リッド・ゲイルズの論文 2
おそらくだが、僕が勇者をかくまっていることはバレていない。
昨夜彼女を運び込んだときは細心の注意を払っていたし、星詠みの魔女たる師匠のお墨付きもある。あの部屋にレティリエがいることを、僕と師匠以外は誰も知らない。
だが、偶然にしては不自然すぎる展開だ。ドロッド副学長に呼び出されるだけで驚きなのに、そこに神聖王国の人間がいたらどうしたって疑いたくなる。
しかし。疑いたくはなるが、話題は昨日の騒動でもなんでもなく、二年も前の論文だという。これではどうしたって点と点がつながらない。むしろ気持ち悪い。
「では、まずこの冒頭の『神の鎖に縛られぬ無垢なる翼を持ちし、新たなる人族同胞の創造へと至る云々』のくだりについてですが」
イタイよっ!?
二年前の僕の言葉選びが中二病くさくてやたらイタイ! やっべぇそういえばあの論文、二徹してハイになった時に書いた気がする。え、拷問? 今から拷問の時間です?
「いやぁ、まずここが素晴らしい。神の鎖とは即ち人の原罪と悪意、そして痛みと苦しみを伴う生を示すのですよね? なるほど人工生命ならそんなものに縛られる必要はない。もし神の鎖に縛られない人族が生まれたなら、それはまだ人間もエルフもドワーフも、他の様々な亜人種への株分けもない頃の、神の腕たる原種に通じるかもしれません」
おい絶賛すんな白髪頭。心の吐血で失血死するぞ。
「ま、まさしくその通りですが、人族のオリジナルについては言及を控えさせていただきます。僕は神学者ではありませんので」
呼吸が苦しい。もう他のこと全部抜きにしても苦しい。酸素だ、酸素をくれ。
「謙遜しなくてもいいんですよぉ。ほらここの、『汚れなき魂と罪なき肉体の同居が叶えば、神により設計された生命のくびきを越え、天上の音階にすら届くだろう』なんて。くぅー、神代の詞の一節を思い出します。おお、荘厳なる天上の調べを耳に、ヒトはただ膝をつき涙すのみ。慈悲の奇跡は空の隅々にまで行き渡り……」
「も、もうその辺で。確かに最終地点を見据えてその文言を書いた覚えはありますが、僕の研究はとてもではないけれど、そんな境地に届きません。それに実を言いますと、いかに有用な研究か、という点はそのまま助成金の多寡に繋がりますので、白状しますが多少盛りました。僕のとりあえずの目標はもう少し低い位置にあります」
胸を押さえ必死に手で制する。心臓が痛い。早く帰りたい。この白髪糸目、他人の黒歴史真面目に考察とか人間のやっていいことじゃねぇぞ。
「ゲイルズ君は神学にも明るいのですねぇ」
柔和に微笑むドロッド。背後でディーノがどんな顔をしているのか気になるが、怖くて振り返れない。
頼む、何かの罠であってくれ。ほら僕勇者かくまってるし? これきっと罠だよ。関係ないことで警戒心を緩めさせて、さりげなく昨夜何をしていたかとか聞いてくると見た。ほんと、マジで純然たる称賛を送らないで。メチャクチャ恥ずかしい。
「まあ、論文は一通り読ませていただきましたが、つまりゲイルズ君の研究するホムンクルスはフラスコの中の小人……魔力で一時的な命を吹き込まれただけの疑似生命ではなく、安定した肉体を持ち自律生存していく生命、ということで相違ないですかな?」
やっと中二病から離れたドロッドの問いに、僕は飛びつくように頷く。
「その通りです。学院の資料にあるホムンクルスのレシピでは、不安定でフラスコの中でしかカタチを保てず、魔力が尽きれば死ぬだけです。これではなんの役にも立ちません。しかしキチリと骨格を組み肉と皮と持たせ、臓器を機能させれば……生命力の循環関係を調整すれば、と」
「ふむ。どのようなものを造ったのか、君の口から改めて聞いていいかね?」
論文には細かなデータも記載していたはずだが、実際に造った僕に語らせることでイメージの補強にしたいのだろうか。あるいは、論文に書かなかった話も期待しているのかもしれない。
僕は記憶を探りつつ、身振りを交えながら説明する。
「はい。実験の第一号ですので、大きさはフラスコの中の小人と変わりません。姿はヒトに似せましたが、性別や体毛はなし。あくまで身体の安定性と延命機能に絞ってデータをとるべく実験に挑みました」
「肉体や臓器はどう造ったのかね?」
