竜の試練
「Wait」
思わず英語が出た。ていうか合ってるよな。これ待ってくれって意味でいいよな? ちょっと前世とブランクあるから記憶が怪しいぞ。
いやそもそも、この世界のヤツに英語通じないけどさ。でもあれ僕だし。ワンチャンス通じるんじゃないだろうか。って、そういうことじゃなくて。
「え、何この超展開。おかしいまったく理解が追いつかない。いきなり何言ってるんだ君。あれか、姿真似る系の……シェイプシフター? 騙されないぞ君が偽物だろ」
左手の平を突き出して待ったをかけながら、右手を額に当てて必死に考える。
うん、とりあえず僕が本物だからあっちは偽物確定だ。間違いない。
「いやいや、僕は偽物じゃないし、シェイプシフター云々でもない。どちらかといえば、そっちの方が偽物なんだけどな、僕からしてみれば」
「な、なんだって。待ってくれ本当に待ってくれ困る」
あっちが偽物じゃなかったらさっきの考察がまったく無になるじゃないか。いやでも僕は本物だし。本物だよな?
……よし、深呼吸しよう。相手は一応、会話ができるようだし。
あっちのリッド・ゲイルズ……ええい、ややこしい。女王の新しい眷属とやらは、よく見れば僕とは少々違っていた。
まず、分かりやすいのは服装。藍染めの民族衣装だ。ダムールの村で見たのと同じものに見える。この場所だと寒そうには見えるが、見たところ平気そうだ。
次に、皮膜の翼。薄い青のそれは、色は違うがゾニのと同じ。竜のもの。
そして、小さいが角が二つ。耳のすぐ上で、湾曲しながら天を指している。
「……竜人族、か?」
「いやいやいや、それは見れば分かるだろう? そこまでボンクラだったかお前?」
「混乱してるんだよ。馬鹿にしてるけど、君もこんな状況になったら頭回らないぞ絶対」
とにかく分かった。
アレはシェイプシフターとか魔法とかまやかしじゃない。僕と似てるだけの竜人族だ。
で、次の問題はなぜ僕と似ているかだけど……クッソ、それも理解できた。
「ってことは女王は僕から持っていったチートを子種にして、君を造ったんだな?」
「お、調子が出てきたな。そうそう。ただし、一つ間違ってる」
「どこが?」
「女王がお前から取り出したのは、チートなんて馬鹿げたものじゃない」
……チートじゃ、ない?
しかし、女王に何かを持っていかれたのは事実だろう。そのせいで僕の魔力総量は激減した。
なんだ? いったい、僕は何をとられた?
目の前の竜人族は、何を子種にして……―――。
「転生者が転生時に与えられる、意味不明で特別な力。あるいは人並み外れた才能、素質。お前はそういうのをチートって呼んでるんだよな? じゃあ違う。お前がチートだと思っていたのは、そう思考停止して見過ごしていたのは、僕のことだ」
胸の奥で、ジクリと痛むものがあった。
吐き気がするほど最悪の予感がした。
僕は、転生者だ。異世界から、この世界にやってきた者だ。
明らかなイレギュラー。想定外のバグに等しい。
だったら、まさか。僕が思考停止して見過ごして、便利使いしてきたあの力は。
「魔術論の初歩の初歩の問題だ。生け贄はどうして高濃度の魔力を得られるのか。魔素とは何から湧き出るのか。確か以前、あの勇者にも説明してたよな?」
僕が竜だったら、今この瞬間にどす黒く邪竜堕ちしていただろう。
罪悪感で。
そうだ。僕は知っている。魔法理論に関わる者なら誰でも知っている。
それはこの世界の理。
魔素は……魔素は魂より生じ、魂は魔素より産まれる。
ならば、あれはチートじゃない。バグ技に近い。
「気には、なっていた」
声が枯れていた。喉がカラカラだった。
「女王は、僕から子種を頂戴すると言った。僕の、子種ではなく。あの言い方は、そこまで不自然ではないが……」
「当然だろう。なんで女王がお前の子種を欲しがるんだ。性格の悪い小物のくせに。お前の中にある僕が入り用だったに決まってるだろ」
そうだ。
女王が欲しがったのは、僕の子じゃない。僕が持っている、子種になり得るもの。
僕の中にあった、目の前のもう一人の僕。……いいや。
本物の、リッド・ゲイルズ。
「僕の身体の中には……僕の他に、もう一つ、魂があった」
パチパチパチ、と。そいつはおざなりに拍手する。
やっと分かったか、この盗人め、と軽蔑するように。
「そのとおり。僕はリッド・ゲイルズ。人間リッド・ゲイルズとして生きるはずだった、なのに生まれる前に身体を乗っ取られた、哀れな魂だったもの。そして今、慈悲深き女王に掬い上げられ、その眷属として新たな生を受けた者」
僕は立ち尽くす。
人より明らかに多い魔力を、チートと考えて思考停止していた。こんなに魔力があるのに、魔術が使えないなんて……などと、文句すら言っていた。
