チート
「お前なんかに世界は救えないよ。人間リッド・ゲイルズ」
それは、どんな凶器よりも的確に僕の心を穿つ。
「だって、お前には力がない。ヒーリングスライムだっけ? あんな出来損ないでこの先を進むつもりだなんて、それこそ正気じゃない。劣等感と自己否定の塊のくせに、何を誇大妄想してるんだかな。……いや分かっててやってるのか。そうだよな、お前はそういうヤツだ。どうせ逃避の果てに目標らしきものを見つけた気になって、前に進んでいるつもりで縋り付いている。そんなところだろ?」
言葉に刺されて、死ねたらいいのに。
「ああやっぱり無理だった、でもここまではがんばれたよな……なんて言いながら、死んでいきたいんだお前は。その本質はずっと負け犬から変わっていない」
本当に。
本当に、こいつは僕の中にいて、ずっと見てきたんだな。
なんて哀れなやつだろう。
こんな情けない男の生き様を、砂かぶりで見せられ続けていたなんて。
「それに、お前はとっくに気づいている。たとえ魔王を倒しても、魔族を一匹残らず滅ぼし尽くしても、世界は救われない。そんなこと分かってて、勇者パーティに入って魔王と戦おうとしてる。どういう思考回路なんだよお前。何一つ整合性がとれてない。僕は知ってるぞ。お前はさ」
呆れたように。心底から理解できないように。嘲るように。
「前世で、人間に殺されたんだろ?」
「……やめろ」
思わず声が出ていた。声は掠れていた。
「やめるかよ。間抜けな道化のリッド・ゲイルズ。転生なんてしたくもなかったのに、僕の席を奪ってしまったゴミクズ君さぁ。分かってるんだろ? 人族なんて守る価値もない、所詮お前と同じでゴミばっかだって。ああもちろん、お前の母親も、幼なじみも、お師匠さんも、あの勇者も後輩も、みんないいやつばかりだよ? けれどいいやつでも、いいやつのまま吐き気をもよおすような、おぞましくて酷いことするだろ? お前そういうの、大っ嫌いだろ?」
バキ、と。地面にたてた爪が割れた。
いまだに握っていた槍の柄を握りしめる。
やめろ。その人たちを、僕と同じにするな。
「お、ちょっと怒ったか? そうか、これは僕の理解不足。なんだお前、なんなんだお前。もしかして結構他人が好きなのか? あ、それとも自分が嫌いすぎるだけか?」
こちらを苛立たせようとするかのように、そいつはわざわざ足をどけて跳び退いて、両手を開いておどけてみせる。
おちょくられているのは分かっているが、どうしようもない。基本性能が違いすぎる。
「悪かった悪かった。たしかに今のは言い過ぎだ。でもアレだろ? ロムタヒマが落とされて今、人族は人族同士の戦争の気配を消し去って、みんなで魔王に注目してるわけだろ? そういうの見るとお前、魔族にはパワーバランスを保ったうえで脅威になっておいてもらった方が、人族は一致団結していられるんじゃないか、とか思ったりするんだろ?」
おう、思ったさ。
それが神の運営方針かとすら考えたさ。
僕は槍に縋って、ヨロヨロと立ち上がる。骨も折れていないし、内臓も大丈夫なようだ。
だいぶん手加減してくれているな。そのうえで、心を折りにきている。
やるな、竜人族リッド・ゲイルズ。これは完勝を目指されてる。
「なのにそんなこと、勇者には相談もしない。する気もない。だってお前、最初っから生きて帰ろうなんて思ってないからな。どうせ途中で死ぬから、最終的な理想なんかより、どうやって有用に死ぬかをまず考える。そうだな、せいぜい向こうのヤバイ術士を攻略して希望を託して、あとは頑張ってくれと無責任に散るのが最上ってとこか。つまり……」
