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アルケミスト・ブレイブ!  作者: KAME
―竜族の山脈―
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作戦

 デカいなにかが引きずられたかのような、地面の痕が続いていた。

 進行上の樹木が薙ぎ倒されて、べちゃりとした腐肉がこびりついている。腐臭と森の臭いで頭がクラクラしそうだ。


「まだ新しいな。近くにいる」


 見つけた痕跡に近づくまでもなく、ゾニがそう判断した。まあそうだろうな。

 抉れた地面の乾き具合。傷ついた木からにじむ樹液の臭い。鳥の声もしない静寂。

 不死族が垂れ流す瘴気の気配。


 屍竜が通って、まださほど時間が経っていない証拠だ。


「思ってた以上に大きそうだな」


 痕跡から竜種を推測する。……たしか依頼書には翼竜と書いてあったが、胴が太い。鉤爪が発達し、脚部が太く尾が長い。そして距離感が狂うほどに大きい。

 基本は陸上で生活し、飛ぶことはあまりない。飛行時は魔力に頼るタイプだ。


 現在は地面の痕跡から、どうやら這いずって動いているようだと分かる。腐った体では自重に耐えられないのだろう。


「よく見ると倒木は昨日今日折れた感じじゃない。大木が倒れたらさすがに野営地にも音が届くと思うが、昨夜はそんなの聞こえなかった。思うに屍竜はこの道を何度も通ってると考えるが、Aランク冒険者の意見は?」

「同感だナ。竜じゃないゾンビにもたまにこういうのがいる」

「ああ、わずかだが脳に記憶が残ってるんだろう。生きてたころの習性を踏襲してるんじゃないかな。……だとしたらまだ新鮮なゾンビだ」

「腐ってるのに新鮮とかオタクジョークか?」

「ところどころ、樹皮や雑草が腐ってる場所があるな。腐食のブレスか? あれはなんのためか分かるか?」

「そんなの漏れてるだけだヨー。不死族は力を制御する気ないからナ」


 僕とゾニは意見を交換しながら情報を集める。さすがAランク冒険者だけあって経験豊富のようだし、なにより落ち着いてるな。

 逆にレティリエとピアッタは無言。二人とも目を見開いて道を凝視している。ドラゴンという存在の大きさと強さが、ここに来てやっと現実味を伴って実感できたのだろう。

 そりゃ普通は実物なんて見たことないよな。僕もだけど。


「同じ場所を通るなら、進行方向をある程度予測できないか?」

「この先には川がある。昔と変わってなければだけどナ」

「自然形成の地形がそう簡単に変わるかよ。生前はそこで水を飲んでいた可能性がある。行こう。二人もそれでいいな?」


 僕の言葉に、レティリエが硬い表情で頷く。


 ロムタヒマ戦線で、レティリエはほとんど戦いに参加しなかったらしい。

 魔族が籠城していたせいでもあるが、そもそも重要な作戦にはことごとく外されたのだそうだ。

 勇者の力は遺体から引き継ぎ可能となる。ならば、回収できない場所で死なれるのは困る。……フロヴェルスの考えはそんなとこだろう。

 だから彼女は、上級魔族との戦闘を経験していない。


 いざ強大な力を持つ敵と相対した場合、レティリエは勇者の力とかそんなの以前に、恐怖心で身体を縛り付けるだろう。

 分かりきったことだ。彼女はきっと、屍竜を前にしても動けない。


「……けれど、それじゃ困る。しかしじっくり慣らしてる暇は無い」


 誰にも聞こえないよう、口の中で呟く。

 幸いにも今回の相手は鈍重で知能の低い、デカいだけのマトだ。わりと無理があるけどそういうことにしとこう。

 何よりもとっくに死んでいるのが好都合。良心の呵責がないからな。


 まずは彼女に自分の力を自覚させる。強大な相手でも倒せるのだと知ってもらう。

 これから行うのは戦いではない。

 さあ―――狩りの時間だ。






「レティリエ。屍竜は見えたな? どう倒すか作戦を立ててみろ」


 川の上流から見下ろす形で、遠目に目標を発見する。キラキラと白銀にきらめく竜鱗がまだらに残った、おぞましい腐肉の山塊。この世界で最強の生物たる竜種のなれの果て。


 屍竜は完全に胸部を地面につけて、さらには長い首を投げ出すように川へ浸していた。頭部は水中に沈んでしまっている。水を飲んでいる様子はない。理由も忘れたまま、生前の行動をなぞっているだけだろう。

