デッドライン
パーティでの戦闘では、役割分担は非常に重要だ。
各々ができることを担当し互いを補うことで、個々で戦うより戦力を飛躍的に上昇させることができる。
代表的な役割は四つ。
攻撃―――敵を倒す。僕には無理だ。
回復―――傷を治療する。ヒーリングスライムでは遅く、戦闘中に十分な効果は難しい。
支援―――仲間を援護し敵の足を引っ張る。魔術陣はすでに書き終わった。
だから僕が担当すべきは、最後の一つしかない。
ヒーリングスライムの結晶を懐から取り出し、握りしめる。
「僕は、魔力タンクだ」
守備―――己を盾に敵を足止めし、仲間を守る。
森から溢れたゴブリンがギャアギャアとわめきながら向かってくる。
先ほどの残った四匹も追い立てられるように走り出す。錆びた小剣や棍棒を振りかぶって突撃してくる。
僕の居る場所へ。
レティリエの立つ魔術陣がレッドラインなら、ここはデッドライン。この戦場で最も死に近い場所。
死守すべき最前線。
『結晶解凍・反転展開・ドレインスライム。オーバーリミット』
命令を受けて、ヒーリングスライムが僕の魔力を喰らう。結晶が融解し、ボゴリ、と急激に肥大化した。
見上げるほど、巨大に。
それは一個しか使用してないのに、自分でも驚愕して呆れてしまうほどで。
スライムが一本道を埋め尽くし、ゴブリンの先行組は為す術無く飲み込まれた。下級魔族どもは少し藻掻いて、やがて魔力を吸われて気を失う。
―――凄いな。さすがあの女王の贈り物。少しはチートっぽくなってきたじゃないか。
「いい地形だな」
望外の結果を元に作戦を修正しながら、改めて地形を確認し呟く。
湖という水堀に囲まれて、通路は細い一本のみ。
霊穴を支配下に置くための魔術陣なのだが、これなら敵の数は多くとも、一度に相手にするのは少なくて済む。
一本道に到達したゴブリンの本軍が、入り口で渋滞を起こしていた。
完全に詰まっている。後ろに押された個体が湖にダイブしてる。……あのまま泳いできても速度はかなり落ちるし、婆さんやモーヴォンが対処してくれるはずだ。
氷結の剣撃が飛んだ。僕のすぐ脇を通り過ぎ、対岸へと届く。渋滞で固まっていたゴブリンたちが断末魔の悲鳴と共に倒れる。
……悪くない。ある程度予想した流れの通りに事が運んでいる。一番不安だったレティリエも、ちゃんと遠距離攻撃を使えていた。
敵は多いが、無限ではない。寄せつけずに数を削っていければ、いずれ勝てる。
けれど。
ゴブリンは止まらない。
剣撃に倒れた同族を踏み躙って、ゴブリンが殺到する。
一本道を駆け渡り、粗末な武器をヒーリングスライムに叩きつける。……粘体のスライムに、そんな攻撃自体は効かないが。
べしゃり、と先頭のゴブリンがスライムに体を埋めた―――否。後続に背中を押されて、頭から突っ込んだのだ。
勢いは止まらない。ドボンドボンと、低能な子鬼どもはそのまま何匹も押されるままに、スライムに突っ込んでくる。
「……やっべぇ」
僕はその光景を見て、頬を引きつらせる。
明らかに自分たちの数で暴走していて、もはや歯止めが利かない状態だ。スタンピードってヤツだろう。
けれど、低級とはいえ魔族。それで良し、と雄叫びを上げてくる。
立て続けに氷結の剣撃が飛んでいく。的確にゴブリンを削っていく。
けれど、止まらない。
死んだ同族を踏みつぶし、苦しむ重傷者を湖に突き落として、ヤツらはおぞましい塊のように向かってくる。
殺せ、殺せ、殺せ。
生意気な人族を殺せ。
あんな小賢しさなど、数で押し潰してしまえばいい。
声の意味は分からずとも、そんな意思が伝わってくる。
単純明快で計算度外視。それ故に躊躇が無く、盾にする仲間への情も無い。
数の力に酔いしれ、獲物を嬲り殺す優越に下卑た笑みを浮かべ、衝動に突き動かされるままに仲間を足蹴にしてくる。
邪悪。
だからこそ魔族。
ギィ、っと上方から声。
仲間の体を足がかりにスライムを越えたゴブリンが、僕を見下ろした。
これはまったくもって疑う余地の無い前提なのだが、僕は弱い。
剣を取って戦うことはできないし、魔術だって使えない。
今こうして使用しているヒーリングスライムですら、己の力のみでは操れない。
だから、勘違いするな。
ちゃんと戦えているだなどと、おこがましいにもほどがある。
お前は単なる魔力タンク。ただ突っ立っているだけのでくの坊。戦闘なんて無縁のはずの錬金術師。
この先、こんな戦い方が通用しなくなるのはレティリエだけではない。そもそも彼女は前衛だから、壁役は必要ない。
いずれ僕は、レティリエの足手まといになるだろう。
―――けれど、いつかのことなどいらない。今、この瞬間に重要なのは一つだけ。
退くな。
僕はまだ、彼女の役に立てるのだから。
「僕は、勇者パーティの一人だ」
嘯いて笑んでやる。
こんな名乗りで何が変わるというわけでもない。ないが……不思議と、胸の奥が熱くなるな!
同族の背中を蹴り、ゴブリンが跳躍する。醜悪な小鬼が降ってくる。
僕はスライムに手を突っ込んだ。
『マニュアルオペレーション』
手動操作。肥大化したスライムを操り、その一部を触手のように動かす。
降ってくる下位魔族を巻き込むように大振りしてやった。空中で粘体に捕らわれたゴブリンは為す術も無く、藻掻きながらスライムの中に取り込まれる。
だが、それで終わるはずもない。
もう道はできてしまった。同族の体をよじ登り、次々とゴブリンがスライムを越えてくる。
僕はそのたびに粘体の触手で絡め取っていく。
問題ない。ヒーリングスライムは反転してドレイン状態だ。ゴブリンの魔力も吸ってどんどん体積を増し、今や巨大な障害物と成り果てた。
いかに数が多く、仲間の肉で道を造ろうと、前進が遅くなるのに変わりはない。のろのろと顔を出すゴブリンを、モグラ叩きのようにスライムの体内へ押し込むだけの作業。
もう僕の魔力を吸わせるまでもない。こうなればこちらの消耗は無きに等しい。
このまま、いくらでも続けられる―――
違和感が、あった。
元々速いわけでもないスライムの反応が、徐々に鈍くなっている。もどかしいほどに。
なんだ? 僕は原因を探す。見れば……夜闇で気づかなかったが、スライムが黒ずむように濁っていた。
落ち着け。頭を回せ。これは……。
「瘴気の侵食! ちくしょうっ、下位でも魔族か!」
スライムから手を引き抜く。
あの山脈で、僕が瘴気の魔石をスライムに使った時と同じ症状。ヒーリングスライムは手動操作を受け付けなくなり、触れた相手に歪んだ生命力を供給し始める。
迂闊すぎだ。魔族であるゴブリンの魔力を吸えば、こうなるのは予想できたはずなのに。
侵食の度合いが浅い分、僕の手に影響は無かったが……コイツはもう操れず、少しずつ萎んでいく。
スライムを越えたゴブリンが跳び上がる。錆びた小剣が、空中で薪割りのように振り上げられる。
僕は懐の結晶を引っ掴んだ。
醜い緑肌の鬼が剣を振り下ろす。
痛撃と共に。
僕の肩口から、鮮血が散る。




