ノールトゥスファクタ
「素材がちょうど一人分余ってたんスよねー。なんで、ちゃちゃっとおんなじ護符造って追いかけてきたんスよ」
あっはっは、とわざとらしくピアッタは説明する。
素材余ったとかうさんくせぇ……。コイツもしかして、何もなくても最初からこっそり追ってくるつもりだったんじゃないのか。好奇心で。
僕たちは試練の岩場を後にして、山頂へと向かっていた。ここまで来たらもうすぐだ。話しているうちに着くだろう。
ちなみに竜人族のアイツはスライムから解放してその辺に転がしておいた。特に瘴気の影響は受けてなさそうだったので、そのうち普通に目が覚めるはずだ。
あの顔を見たレティリエは驚き、ピアッタは大笑いした。
「一人分って、じゃあどうやって二人で来たんだよ」
山頂へ歩を進めながら、僕は素朴な疑問だけを口にする。猜疑心に塗れた質問をぶつけたところで、意味は薄そうだしな。
「それはもう、こんな感じで」
得意げに自身を指さすピアッタは、レティリエの背中にしがみついていた。
たしかにそれなら護符の範囲内に収まるかも知れないが、まさかずっとそれで来たのか。マジか。
「いやー、レティリっさんって結構良い体してるっスね。胸も意外とあるし、柔らかいし温かいし」
「セクハラはやめてやれ」
レティリエ真っ赤になってるから。
「まあ、おかげで荷物はギリしか持てなかったんスけど、先に行ってる二人は飛んでるし、追いつくならどうせタイムアタックっスからね。速度重視の軽量装備でいいかーと」
「お前が留守番してれば良かったんじゃないか?」
「レティリっさんが倒れたら誰が処置するんスか?」
そうか、それがあったな。たしかに今のレティリエ、単独行動させられないわ。
「それに先輩に文句言いたかったのはレティリっさんだけじゃないっスよ。なんでもかんでも勝手に決めちゃって、ピアッタだって一言くらい言ってやらないと気が済まないっス」
「あらためて君ら凄いよな、僕に文句言うためにわざわざ山登ってくるの。村で待ってりゃいいのに」
「そりゃ、レティリっさん壊れそうっしたからね。先輩のせいで」
僕は全力で目をそらした。
そういや、泣かしたまま逃げるように出てきたんだった。そうか、たしかにあのときのレティリエ、精神的に追い詰められてたかもしれない。
「ま、そんなわけで、ピアッタはロムタヒマとか行かないんで、どうぞ二人で行ってくれっス」
「来ないのか?」
「行くわけねーじゃねーっスかそんなおっかないトコ! 悪いっスけどピアッタ、先輩もレティリっさんも正気じゃねーって思ってるっスからね!」
あー、そっか、そうだよな。
レティリエとロムタヒマへ行けとか、ピアッタにとっちゃ超迷惑な話だったよな。
そういえばコイツの人権無視してたわ。どうでもよすぎて。
「てっきり物見遊山で行きたがるかと」
「あはははは、先輩じゃないんスよ?」
失敬な。僕は別に好奇心で行くわけじゃないぞ。
「そっか、お前がスペアをやってくれないなら、やっぱり僕は死ねないな」
結局、僕は前提からして間違っていたらしい。
あまりにも僕らしい話だ。自分自身に呆れてしまう。
「そうですよ。だから、死なないように頑張りましょう」
レティリエは微笑むが、それがどれだけ高難易度か分かっているんだろうか。
敵は僕らよりも強いだろうし、殺す気で来る。
今現在魔王軍と戦ってるフロヴェルスも、レティリエを殺そうとした国だ。味方にはなってくれない。
この先は絶望の闇に満ちていて。
けれど希望の灯火は、僕の隣で微笑んでいた。
頂に、到達する。
山頂には、見覚えのある白銀の少女の姿が待っていた。
僕らには気づいているだろうに、背を向けて、僕らが登ってきた方とは反対側の景色を眺めていた。
小さな身体で、じっと、そうしていた。
「……何が見えるんだ?」
呼ばれたのは僕だから、僕が声をかけるべきだろう。そう思って、少し躊躇してから、問いかける。
女王は背を向けたまま首だけを動かし、肩越しに僕を見た。
そうして、すぅ、と指さす。彼女が見ていた景色の方を。
自分で見ろ、ってことか。
僕らは顔を見合わせて、女王の方へと近づく。
そして、見た。
「竜は、死ねばほぼ必ず不死族になるのです。魔力が多いですから」
それは、虹のようで。
「ですが、自然と共に生きる我らにとって、それは屈辱的なこと。故に、死ぬときは不死族にならぬよう、自ら準備をします」
