー」
見れば、蝶羽や手足の先が少し半透明でスライムっぽくなっている。無茶するからだ。影響までされやがって。
「るすばんはまかせてー。いってらっしゃいー」
妖精はパタパタと飛びながら、少しだけ変わった短い両手をぶんぶん振る。
霊穴を離れる気はないか。そりゃそうだよな。妖精は魔素の薄い場所だと存在できない。ここに残るのは当然だ。
見送りのために、わざわざ間に合わせてくれたのか。
「一人、墓に寄り添って残ってくれる者がいたな」
からかうようにエルフの姉弟へ言ってやると、ミルクスは呆れ顔に、モーヴォンは困り笑いになる。
「ポンペがそんな殊勝なわけないでしょ」
「妖精は気まぐれですからね」
二人とも妖精ってものをよくご存じのようで。―――けれど、その顔は少しだけ明るくなっていて。
「行ってきます。ポンペさんもお元気で!」
レティリエがわざわざ敬称までつけて、手を振り返す。
そういえば、だけれど。
あの婆さんは最期、湿っぽいのは嫌いだって言っていたな。
じゃあこれでいい。これがいい。サリストゥーヴェの終わりはこうでなければならない。
「行きましょう」
勇者の号令はさっきより少し明るくて。それに応える姉弟の声も、影は消えていて。
ここにはいずれ、また戻ってくるかもしれない。楔の大樹には未だ用がある。
だから……未来は未定だが、そのときは墓参りついでに、ポンペとも再会しよう。
妖精の記憶力では、僕らのことなどとっくに忘れてるのかもしれないが―――それでも彼は、僕らの戦友なのだから。
「まあ、砦攻めとか無理ゲーなわけだが」
遠くからボルドナ砦を目視で捉えて、僕はうんざりした声を出す。
道案内がいなくても目的地はすぐに見つかった。このターレウィム森林で、馬車が通れる幅の道はボルドナ砦に続くものだけだ。なんせ先には魔界しかないからな。
森を横切るように進んで轍を見つければ、あとは辿るだけ。
そうして見つけた砦は、どうやら下級魔族の巣窟になっているようだった。
「あー……やっぱり難しいですか?」
「なんとかなると思うか?」
隣ではモーヴォンが僕と同じ顔をしている。
あの森から出たことのない彼は、ここまで巨大な建造物を見ることすら初めてなのだろう。あんなのよく造るなぁ……と、呆れ混じりに感心していた。
僕は改めて砦の様子を観察する。……砦の石壁はかなり高く強固そうだ。あれを壊すには重機が必要だな。
周囲の樹から飛び移れないよう、周囲を丁寧に伐採してあるのが憎らしい。おかげで視界を邪魔されず見張ることができるが、近づけば見つかるのは避けられない。特にこの砦、魔界を警戒してたためか見張り台が多いからな。
そして外壁の門は見る限り一カ所しか無く、扉は非常に重そうだ。通り抜けを目的とする場所ではないから、おそらく反対側に門は無いだろう。どうにか侵入するにしても、出入り口はあの一カ所だけだ。
さすがロムタヒマ。元軍事大国なだけはある。うらめしいくらい完璧な仕事だわ。
「斥候から戻りました。門の前と見張り台の上に魔族。豚の顔に猪の牙が生えたような風貌で、体格のいい人の身体をした魔族……オークです」
「あんまり近寄れなかったけど、やつら兵士の武器や鎧で武装してるみたい。それと、少なくとも外にゴブリンはいなかったわ」
斥候組が戻って、得られた情報を報告してくれる。―――女性陣の方が明らかに身体能力高いんだよなぁ。
正直ちょっと情けないぞ。モーヴォンはもっと身体を鍛えろ。
「そういや婆さんの話では、魔王が置いていった下級魔族ってゴブリンとオークがいたんだっけか。じゃあ、ゴブリンは追い出されたんだろう。元々共生するヤツらじゃないし、オークの方が単純な戦闘能力は高いからな」
「……じゃあ、どうしてゴブリンが里を攻めてきたの? みんなはあの砦を攻めに行ったはずなのに」
「そもそもゴブリンは人語を解さないから、エルフが場所を尋問されたってのは無理があるんだよな。オークは人語を喋る個体もいるらしいが。……総出でゴブリン狩ってる時に、出没場所の偏りから特定されたとか……無いな。ゴブだしな」
ゴブリンはそんな頭よさげなことしないだろうからなぁ。
とはいえ目的地も無しにあんな大移動はしないだろう。
「自分が思うに……人語を解すことができて、かつ下級魔族に命令を下せる者があの砦にいるのではないでしょうか」
モーヴォンが嫌なことを口にする。そんなのが居るとしたら上級魔族だな。中級魔族クラスでは、ゴブリンロード率いるあの大群は動かせまい。
ゾニほど強いのはそうそういないだろうが、上級魔族は今の戦力だとツラい。
「仮に、あの砦がロムタヒマへの中継地になっているとして。その場合、あの砦は魔王の支配下でなければならない。オークはあまり理性的とはいえない性質だから、管理人には向いてない。最悪物資に目がくらんで補給部隊を襲いかねないからな。……上級魔族がいる、と考えた方が良さそうだ」
「中継地? 物資?」
「ああ、そういえば言っていませんでしたね。わたしたちは、魔界からロムタヒマへ食料が運ばれていると考えて……その、補給部隊を襲撃しに来たのです」
僕らの理由、正義の勇者っぽくないよなぁ。そういうのクソ食らえだけど。
エルフ二人が興味深げにレティリエから説明を受けている横で、僕は親指の爪を噛みつつ思考を巡らす。
「いる、と仮定して。どんなヤツがいるか。―――かつてのロムタヒマにとっては重要な砦でも、占拠した魔族にとっては価値が薄い。人族はこちらからは攻めてこないからな。地味で退屈で、手柄とは無縁な仕事を堅実にこなせる人材。そのうえで、オークやゴブリンを従わせる戦闘能力と支配力が必要。さらにエルフを拷問し尋問したとなれば、人語と地図を理解する知能も当然あるはず。そういう魔族は……」
あれぇ、心当たりがないぞ?