真相はこうだ。僕の中には、魔力を生み出す魂が二つあった。転生した僕の魂が彼の身体に横から入って、主導権を奪ったからだ。
だから人より多くの魔力を有すことができた。たったそれだけのことだ。
僕は転生して、自分でも知らぬ間に、一人の人生を奪っていた。
「僕は新しき竜人族リッド・ゲイルズ。さあ、転生者のリッド・ゲイルズよ。お前はもちろん受けていくよな? 竜の試練をさ」
「種目は暴力。降参で決着とする。ただし、殺生はナシ。反則は即敗退だ。村が門番をちゃんとマジメにやってれば、同じのをやってるはずだよな?」
いよっと、と。
座っていた岩から降りて、僕とまったく同じ目線に立ったそいつは、簡潔にルール説明をする。竜の試練とはつまり、番人との力比べらしい。
「違うのは自由度だ。そっちは何をやってもかまわない。村では棒っきれを渡されたんだろうが、今回はその、お前には似合わない槍を使っていい。他にも武器があれば使えばいいさ」
「……太っ腹だな」
僕は荷物を下ろし、少し遠くに投げた。
あれには残り少ない食料や寝袋などしか入っていない。はったりにもならない。
「当然だろ。持てる限りの全力を出すからこそ竜の試練だ。それと、僕の方には一応いくつか縛りがある」
「縛り?」
「そう。たとえば試練中、この岩場より外には出られない、とかだ。ただし縛りの内容をお前に教える必要はないから、これ以上は言わない」
つまり、試練をやるって宣言した直後にUターンダッシュで岩場を出て、回り道で山頂へ向かえば追ってこられないわけか。
……いや、ダメだな。
あれは、僕だ。
竜人族リッドの口調や言動からは、僕の影響を色濃く感じる。僕が転生者であることも知っていた。
身体の主導権はなかったかもしれないが、あの魂はずっと、僕を見てきたのではないか。
であるなら、思考パターンは似ているし読まれているはずだ。
縛り内容を教える必要はないのに、あえて説明したってことは、そこに罠を張っている可能性がある。僕ならそうする。
「というわけで、ルール説明は以上だ。では開始」
そんな、気の抜けた合図を向こうがして。
ドン、と衝撃が背中に突き抜けた。
「ああ、それとな。言い忘れてたけどこの試練、勇者が受けるヤツだから。お前に達成できるはずないし、さっさと負け認めて帰った方が利口だぞ。女王には会えないが」
くずれおれる僕に向かって、そいつは嘲るように語りかけた。
岩場に膝を突く。何をされたかも分からなかった。息ができない。衝撃で視界がチカチカした。背骨が凄まじく痛い。腹を殴られたのか。
「どうせお前のことだから、岩場から出ようとしたら罠があるんじゃないか、とか考えたんだろ? ないんだよそんなもの。だって、お前はそこまで行けやしないからな」
嗜虐的な笑みを浮かべる竜人族。
ああ、そうか分かった。コイツ僕をいたぶるつもりだ。だからあんな縛りの話をした。
ゴス、と。顔を蹴られる。堪らず地面に転がる。大腿部を蹴られる。横腹を蹴られる。肩を蹴られる。顎を蹴られる。
頭を踏まれて、地に押さえつけられる。
「これくらいの強さで大丈夫か? 弱っちぃ人間でも死なないか? 手加減って難しいんだよな、まだ身体ってやつに慣れてなくてさ。なにせ、十六年以上もただ見てるだけだったもんで」
僕は何もできず地に這いつくばって、頬に押し当たる岩の冷たさを感じていた。これ、肌が張り付いてとれなくなっているかもしれないな……なんて、どうでもいいことを考えた。
「弱いよなぁ、お前。本当に弱い。実は最初の一発、ちょっと焦ったよ。だって背骨折れそうだったじゃないか。殺したら負けだもんな。いやぁ、ヤバかったヤバかった。まさかそんなに脆くて、魔王軍と戦おうとしてるなんて思わないだろ?」
悔しさも、惨めさもなかった。
むしろ、やっと罰を受けられるのか、などと。
君が、僕を裁いてくれるのか、なんて。
相手には十分、その資格があるように見えたから。
「とんだ身の程知らずの馬鹿だよな。どうせ死ぬだけだって分かりきってるのに、勇者とパーティ組んだりさ。屍竜のブレスを前に笑い始めたときは呆れたよ。おぼろげに眺めるだけだったけど、魂の身で思ってた。自殺に付き合わされる僕のことも考えろ、って。なあ、聞いてるか?」
グリ、と躙られる。
側頭部の形が変わるんじゃないかってくらい痛み、ぐぁ、と思わずうめき声が出た。
「よしよし、気絶はしてないな。まあ、つまり僕が言いたいのは、だ」
僕の頭を踏みつけるそいつは上機嫌に、今更な正論を述べる。
「力がなければ、何もできない。そんな、すごくすごく当たり前のことなんだよ」




