入山の試練
集落には一つ、門があった。
門といっても閉じることはない。でかい木を組み合わせた逆三角形を地面に突き刺したような、宗教的なシンボルである。
どんな意味があるのか分からないが、鳥居のようなもの、という理解でいいだろう。
その門をくぐれば、その先は山頂へ向かう道が続いている。
門の前に村の人間たちが集まっていた。
老若男女の隔てなく。この集落のほとんど全員がいるのではないか、とすら思える人数。
それが門の前で、道を閉ざすように人垣を作っていた。
案内の子供が振り返り、僕へと一つ頷いてから、その人垣へと走って紛れる。どうやら彼の役目はこれで終わりのようだ。
なんだったのだ、と考えても、納得のいく理由があるとは思わなかった。宗教的な何かに論理性を求めすぎるのはナンセンスだ。それにもっと理解の努力をすべき事柄は他にあると、僕は分かっていた。
「それで、ダムール。これは何の祭りだ?」
改めて周囲を見回して、一人だけ人垣に加わらず僕らを待っていた男へ、声をかける。
彼は棒を二本持っていた。地面から彼の胸くらいの長さの、両端に赤い紐を巻き付けた棒。シルエットは綿棒のデカいヤツ、って感じだ。あれで耳掃除はしないだろうが。
「祭りではなく、儀式ダ。だが、女王に捧げルのはかわりなイ」
ダムールが棒を一本、緩やかに放る。
「この村は、我らは、門番なのダ。務めは果たさねば」
それは放物線を描いて地面に落ちて転がり、ちょうど僕の足下で止まった。
「たしか、リッド、といったナ? 拾え。戦って、力を示セ。でなければ通ることまかりなラん」
……そういえば、この村は門番だって言っていたような気がする。
やっべ、普通に無視するべきだった。え、マジで言ってる? 無理なんだけど。なまっちろい錬金術士が、あんな体格のいい戦士とどうやって戦えっていうのさ。
「降参で終わりダ。ただし、相手を殺せバ負けル。アナタがオラを殺したら、山は登れなイ。オラがあなたを殺したラ、二度とこの村には入れなイ。負の心で山を汚す気はなイ」
そいつは安心した。手加減してくれる気はあるんだな。
「アナタは魔法を使っても良イ」
使えねぇよ。
「僕だけか? 山頂へはゾニも行くが」
「竜の巫女で、女王の子ダ。……力も知ってル」
この前のされてたもんな、君。村の男達と一緒に。
やれやれだ。マズいな。というか最悪だ。勝てる要素が無い。
力、技、体格……なんて、そんな話をしてる場合じゃない。そもそも僕は、マトモに武器を振るった事もないレベルである。これは平和主義者と言っても過言ではないのではないか。
オマケにヒーリングスライムは魔力不足でオーバーリミットできないときてる。アレがあれば人間一人くらい行動不能にできるんだが、多分途中で魔力枯渇する。
無理だな。諦めよう。
あっさりと、僕は脳内で正道の勝利を捨て去った。その道は検討すら無駄に過ぎる。
やっぱりここは交渉から入るべきだろう。話し合いは大事だよ。うん。
「ダムール。君もあの場にいたはずだ。あのときのやりとりを思い出してほしい。僕は自分が、女王に呼ばれていると考えているんだ」
「……オラもそう思ウ」
その返答は意外だった。
「我らは女王の言葉の全テの意味を、真剣に考えタ。アナタは女王に呼ばれていル」
「だったら、なぜ女王の邪魔をする」
ダムールは静かに、僕を睨む。
「門番の務めダ」
女王の意に反している自覚はある。
それでも村の掟は守りたい。
なら、僕にクリアして通ってもらうのが、彼らにとっての最善なのだろうか。だから魔法を許可したと。でもその魔法で死にたくないから、不殺のルールを設けたと。
