竜族の山脈
なんというか……そう。
これは、あまりに幼稚な感情なのだけれど。
槍を腰だめに構えて、ぐぅん、と引き絞るように力を込めて。
でもまあ、アイツ、僕のことを兄弟って言ってたし。
だからまあ、いいかなって。
ざんっ、と大きく踏み込んで、レティリエの心臓めがけて槍を突き出して。
前も今も、僕って一人っ子だったし。
兄弟喧嘩って、結構あこがれだったんだよね。
……いや、やっぱ嘘。
魔法で造った幻覚を貫いて、穂先はその先の、竜人族の心臓まで進む。
だって僕、コイツを殺すつもりだし。
むかついたから。
「往生せいやぁっ!」
「うわっち!」
竜人族リッドが飛び退く。間抜けな驚きの声をあげ、ギリギリのところで。
「チィ、殺れなかったか」
僕は転びそうなるのをたたらを踏んで耐え、リアルに舌打ちした。
今のは千載一遇のチャンスだった。掴めなかったのは痛いな。身体痛すぎて追撃もできなかったし。
「お、お前今、本気で殺す気だったろ。馬鹿かお前ルール忘れたのか?」
「何を慌ててるんだよ。警戒してれば余裕で避けられるだろ。まさか試合中に気ぃ抜いてたわけでもあるまいし」
さらりと言ってやる。悪いのは君。まっとうなのは僕。他はともかく、今ばかりは当然だ。
うぐ、と竜人族が狼狽える。
よく見れば民族衣装の胸の部分が破け、藍色の生地を赤が汚していた。どうやら本当に惜しかったようだ。
「……もし本物だったら、とか考えるだろ普通」
幻覚ごと貫こうとしたのがご不満らしい。
……いやだって。それも君が悪い。
「稚拙に過ぎる。どんな式を使えば、あんな出来損ないの人形みたいな幻覚になるんだ。肌の質感なんか陶器のようだったぞ。似せられないなら認識のごまかしくらいかけろ」
「な……なんだと。そこまでは悪くなかっただろう」
「いいや、減点ものだあれは。陶器の人形じゃなけりゃ死体だよ。呼吸もしてない。血も通ってるように見えない。それにレティリエはもっと綺麗だよ。それっぽく仕上げただけで満足するな」
言うほど悪くない出来ではあったけどな。
けれど、僕が彼女を見紛うはずがない。
さらに言えば……。
「第一、だ。君がレティリエを連れてこれるはずがない。だって……」
心底呆れてしまうが、仕方ないので教えてやろう。
こんなの火を見るより明らかなことだ。
「君より、彼女の方が強いからな」
相手の顔が目に見えて歪む。煽り耐性ないな。
そんなんじゃネットで炎上したとき冷静でいられないぞ。
「お前……」
「レティリエはあれで戦闘訓練を受けている。君より出力もあるし、経験でも力でも彼女が上だ。完全ど素人の君に負けるはずがない」
「……それは、アイツは勇者だからだ」
なんだそりゃ。
「君が強いのは、竜人族だからだろ?」
少し、この相手のことが分かり始めてきた。
コイツ、子供だ。
虫をいたぶって遊んでるような、残酷な子供。
「レティリエは勇者だから強い。それはそうだろう。けれど僕が見たところ、彼女がゾニに勝てるとは思えない」
トン、と。僕は槍の石突きを地面に置いた。
シラけた。拍子抜けだ。まさか女王め、こんな貧乏くじを僕に掴ませるつもりだったのか?
