エルフの森 2
薄暗い森の中を、僕らは周囲を警戒しながら進んでいく。
レティリエはゴブリンやその他の危険を。僕は周囲の違和感を確認しながらだ。
違和感とは瘴気の痕跡のことでもあるが、もう一つ。……お、あったあった。さすがエルフ魔術の代名詞。
「レティリエ、これを見てみろ。面白いものがある」
「なんです?」
鼻をひくつかせて香気を確かめてから、僕は近くの大樹のうろを指さす。レティリエは不審そうにしながらも、言うとおりにのぞき込む。
ただし中には枝と葉がいくつかあるだけだ。知らなければ珍しいものには見えないだろう。
案の定、少女は首を傾げてこちらを見る。
「その枝葉は魔術的な処理をされた後に発酵させてある。エルフの香木って呼ばれるものでね。普通は少量を焚いて使うんだが、そのままでも匂いが強いだろ?」
「ああ、たしかに。落ち着く良い匂い……。先ほどからどこか懐かしい香りがすると思ったら、これでしたか。姫様がよく使ってました」
……ご存知でしたか。さすが元お姫様付きのメイド。嗜好品に知見がある。
ていうか王女さん、これよく使ってたのか。かなりお高いんだが。さすが王族だよな。
「似たようなものなら人間にも作れるが、香り高い良品はエルフにしか作れない貴重品だ。持って帰れば高く売れる……が、やめといた方がいい。こいつはゴブリンの足止めになる」
僕は話しながらも荷物を下ろして、地面にさっきと同じ魔術陣を書き始めた。
レティリエがますます訝しげにするが、これはやっておかなきゃいけない工程である。
「魔界との境界であるこのターレウィム森林で、魔族たちが攻めてきてなおエルフたちが留まれている理由がそいつだ。ここは迷いの森だよ」
ゲームとかでよくある、同じ場所を延々歩かされるアレだ。
まあ無限ループほど理不尽なものではないし、種が割れてるんだから決して攻略不能ではない。少なくとも僕は攻略方法を知ってる。
「エルフはエルフ独自の魔術体系を持っている。学院にない学科だから僕も詳しくは知らないが、迷いの森の術式は彼らの友である森に協力してもらうそうだ。おそらく広範囲型の結界に近い。……そしてそれに囚われると、この香木の匂いを辿るようになるらしい」
無意識下でフラフラ引き寄せられるような、それだけ良い匂いってことだ。エルフ魔術は上品だよな。
「結果、足先は目的地の方角から逸れ、同じ場所をぐるぐる回るようになる。……とはいえしょせん、匂いに引き寄せられるってだけの魔術だ。気づいてしまえば大した強制力はないし、こまめに方角を確認していけば問題ない」
説明しているうちに魔術陣が完成する。先ほどより小さいが、迷いの森に入ったってことは、目的地は近いはずだ。
ならば、これで十分。僕は小皿に水を注ぎ、試薬を垂らす。
さっきは緑色の綺麗なグラデーションで方角を示したが―――
「………………げ」
今度は、色合いは惑うように移り変わり、一向に定まる様子を見せなかった。
「リッドさん、もしかして……」
「ああ。どうやら、対魔力探知の術式を重ねてあるらしい。ここの敵はそうとうやり手の術師だな」
「敵じゃないです」
敵だよ。上質な防壁はハッカーの敵だ。
絶対に攻略してやる。
「これより魔術の実践講義を行う」
森の中で、僕はきっぱりと宣言した。青空講義だ。枝葉のせいで空見えないけど。
「今回行うのは基礎の基礎、魔力の放出である。魔術を使う際はこれを習得しておかなければお話にならないので、できなければ魔術師の道は諦めた方が良い」
ちなみに僕はできなかった。
ああ、諦めたさ!
