貴族と貴人の交渉
俺は貴族の家の長男として生まれた。いずれ跡取りとして家名を継ぐことになっている。
爵位は決して高くない。領地も少なく、治めるのはわずかに村が二つ。
ルトゥオメレンは国土が狭く領地を持てない貴族も多いが、これは決して威張れたものではない。
田舎貴族。それが忌憚のない、我が家の正当な評価だろう。
なので正直、貴族としての振る舞いをあまり使うことはない。
習得してはいるが、我が家程度の家柄では、それを本当に必要な場に呼ばれることが少ないためだ。俺のようにただの跡継ぎの立場では、年に数度くらいか。
それぐらいがちょうど良い。と感じるのは、おそらく俺が貴族の生まれであっても、貴人ではないからだろう。
堅苦しい正装で王城のパーティに出席しても退屈だ。ただ立っているだけの祭典など溜息が出る。
ああいうのを心から楽しめる方々の精神性とは、ほど遠い隔たりを感じずにいられない。
なにより俺には民のための政治より、己のための研鑽を好んでしまう。
己の矮小さを自覚し、遙かな上に居る者を見上げた時、奥底から湧き上がる笑みを抑えきれなくなる。
待っていろ、蹴落としてやる。―――そう思わずに居られない性分を抱えているのだ。
思うに、俺の根っこにあるこの下から見上げる性質は、俯瞰から采配するべき貴族の役割に合致していないのではないか。
生まれを間違ったのではないか、と考えることもある。
俺は貴族よりも平民の知人の方が多いから、特に思うのだろう。
けれど、家業を放り出すほど無責任にもなれないのが悲しいところだ。
他に跡取り候補がいれば任せてしまうこともできただろうが、残念なことに俺には妹しかいない。
残念だ。まことに残念である。
仮にもし、貴族になど生まれなかったなら。あるいは家業を放り出せるほどの剛胆さでもって普段不躾な振る舞いをしていたのなら。
こんな仕事、回ってこなかっただろうに。
「おはようございます。お加減はいかがでしょうか?」
「最悪ですね」
俺の挨拶に、その女性は短く返す。
言葉が返ってきたということは、今日は比較的機嫌が良いらしい。
「よろしければ気紛らわし用の本か何かをお持ちしますが?」
「いいえ、それには及びませんよ。ディーノ・セル殿」
この女性はフロヴェルスの第二王女。エスト・スロドゥマン・フリームヴェルタ。
王位継承権は剥奪されているとはいえ、王族だ。……それも、他国の。
いかに罪人とはいえ、丁重に扱うしかない。しかも彼女がここに囚われていること自体が極秘であるので、世間的には罪人ですらない。
つまるところ、現在の状況はこういうことだ。
エスト王女は身分を隠し、お忍びで魔術学院に滞在なさっている。……高度な政治的取引の材料として。
そして俺は今、この女性の世話役だ。
貴人の相手は貴族がすべきである。彼らは生まれや肩書きで人を見て、それから作法や言葉の裏に目を光らせる。
残念なことに、我が師であるドロッド副学長の弟子の中で、貴族の生まれは俺一人だった。
まったくもって迷惑なことだ。
「それより、わたくしの話し相手になっていただけるかしら?」
おや、と俺は心の中だけでいぶかしむ。
彼女の世話役を始めてもう結構な時間が立つが、これは初めての展開だ。
「それは光栄です。自分で良ければ」
俺は笑顔で会話に応じる。外面を作るのは得意だ。それだけでも貴族の跡取りはやっていける。本格的に継いだら、さすがに他の素養も必要になるだろうが。
果たして、エスト王女はどんな話を聞かせてくれるのだろうか。
彼女はニコリと微笑んで、会話を切り出す。
「フロヴェルスを売り渡す―――もしわたくしがそう言ったら、いくらで買い取ってくれますか?」
なるほど。
こんなものは言葉遊びだと分かっているが。……どうやら、相手は貴人であっても貴族ではないらしい。
「内容によりますね。自分に買えなければ、師を頼ることになるでしょう」