 まるで大きなトカゲの腐乱死体だな、と思ったが、四本足かつ皮膜の翼があるトカゲは存在しない。漏れた腐食のブレスで下流の水を濁らせ、魚が腹を見せる死の川にすることもない。


「逃げるっス」


 青い顔で硬直するレティリエの代わりに、ピアッタが小刻みに震えながら問いに答える。


「あんなの勝てるワケねーっスよ。このまま回れ右で帰るべきっス。工芸魔術的にも実物見たし目的達成したっス」


 あ、だからお前ついてきたのか。

 たしかにドラゴンって、工芸魔法にとって最重要な題目の一つだよな。実物を目にして参考にするつもりだったか。


「ピアッタには聞いていない。……が、点数はつけてやろう。満点だ」

「え、満点なんスかっ?」


 なんで意外そうなんだよ。自分で答えたんだろうが。


「当然だろ。戦いなんて勝てるときだけやるもんだ。負けると思ったら、後は何も考えず全力で逃げる。それが長生きの秘訣だぞ」


 そういう見極めは大事だよ。うん。

 ……僕の前世、逃げ切れなかったおかげで早死にしたしな。


「で、どうするレティリエ。逃げるか?」


 意図的に選択の幅を広げてやる。

 逃げを選ぶならそれでもいい。むやみに突っ込むだけの鉄砲玉よりだいぶマシだ。……もっともその場合、新しい恐怖心克服プランを考えなきゃいけないし、それが魔王の動きに間に合うかどうかは分からない。

 ま、それは逃げた後に考えることだ。


「……質問、いいですか?」


 レティリエは屍竜から目を離さず、口を開く。

 ……悪くないな。初見の印象だけですぐに判断せず、情報を整理しようとする。

 考えることができる。

 当たり前のようでいて最重要な課題だ。できるとできないとでは天地の差がある。土壇場では特に。


「どうぞ」

「先ほど、新鮮なゾンビは生前の習慣を踏襲すると言っていましたよね?」


 聞いていたか。


「その通りだ。自ら望まずに不死族となった者は、少しでも意識があると、まだ生きていると勘違いするらしい。見てみなよ、あの姿を。あれは水を飲む真似をしてるだけだ。不死族は水分なんて摂る必要がないからな」

「新鮮でなくなったゾンビはどうなりますか?」


 分かりきっていることを確認する問い。

 賢しいな。過ぎるほどに。

 今の状況で、それは必要ない情報だ。しかし無視できない事柄でもある。

 問題はあのおぞましい巨体を前に、一番にその問いが出ることだ。


 思えば、この娘は出会ったときから聡い受け答えをしていた。

 侍女と言っても王家の召使いなんて貴族相当の地位がなければなれないはずだから、きっと彼女も田舎貴族かなにかの生まれで、この世界なりに高等教育を……ああ、いや。そうか。


 そういえば、と。

 僕は今更ながらに思い至った。

 彼女は、フロヴェルスの王女様、のお付きだったか。


 殺してほしい、と言われたときのことを思い出す。レティリエが勇者をやる動機は、なにより王女を救うためだ。その想いは己の命より重かった。

 ……ふぅん、そうか。これはもしかしたら、王女様にだいぶん影響されてるな。


「脳が腐りきったゾンビは、生前の習慣も忘れ去り、生者を求めてひたすら彷徨うようになる。淀んだ魔力が切れて動けなくなるまでね」

「では、近くの町や村が襲われることになります」


 即座に計画を再検討。

 どこまでだ? この少女に、王女はどれだけの教育を施した?

 ……もう少し、ぶん回しても大丈夫か?


「すでに対策はしているだろう。バハンは魔物が多い。つまりそれと戦う腕利きも多いってことさ。おそらく王都の方ではもう討伐隊が組まれてる」

「推測ですよね。それに間に合うかどうかも分かりません」


 人通りが少なかった町の様子が脳裏をよぎる。

 距離はここと一日分以上離れているが、屍竜が目指すとなったらあそこだろうか。余所者だからあの町の普段を知らないが、もしかしたらすでに避難を始めていたのかも知れない。


