森の妖精
「情報収集、ですか?」
「そうだよ」
オウム返しに問うてきたレティリエに、僕は頷く。
「現在、魔王軍はロムタヒマ首都で籠城中だ。そしてあの地は大規模な城郭都市で、都の周囲を城壁でまるっと囲んでいる。その壁は可視できるほど濃い瘴気で包まれていて、瘴気の内側で魔族の精鋭が守備につく。……ぶっちゃけて言ってしまえば、人族にはほぼ攻略不可能な状態だな」
瘴気は人族にとって毒になるが、魔族は力の源として扱える。
神聖魔術の加護を付与すれば瘴気の影響を受けなくすることも可能だろうが、それでは大部隊を投入できない。
魔族は基本、人族よりも強いため、戦闘するなら数を揃えるべきである。
うーん、詰んでる。投石器で嫌がらせするくらいしかできないよなこれ。
「つまり、正攻法では無理ってわけだ。……ただし僕らの最優先目標は、囚われの王女様の救出である。ここ、異論はないよね?」
「当然です。まずは姫様をお救いしなければ」
「それなら、ロムタヒマでは魔王を無視する」
レティリエは二、三度まばたきする。
僕はだいぶん体力回復してきたので、一度座り直して姿勢を正した。……座ってるのが樹の根っこだから、同じ姿勢を続けると尻が痛いんだよな。
「僕らの戦力で魔王や魔王軍全体の相手は無理だ。だから、魔王軍に気づかれないようロムタヒマ内部に潜入し、王女様を救出して逃げ帰る。これをメインの作戦としたい」
「なるほど……ですが、それでは人族の脅威はそのままではありませんか」
「ああ。けれど、現状では少数の利を活かすくらいしか作戦のたてようがない。それに魔王と戦ったとして、王女様を人質に取られでもしたら最悪だろう? まずは救出。その後に、じっくりと魔王を倒す算段を考えるべきだ」
レティリエは以前、王女を救えなかった自身を嘆き、自ら死を選んで二百年前の勇者ソルリディアに力を託そうとしたことがある。
そこには侍女としての責務だけではなく、心酔に近い情念があったように僕は感じた。
だから仮に王女を人質に降伏を強要されたら、レティリエは動けなくなる気がするのだ。
「そしてここで一番問題なのは、ロムタヒマ首都内部の情報がほとんど手に入れられないってことでね。レティリエはフロヴェルス軍の包囲戦に参加してたって前に聞いたけれど、中の様子についての情報はゼロだろ?」
まだ煮え切らない顔のレティリエにはかまわず話を進める。いのちだいじにをバハンで覚えたからな。無謀なだけの突貫は許す気ないよ僕。
いや、潜入作戦もメチャクチャ危険だけど。
「……はい。少なくともあの時点で、都の内部の情報をフロヴェルスは入手できていませんでした。今は違うかもしれませんが」
「たしかに。君が前戦を抜けてから時間がたっているし、進展があってもおかしくはない。けれど、僕らがそれを教えてもらうのは難しいだろう」
フロヴェルス、レティリエを殺そうとしてたからな。ノコノコ出向いていったら斬りかかられるんじゃないか。
「だから情報収集が必要なんだ。最低限、王女の幽閉場所だけは把握しなければならない。でないと潜入できても右往左往するはめになる」
あと安否な。
口にはしないけど、すでに王女は死んでいる可能性がある。囚われてから半年以上たってるし。
その場合はそもそも、救出作戦は必要ない。
……外道と呼ばれることを憚らず正直に言うなら、その方がありがたい面はある。もう気兼ねなく万全を期してから行けばいいしな。
ただそのとき、レティリエは勇者であり続けられるだろうか―――無理だな。やっぱ生きててくれ王女さん。
「だからこそのボルドナ砦だ。仮に、魔王軍に補給部隊が編成されているなら……」
「その構成員は、ロムタヒマの都を出入りしているはず。情報を持っている可能性が高いのですね?」
僕の言葉をレティリエが引き継ぐ。
よし、方針の共有は完璧だ。話してるうちに疲労もだいぶん回復した。休憩はそろそろ終わりにしよう。
僕は反動をつけて立ち上がって、進行方向を指さす。
「まずボルドナ砦付近を数日見張って、補給部隊の有無を確認する。そして見つけたら、適当な場所で襲撃。情報を持ってそうなヤツを攫って尋問だ。……最小限にするつもりだが、この作戦に戦闘は避けられない。君に働いてもらうことになるぞ、勇者様」
僕の言葉に、レティリエは緊張した顔で頷く。
そして。
「なるほどー。むずかしいことかんがえるんだねー」
そんな、間延びした声と共に。
淡く光る小さな何かが、レティリエの頭の上に乗ってきたのだ。
光色は橙。大きさは手のひらに乗る程度。
