前世より継いだもの
ディスプレイの光源だけの薄暗い部屋で、パソコンの前に座っていた。
カタカタと。カタカタカタカタと。僕はキーボードを打ち続ける。
泥のようなコーヒーを飲んで、パサパサする栄養食を囓る。
プログラムを覚えた理由は忘れた。記憶に残るほどのきっかけはなかった。
ハッカーになった経緯は覚えてる。たまたま見つかって、目を付けられただけだ。
できるからやった。
やれるから利用された。
それは悪だと知っていた。
他人に迷惑をかけて生きていた。
それ以外の生き方をできなかった。
他者の不幸を啜って、下卑た笑みを浮かべるゴミどもに媚びへつらった。
ヤツらがいずれ破綻するのは分かりきっていて。
息苦しくて、生き苦しい日々はとっくに詰んでいて。
別段、たいそうな夢があったわけではないけれど。
疲れ目の周りを揉みながら、もっとマシな人生があっただろうと、自分自身にあきれ果てた。
ああ。そうだ。笑ってくれ。
あのどん底のどん詰まりで、僕は。
不幸になりたいと、思っていたのさ。
嫌な夢を見た。
全身が鉛のように重くなるような、舌を噛み千切って死にたくなるような、最悪の夢だ。
転生して、残っていた記憶に憎悪を覚えた。
ちくしょう。ファック。くそったれ。
なんで忘れさせてくれなかったんだ、と神を呪った。
前世を覚えているだなんて、ホントは生きるうえで凄く有利なチートなのだけれど、僕は過去から逃げるように目新しい道を選んだ。
けれど。……残念ながら、僕に魔術は使えなかった。
次点で選んだ錬金術は確かに僕に合っていたが、やがて前世の知識を応用できることに気づいた。
卑しいから、手を伸ばした。
憎んでいた記憶を掘り起こして、つぎはぎの力で僕はその先へ踏み出した。
そうまでしたのに。できたのは、贄にするのが前提の破綻した人工生命ときては……救いが無い。
回り回って堂々巡り。罪を継いで新たな罪作り。道化でもここまでの愚者は演じまい。
…………ああ、本当に。
なんで僕は、転生などしたのだろう。
「目が覚めましたか?」
声が聞こえた。すぐ近くだ。
まぶしいふりして、右手で顔を覆う。多分、今は見せられるツラをしていない。
「……おはよう。レティリエ。ここは?」
吐き気を催す夢はハッキリ覚えているのに、寝る前に何をしていたか思い出せない。
なにか、とても大変なことがあった気がするのだけれど。
「おはようございます。……良かった。ちゃんと目を覚ましてくれて」
……? 大げさだな。いったい何があったんだ。
床に直接敷かれた毛布から身を起こしながら、指の隙間から黒髪の少女を見る。レティリエは心底から安堵しているようで、胸に手を置き大きく息を吐いていた。
「ここは村にある空き屋です。ダムールさんの計らいで、滞在中は貸していただけることになりました。リッドさんはほとんど丸一日眠っていたんですよ」
「一日って……そんなに? というか村って……」
思い、出した。
虚空から登場した童女。村長の家跡のクレーター。オリハルコンで鋳造した氷雪の剣。
そして心臓を貫かれた、生々しい感覚。
「……僕、死ななかったか?」
間抜けな問いだと分かっていたが、聞かないと思考が先に進まない。
いや死んだろ僕。なんで生きているんだ僕。まさか不死族化したか? いや、それならばピアッタが処置するかゾニが焼くかしてるだろう。なぜだ。
「わたしも、そう見えました。けれどリッドさんの胸には傷一つなくて、ちゃんと心臓は動いていましたし、息もしていました。女王は気を失っているだけとおっしゃっていましたが……」
手で自分の胸部に触れてみる。特に傷痕のようなものはない。痛みも感じない。
今更だが四肢を軽く動かしてみる。欠損はナシ。痛みも無い。指まで全部動く。
視覚はさっきから良好。聴覚も問題なし。嗅覚も正常。指を舐めて味覚と触覚を確かめるが不全なし。
まさか子種を性器ごと持ってかれてないだろうな、とゾクッたが、毛布の下でズボン越しに触ったらちゃんとあった。ふぅ……。
「健康体だな。むしろ調子がいいくらいだ。本当に気絶しただけか」
でもアレ死んだよな。間違いなく。
あの女王、ニコニコと可愛い顔で僕の心臓貫いて、グリッとひねって血管ぶっちぎったあげくに握りつぶしたよな。殺意やべーよあの童女。なんで僕生きてるの?
まあいくら考えようと、あんな規格外のやることを理解できるはずがない。とりあえず事実は事実として受け止めるしかないだろう。
一日時間のあったレティリエはとっくにそのつもりのようで、柔らかに笑いかけてくれた。
「とにかく良かったです。とても心配したんですから」
「ああ……そうか。すまない。迷惑かけたな」
「迷惑だなんて思っていません」
レティリエは露骨に不満そうに口を尖らせる。
あれ? なんか言葉を間違えたかな。僕のせいで丸一日足止めを喰らったのは事実だと思うんだけど。
「それより、お腹は減っていませんか?」
問われ、僕は自分の腹具合に意識を向ける。
たしかに空腹感はあった。丸一日何も食べてないから、胃の中が空っぽだ。
「腹と背中がくっつきそうだ。何か食べられるものはある?」
「はい。少し待ってください。お昼の残りですが、温めて持ってきますね」
レティリエは微笑んで、部屋の外に出て行く。
……これは、ちょっとじゃすまないな。
彼女の料理の手際は目を見張るほどだけど、そもそもこの世界だと火起こしすら時間がかかる。魔術を使えない僕らだと、火打ち石で火種から育てないといけないのだ。
ピアッタは火種の術使えなかったし、ゾニの火はちょっと生活に使いたくない。
ま、用意できるまでしばらくは時間があるだろう。それならとりあえず、早めに一日サボった日課をやっとくべきだ。
僕は懐からヒーリングスライムを取り出す。
結晶化して冬眠したそれらは、この状態でもこまめなメンテナンスを要する。
具体的には餌だ。本格的な点検も行うべきだが、それはたまにでいい。だが餌は二日に一回はやらねばならない。
『結晶状態維持・魔力補充開始』
結晶を床に並べて手を置き、合い言葉を口にする。
こいつらの餌は人間の魔力。つまり僕のオドである。
なぜか魔術が使えないとはいえ、僕の魔力は一般人よりかなり多いからな。こういうときは便利だ。他に使い道もないし、金食い虫の人工生命分野で維持コストが安くつくのは……。
そうして。
まるで貧血のように視界がホワイトアウトし。
僕は昏倒した。