落第点
『結晶解凍・ヒーリングスライム』
気を失ったレティリエを大きな岩の陰に寝かせ、特別製のスライムを起動する。
少し処置が遅れたから、もうだいぶん症状が進んでしまった。少女の身体は肘辺りまで透けてきてる。さすがにこれ以上はマズい。
『形状記憶システム起動。調律魔術陣展開。世界と彼女を繋げ、ストレージスライム』
頼むぞ、と祈りながら合い言葉を口にする。
スライムが空中に浮いて変形し、レティリエの上で魔術陣を描く。
不定型な人工生命だからこそできる応用法だが、これはピアッタにやらせたような仕様外使用ではない。ちゃんと事前にプログラミングした用法だ。
展開した魔術陣が淡い光を放ち、やわらかな光の雫が降り注いだ。
雪のように落ちて、溶けるように消えて。
少女の苦悶の表情が和らぎ、呼吸が落ち着いていく。……成功。
ふぅ、と。
それを見届けて、僕はやっと一息つく。これでとりあえず一安心だ。
「うおおおおお、生きてるっス! ひゃはー、生きてるっスよ! あれ、ドラゴンゾンビはどこっスか?」
背後から聞き慣れた騒音がした。どうやらピアッタが目を覚ましたらしい。
っち、意外と早かったな。魔力枯渇による気絶って、適切な処置が行われない限り数時間は続くはずだけど。
もしかしたらあのジャラジャラ付けてる装飾品の中に、魔力回復促進の護符とかあるのかもしれない。暇があったら鑑定して巻き上げよう。
「おはようピアッタ。大活躍だったな。君のおかげで屍竜は無事倒せたよ」
「おお、マジっスかピアッタ大金星じゃないっスか!」
「肝心の骸は横槍に奪われたけどな」
「何やってんスかゴミっスかバカっスか死ねって感じっスよこの陰険根暗!」
うーん、この先輩を先輩とも思わない言いぐさよ。
まあコイツも頑張ったしな。僕も心は大人だし、後で耐久座学十時間くらいで許してやろう。優しいな僕。
「……ていうかそれ、何してるっスか?」
発せられたその問いは、意外なほど真剣な口調で。
なんか調子狂うな。……もう少し、屍竜関連の話を聞いてくるものだと思ってたのだけど。どんなヤツらに横取りされたんだ、とか。
「見れば分かるだろ。ヒーリングスライムで魔術陣を作成して起動している」
「ちゃんと効果があるんスか?」
「当然。ゆっくり魔術陣を作成する暇が無いときのために造ったんだが、むしろ通常より高い効果を期待できるくらいだ。管理の問題がクリアできれば常用するんだが……」
術式を追加して魔術陣を記憶させてるのだけど、こうやって緊急用に使える反面、ちょっと歪むと使えなくなるから、他のより管理が面倒なんだよな……。
レティリエのためなので、一応一つは常備するようにしてるけど。
「じゃあ、ピアッタの工芸魔術とそれで腐食のブレスを受け止めたのも、ただの思いつきじゃなかったんスね」
「ん? ああ。そりゃな。さすがにできる確信もなく、あんな無茶はしないさ」
疑問が解消したのか、ピアッタは黙る。……いや、黙ってないな。なんか一人でブツブツ言ってる。
なんだなんだ、らしくない。嫌な予感しかしないぞ。
「……錬金工芸魔術師っスか、いいっスね」
「言っとくけど、やらんぞ」
「ケチ!」
ケチじゃねーよ。コイツには僕の研究成果が詰まってるんだよ。誰がやるかよ。
ていうか魔力量の少ないお前に扱えるもんじゃねーよ。
「バカ言ってないで、動けるならゾニを手伝ってこい。あの女、満身創痍のくせに一人で槍探しに行ったからな。最悪どっかで倒れてるぞ」
「なんでそんな無茶しぃするんスかね……ワケ分かんねっス」
激おこだったからな。きっとイライラして、ジッとしてられなかったんだろう。
ピアッタが渋々といった様子でゾニを探しに行く。それを見届けて、僕はレティリエに視線を戻した。
少女は未だ青白い顔のままだったが、薄く目を開いて僕を見ていた。
「気づいたか?」
「…………」
呼びかけてみると、小さく頷きが返ってくる。