「解剖学の書を読み、また実際に蛙や鼠などを解剖し研究。死体を使った人体解剖も見学しました。それらで得た構造情報を単純化して術式に落とし込み、型を魔術陣で構築。既存のホムンクルス製造方法に追加しました。別項に使用した魔術陣の写しがあったと思います。たしか第三節から第五十七節あたりまでは、身体関係の術式だったはずですね」
まあ、内臓とか筋組織なんかに関しては前世の記憶が役にたった。この世界、治癒魔術があるからか医学関係があんまり発展していないんだよな。
「もちろん単純化してますから完全とはいきません。消化器官系の推定活動限界は一週間。他の臓器も二週間すればほぼ活動を停止する予定でした。結果は書いてあるとおり、臓器系はデータをとることもできませんでしたが」
正直、あれは結構キツかった。思わず挫折しかけたほどだ。
とはいえその失敗があったからこそ、ヒーリングスライムに辿り着いたわけだけど。
「しかし肉体の安定性は高く、フラスコ外に出しても魔素が過分に流れ出すことはありませんでした。実験の後半に差し掛かる辺りで少し傷つけてみましたが、観測数値はほぼ変わらず。生命力の循環と定着は上手くいったと見ていいでしょう。……あー、やはり詳細な数字は記憶に怪しいので、細かな部分は論文を見ていただきたく」
「ふむ、ふむ。なるほど参考になりました。ありがとうございます。……しかしこの研究は大変だったでしょう。量も質も、埋もれていたのが不思議なくらいの内容です。あるいは君が魔術師であれば……っと」
ドロッドは言いかけた言葉を飲み込む。
錬金術師なんてたいてい、薬師か魔術師の補助アイテム屋だからね。注目度低いよね。
「そんなので変わりませんよ。人工生命は人気ないですし、失敗の論文ですからね」
「すまないね。それでこの研究、構想期間を含め、実行までどれほどかかったかね?」
ドロッドの問いに僕は少し考えて、正直に答える。
「構想一年、実働六年の計七年くらいでしょうか。特に調べ物の量が多かったですね。あと、資金繰りには苦労しました」
「二年前の論文でですかね? 君はまだ十六歳でしょう」
……気づかれましたか。
「八つの頃には実現に向けて動き始めていたと?」
「ええ、術式の基礎は五つまでに覚えました。ホムンクルスの存在を知ったのが七つです」
隠したところで仕方ないので、ぶっちゃける。
僕は転生者だ。前世で生きた経験値がある。
前の世界と勝手が違うとはいえ、それでもスタート地点が違うのだ。物事を始めるのに、フライングできるのは当然だろう。
「それは……逸材ですね。逸脱している」
ドロッドは改めて僕を値踏みしながら、独り言のようにそう口にする。僕はその評価を甘んじて受け止める。確かに逸脱しているだろう。そう見えるのだろう。
けれど正直、僕は才能のある人間ではない。
スタートが違うだけでイキる気にはなれない。天才とはディーノ・セルやワナ・スニージーのような者を指すのだ。
先に出発したはいいが、すぐに息切れを起こして後続に抜かれた無様枠。それが僕だろう。
「面白い。そして惜しい。……ゲイルズ君、ワシの教室に移籍する気はありませんか?」
「師匠!」
背後でディーノの悲鳴が上がった。僕も驚いた。
なんの結果も出していない錬金術師なんか入れたら、首位教室の威信に関わる。はっきりいって、気が触れたレベルの暴挙である。
「ワシの教室だ。入れる学生はワシが決める」
ドロッドは一睨みでディーノを黙らせ、僕に向き直る。……そういうとこ、やっぱ副学長様だよな。
「どうですかね、ゲイルズ君。アノレ教室で十分な援助は得られないのでは? 移籍するなら、金銭的にも環境的にも、できる限りの支援をするつもりですが」
眼を見る限りどうやら本気の提案のようで、僕は少しだけ考えたフリをした。
「遠慮します。師には魔術が使えない僕を拾ってくれた恩がありますし……実は僕、アノレの一期生ですので、あの教室には人一倍愛着があるのですよ」
僕は肩をすくめ困ったように微笑して、そう答えてやる。情に訴えるのは下策だが問題ないだろう。どんな理由であれ、去る者を追う相手ではないはずだ。
ドロッドはしばらく僕の目を見ていたが、やがてふぅと大きく息を吐き、
『言葉を選ぶな』
詠唱破棄で魔術を行使した。ファック。
「我ら千里眼の弟子、ことごとく星も届かぬ遙か彼方、前知不能の災厄を目指す者なり! なれば序列など片腹痛く、足かせ以外の何ものでもなし!」
やけっぱちの声量で叫んだ。この魔術は思いの強さだけ声が大きくなる。