ソイツは嘲笑する。
「お前って実は、勇者の仲間になったくせに、この世界のことなんて全然救う気がないんだ」
ああ、クソ。
改めて他者から言われると、たしかにクソムーブだよな。チクショウ。
「……仕方ないだろう。僕じゃ力不足だ。どう考えたって、勇者の仲間なんて器じゃない」
もはや否定する気もなく、僕は認めた。
世界なんてどうでもいい。考えていたのは自分のことだけ。
前世よりマシな生き方をしたいとは思っていたが、分不相応ならせめてマシな死に方がしたい。
最良なんて、どうせ手が届かない。そもそも正解があるかどうかも分からない。
なによりそんな尊いもの、僕が求めていいものではない。
「なあ、人間のリッド・ゲイルズ。お前に、世界を救える力をやろうか?」
その言葉は、悪魔のささやきのようで。
甘美で、ねっとりとまとわりつくようで、抗いがたく。
僕は心底からいぶかしむ。
「いや、いやいや? たしかに僕はお前のことを人生を奪った盗人だと思ってるし、クソみたいなやつだと思ってるよ? けど、実のところ恨んじゃいないんだ。むしろ感謝してるくらいでさ」
「……感謝?」
何を言い出したんだ、コイツ。
「だってそうだろ? たしかにこの十六年間はそりゃ、ちょっとした地獄だったさ。けどお前が僕の身体を盗んでくれたおかげで、僕は人間なんて弱っちくて辛気くさい種族じゃなくて、竜人族になれたわけだしさ。けっこうな遠回りだったが、これは望外の結果だ。おつりくらいは払いたくなる」
そうか。
そりゃ、僕なんかを十六年も見てれば、人間になりたいなんて思わないよな。
「だからさ。僕の人間の身体を盗んでくれたお前に、そしてこの山脈まで連れてきてくれたお前に、礼をするよ。世界も救える、すっげぇ力をくれてやる。それこそチートってやつだ。ほら」
竜人族のリッド・ゲイルズは仰々しく右腕を広げ、魔力を操る。
魔法が編まれ、虚空から湧き出るように、その腕の内に人影が出現する。
「コイツを、殺せ」
目を閉じて微動だにしない、おそらく気を失っている、レティリエの姿が。
「あ……」
幻覚だ。そんなことは分かっていた。
それでも声が漏れた。
「なぁに簡単な話だ。その槍でグサッとやればいい。そうして、勇者の力をお前が手にしろ。世界も救える最高のチートだ。おあつらえだろ?」
なんて、ことを。
「考えもしなかったか? いやぁ、考えただろ。そりゃ出力は調整済みの、この女の方が強い。けど勇者の力の真骨頂はそこじゃないよな。なあ、リッド・ゲイルズ。僕の方が上手く使える、って思ったことがあるはずだ」
そんな、ことは。
「搦め手や裏技の好きなお前のことだ。勇者の力をお前が振るえば、あるいは魔王さえも卑怯な手段で消し去れるんじゃないか? そしたらもう、デバッグはお手の物だろ? 世界の壊れてるとこ直して、気にくわないとこは自分好みに弄くり回して、いい感じに調整してやれば数百年は安泰だ。おっと、メンテナンスも得意だよな。寿命を延ばしてアフターサービスもしっかりとやって、それで数千年くらい平和にいけるか?」
簡単に、言いやがって。
「あはははは、酔狂なことだがそれが一番の解決法だ。なにせお前は、他の世界を知っている。いいとこはパクって、悪いとこは反面教師にして、前よりもマシな世界を創り出せる素養がある。いいぜぇ兄弟。応援してやるよ。さあ、新たな勇者の門出だ。ザクッとサクッと景気よくいこう」
レティリエの首と肩を掴んで、物のように。
ソイツは彼女の身体を、僕の方へと突き出した。
「心臓だ。ひと思いにやれ」
じくり、と闇に誘われて。
僕は、槍を構える。




