妖精を信用してはいけない
「あっちあっちー」
森の中を駆ける。レティリエの肩に乗った妖精の指さす方へ。
ていうかレティリエ速い! 置いてかれそう!
「これは余談なんだが!」
「なんですかっ?」
「妖精は悪戯好きで、でたらめな道案内で旅人を迷わせたりする!」
「そのときはそのときです!」
「言うと思った!」
この娘、そういうとこけっこう勇者だよな。って、感心してる場合じゃなくて。
移動時間に少しでも対策を立てなければ。
「エルフを襲ってる魔族はどんなやつだっ?」
「こわいやつー」
「だろうな!」
ちくしょおおおおおお!
落ち着け、相手は妖精だ。魔素で身体を構成していてうつろいやすく、そのため記憶力が乏しい。よほど大事なことか、あるいは日常的なこと以外はすぐ忘れてしまうし、覚えていてもおぼろげだ。
曖昧な質問は避けろ。難しいことは聞くな。
「数は?」
「いっぱいー」
「立って歩いてたか?」
「そうー」
「大きさは?」
「ぼくよりおおきいー」
「僕よりはどうだ?」
「んー、わかんないー」
よし。
敵は魔物の群れ。二足歩行。大きさは一メートルから二メートルの間。
そういうのでよくいるのは……。
「……リッドさんっ」
小さくとも鋭い警告とともに、前を走るレティリエ立ち止まり、木陰に身を隠しながら制止してくる。
僕も慌ててしゃがんで、音を立てないよう彼女に近寄った。
木陰から覗き見る。
緑色の肌。小柄で細い四肢。
体毛はほとんどなく、背を丸め、手に棍棒や錆びた武器を持っている者もいる。
その姿は、醜悪と言い切って差し支えない。
「ゴブリン……」
この森は背の低い植物は生えてないから見通しはいいが、頭上を背の高い大木の枝葉が覆っていて薄暗い。
それでもこの長距離でレティリエが発見できたのは、以前ハーフエルフのティルダに斥候の手ほどきを受けていたからだろう。あれは僕では気づけなかった。
けれど、居ると分かって目をこらしてみれば。
「数が多い。それになんだ? 様子が変だ」
ぞろぞろと、ゴブリンどもは大勢で一方向へ歩いている。通常サイズのゴブリンの他に、一回り以上デカいホブゴブリンもいくつか混じっていたが、そいつらも同じように。
軍隊のような大移動。
しかし少なくとも、エルフの姿は確認できない。戦闘している様子も感じられなかった。
「遅かったか?」
「そんな……」
僕の呟きに、レティリエが悲痛な顔をする。
「ううん、まだだよー」
しかし妖精はのんきな声で、ゴブリンたちの進行方向を指さした。
「むらあっちー。たたかいはこれから」
「……つまり、あれか。ゴブリンどもの移動方向にエルフの村があると」
「そうそうー」
「なんだよ……走る必要はなかったかもな」
大きく息を吐く。安堵半分、疲労半分だ。
文句は言ったが、走ったのは無駄ではない。少しでも早くに気づけたのは大きい。できる対策の幅が広がる。まずは……
「なあ、エルフの村ってのはここから……」
「いそいでもらったのは、じかんかせぎのためー」
妖精はレティリエの肩から踊るように飛び立って、小さな手でメガホンを作ると、
「おおーい、ごぶりんどもー。ここににんげんがいるぞー」
ゴブリンの軍団が、一斉にこちらを向く。
レティリエの顔色が青くなった。僕もだろう。
周囲が一斉に騒がしくなる。先ほど確認したのがほんの一部だというのがよく分かるほどに。
大群が。
「じゃ、がんばってねー」
妖精が薄暗がりへ溶けるように消える。ヤツらの得意な幻か、あるいは魔素の身体は自由に不可視にできるのか。
なんにしろそいつは鮮やかに僕らの前から姿を消して、雪崩のようなゴブリンどもが向かってくる。
「……ファック」
僕は次の行動に移る前に、そう呟かずにはいられなかった。
「レティリエはゴブリンと戦ったことがあるか?」
「ロムタヒマ包囲戦の時に何度か!」
レティリエは下級魔族との戦闘経験があると聞いている。そしてゴブリンは下級魔族の代表格だ。
「わりと強いだろ、あいつら!」
僕らは来た道を逆方向に逃げていた。一目散だ。
ゴブリンどもはけたたましく騒ぎながら、わらわらと追ってきている。おぞましい数だ。あんな数、とてもじゃないが戦ってられない。発作の怖いレティリエと、弾数に限りのある僕は継続戦闘能力が著しく低い。
正直あんな数相手するくらいなら、ドラゴンゾンビ一体の方がまだマシだ。
「ああ見えて力が強いです!」
「ヤツらきっと人間より猿に近いんだろうな。頭は悪いが小さくても力が出せる」
ゴブリンは人間より小さいが、一般的な成人男性よりも力が強い。普通の人間が戦えば、一対一だと殺されてしまう。
まあ細いし毛皮とかもないから脆いので、ベテラン戦士とかなら苦戦はしないのだけれど。
「そうだ! レティリエ。余裕があるなら後ろを観察しろ。相手の数が多い場合、こうやって逃げてると追う側に個体差が出てくる!」
「なんの話ですかっ?」
「足の速いヤツと遅いヤツがいるって話だ!」
前世の漫画か映画で見た話だから実用に足るかどうか分からないが、一対多での戦い方の話である。結構単純な戦術だったので覚えている。
「つまり、走ってる内に個体差から速度にばらつきが出て、敵の戦型は縦長になる。それが伸びきった時を見計らって振り向いて、一人を斬る。そしてまた走って逃げて、また振り向いて斬る。それを繰り返せば、相手にするのは常に一人ですむ!」
「なるほど、そのように戦えと!」
「バカか何百回やる気だよ。君はともかく、全部倒しきる前に僕がへばるに決まってるだろ!」
「なぜ今それを言ったんですかっ?」
ただの豆知識です。
いや、たしかにそんな話をしてる場合じゃなくて。ここまでピンチだと逆に落ち着いてくるから不思議だよなー。
「ゴブリンの走行速度は人間と同程度だが、スタミナは人間よりも低い。低能だから先回りとかの知恵も働かないだろうし、このまま走ってればそのうち逃げ切れる!」
人間の持久力は生物界でもトップクラスだったはずだ。運動能力において、自然界の動物に勝てる唯一の優位性と言っていい。
走って逃げる。これは人間の取り得る最も単純で有効な護身方法なのだ。
「詳しいですね!」
「母が元冒険者で、こういった話は童話代わりにな!」
「ヤな子供時代ですね!」
追われてて余裕ないからって、人の子供時代にケチつけるのやめてくれない?
「ただ、一つ問題がある」
僕は神妙な顔で、厳しい声音で告げる。
「どんな問題がっ?」
「……僕の身体能力的に、もう走るの限界っていうか。運動不足の研究屋だし」
「ああああああああもう!」
ガシッ、と腰を掴まれて、小脇に抱えられる。え、何これ。
「舌を噛まないように!」
常には無いレティリエの厳しい口調に、僕は叱られた子供のように首をすくめて。
流れる景色が、一気に加速した。