そもそも魔族って邪悪が基本だから、そんなの任せてたらすぐに横着しだすんじゃなかろうか。
まあ僕も全ての魔族を知っているわけではないし、魔王が凄まじいカリスマ持ちなら大人しく従うヤツもいるかもしれない。なんにせよ情報が少なすぎるな。
「それで、どうやってあの砦を落とすの?」
「とりあえず観察だな。幸いにして、まだ切羽詰まっているわけじゃないし」
ミルクスの問いにはそう答えるしかない。攻略の糸口も掴まず突撃しても死ぬだけだ。
……でもあの言い方、彼女は勘違いしてそうだよな。勝利条件だけはちゃんと意識共有しておいた方がいいかもしれない。
「今のうちに言っておくが、今作戦にあたって一つ、僕らにとって救いがある。必ずしもあの砦を攻略する必要はない、ってことだ。要は、あの砦から魔族を追い払ってしまえばいいんだからな」
「あー。たしかに、それで霊脈の汚染は無くなりますけどね」
モーヴォンが相づちを打ってくれる。彼は術士的な思考をするから、理解してくれると思ったよ。
反発したのはレティリエだった。
「しかし、それではオークは別の場所に流れて悪さをするのでは?」
「目下の問題は楔の大樹を護ることだろ? それに、あの砦に陣取られるより他に移ってもらった方がまだマシだ。どうしても駆逐したいならそれからにした方がいい」
「それはそうですが……」
彼女は心情的に反対か。信心深い彼女にとって、邪悪な魔族はすべて敵だからな。
……それと。彼女はきっと、戦えば勝てるかもしれない、と考えている。
遠くから剣撃を飛ばして攻撃する、なんて技を覚えさせたからな。しかも霊穴の魔力使い放題で。
ゴブリンの大群は多すぎたが、あの砦にいるオークどもならあの技で駆逐しきってしまえるのではないか―――そう考えてもおかしくはない。
うーん、自信を持つのはいいが、過信はヤバイんだよな。少なくとも今のうちからそういう認識を持ってしまうようではダメだ。
あの戦場で、レティリエはだいぶんあの技を使いこなせるようになった。
確かにあれは強力な技だ。強くなったと思ってしまうのも分かる。
けれど彼女の練度ではまだまだだ。長距離過ぎると威力が拡散してしまううえ、魔力を練って放出するという工程はどうしても隙を晒す。頼り切れる技ではない。
特に彼女は持病があるし、できれば魔力消費を抑える体術重視の戦い方をしてほしい。……だから正直、ああいう固定砲台みたいな戦い方をさせたくはなかった。
「けど、その追い出す方法もまだ思いついてはいないのよね? そんなものがあるとも思えないし。だったら結局最後は突入することになるんじゃない?」
ミルクスは痛いところを突いてくる。うーん、鋭い。
たしかに言うとおり、そんな魔法みたいな手はなさそうなんだよなぁ。石造りだから放火もイマイチ効き目が薄そうだ。
「まあ、勝利条件を見違うなって話だよ。動物の腐乱死体を送りつけたり、玄関先で騒ぎ立てて近所に悪い噂を立たせたり、なんて古典的な手が通用しないのは分かってるさ」
「とっくに分かってたけど、あんた性格悪いわよね?」
前世の世界じゃわりと一般的な地上げ方法だったらしいんだが。
「そもそもな話、だ。たとえあの砦に棲み着く魔族を全滅させたとしても、僕らが去った後にまた別の魔族が入ったら意味がないんだよな。あの砦はどうにかして、棲める環境でなくしてしまう必要がある。できれば瓦礫にしてしまいたいところだ。ううむ、大量の魔石とかあれば後腐れなく、ドッカーンと派手に爆発させて……」
ドッカーン、などと。そんな擬音では表現しきれない、大地すら震わす派手な爆発音がして。
ボルドナ砦が、爆砕した。