「その通りだ。冒険者の店に依頼書があったのも、そういうことだろう」


 僕の言葉に、レティリエが黙る。

 人が良すぎるきらいはあるが、こういうときはそれも後押しになるようだ。


 そういうところは、勇者だな。


「……ここで倒します」

「なら、作戦を立てろ。採点してやる」


 僕はレティリエの姿に、まだ見ぬ同郷を透かし見る。

 お手並み拝見だ。王女様。






「地面を這いずった痕跡もそうですが、あの水を飲む真似の姿も不自然です。屍竜はあの身体を完全には支えられていないと思われます。なので動きは遅く、各部位が動ける範囲も限られているのではないでしょうか。それと右胸から右脇腹にかけて大きな傷があります。酒場でリッドさんが言っていた通りなら、生前に負った、再生しない怪我なのだと思います。かなり深い傷なので、屍竜の動きを阻害するかもしれません」


 一つ一つ、得られる情報を並べたて繋げていく。

 まあ難しいことじゃない。凄く俗な言い方をすれば、これは良かった探しだ。


 相手はノロいぞ。やったね。

 しかも上手く動けないぞ。よしきた。

 怪我をしてるぞ。弱点だ。


 大きくて、重くて、体当たりを喰らうだけで挽肉にされそうな敵に存在する、ほんの少しずつの弱み。

 それを拾い上げて整頓し、それを基にどう戦うかを模索し、イメージする。脳内で模擬戦を行い、勝てる道筋を作り上げていく。


「正面に立てば腐食のブレスの直撃を受けます。常に屍竜の右側に回り込み、右前足を中心に攻撃を加え、さらに動きの阻害を狙います。十分な隙ができたら胸の断裂部分から奥に全力を叩き込みます。……それで、どうでしょうか」


 今の段階で手に入る情報をまとめたうえでの、最適解だな。

 うん、これはかなりいいんじゃないか。満点をあげてもいい。


「及第点、ってところだな。戦闘ならそれでいい」


 しかし、これは戦闘ではないのだ。


「いいかレティリエ。今回の依頼内容は屍竜の討伐だ。つまり最終的に倒しさえすれば、マトモに戦う必要などない」


 僕は遠目に屍竜を観察しながら、狩りの手順を説明する。

 たまたまあった依頼とはいえ、ドラゴンゾンビ討伐は無策で選んだわけじゃないぞ。ちゃんと倒せる確信があったんだ。


「不死族は日中、運動量もそうだが、回復量も目に見えて落ちる。核に貯蔵されている魔力が上手く巡回しないためだ。―――そのため、まず威力偵察で削りを入れる。相手が気づかないように近づいて、一撃入れたらすぐに逃げるんだ。右前脚を狙うという発想は良かったな」

「威力偵察……ですか?」


 聞き慣れない言葉なのだろう。レティリエが聞き返してくる。

 まあ僕も言い慣れてないけどな。そんな物騒な言葉。


「とりあえず一回殴ってみて、相手がどんな対応をしてくるか観察する、って意味だ。屍竜の速度、感知能力、攻撃範囲。その他諸々の、今のこうして眺めてるだけじゃ得られない情報を探る」


 作戦は最初にがっちりと決めるのではなく、情報を得るたびに微調整を繰り返して、最適解を求め続けるのがいい。……だから上の人はちゃんと現場の判断も尊重してくれないかな? 無理な机上論ばっか言ってないで金とか時間とか人手とかくれないかな? ってやつだ。

 前世って思い出したくないなぁ。


「ゾンビは目玉が白濁してるから視力が弱い。他の感覚器官も鈍くなってる。だから肉体感覚には頼らず魔素感知にほぼ置き換わっているんだが、その範囲は決して広くない。おそらく、君が全力で走れば屍竜の感知範囲をあっさり振り切れる。そしたら見境なく暴れ出すだろうから、また死角から……まあ魔素感知に死角はないんだが、大きな動きの隙を見つけて近づき、一撃入れてまた逃げればいい。それを繰り返し、観察しつつ慎重に削っていく。そうして日暮れまでにトドメを刺して終了だ。今は昼前だから十分時間はある」


 簡単に言えば、つまりハメ戦法だな。対戦ゲームとかで非難囂々になるやつである。知るかバーカ。勝てばいいんだよ勝てば。


 というか、これはゲームではない。失敗イコール死の現実だ。だからできる限り安全性と確実性を求めるのは当然で、チキンプレイの誹りどころか賞賛されてしかるべき戦術である。