手も髪ももう透けていない。症状も治まって、だいぶん安定しているようだ。
これならスライムはしまっていいだろう。定着は終わった。あと少し休めば治るはずだ。
『圧縮凍結・クリスタルスライム』
僕は合い言葉を唱えて、魔術陣を形作っていたスライムを結晶化し回収する。
「……確信があった、だけではないですよね?」
その問いかけは、弱々しくも断定的で。
しかし、すぐには意味が分からなかった。
「なんの話?」
眼差しはずっと、僕へ向けられていて。
聞いた後で、問いの意味が分かった。
―――彼女は、僕の最も暗い陰に、触れようとしているのだ。
「屍竜のブレスを防いだときのことです」
岩に手をかけ、レティリエはゆっくりと身を起こす。
「勇者なのに、恥ずかしいことですが……わたしは、屍竜が恐かった。あの巨躯と姿が怖ろしかった。実際に目にして、足がすくむ思いでした。ゾニさんを助けるために先行すると言った時、それをリッドさんに止められて……安堵した自分が、忘れられません」
マジメだな。本当に。
「君が勇者なのは事実だが、その前に一人の人間だ。あんなの相手にして、ビビらない方がおかしい。気にすることじゃないよ」
「でも、リッドさんは恐れていませんでした」
僕は押し黙る。
……そうだよな。そう見えるのだろうな。
ああ、チクショウ。間抜けだった。確かに違和感を持たれて当然だ。
僕が彼女を危惧したように。
普通の人間なら、化け物を前にして、恐怖に縛られないはずがないのだから。
「冷静に作戦を立てて、ためらいなく全力で駆けて、一番前で盾になって。まるで、本当の勇者のようでした。わたしは無我夢中でついていって、あなたに勇気をもらって、なんとか動けたんです」
……それは、違う。僕は自分の真実を知っている。
僕のは勇気なんかじゃない。
ハハハ、と乾いた胸中で暗い笑みが漏れた。自分への嘲笑だ。
この娘は、本当に見る目が無いな。
「もしかしてリッドさんは、前世は高名な冒険者だったのでは?」
ホントに見る目が無いな!
「違うよ。僕の前世の世界に、冒険者なんて職業はなかった」
いやあったか? まあこの世界の冒険者とは違うからいいか。
「魔物も魔族もいなかったからね。身を守るために戦う必要が無いんだ。特に僕は平和で安全な国に生まれたから、戦争すら経験していない。だからあんな化け物との戦闘なんて、一度も経験しちゃいないさ」
「ええ……? それは、意外です。魔物も魔族もいないなんて……恐ろしい怪物や邪悪な存在に怯える必要が無いなんて。そんな素晴らしい世界が?」
まあ、この世界に比べればそうかもしれない。
あの世界には確かに、人間の天敵となる生物はいなかった。間違いなく、食物連鎖の頂点が人間だったのだ。
「……どうかな」
ぼそり、と。レティリエにも聞こえないように呟いた。
あの世界はこの少女の言うとおり、素晴らしかったのだろうか。
この世界は、魔物も魔族もいなくなれば、素晴らしいものになるのだろうか。
そうは思わない自分が、確かにここで存在している。
自分たちに刃向かう全ての種を絶滅させ、無数の屍の塚を築いて整地して、その上にレンガの家を建てても。
その後はどうせ、人同士の殺し合いだ。
「けれど、それならばどうして、リッドさんはあんなに勇気があるのですか? ぜひ参考にしたいのですが」
「それはオススメしない」
即答した。口を突いて出てしまった。
考えることすら必要としなかった。だって火を見るより明らかだ。
……そうだとも。
まともに戦ったこともない人間が、あんな巨大な屍竜を見て、足もすくまないなんて異常だ。少しくらい恐がる演技でも入れておくべきだった。我ながら見事な間抜けである。
脳裏をよぎるのは、Aランク冒険者が僕に下した評価。
「恐怖心を克服したければゾニに聞け。僕のは参考にしない方がいい。……なにせ僕は、落第点だからな」
ハ、と。鼻で笑いながら。
僕はそれ以上の会話を、拒絶したのだ。