だったらなお詰んでいる。
彼らは僕が魔力量を奪われたことを知らない。普通の魔法を使えないことも知らない。ダムールには細かい説明なんかしてないから、絶対魔術師と錬金術師の違いも分かってないだろう。
「隣の国のロムタヒマが、魔王と魔族軍に滅ぼされたことは知っているか?」
切り口を変えてみる。
村人たちがざわついた。やはりこの村、辺鄙すぎて世情に疎いらしい。
「女王が魔族と戦ったのはそのせいだ。隣で暴れた魔族が、バハンにもやってきたわけだな。なんでか女王は復活したが、一度はヤツらと相討ったのは事実だ」
ゆっくり、言葉を選んで語りかける。
方言を使う彼らに、難しい言い回しは禁物だ。けれどちゃんと届く言葉で、誠心誠意話せば伝わるはずである。
……誠心誠意、超苦手分野だな。やっぱ騙して詐欺る感じで。
「僕らはこれでも勇者パーティでね。この世界のために旅をしている。今、世界は魔王のせいでとても危険な状態だ。この地だって危うい。だから僕らは魔王を倒そうとしている。女王に会うのは、そのために必要なことなんだ」
「魔族が世界を滅ぼしてモ、この地は女王が守ってくれル」
……今のは、イラッときたぞ。ダムール。
「我らもこの地を守ル。女王を守る。そんためにも、謁見の資格を確かめル」
「僕の資格を確かめる、ね。……なあダムール。臆病者の腰抜け野郎。その資格を、君は持つのか?」
村人たちのざわつきに怒気がはらむ。かまやしない。
交渉は破綻した。もうそれでいい。
幸い、ゾニは無視すればいいと言っていた。なら彼女にかき分けてもらって押し通ってもいいし、もうここで僕を担いで飛んでもらってもいい。
こんな儀式などマジメにやる必要はない。
「オマエは、なんだ」
静かに。
けなされたのに怒りもせず、ダムールは静かに問うた。
「オマエは、何者ダ。臆病者で腰抜けのオラに名乗ってくレ。でなければ、安心して女王のもとに行かせられなイ」
「………………」
……ああ、そうかよ。
そうだったよ。
改めて直球に問われて、思い出した。真っ先に脳裏をかすめた。
夢で見た、前世の記憶。吐き気をもよおす暗澹の日々。
僕は正しい人間ではない。善人ではない。正義ではない。
ただの小悪党だ。悪人だ。そうだ。
神の前に立つ資格などない、ゴミクズだった。
「リッド・ゲイルズ。錬金術士だ」
空虚にうそぶいて、足下の棒を拾った。
こんな答えしか口にできなかった以上、もはや彼らの儀式に付き合うより他に、方策を思いつかなかった。
前に出て、棒を構える。
胸の内の棘は冷えて、疼きもしない。
心はちっぽけな空白のようになりはてて、干からびてひび割れた脳が己を嘲り笑う。
なんだそれは。ゲームか漫画の見よう見まねか? すさまじい間抜けな姿を晒してるぞ。ほら見ろ。村の者たちが失笑してる。子供まで笑ってるじゃないか。
勝てるはずもないのに、何やってるんだ。
「ダムール。竜の民の戦士ダ」
相手も棒を構えた。
さまになっているな、と人ごとのように思った。身体のどこにもこわばりが感じられない。なるほど、武器ってのはああやって持つのか。
少しだけ身体の力を抜いてみようとして、やめた。二度と力を入れられない気がしたからだ。
肩と、腰。
腕だけで振るな。踏み込みと同時に肩と腰を回し、全身の力を棒の推進力にする。
放つのは、真っ直ぐ最短。そして最速で相手に届く技だ。突きだ。
自分と槍を、ベクトルの矢印に変換するイメージ。
「お、おお……」
