屍竜討伐へ
「ドラゴンゾンビの依頼は元々狙ってたんだ」
長槍と背負い袋を担いだゾニは、ピアッタが作った護符を太陽に翳して見ながらそう言った。
木製の護符に彫られた象徴記号は、世界樹。デザインで上手く円形にまとめて、魔術陣と式を仕込んでいるようだ。……ちょっとデカいけど、護符というより完全に木と魔石で作ったアクセサリーだなあれ。製作者の趣味が全力で出てる。
一晩たって、僕らは屍竜が出没する山岳地帯を進んでいた。
背の高い木々が生い茂る、細い山道だ。ほとんど獣道に近く、慣れない者からしたら辿るだけでも困難なのだろうが、ゾニの先導は迷いがなかった。
どうやら土地鑑があるようで、それだけで同行してもらって良かったと思ってしまった。
「まあ狙ってたって言っても、どうやって戦うかで頭抱えてたんだけどナ。アタシは近接専門でナー。アイツのブレス、避けても余波だけでヤバイだろ? だから対策できるヤツと組むかーって思ってたんだけど、あそこのヤツらみんなチキンでナ。尻込みして請けるヤツ誰もいねーんだ。で、こうなったら猫の手でもいいから借りるしかねー、ってお前らに声かけてみたんだヨ」
つまり、腐食ブレス対策で途方に暮れてたところで僕らが現れたと。
「僕ら猫か」
「ピアッタは猫好きっス。レティリっさんはどうっスか?」
「わたしも猫、好きですよ」
そういえばレティリエ、師匠の黒猫がお気に入りだったもんな。
ところでレティリっさんて。なにその愛称。
「ま、お前ら猫って感じじゃないけどナ」
「じゃ、なんなんスか?」
「ゲテモノ揃い」
即答しやがった。
おいおい、仮にも勇者パーティだぞこっちは。侍女勇者とかバイオ系錬金術師とかハーフリング工芸魔法使いとか、今のトレンドになってしかるべきだろうが。
「特にお上品なお前。一見素人に毛が生えた程度だが、圧がある。でっかい魔物が人間の皮被ってるみたいだ」
「分かるんですか?」
レティリエが素直に問いを返す。
……ダメだな、そこはとぼけないと。勇者なんてバレても面倒なだけなんだから。
「普通は分からんかナー。アタシの勘はよく当たるんだ。……それと、ちっこいお前」
「ピアッタはピアッタっスよ」
「ちっこいピアッタ。お前、手のタコが半端ない。信用できる職人の手だナ」
「おお、褒められたっス! ついにまともな評価を得たっスよ!」
「冒険者やってる意味が分からんけどナー」
何度も言ってるけど、別に冒険者じゃないからな僕ら。結局登録しなかったし。
「で、最後に性格悪そうなお前」
「僕だけ普通に悪口なんだが?」
酷くない? ねえ酷くない?
「お前、あそこで何を見てた?」
問われて、僕は頭をボリボリ掻く。
ゾニは声も態度も気怠そうだが、視線はじろりと僕を射貫いている。どうやら下手なごまかしは通用しないらしい。
……まあ、冒険者登録もせずに酒場でミルク飲んでりゃ、そりゃ不審に思うか。
「……中級までの討伐専門冒険者があぶれてるな。昼間から酒場にいたヤツら、だいたい腕っ節自慢っぽかったし、極端な高難易度以外は一つも討伐系の依頼書が無かった」
「あー、最近はわりと平和だナー」
そうなのか。平和なのか。
「これは戦争区域を知るレティリエに聞いたんだが、魔王軍が隣国ロムタヒマを攻め落としたとき、大量の魔族が野にバラまかれたって話は知ってるか?」
「ん? ああ。大変だったみたいだナ。いくつもの村や町が滅んだって話だ」
「ロムタヒマにはまだ各地に魔族が棲み着いてるらしい。……ところで、なんでロムタヒマと隣国のバハンは、ゴブリン退治の依頼もないんだ?」
レティリエがハッとする。僕がバハンで確認しておきたかったのはこれだ。
かつてロムタヒマに取り込まれた隣国は、今はどういう立場なのか。
「ロムタヒマの魔王軍は現在、瘴気の壁を頼りに籠城中だ。だが籠城ってのは普通、援軍を見込める時にだけ有効でね。冬も終わって久しいのに未だ動きが聞こえないってのも、少々どころじゃない違和感がある」
これから魔王領ロムタヒマへ向かうなら、絶対に把握しておかなければならない情報。
