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アルケミスト・ブレイブ!  作者: KAME
―境界の森林―
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ターレウィムの魔女 3

 曰く。

 ハルティルク魔術学院の学長室には魔術で造った隠し部屋があり、学長はそこで首だけで生きていて、学院を陰から運営している。


 過去にそういう、バカバカしい噂話がささやかれたことがあった。首だけってなんだ。いくら誰も姿を見たことがないからって、適当に変な設定加えてやるなよ。


 そんなふうに、空間を操る魔法なんてものは学院でも冗談の類だ。

 理論上は可能である、とされている。だが机上論にすぎない。

 当然だ。空間を操る……それは、空間を歪めるということ。

 そしてその空間の歪みは、瘴気を発生させるのである。


 ああ、完璧にやればいけるさ。けれどできるはずがない。せいぜいが拳一つ分が限界だ。それ以上広げようとしても、湧き出る瘴気で術式そのものがメチャクチャになって大惨事が関の山だろう。

 僕が知る限り、魔術大国ルトゥオメレンに空間魔法の使い手はいなかった。


「……まさか、里の他の住処もこうなってるのか?」

「? そうよ。なんで?」


 木々に紛れるような住処を思い出して問うと、ミルクスはあっさりと頷いた。

 なんでって……そうかこのエルフ娘、迷いの森の外に出たことが無いから分からないのか。

 ガラパゴスかよ。こんな異常、ここだけだぞ。


「サヴェ婆さんは何者だ?」


 空間魔法の使い手はミルクスではあるまい。この娘はこれがどれだけ離れ技かも理解していない。

 術士はすごい魔術師だというサヴェ婆さんだろう。


「本人に聞けば? 中に居るから」


 ミルクスの態度は素っ気ないが、少し戸惑いも見せている。こちらの反応が意外だったからだろう。


「リッドさん、眉間に皺が寄っています。目つき、恐いですよ」


 ……ええっと、僕のせいか?

 うん、ちょっとマジモード入ってたかもしれない。いや僕は常にマジメだけどさ?

 よし深呼吸。ようし落ち着いたぞ。


「すみません。リッドさんは驚いてるんです。人間の街では見られないような、珍しい魔法の仕掛けですから」

「仇でも見つけたような顔してたわ。矢を射った時も睨まれなかったのに」

「リッドさんはその、ちょっと特殊な頭の人で……」


 誤解を招く表現は控えてくれないかな?

 ていうかレティリエ、ちょっと僕に対する遠慮がなくなってきてない?



「その男の敵は脅威ではなく未知なのさ。学者気質なのさね」



 コツン、と。大樹の幹にできた扉の中から、杖をつく音が聞こえた。

 老いてしわがれた、しかし衰えは感じさせない女性の声。


「入ってくるなら入っておいで。もうあまり、時間もなさそうだよ」


 玄関先でうだうだしていたら、家主に催促されてしまった。

 しかしそうか。やっぱり時間は少ないか。


 僕はレティリエと目を合わせ、頷く。


「入ろう。おそろしい森の魔女とのご対面だ」


 僕は空間湾曲によって造られた扉をくぐる。木は切った痕も、継ぎ目もなく、樹液のものらしき落ち着くような良い香りがした。

 中は思っていた以上に広かった。

 広間の中央に二十人くらいで囲めるテーブルがあり、不揃いな形の椅子が並んでいる。大樹の中だからか明かりは火ではなく魔術のもので、多くの光源が淡く室内を照らしていた。

 どうやら奥には間仕切りがあって、さらに部屋があるようだ。どこまで規格外なんだ。


「こんばんは、かねぇ。外に出ない生活をしていると昼夜の感覚が薄れるね」


 そう挨拶したのは、口元に笑みをたたえたエルフの老婆だった。

 大雑把に三つ編みでまとめた白髪で、少し垂れた長耳が種族を表している。細身で小柄だが背筋はあまり曲がっておらず、ゆったりとしたローブがいかにも魔術師然としていた。

 特筆して視線を引いたのは目と足だ。老婆は盲目なのか両目を覆うように包帯を巻いており、右足は引きずって杖をついている。


「お初お目にかかります、エルフのご老体。ルトゥオメレンの錬金術師、リッド・ゲイルズと申します」

「フロヴェルスの……レティリエ・オルエンです」

「おやおや。礼儀正しいじゃないのさ」


 ああうん、やっぱ自分からは名乗りにくいよな、勇者の称号。ちょっと躊躇したうえで省略とかお察しできる。レティリエの性格じゃ特にキツいだろう。

 頬を赤くして哀れな顔をしている勇者様の横で微妙な顔をしつつ、僕は冷静に盲目で足の不自由な老婆を観察する。


 ……マズいな。

 逃げるとしたら、彼女は足手まといだ。


「サヴェ婆、大丈夫? もう! モーヴォンのやつはどこ行ったの?」


 ミルクスが駆け寄って、婆さんを椅子に座らせる。わりと元気そうには見えるが、老齢だし日常生活も大変だろう。


 エルフの老人というのは、実はものすごく珍しい存在だ。

 長寿種である彼らは、寿命で死ぬことはあまりない。長く生きることはそのまま、病気や怪我などの機会が多いことに直結する。そしてそういう時の死亡率は、この世界の文明レベルでは言わずもがなだ。