赤い火竜がいた。
青い水竜がいた。
地竜がいて、風竜がいて、他にも様々な竜種がいて。
数えきれぬほどの、屍を晒していた。
「バハンの竜は、このように。病で、怪我で、寿命で、己が死期を悟ったとき、この地を目指すのです」
レティリエも、ピアッタですらも、絶句して眼下を眺めていた。
無数の巨大な体躯が折り重なるようにして横たわる、圧倒的なまでの光景。
ここまでの標高であれば、死体は低温によって腐敗が進まず屍蝋化し、永い時を遺り続ける。
これはいったい、何千年分の遺骸であるだろうか。
あるいは、何万年分……さらにあるいは……。
「竜の、墓場……」
僕は文献でのみ知っている、その名称を呟いていた。
そういう場所がある、という話は知っていた。けれど、ここまでの規模なんて……。
「この地を聖なる属性で覆うのは、彼らの魂と骸に安寧を与えるため」
女王は語る。
安らかに眠る者たちを気遣うような、静かな声音で。
「山を登る竜に力を分けるのは、ここに辿り着けぬまま力尽きることのないように」
その横顔は美しく。
「山脈の女王とは即ち、この地の安息を護る者なのでございます」
慈愛と哀悼に満ちた眼差しは、優しげで。
山脈の女王。白銀竜の名を冠する、最古の竜。ノールトゥスファクタ。
これほどの死を看取り、その魂の安らぎを護ってきた者。
ならば彼女は……まさしく神と呼ぶにふさわしい存在だろう。
「故に、この地を穢す者は許せませぬ。リッド・ゲイルズ殿。あのような魔石は今後、妾の領地での使用を控えるように」
そうか。
だから、ゾニは瘴気の魔石を使いたがらなかった。竜人族リッドがアレを見たとき露骨に顔色を変えたのも、この秘密を知っていたからかもしれない。
「この地で二度と使わぬと、誓います」
宣誓は魂に刻もう。
ここは聖域だ。女王の言うとおり、穢していい場所ではない。
「よろしい」
ニコリと笑って、ノールトゥスファクタはやっと、くるりと僕らに向き直った。
「ええ。ですがまあ、使わざるをえない状況に追い込んだのは、妾なのでございますが」
でしたよね!
全部あなたの手のひらの上でしたよね!
ホント、このドラゴンクイーンどこまで見えてたんだろ。
異世界だからって未来予知はそうとうな難易度だぞ。たしか見やすいのは収束点って話だけど、だとしたらいったいどの辺を……。
「知るべきことは、しかりと胸に刻めましたか?」
本当に、どこまで……だなんて。まったくもって、考えることすらバカバカしい。
最初から最後まで、全部に決まっている。
「痛いほどに」
「よろしい」
女王は頷いて、左手を手のひらを上にして、顔の前まで持ち上げる。
ポゥ……と。その手の内に、小さな光球が灯った。
「これはお約束していた、あなたが手に入れるべきもの。ええ。ええ。もちろん御用意しておりましたとも」
「それはいったい、どういったものでしょうか?」
僕が問うと、ニコニコと、女王は微笑む。
………………教えてくれないのかよ。
スゲぇ怖いんだけど。え、ホントに怖い。
「魔族は存在がこの地を穢す故、許すわけにはいきませぬ。隣国から来た者は全て屠りました。しかし、いずれまた不逞の輩が来ないとも限らず。……されど妾はこの地を護る者。山脈を離れられませぬが故に、元を絶ちにも行けないとなれば」
女王は僕を見上げた。
楽しそうに。おもしろそうに。……そして、期待するように。
「解決は、他者へ頼むより他にありませぬ」
ああ……もうこれは、仕方ないな。
だって、彼女は女王だ。神に等しい存在だ。
この光景を前にして、僕は敬意を抱いてしまった。
だから、この人に頼まれてしまっては、他に方策がない。
進もう。覚悟を決めて、一歩を踏み出そう。
「承ります」
「よろしい」
ゴゥッ、と。
光球が回転し、渦巻き、周囲のマナを取り込み始める。……え、何それ。
凄まじい光が放たれる。風が殴りつけてくる。髪も服もばたばたとはためいて、吹っ飛ばされそうになる。何それマジ何それ。
「貴方の、証を認めましょう」
閃光の中、女王のそんな声が聞こえて。
そして。
「……おや?」
そんな、女王のちょっと不可解そうな声が聞こえた。
いや待って。なんだその、おや? って。なんか医者の独り言みたいに不安になるんだけどマジでやめて。
もはや視界に収まりきらないほどの大きさの光球が、僕を飲み込む。