気合いを入れるために、声をあげてみる。間抜けな音が漏れただけだった。やっぱ剣道みたいに叫ぶのはやめとこう。無理だ。
だって、そもそも足が動かない。腕が上がらない。
心が動かない。
戦う前から敗北していた。
カン、と。
音がして、僕の腕が跳ね上がった。すくい上げるようなダムールの一撃が、僕の棒を強烈に打ったのだ。
したたかに足を強打される。たまらずバランスを崩す。
みぞおちへの一撃が刺さる。衝撃が背中まで突き抜ける。
横殴りに肩を打たれる。吹っ飛ばされ、地面へ転がった。
悲鳴も出なかった。
何をされたかは分かっても、ぴくりとも反応できなかった。
痛みで呼吸もままならない。ヒゥ、ヒゥ、とあえぐように息をする。どうにか立ち上がろうとして失敗して、顔を地面に打った。
―――ああ、ちくしょう。
無様に過ぎる。
何が、竜の女王だ。
何が、魔王だ。
何が、敵だ。
こんな村の腕自慢も倒せないくせに、よくぞほざいたものだ。
「他の三人なら、いイ」
ダムールは油断せず構えを戻し、そう口にする。
声には静かな怒りがあった。
「竜の巫女。屍の女王を救っタ勇者。我らの信仰を理解しタ細工師」
そういえば、ピアッタは竜の護符ばっか作ってたっけ。
「……だが、オマエは我らを侮辱しタ」
したな、そういえば。
あれはゾニを抑えるためだった。君らが悪い。
「オマエは、女王に選ばれる栄光を、拒否しようとしタ」
ああ。そういえば、あのときは君になすりつけようとしたな。
そうか、あれもここの人間にしてみりゃ憤慨ものか。
「オマエは、力もなイ」
分かってるじゃないか。
「この山に、ふさわしくなイ」
知ってる。
「……うるせぇよ」
棒を地面に突いて身体を支え、立ち上がる。
何が、他の三人ならいい、だ。
一番弱そうなのが僕だっただけだろ? 臆病者の腰抜けダムール。
棒を構える。腰だめにして、両手の間隔を開く。身体は半身で、腰を落とす。
……こうか? こんな感じでいいか? 比べてみようとダムールを見ると、彼はすでに動いていた。
脇腹を薙ぎ払われる。内臓が悲鳴を上げるような衝撃。
さらに間髪入れず、顎をカチ上げられた。
足が地面から浮いて、背中から倒れる。受け身もとれなかった。
ああ、くそ。―――凍り付いた心が悔しさに震える。惨めさを嘆く。
なんで僕は、こんなに弱いんだ。
「うるせぇよ」
ざり、とよろけて砂を鳴らしながら、立ち上がる。
武器を構える。
どうして、リッドさんはあんなに勇気があるのですか? ……そう問われて、僕は自分で自分を鼻で笑った。
勇気だとよ、と。
まったく、本当にあの娘は。
勘違いも甚だしい。あまりにも見事な天然だ。
お前は、自分が嫌いなだけだろう?
嫌いで、嫌いで、どうしようもなく憎くて。どうなってもいいから、最前線に躊躇なく飛び込んだ。
ナイフが頸動脈に食い込んだときも。剣の切っ先を突きつけられたときも。
殺されることそのものには、恐怖も抱かなかった。
ぶっ壊れめ。
さすが一度死んでるだけはある。
さすが転生を恨んだだけはある。
そのまま死なせといてくれと、悪罵のごとく吐き捨てただけはある。
望外の転生で素晴らしい人たちに囲まれて、暖かい日々を過ごして、居心地悪いったらなかったな。
だって、お前は不幸になりたかった。
だから、日の当たる道から逃げた。
今度の人生こそは、と割り切ったつもりで、前世が後ろめたくて引きこもった。
理想の嫁を造る、だったか?
そんなのできないと知ってて、どうしてうそぶいた。自分は幸福へ向かっているのだと、誰に言い訳していた?