そして言い切ってから、僕は努めて冷静に苦言を放つ。
「今のは、アノレ師を通して正式に抗議しますからね」
僕の大声に神学者さんもドン引きしてるじゃないか。爺さんのせいだぞ。
「示談金の用意をしておきます。久しぶりに愉快なものを見れました」
金持ってるっていいよなぁ。
「なに、こちらの提案になんの魅力も感じていないようでしたからね。我が教室にどんな非があるのか知りたかったのですが、そういう理由ならば仕方ありません。価値観の溝が深すぎます」
ドロッドは本当に愉快そうに笑って、どこか羨ましそうに独りごちる。
「しかしまさか、アノレ君の予知の届かぬ先を目指すとは。彼女は慕われていますね。ワシにはとうていできない教育方針ですよ」
煽ってからかって放任してるだけですけどね、あの人は。まあ納得してもらったのなら、混ぜっ返すのは下手だろう。
「ところで、ゲイルズ君はなぜ魔術師にならなかったのです?」
いや、なぜって……何を唐突に。
「なぜも何も、魔術が使えなかったからです。でなきゃ喜んでなってましたよ」
「ワシの魔術をハジくほどの魔力量を持っていて?」
…………この爺ぃ。
「先ほど、抵抗しましたよね? そうとうな魔力量がないと、あれだけ完璧には防げないはずですが」
「……ははは、この学院は魔術師の巣窟です。身を守るため、最低限の対策は当然。案内所の受付嬢だって護符の一つや二つは持ってますよ」
「護符が発動したなら障壁が見えるでしょう」
ですよねー。
「ディーノ君が苦手とする理由が少し分かった気がします」
「副学長が詠唱を手抜きしなければ、さすがに抵抗なんてできませんでしたよ」
僕は観念して舌を出した。
これだから単純に性能の高い相手は嫌いだ。誤魔化せもしない。
「僕は魔力量はありますが、オドの意識的な属性変換および複雑な操作ができません。呪文に魔力を宿すこともできません。一応、体内での単純な魔力移動と循環速度操作くらいはできるのですが、魔術構築は無理です。なので錬金術はオドに依らずマナのみで行っています」
「ふむ……ディーノ君、間違いないですかね?」
「自分の知る限りでは事実です」
わぁい、もう完全に信用されてない。
まあ、魔術師が魔術の通じない相手を信用するわけないけどな。
「なるほど。しかし、君の例はそれはそれで面白い。満足な鍛錬なしにその魔力量を持つことも、その魔力量を持ちながら魔術が扱えないことも。ゲイルズ君なら、その理由について仮説ぐらいは立てているでしょう?」
僕、論文の解説に呼ばれたんだったよな。いつの間にか僕自身の話ばかりしてる気がするぞ。あとマジで勇者のゆの字も出てこない。
「魔術が扱えない理由については、披露に値する仮説は立てられていませんね。……それでもあえて口にするなら、どこかが壊れているのだろう、くらいでしょうか。まあ魔力操作が絶望的に不得意な者はいますので、単にその一例なのかもしれませんが」
異世界転生者であることが関係しているのではないか、とは思うのだけれど、それでなんで魔術が使えないのだ、と詰めていくと頭を抱えてしまう。本当に分からないのでお手上げ状態だ。
「そして魔力量については黙秘権を行使します。この場で僕の権利は保障されてますので」
きっぱり言い切ってやると、ドロッドは首を傾げて眉根を寄せる。なんでちょっとかわいい仕草してるんだ爺さん。
「言いたくない理由があるのですか?」
「何より僕が一番信じていませんから、あまり真面目な場で口にしたくありません。まあ一部の友人は知っていますし、どうせ眉唾なので口止めをした覚えもありませんが」
後ろに立つディーノにチラリと視線を投げると、察した彼は恨みがましく表情を歪めた。
これで僕が言う必要はないだろう。あの話をこんな場所でしたら、恥ずかしくて死ぬ可能性があるからな。代わりに生け贄になってくれディーノ・セル。君の犠牲は無駄にはしない。
「……いいでしょう。忙しい中すまなかったね。とても参考になりました」
「いえ、お役に立てたなら幸いです。僕にとっても有意義な時間でした。何かあればいつでもお呼びください」
社交辞令に社交辞令を返し、僕はフロヴェルスの神学者に身体を向ける。
「イルズさんも、お話しできて楽しかったです。二年前の論文でこのような出会いがあるとは思いませんでした」
「はい。私もとても楽しかった。できればまた、時間のあるときに語り合いたいものです」
それは御免被るね!