「考えられる最悪のパターンは、魔王とバハンが繋がっていて、魔族にこっちへ来ないよう手を回してるってところか。……もしそうなら、魔王軍が動き出したが最後、フロヴェルス軍は横からバハン軍の奇襲を受けて壊滅するな」
「お前、視線がエロいナ。アタシの胸ばっか見てるだろ」
見てねーよ。
「見てねーよ。僕、今結構マジメな話してるんだけど?」
だからレティリエ、一歩引くのやめて。
「バハンは別に魔王軍とは繋がってないゾ。アタシが言うんだから間違いない」
「君が言うとなんで間違いないのか分からないけど……。あと胸は見てないからな?」
「バハンは魔族が嫌いなんだ」
ゾニは頭の後ろで両手を組んで、歩調を少し早めた。
「邪悪な魔物も嫌いだけど、魔族は特に嫌いだ。山が汚れるからナ。だからこの半年で駆逐された。バハンに来た魔族は全部倒された」
全部って。
「上級魔族もか?」
「全部だ」
「数の多い下級魔族も?」
「全部だ」
普段はだらけた調子のゾニの横顔が、わずかに真剣味を帯びている。どうやらそうとうな死闘があったらしい。
しかし……全部か。
僕は視線を巡らせて、景色を眺める。山頂は夏でも雪が覆っていると聞く、雄大で険しい山脈が見えた。
人族が住まうには適さない、厳しく広大な自然の地。ゾニはその全てを指して、魔族はいないと言い切ったのだろうか。
屍竜の行動範囲に近づき、僕らは少し早い時間から野営をすることになった。
不死族は基本的に夜行性だからな。あいつら睡眠を必要としないから昼も行動するが、基本的に日中は動きが鈍く、夜の方が活発になる。
暗いうちに遭遇して、視界の悪い中で戦うのは一方的に不利だ。
「ところで今更だけど、これってホントに大丈夫か?」
ゾニがピアッタ製の護符を掲げて聞いたのは、皆で焚き火を囲んで保存食を囓っている時だ。
かさばる食材は持ってきていないので、レティリエの料理はおあずけである。山歩きは軽装の方が有利だからな。今回はクソ不味い保存食と簡単なスープで我慢しよう。……ところでこのスープ、なんか隠し味入ってませんかレティリエさん。
「もちろんっス。ピアッタの仕事に間違いはないっスよ」
「でもちっこいピアッタ、お前ドラゴンゾンビ見たことないだろ」
「見たことないけど大丈夫っス」
ほとんど無い胸を張って自信満々なピアッタさん。
賭けてもいいが根拠はないな。自分のできる最大限を注ぎ込んだってとこだろ。
「今回は戦闘用の一回限りってことで、工芸魔術と錬金術のハイブリッドにしたっス。意味を工芸魔術で定めて、効果増幅と状況設定を錬金術の術式で補うんス。常時起動かつ緊急時の自動対応を可能にした力作っスよ。まあおかげで通常時の効力は落ちてるし、魔石の魔力が無くなったらほとんどただの飾りっスけど、戦闘中は十分に効くはずっスよ」
スッスッスッスと誇らしげに作品解説する工芸魔法使い。
……さっき見たけどあの護符、結構ハイレベルなことしてやがるんだよな。ピアッタのくせに生意気だ。
「よく分からんナー。普通の護符となにが違うん?」
「普通の護符は一度防いだら効果無くなって終わりっスけど、これは魔石の魔力が続く限り守り続けるっス。ただその分、障壁は薄いんで直撃は避けてほしいっスね」
「そういや酒場でも直撃は無理って言ってたナ」
「文字通り腐ってもドラゴンブレスっスからね。ピアッタ作でも限界は認めるべきっス。……でもこれ、なかなかの自信作っスよ。ピアッタの技量はもちろん、魔石も高級品だし、木材の材質にもこだわってるんス。高山の霊木、結構値が張ったんスから」
「それナー。まさか、景気よく前金全部使うとは思わなかったゼ」
ピアッタとゾニはかなり気が合うらしく、道中で絶え間なく喋り続けている。小さいのと大きいので見た目は対照的だが、どちらも物怖じってものを知らないのでなんの遠慮もないのだ。
「……あの二人、仲がいいですね」
それに対して遠慮の塊みたいな少女は、スープの器を両手で挟むようにしてそうコメントした。
「互いに互いを雑に扱ってるだけだろ。まあ、仲が悪いよりはいいさ」
「少し、羨ましいです。初対面の人とあんなに自然に話せるなんて。……ワナさんたちとは、上手くやれたような気がしてたんですが」
「ワナはあれで一応、気は使うからな……」