花びらの帽子に葉っぱの服を着た姿で、髪は若葉色の巻き毛。耳が長い。
まるで童話からそのまま抜け出したような。
それは、小さい人に蝶の羽が生えたような姿をしていた。
「え、誰ですかどこですか?」
まだ視認できていないレティリエが困惑して辺りを見回す。君の頭の上だ。
乗っかってるけど気づいてないってことは、重さはほとんどないってことだな。
「こっこでーす」
小さな羽付き飛行物体はふわりと宙に浮いて、両手両足と両羽を広げて黒髪の少女に姿を晒す。
一瞬ぽかんとした顔を見せたレティリエは、すぐにその瞳を輝かせた。
「妖精……? わぁ、初めて見ます!」
ああ、乙女の顔をしてらっしゃる……。
結構少女趣味だよな、この娘。まあ女の子だから普通なんだけど。
「レティリエ、ゆっくりこっちへ。距離を取って警戒しろ」
厳しい声でたしなめる。僕はすでにヒーリングスライムの結晶を準備していた。
「どうしてですか? こんなにも可愛いのに」
「いいから、言うとおりに」
断固とした口調で言うと、レティリエは悲壮感すら感じさせる顔で、渋々さがる。よし、それでいい。
ていうか、可愛いからで警戒心ゼロになるのヤバいな。今のうちに講義しとくか。
「あれー、もしかしておどろかせちゃったー? だいじょうぶ。おはなしにきただけでー」
妖精は間延びした口調で無害を訴えながら、ふよふよ浮いている。そうしているだけなら、危険があるようには見えないが。
「あれは妖精で間違いないだろう。ただ、ああいったテンプレの妖精チックな姿の妖精は非常に珍しいはずだ。……なにせ、妖精には種ってものがない」
僕も本物は初めて見るのだが、文献で知っている知識と照らし合わせれば、目の前の存在には違和感しかない。
「種がない……ですか? あの、言っている意味がよく分かりません」
「妖精っていうのは、その身体のほとんどが魔素で構成されててね。だから環境に非常に影響を受けやすい。ちょっとでも環境が変われば消滅したり、変質したり、歪んだりする。だから同一地域ならばともかく、遠く離れた場所で同じ姿の妖精に出会うってのは、ほぼないと思っていい。……つまり、この妖精の姿は定形すぎるんだ。擬態の可能性がある」
僕はレティリエを背後にかばうように立つ。
何かされるとしたら魔法だろう。なら、魔力抵抗には一応の自信がある。僕でも壁にはなれるはずだ。
そういう意味では、実は怖い相手ではない。妖精ってあまり強い力はないしな。
レティリエも神の腕の力があるから、半端な魔法にはかからないはずだ。
多分、敵対しても完封できる。警戒していれば、だけれど。
だからこれは脅し半分なのだけど、これから先の教訓でもある。
「可能性としては、僕らの持つ妖精のイメージを写し取って、その姿を被ってるとかだね。……妖精には人族を食べるようなヤツもいるんだ。見た目だけで判断してると痛い目に遭うぞ」
僕のもくろみ通り、レティリエの顔が青くなった。まあ怖いよな。あのふよふよが一気に得体の知れないものに見えるだろう。
「そんなことしないようー。それに、このすがたもほんものー」
うーん、しかしこの嘘くさい妖精、どうしたもんか。
人を食う妖精は少ないけど、悪さするやつの話はメチャクチャ多いんだよな。知ってる話だと十割近くは悪戯好きだ。
まあでも、せっかく話せるなら情報収集しようか。知能低そうだけど。
「えっと、妖精君。名前はあるか?」
「あったきがするー。けどわすれたー」
ふよふよ飛びながら、低能っぽい答えを返してくる妖精。脳みそ小さそうだなー。
「なるほど。ところでこの辺りに人里はあるか?」
「あるよー」
「どんな人たちがいるんだ?」
僕の問いに、妖精は空中で腕組みして、ついでに足も組んで浮きながらソファにでも座っているようなポーズで答える。
「ともだちー。サヴェにモーヴォンにミルクスー。エルフ、っていってたかなー」
むぅ、と僕は唸る。エルフか。ていうか自分の名前は忘れても友達の名前は覚えてるのか。
「まいったな。この妖精、少し信憑性が出てきた」
「どういうことです?」
困惑するレティリエに、僕は妖精の姿を指さして説明する。
「妖精っていうのは基本、マナの豊かな自然の中でしか発生しない。そしてその姿や性質は環境に影響されるから、人型で言葉も喋れるなんてヤツがいる場所は限定される。……つまり、ビックリするほどの田舎だよ。けどエルフの集落なら条件が合致する」
なんとなくエルフっぽいしな、この妖精。耳長いし。
「それでねー、そのともだちがいま、まぞくにおそわれてるから、たすけてほしいんだー」
…………なんだって?




