それは、抗いようのない災害のようで
ザンッ、という強烈な音と共に。
ビリビリと空間を揺るがす凄まじい魔力が、背後で放たれた。
「……え?」
驚いて振り向く。まだ岩場は出られていない。
何が起こった? アイツは詰んでいたはずだ。まさか、この期に及んで覚醒でもしたか?
それなら一刻も早く逃げなければならない。さすがにもう油断はしないだろうし、有効な手札は全て使い切っている。
「なんだ、これは……?」
氷、だった。
圧倒的なまでの氷雪が、巨大なスライムを氷像のように固めていた。
デキの悪い前衛芸術のような光景。
黒く濁ったスライムは凍り付いたせいで活動を停止し、それに伴って瘴気の汚染も止まっていた。
僕は目をこらす。まだ比較的透明な部分に、あの竜人族が囚われているのを確認する。
藻掻いて暴れるのに魔力を使いきったからだろうか、ぐったりしていて、おそらく気を失っている。
……やったのは、アイツじゃない?
―――なるほど。
驚いたが、ならばこんな真似ができるのは一人しかいない。
そういえば、彼女が新しい子を欲しがったのは戦力補強のためだ。彼は竜人族としてはまだ弱いが、それは未熟であることが大きい。将来有望な戦力たり得る人材である。
だから、さすがにこの状況では助けに入るだろう。
スゥ、と。
音もなくゆっくりと、氷像と化したスライムの一部がズレる。黒く濁った部分と、竜人族のリッド・ゲイルズがいる部分を切り離す。
それはたった今氷雪で覆われた地面に落ちて、盛大に雪煙を巻き上げた。
その向こうに、僕は人影を見る。
……ここでお出ましか。
氷雪を操る白銀竜。山脈の女王ノールトゥスファクタ。
「やっと、追いつきました」
雪煙の向こうで、彼女はそう言った。
僕は氷のように固まる。
「ほら、言った通りっスよね。先輩は絶対平気な顔して先に居るって。どんなに危険なトコでも関係ないんスよ。この人、心配するだけ無駄な人なんで」
人影の右肩あたりから、新たな影が頭を出す。
幻覚だ。こんなの。
だって、パーティは解散した。彼女は先を急いでいて、僕はもはや用済みだった。
とっくにロムタヒマへ向かったはずだ。
歩いてくる。近づいてくる。
距離が近くなり、雪煙も薄れて、輪郭がハッキリしてくる。
無造作にぶら下げた、氷雪の剣を持つ手が見えた。
彼女の背中におぶさっていたハーフリングが、ぴょんと地面に降りた。頭の後ろで手を組み、ニヤニヤと意地悪げな顔で僕を見てくる。
僕はと言えば、もはや手を伸ばせば触れられるほどに迫った少女から、目が離せなかった。
「失礼します」
少女は……今代の勇者レティリエ・オルエンは、律儀にそう断わって。
パン、と。
僕の頬を、平手で打った。
彼女に頬を打たれるのは二度目だった。
痛みよりも、幻覚ではないのだという衝撃が、僕の頭を真っ白にした。
「そんなにボロボロの身体で」
空すらも驚いて身を潜めるかのように、風が凪いでいた。
「そんなに傷だらけの心で」
少女はうつむいていて、表情は分からないけれど。
きっと怒っているんだろうな、と思う。
竜人族に痛めつけられた身体なんかより、頬がジンジンと痛んだ。
「いったい、どこまで行くつもりですか?」
……どこまで。
目下はまあ、女王のいる頂まで。もうすぐだ。
その次はロムタヒマへ、魔王に蹴りでも入れに。
そして……いずれは。
…………いずれは?
困ったな。終着点はどこだろう。
どうせどこかで死ぬだろうしと思って、決めてないな。
「……えっと、どこまでも?」
しどろもどろに答えると、少女は溜息を吐いた。盛大な溜息だ。
呆れられて、諦められて、そして、少し笑われた。
「それでは、お供します」
顔を上げて、僕の目をまっすぐに見て、ハッキリと。
この娘は、いったい何を言っているのか。
理解できなくて、呆然とした。
「共には、行けないんじゃなかったのか?」
「あなたに死んでほしくありません」
僕のバカみたいな問いに、少女はマジメに答える。
「だから命が惜しくないと、そんなことを本気で思っているあなたを、危険な場所に連れていくことはできない。……そう、思いました。けれど、一人でも行ってしまうのであれば、もう止められないのであれば―――わたしがそばに居て、守るしかないでしょう?」
「……それは、足手まといじゃないか。嫌だぞ、そんなの」
「そうですか。では、あなたが死なないように気をつけていただけるなら、わたしの負担が減りますね」
あまりの言いざまに絶句する。そんな僕を見て、彼女がクスクス笑った。
そうして。
彼女は己の胸に手を当て、今やっと。
宣言する。
「わたしが人々を救う勇者であるというのなら」
君は勇者ではなく、神の腕なのだけれど。
けれど、それは初めて、この少女が自ら……―――。
「まずは、わたしを救ってくれたあなたを救いましょう」
ああ、そうか。と。
やっと、理解した。
僕はこの少女を……レティリエ・オルエンを、今までずっと、見くびっていたのだ。