「それはゾニが邪竜堕ちだからか? いいや、違う。単純に、君が弱い竜人族だからだ」
とはいえ教育係は僕をおいて他にいない。責任がある。
コイツがここまで意地悪くヒネたのは、たしかに僕のせいだろう。
「なんの努力もしていない。自分で何を掴んだこともない。君はまだ、自分の足でどこにも辿り着いたことのない、生まれたてのガキ。竜人族というだけで力を得たチート野郎。それが君だ。ああなるほど、これはまさしく転生チートだな。さっき人間なんて弱っちい種族に生まれなくて良かったと言っていたが、心より祝辞を送らせてもらおう。おめでとう力が強いだけの兄弟」
「……イラつくな、お前。そういえば、お前はそういうヤツだった」
「何か間違ってたか? 本物のリッド・ゲイルズ。僕が十六年閉じ込めてたせいでなんにも経験しないまま頭でっかちになったのは哀れだと思うが、それはそれ。事実はちゃんと受け止めろ」
「お前はどうなんだ」
皮膜の翼が開く。ワナワナと拳が震えている。眼光鋭く睨む。
身体を大きく見せて、怒ってるぞと威嚇して、何やってるんだお前。普通に殴って黙らせればいいのに。
あ、できないのか。誇り高い竜人族だもんな。舌戦なら舌戦で勝たなきゃならないか。
安いプライドだ。
「ご高説痛み入るが、お前は自身を棚に上げてる。お前にはなんの力もない。前の世界で一生やって、この世界で十六年生きて、どんな大した力を持ってるっていうんだ? 僕がその身体にいなきゃ、自分で開発した欠陥品だってマトモに使えないくせに」
けれど苦しいな。
たしかに言うとおりなんだよな。ほら、僕って役立たずだし。
「いいじゃないか。あの女殺して勇者になれよ。それが一番いいって、お前も分かってるんだろ? 世界救うっていうなら、何の犠牲もなくできるわけがない。最適解を選べ。僕も、同じ顔のお前がなんの力もない弱者じゃ格好がつかないんだよ」
なんだお前。さっきのからかってたんじゃなくて、本気で言ってたのか。
あと、世間体を気にして僕を勇者にしようとしてたのか。マジか。
「……そうだな」
はぁ、と僕は溜息を吐いた。
勇者パーティに入っておいてなんだけど、たしかに正直なところ、世界を救うなんて途方もない話はあまり意識したことがない。
コイツの言うとおり途中で死ぬだろうと思ってたし、まずは王女の救出が目先の目標だしな。まだまだ全然そんな段階じゃないってのが本音なところだ。
けれど、たとえこの先に何があっても、僕は勇者になんかなる気はない。
それはきっと、ゆるがない。
「君は正しくて、僕は間違っている」
それだけは、自信を持って言える。僕はいつも間違っている。
犠牲もナシに世界を救えるはずがないし、最適解があるなら求めるべきだ。舐めプで勝てるほど魔王はぬるくないだろう。
けれど。
「それがどうした。僕は、この間違った道を進むと決めている」
だって、今代の勇者はレティリエだからさ。
「開き直りかよ、話にならない」
見るからに不快そうに、竜人族リッドは吐き捨てる。
「そうだよな。話にならないよな。僕もそう思う。だから、これはもう力で解決するしかないところだ。竜の試練に戻ろうか」
よいしょ、と僕は槍を構えた。
話してるうちにだいぶん休めたから、少しは回復できた。もう少し動けそうだ。
「はぁ? 正気? 勝てるわけないって身に染みて分かってるだろ。面倒だからもうさっさと降参して帰れよ」
Oh……。もはや敵としても見てもらえない悲しみ。
いやそれは最初からか。
「見せてやろうか?」
笑って、ハッタリをかましてやる。
検証もしていない推測と、つぎはぎだらけの机上論と、希望的観測。
命を懸けるに値しない、博打にもならない勝率だけれど。
あいにく、僕の命は安いもんでな。
「見せてやるよ。弱っちい人間でも、僕なんかでも、強いだけの相手に勝つことができるってところを」