 だから、エルフはことさらに老人を敬う。エルフで老齢まで生きた者は、生きる知恵に長けた賢者に違いないからだ。


「モーヴォンはポンペと森の仕込みさね。すぐ戻ってくるよ」

「そう。ならいいけど、それよりどうして出迎えなんか。待ってればこっちから寝室へ行ったのに」

「仕方ないじゃないのさ。懐かしい気配がしたのだもの。いてもたってもいられないじゃないか」


 サヴェ婆さんは口の端を悪戯っ子のようにつり上げて笑い、座ったままレティリエに顔を向けた。



「千年ぶりだねぇ、フィローク。こんな形だけど、また会えるなんて思いもしなかったよ」



 その、名は。

 心当たりがある。知らないはずはない。だって有名人にもほどがある。

 彼を知らぬ者なんて、人族にはいないのではないか。


 ならば、まさか。

 ―――まさか、まさか、まさか。


「千年前の……初代の勇者の名前……」


 呆然とするレティリエの声が、静かな広間には存外によく通って。



「サリストゥーヴェ! 初代勇者の仲間、エルフ魔術の始祖、香水の魔女サリストゥーヴェかっ?」



 僕の悲鳴が盛大に響く。






 千年前の話だ。

 最初の魔王が現れて魔族を統率し、人族の存亡を脅かした。

 神はそれを良しとせず、人族の戦士の一人に加護を与え、魔王を倒させて人族を救った。


 戦士の名はフィローク。

 初代勇者にして、前フロヴェルス神聖王国の王となりし者。


 前フロヴェルスの滅亡により当時の文献の大半が失われたため、あまり正確性の高い話は伝わっていないが……彼と共に戦った仲間の一人には、エルフの魔女がいたとされる。



「エルフ魔術の始祖だなんて、そんなもの名乗った覚えはないのだけどねぇ。別に私が編み出したわけじゃないのだし」



 伝説の生き証人……どころか、伝説そのものである人物は、歯に物が挟まったような顔で口をへの字に曲げた。


「体系立てたのは貴女でしょう。……そして残念ながら、他種族には奥義を秘匿するよう命じたのも。おかげで、僕の所属する魔術学院にエルフ魔術学科はありません」

「あっはっは、それこそ誤解ってもんさ。秘密になんかさせていないさね。私が知らないうちにいつの間にか、他種族なんかにはできっこないって見下すようになってたんだよ。ああ、まったくエルフって種族は昔っから、安いプライドだけは一人前だねぇ。どうせ他の森のヤツらも、人族の原種から最初に枝分かれした長兄だとかって眉唾で、今でも威張ってるんだろう?」


 ……婆ちゃん、楽しそうに自分の種族ディスるなぁ。

 さすが魔女。偏屈で変人だわ。


「どうでしょう。知り合いには変人のエルフしかいないのでなんとも。……ただ、最近は他種族と交流する里も多くなったと聞いています。エルフの香木や香水は人間の街でも人気ですね」

「へぇ、時代かねぇ。にしても商売品になってるのは予想外さね。平民にも広まってるのかい」

「出回っているのは少量ですよ。使えるのは貴族や金持ちだけです。お気を悪くされましたか?」

「まさか。ほどほどにやるならかまわないさ。これから先の時代、清廉なばかりでやってくのは無理がある。生き汚くなるのも必要だよ」


 エルフの老婆は面白がるように、クツクツと笑う。

 ああ、クソ。気持ちの良い婆さんだな。見捨てづらいぞ。


「ねえ、それ今必要な話?」


 僕とサリストゥーヴェが交わす話の副音声が聞こえないのか、ミルクスが割って入ってくる。レティリエも訝しげな顔だ。

 うん、術士トークは理解できないよな。



 ―――香木や香水はサリストゥーヴェさんがもたらしたとされている秘術ですよね。しかもあれ、エルフ魔術の触媒だから結構技術の流出となってますよ。……まあ、奥義の秘匿を命じたというのがデマなら、あなたは気にはしないでしょうけど。


 ―――問題は量だね。品物の制作には森の素材が必要だ。エルフが欲に負けて商売に傾倒してるなら、森のバランスが傾きかねない。仮にそうなったとき、その森が傷ついたのは間接的に私のせいになってしまうじゃないか。


 ―――ああ、その辺は大丈夫でしょう。大した量は流通してませんから。エルフはそこまで愚かじゃなさそうです。


 ―――ならいいさ。ちゃんと考えてやるならかまわないよ。



 サリストゥーヴェの残した功績と、責任の話だ。エルフの未来の話でもある。

 歴史に名を残す彼女にとって、己の歩んだ道の先がどう繋がっているのか気になるのは当然であり……その礎の上に立つ僕らには、知る範囲でそれを伝える義務がある。


 僕がいつかヒーリングスライムを世に出したとしたら、それがどういう足跡を辿るのか知りたくなるに違いないからな。


「たしかに今する話じゃないねぇ。ありがとうよ」


 前半はミルクスに、後半は僕に向けて。

 ああ、礼を言われちゃったか。本物のサリストゥーヴェだな、この婆さん。能力的に疑う余地もなかったけど。


「それじゃあ、早急にすべき話をしようかね」


 サヴェ婆さんは落ち着いた調子で、包帯越しの盲目を僕らに向け、語り出す。

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