「あの、急にどうしたんですか?」
面食らったレティリエが右手を顔の高さまで挙げて質問する。うん、挙手は授業っぽくていいな。
「おそらく、迷いの森の構築は大雑把に捉えて、こんな感じだと思う」
僕は趣旨を説明するべく、黒板……はないので、地面にガリガリと図を描く。
真ん中に円を描いて、それを下辺に、三つのUの字で囲った図形。
「実際はもっと複雑だろうけどな。この円が村として、周りのが迷いの森の効果範囲と思ってくれ。……つまるところ迷いの森は、外敵を寄せ付けないための装置だ。だから術式に囚われた侵入者は最終的に、外側へ吐き出す構造になっていると思う。こんな感じに」
僕は人差し指と中指で足を模すと図形に向かって歩かせ、Uの字をなぞるように折り返させた。Uターンである。
「まあ、同じ場所を何度も歩かせたりして思考能力を奪いつつ疲労させ、もう二度と来たくないって感じで恐怖を植え付ける……とかまでやるならかなり複雑な迷路状にするだろうけど、基本的には内側に行かせない造りに違いない。そうなると、構築的に魔力の流れってのは外へ外へと指向性を持つ」
だから、と。僕は図形から視線を上げて、レティリエの顔を見る。
「これからこの森のマナの流れを探査したい。それが分かれば、遡るように進めば目的地に辿り着くはずだからな。なので君には魔力を放出してもらい、その魔力がどう流れるかを感じ取ってもらう。もちろんかなり広範囲の探査が必要になるが、君の魔力量ならなんの問題もないはずだ」
「そんなことができるんですか?」
「できる。魔力は放出してもしばらくは繋がっていて、ある程度その存在を感じ取ることが可能だ。魔力操作を習得すれば、自在に動かすこともできるくらいでね。魔術師にとっては基礎にして奥義とまで言われるほど重要な技術なんだが……まあ、そこまではいい。今必要なのは魔力放出と、その応用である魔素感知の初歩だ」
ちなみに魔素感知はゾンビとかの基本の感知能力である。これもそこまで難しいものではない。僕はできないけどな!
まあ、熟練の魔術師やハーフリングなんかの感覚が鋭い連中なら、魔力放出なんぞしなくてもマナの流れを肌で感じることができるんだが……。ここにピアッタはいないから無い物ねだりしてもしかたない。
アイツは普通にルトゥオメレンへ帰った。いつもの笑顔で。
「……その、難しくはないんですか?」
さっきのように挙手しながら、自信の無さそうな表情でレティリエが問う。
何言ってんだ君。
「難しいもなにも、もうやってるだろ? 屍竜倒したときとか、氷雪の剣使ったときとか。派手にぶちかましてたじゃないか」
「あれ、魔力放出って言うんですか?」
「なんだと思ってた?」
レティリエは視線を泳がせ、人差し指の第二関節を唇に当てて少し考えてから、口を開く。
「気合い……でしょうか」
くぅ……! 魔術才能ゼロの身には刺さる答えだ。ワナやピアッタ相手ならデコピンの一発くらい放ってた。
「そんな感じだ。あれの感覚が残ってるなら間違いなくできる。……ただ、あれよりかなりソフトな感じで頼むぞ。森を傷つけるとエルフがうるさいからな」
うるさいだけですまないだろうしな。
「ああそうそう。ちなみに、君が失敗しても次点の策があるから安心しろ」
「……内容をお聞きしても?」
「簡単だよ。馬鹿でもできる迷いの森攻略法を実践する。……つまり、香木を地中に埋めたりして術式を片っ端から壊していくだけさ。ゴブリンの足止めはできなくなるが」
「がんばります……!」
やる気になってくれたようでなによりだ。
「肩幅に足を開いて立ち、精神を集中して、自分の中に流れるオドを意識しろ。君のそれは聖属性が強く、それもとびきりの量だ。……在ると意識して探れば、すぐに分かる」
レティリエが目を閉じて集中する。
この深き自然の中で真剣に瞑想するその表情は、美しく。
僕は少しだけ、その光景に魅入った。
「……なにか、あります。とても強い……感じました」
「手のひらから少しだけ出してみろ」
あ、ダメだ。今、ちょっと声が上ずってしまった。
呆けてる場合じゃない。僕も集中しないと。
「それができたら、少しずつ量を増やしていく。なに、もうできてることを意識的にやり直すだけだ。君ならすぐさ」