僕は冷や汗を隠しつつニコニコとお辞儀だけ返して、ではこれで、と部屋を辞する。
パタンと扉を閉じて、やっと大きく息を吐いた。
「……疲れた。なんだったんだいったい」
レティリエについてなんの詮索もなかったということは、もしかして本当に別件だったのだろうか。
まあいい。とりあえず後で師匠に報告しておこう。
扉の向こうでディーノの名が呼ばれる。お気の毒様、と思いつつ扉から離れた。
これから彼は、我が母の与太話を披露させられるのだろう。かわいそうに。
「顔も見たことのない父親なんか、どうでもいいしな」
本当に、ばかばかしい話だ。
母は、僕の父はハルティルクという人物だと言っていた。
この魔術学院の名前の由来にもなっている、二百年前の勇者パーティの一人。薄羽杖の大賢者ハルティルク。―――そんなのが僕の実の父親だなんて、誰が信じるんだ?
母は元冒険者だった。
口より先に手が出るタイプの人だが、わりと腕のいい魔術師だったらしい。若い頃に荒稼ぎし、僕を身ごもって引退して、今は都の外れで子供に文字や計算を教えている。
明るくて冗談が好きで美人なのだけど、言ってることがいまいち信用ならないのが玉に瑕な人だ。冒険者時代の話とかかなり盛ってたしな。
僕が魔術式を学びだしたときから、母は天才だ天才だと騒ぎ立て、僕の父親はハルティルクだと言い始めた。明らかに僕をノせる嘘で、当時の僕は内心で苦笑いしたものだ。そもそも彼の大賢者は人間なので、とっくに寿命で死んでるはずである。
まあ、お茶目なところはあるが悪い人ではない。
転生先が彼女の息子で良かったと思うし、少し照れるが自慢の母親だと胸を張って言える。
生徒の子供たちにも慕われていて、母の冒険譚を聞いた子はみんな冒険者に憧れ……。
「おかえりリッドー。まさか女の子連れ込んでるなんて思わなかったよ」
部屋に戻った僕は目の前が真っ暗になって崩れ落ちた。ワナが勝手に入り込んで椅子に座り、お茶を飲んで待っていたのである。主の留守中にズカズカ乗り込んでんじゃねぇ。
『―――すまない、私のミスだ。まさか合鍵を持っているとは思わなかった』
ワナの横でちょこんと座った黒猫が、そんなふうに書かれた羊皮紙をくわえていた。なんかの方法で察知して戻ってきたらしい。
「以前、鍵開けの魔術で扉を吹っ飛ばされましてね……」
僕は額を押さえながらワナが沸かしたお茶をビーカーに注ぎ、一気にあおる。
時間がたってるからかぬるいし渋い。そして淹れ方がなってない。
「師匠にどこまで聞いた?」
「ベッドで寝てるあの子が、悪の組織に追われてるから匿ってるって」
「その通りだ。そして大怪我してるから僕が呼ばれたわけだな」
「あと勇者だって」
「全部話してるじゃねぇか……」
ダメだこれ。マジ無理。疲労とストレスで頭がクラクラしてきた。
「師匠、今までドロッド副学長からの呼び出しを受けていました。内容は僕の論文について。抵抗しましたが魔術を行使されたので、示談金をふんだくってください。それと、フロヴェルスの神学者が同席していました」
黒猫に留守の経緯を報告し、それからワナに向き直る。
「レティリエの看病に女手が欲しいとは思っていたよ。とりあえず僕は寝るから、スライムの調整やっておいてくれ。やり方は師匠が教えてくれる」
「ちょ、そんなのあたしにできるわけないじゃん!」
『―――私もゴメンだ。星を見なくても結果が分かる』
「なら魔素の精製作業だけでいい」
単純作業を押しつけ、僕は部屋の隅に放置してあった毛布に包まると、今度こそ横になって目を閉じた。
「おやすみ」