なんてぇ道化だ。救いようがない。
「うるせぇよ」
折れた奥歯を、血混じりの唾と共に吐き捨てた。
棒を地面に突き立てる。両手で握りしめ、笑う膝に活を入れて身体を持ち上げ、立ち上がる。
あれから何度倒されただろう。
全身が痛すぎて麻痺してきた。腫れ上がっているところがじんじんと熱を持って煩わしい。
もうとっくに満身創痍。腕に力は入らず、足は立っているだけで崩れそうだ。骨の何本かはヒビが入っている。
なんでこんな無駄をしているのだろう。
とっとと負けを認めて、改めて忍び通る方が百倍マシだ。こんなところで無駄に消耗してなんになる。
―――本当に、どうして僕は、こんなことをしているのか。
ザ、と。僕と相手の間に、割り込む姿があった。
ぼやけた視界をこらしてみれば、そこには黒髪の少女の後ろ姿があった。
両手を広げて立ちふさがっている。僕を守るように。
「見てられんナ」
耳鳴りをかき分けて、よく通る声が聞こえる。
褐色の女が少女の隣に並んだ。不機嫌そうに日に焼けた金髪を掻き上げ、槍を構える。
「レティリエ……ゾニ……」
呆然とその光景を眺めながら、僕は彼女たちの名前を呼んだ。
僕のために、割って入ってくれたのか。
君らは、僕なんかを守ってくれるのか。
「―――どけ。殺すぞ」
どす黒い炎のように。
僕は言い放った。
振り返った二人の、驚愕と呆れの表情を無視する。
僕が足を踏み出せば、彼女たちは道を空けた。
相手の前に立ち、棒を構える。
「すまなかった。続けよう」
一言、詫びておく。
彼らにとって神聖な儀式を汚してしまった。それは悪いことだ。謝っておかなければならない。
「……もうやめとケ。死ぬゾ」
相手が何か言っている。内容を理解するのに、少し時間がかかった。頭が回っていない。
「? だから?」
聞くと、相手がドン引きしたような顔をした。ところでコイツ誰だっけ? まあいいか。
それより、勝てる方法を思いついた。
なんだ、簡単なことだった。もう勝ったも同然だ。
「ああ……でも。いいな、それ。君に殺されれば、僕の勝ちだ」
周囲がざわつく。うるさいな。
「……勝ちではなイ。オラが負けるだけだ」
「そんなのは聞いていない。僕が殺されたら、勝者は僕だ。山を登る資格はいただく。誇りある民なら、今さら文句言うなよ」
「死人に山は登れん」
バカ言うな。ここは異世界だぞ。
まさか、もう忘れたのか?
「不死族になれば登れる」
つい先日、ドラゴンのゾンビを倒したばかりじゃないか。
そうだ。これから高度一万メートル。生存不可能領域に挑むんだ。
ピアッタの護符なんかまったく信用ならない。最初から死んでおいた方が効率的ってもんだ。
いいな。不死族。胸熱だ。
ゾンビ。スペクター。グール。いや、ここは欲張ってヴァンパイアやリッチーとかを狙ってみるのはどうだろう。
よりどりみどりだ。
「夢が広がるな。希望が見えてきた」
口の端が上がる。
不死族になれば、少なくとも今よりは強くなれるのではないか。それこそチートってやつだ。
「オマエは……正気じゃなイ」
―――……ああ。そうか。
なるほど。
正気じゃない、か。それを、君は言えるんだな。
今やっと、なんで僕がこんなことしているのか分かった。
「……なぜ、オマエなんダ」
知らない。
「なぜ、女王にオマエが選ばれタ」
知らない。
「なぜ、女王は我らに何も言葉をくれなかっタ」
知ったことか。
「羨ましいよ、ダムール。強くて、凄くて、素晴らしい者を崇拝する君たちが」
胸の奥の棘が、熱く、熱く、ごうごうと燃えていた。
それは暴れ回り、僕の心を傷つけ灼きまくって、どうしようもなく痛くって。
八つ当たりできる相手が、ちょうど目の前にいて。
己が侮蔑する相手に愛想笑いして、薄汚い悪に手を染めた小者。ゴミのような小悪党。
そんな僕に、聖域に入る資格を見せろだなんて。なんて残酷なヤツらだ。
「負けてやるもんか」
臆病者で、腰抜けで。
屍竜との戦いで満身創痍だった僕らすら、遠巻きに囲んで脅していたような……自分の命を、大切にできるようなヤツらに。
こんな美しい自然に囲まれて、あんな美しい女王の民として生きて、後ろ暗い生き方なんかしたこともないヤツらに。
日の光の当たる道しか知らないヤツらに。
「負けて、られるか!」
踏み込む。
体中が痛み、力が入らない。腕の力だけじゃ足りない。肩を、腰を、膝を、足首を、足の指まで、身体の全てをベクトルに変換し連動させる。
一撃を放つ。
「……僕は、君らが大嫌いだ」
トン、と。
棒は狙い違わずダムールの厚い胸板を叩き、よろめかせることすらできなかった。
こめかみに、敵の一撃が入る。