アイツ、本気でコミュ力高いんだよな。基本的に他人が嫌がることは(僕以外には)しないし。それにやたら距離感が上手い。
ピアッタも取っつきやすい部類だが、こっちは単に無遠慮なだけだから雲泥の差がある。
「ま、大して気にすることじゃないだろ。そのうち慣れるか、別に慣れなくてもいいやって思えるようになる。僕は後者だ」
「リッドさんは十分慣れているような……」
そうでもないけどな……そもそも人と話すの好きじゃないし。なにせ転生しても研究室に引きこもってたくらいだから。
というか、ピアッタやゾニみたいなタイプはわりと楽なんだ。適当に対応してやりゃいいんだから。
そういう意味でいえばむしろ、僕はレティリエのようなタイプの方が苦手だったりする。初対面の時は直視も難しかった。
「ま、人見知りを直したいならピアッタで練習するといい。何言ったってかまわないぞ。どうせ数秒後には忘れるから」
「そんなわけには……」
レティリエが苦笑する。
仮にも王女お付きの侍女だったわけだから、他者を雑に扱うことに抵抗があるのだろう。
……やはり、勇者には向いてないな。先頭に立つタイプじゃない。
そう思ったが、口には出さなかった。それに、それが悪いとも思わない自分がいた。
「ところでピアッタさんといえば、工芸魔術だけじゃなくて錬金術も使えるんですね」
レティリエが変えた話題に、僕は渋い顔になる。
うん、まあ。たしかにピアッタは錬金術も使えるんだけどさ。
「その護符に使われてるのは錬金術じゃないよ……ピアッタが勘違いしてるだけ」
僕はレティリエが首にかけている護符を指さして、そう注釈する。
彼女は不思議そうに瞬きした。
「そうなんですか?」
「ああ。それに使用されてる式は錬金術でも使うが、普通の魔術でも補助とかに使われるヤツだ」
まったく。
そんなことも分かっていなかっただなんて、本当にどうしようもない後輩である。
「つまり汎用式の域を出ていないのさ。そもそも錬金術ってのは何かを造る術なのに、ピアッタは魔術陣と術式を使えば錬金術だと思ってる節がある。まったく頭が痛い……知識の基本がなってないのが丸分かりだ。せっかくたたき込んでやったことが全然身についてない」
話しているうちに、本気で頭痛がしてきた。
ピアッタの作成した護符は、たしかに一級品だった。工芸魔法の記号に式や陣を組み込んで調和させるとか、マジで高度なことをやっている。いわば芸術センスと魔術理論の融合だ。職人の延長線上みたいな工芸魔法使いには、とうていできない仕事である。
だがそれが分かるだけに、基礎の弱さにげんなりする。
高度な応用は難なくこなすくせに、細かいところを大雑把にしか理解していない。普通ならあり得ないアンバランスさにイラッとするのだ。
「たたき込んでやったって……え、もしかしてリッドさんが教えたんですか?」
「ん? ああ、そうだけど」
そういえば、その辺の話はしてなかったな。
「もう五年くらい前の話かな。ピアッタは最初、僕が面倒見てたんだ。なにせうちの師匠、普段は姿すら滅多に見せないからね。アノレ教室じゃ後輩の世話は先輩がするってことになってるのさ」
「えっと……リッドさんはそのころ、十一歳ですよね」
「諸事情により大人びてたもんで」
転生者だからな。大人びてたというか、精神的にはすでに大人だった。
「ま、僕に割り振られたのには事情がある。ハーフリングって種族はたまに悪夢のような魔法使いが出現したりするんだけど、基本は魔術師に向かないとされててね。一般的には魔力量が人間より少ない傾向にあるんだ。それで、だったら魔力量が関係ない錬金術をやらせておけばいいんじゃないか、って師匠から直々に世話役を仰せつかったってわけさ」
「ああ、なるほど……それでしたら分かります」
「けれど、ハーフリングが魔術師に向かない理由は別にあった」
「……はい?」
僕は苦渋を噛み締める心持ちで、当時を思い出す。ストレスでギリギリと奥歯が軋んだ。
「ハーフリングは……落ち着いて本を読むってことができない種族だった」
「ああ……」
その光景が目に浮かんだのか、レティリエが端正な顔を沈鬱に歪める。
分かってくれたか、僕の苦労が……。
「しかも師匠はついでとか言って、ワナも僕の講座に来させていた……」