 まあこんなの、屍竜みたいなデカくてノロくて頭の悪い標的にしかできないけどな。それも、勇者の力がなければ端から無理な作戦だ。


 これから先、同じやり方が通用する敵はいないだろう。だが、それでもやる価値はあると僕は判断している。

 レティリエに力の使い方を慣れさせ、恐怖心を克服してもらうには、とにかくどんなカタチでもいいから勝たせるのがいい。こんな恐ろしい相手にも勝てたのだ、という実績は、他の何よりも説得力のある貴重な経験となる。


「そんなやり方で、いいんですか?」


 レティリエは少し納得していない声音で、僕に問うた。

 彼女が救いたい王女様は、もう半年も魔王の手中だ。もはや手遅れの可能性すらある。焦りを持つのは当然だろう。

 むしろ、まだ恐怖心どうこういってることがすでに出遅れているのであり、彼女はそれを自覚している。


「今はそれでいい。周囲の人里のためにも、確実に倒すのが最優先だ」


 唇を尖らせながらも、レティリエは頷いた。態度とは裏腹に顔色が戻っている。

 正面から戦う必要はないと安心したのだろう。


「よし、方針は決まったな。そういうわけだがゾニ。Aランク冒険者の意見も聞かせてくれないか?」


 屍竜を見つけてから、ずっと無言だったゾニに話を振る。

 褐色の女冒険者は僕らが話している間、普段は気怠げな顔を引き締め、じっとその眼差しを屍竜に向けていた。


「それで問題はないだろうサ。冒険者にとって、依頼は日々の糧以上でも以下でもないからナ。無駄な危険を冒すのはタダのバカだ」


 僕は心の裏でガッツポーズする。

 素人なのに格好付けて採点とかしちゃってたからな。これで全然ダメとか言われたら立ち直れないところだ。


「ま、性格の悪いお前は落第点だけどナ」

「なんでだよざけんな」


 それマジでざけんなよ。いやほんとやめてください。冗談じゃなかったら恥ずかしいなんてもんじゃないぞ?


「そんで、アタシは零点だ」


 意味の分からないことを言って、ゾニは最初に会ったときのように、シシシ、と笑った。

 彼女は屍竜から視線を外し、僕らへと振り向く。


「知ってるか? ドラゴンゾンビは普通、Aランク相当の討伐依頼だ。小さい個体だとBランクまで落ちることもある。つまり、Sランクのアイツは規格外ってことだナ」


 ……それは正直、知らなかった。

 僕は冒険者じゃないし、そもそも屍竜なんて滅多に出るものではない。冒険者の店がどのような目安で依頼をランク分けしているのかも知らない。


 大きな水音がした。屍竜が不器用に大きな挙動で、川から首を出したのだ。

 その姿は、腐れ穢れてなお雄大で。

 こぼれ落ちる水が光を反射するさまは美しく、神々しさすら覚え。


 ゾニは槍を手にして、その穂先で此度の討伐対象を示す。


「見ろヨ。あのまばらに残る白銀の鱗を。空を貫く氷雪のごとき白角を。あれこそはこのバハンの山脈を統べる女王の証。白銀竜の名を冠する最古の竜の一柱(ひとはしら)


 一柱、とゾニは数え方を誤用した。本来なら神やそれに近しいものを数える単位だ。マジかコイツ。



「彼の竜は生前の名を、ノールトゥスファクタという。……アタシの母だ」



 バサァ、と。

 漆黒の翼が、ゾニの背で羽ばたく。そのまま空に飛び上がった。

 皮膜の翼。竜の翼。


 人族であって人族にあらず。

 竜族であって竜族にあらず。

 その種は、竜人族―――ドラゴニュートと呼ばれる、竜と自然を同視し信仰する希少種。


「ワリぃナ、お前らとはここでお別れだ。ああも無残な姿だが、せめて誇り高く終わらせてやりたい」


 風に乱れる日に焼けた金髪の間に、先ほどまでは無かった竜の角が覗く。


「……ま、つってもアタシが死んだら、そんときは仕方ないサ。お前らがさっきの方法で、きっちり片づけてやってくれ」


 シシシ、と最高に魅力的に笑って、ゾニは首にかけた護符を掲げる。


「ちっこいピアッタ。これ、ありがとナー」


 そう、礼を言って。

 ゾニはもう一羽ばたきすると、物理法則を無視して上空に舞い上がり。

 衝撃波と、破裂音をまき散らして。


 音速を超える速度で、屍竜へ突撃した。


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