ああ、なんだろう。
少し楽しいな。うん、楽しい。
僕は今、一歩を進もうとしている。
「おそらくだが、君はそれを知るべきだ」
竜人族の瞳に敵意が宿る。
挑発するような、嘲るような、侮辱されたのを怒るような。
お前などに何ができる、と。
「やってみろ、人間」
「では遠慮なく」
槍をくるりと回す。柄を両手で逆手に持って、穂先を地面に向けて。
ズガッ、と。岩の地面に突き刺した。
「……何やってるんだ?」
眉根を寄せて、やや唖然として、竜人族リッドが訝しげに聞いてくる。
ああうん、困るよな。何が飛んでくるかと身構えてたんだもんな。
「いや、さすがミスリルだよな。僕の力でも、こんな固い岩にこんなに深々と刺せるんだ。凄い切れ味。包丁にしたい」
「槍の自慢なんか聞いてない。というか、それ借り物だろ。今ので刃こぼれしたらどうするつもりだ?」
「……ゾニには黙っててくれ」
いやでも、法的にも貸借物はボロボロにして返すのがマナーみたいなとこあるし。法廷では許してくれるのではないか。ここ異世界だけど。あとその前に絶対ボコボコにされるけど。
「つまり仮説と検証だ。この山脈には謎がある。今、それを解き明かしてみよう」
「……それが今のこの状況となんの関係がある?」
「謎はいくつかある。一つ、なぜバハンには竜が多いのか」
「無視かよ。女王がいるからだろ」
おい腕を組むな。イライラしてるからって爪先で地面を叩くな。試合中だぞ。
まあ気持ちは分かるけど。
「そう。ノールトゥスファクタの根城があるからだ。では次。なぜ登るにつれて竜をかたどった護符が効力を増すのか。つまり竜の力が増幅されるのか」
「竜にゆかりのある土地だからだろ」
「いいや、僕は何者かが竜に力を与えていると見た。そして、その何者かはノールトゥスファクタしかいない」
―――ですが、早いうちに辿り着いておいた方が良いでしょうね。
―――きっと貴方は、妾に逢いに来るでしょう?
「門番の村だが、ピアッタが言っていたよ。あそこには霊脈が通っているってさ。そして出発したら、もう春も終わりだってのにいきなり吹雪に遭ったりした。ああそうそう、ゾニがここにいないのは、山頂に近づくにつれてどんどん聖属性の魔素が濃くなっているからだ。……なあ、どうにもこの山脈、マナが通常と違うと思わないか?」
ああ、逢いに来てやったさ。
こんな歓迎の仕方しやがって。
「そして極めつけ。なぜ女王は屍を晒しておきながら、復活できたのか」
仮説はたてれたぞ、白銀竜ノールトゥスファクタ。山脈の女王。
あとは検証だけだ。
懐を探って、ヒーリングスライムの結晶を掴む。
「僕はこうだと思う。あの女王は、竜型も人型も端末のようなもので、本体は別にある」
遠隔操作してた身体が使えなくなったから、新しい身体を用意した。
女王にとってはそれだけのことだった。それだけのことだったから、おふざけで人間の姿で出てきたりした。
「では、その本体はどこにいるのか」
正解だという保証はない。ぶっちゃけ八割勘だ。
けれど、さっき。
コイツに蹴られまくって、地面に転がされて、頭を踏まれたとき。
岩の地面が、少しだけ……少しだけ、温かいように感じたのだ。
生き物のぬくもりのように。
「竜種信仰とは、竜と自然を同一視し信仰すること。竜とは即ち、壮大なる自然の体現である。……まったく、完敗だよ土着宗教め」
竜人族リッドがハッとした顔で足下を見る。
ゾニはそれを知らなかった。知らずに、幼女の姿の女王に槍を投げていた。
だからまあ、君も知らなかったのだろう。けれど、だからって敵から目を離すのは良くない。
僕はそっと、ヒーリングスライムの結晶を槍の石突きに載せた。
「ミスリルの魔力伝導率を知ってるか?」
竜人族が視線を上げる。スライムを視界に入れる。
もう遅い。
『結晶解凍・反転展開・ドレインスライム。オーバーリミット』