「ああ……」
レティリエの目がもはや遠くを見ている。分かってくれるか……。
いやもうホント、なんで生徒二人で毎回学級崩壊起きるんだよおかしいだろ。
「まあそれでも、ピアッタはそれなりに覚えたんだ。あんな感じだが、地頭はいいんだろうな。口頭で説明したことはちゃんと頭に入っていったみたいで、そこはアイツの素質だったんだろう」
「ワナさんは……」
「それで、しばらくは錬金術とかの手ほどきもしてたんだが」
「あの、ワナさんは……」
「ある日ピアッタはあっさり工芸魔術に転向した。それまでやってた錬金術を捨ててな」
全力でゾニと無駄話しているピアッタに視線を向ける。
本当に、彼女はすっぱりと錬金術を止めてしまった。それまでの僕の努力が泡となった瞬間である。
あのときはさすがに愕然としたし、あまりの徒労感に膝を突いた。
「まったく、度しがたいなんてもんじゃない。人には向き不向きがあるから、別に専攻を変えるのはいいんだ。ただ、工芸魔法なんて未開の道に進んだのは納得いかない。あんなセンスと手先の技術だけの分野じゃ、せっかく教えたことを何も活かせないのに……」
「……もしかして、拗ねてます?」
心外な問いを投げられて、僕は隣に座る少女を向く。レティリエはクスクスと、小さく笑っていた。
「そんなことはない」
「そうですか」
違うんだから、その可笑しそうな顔やめてくれないかな?
「可愛がっていた後輩がなんの相談もなく別の場所へ行ってしまって、そこで全く新しいことを頑張っている……そういうことですよね。寂しい気持ちになっても、しかたないと思いますよ」
「だから、そういうのじゃないって」
否定してもレティリエの顔は笑ったままだ。ああクソ、これは誤解は解けそうにないな。
そりゃあ当時、寂寥感を覚えなかったといったら嘘になる。だがそれはうるさいのが居なくなったせいだし、なんだか錬金術を否定されたような気がしたせいだ。むしろ、やっと解放されて研究に専念できるという安心感の方が強かったと思う。
うん、たしかそうだった。間違いなくそうだ。
「ん、なんスか二人でピアッタの話してるっス? どんな話っスかもちろん褒めてくれてたっスよね!」
こちらの視線に気づいて、噂の本人が無駄な運動量で寄ってくる。
うーむ、なんだか理不尽に腹立たしい。この満面の笑みが近づくと無性にデコピンしたくなる。正当な猛抗議が返ってくるからやんないけど。
「ピアッタさんの昔話を聞いていました。リッドさんに魔術を教えてもらったんですよね?」
「あ、その話っスか。いやー、あれは地獄の日々だったっス。基礎も周囲が引くほどスパルタだったっスけど、錬金術のくだりに入ってから、マジこの人アタマおかしいって思ったっスもん。一個のことやるのに何百枚も魔術陣描くとかガチやってられるかって話っスよ。しかも変態的オリジナル文法まで生み出してて本気でドン引きっていうか、こんなの絶対逃げてやるってゥアタッ」
はいご注文のデコピンお待ちどう!
「酷くないっスか! 酷いっスよね! 抗議しかる後に訴訟っスよこれ!」
「お前が下積みってものをどれだけ軽く見てるか、ようく分かった。そこに正座しろ。寝ずの見張り番ついでに朝までみっちり再教育してやる」
「いや絶対あれ先輩がおかしいじゃないっスか! 他の教室の講義とか参加したっスけど、先輩みたいな狂気やってなかったし! ていうか基礎講座もなんスか? 他者の術式に不正アクセスして制御を奪い取る方法とか、どこに基礎要素があるっスか。いたいけな後輩騙して趣味全開の講義してたの、もう知ってるっスからね!」
「くぅっ、要らない知恵ばかり付けやがって。というか他所に顔出して一般教養身につけるとか、お前ホントにアノレの弟子か? それができるなら別教室でよくない?」
「先輩含めて兄弟弟子の皆さんホントにアレな人ばっかりで、ピアッタ結構苦労してるの知ってるスか知らないっスよね。先輩ちょっと正座してもらっていいっスか?」
おおう、笑っているが額に青筋浮かんでるピアッタさん恐えぇ……。いやでもそこは諦めろよアノレ教室なんだから。
……ふと見れば、僕とピアッタが言い合っている横で、レティリエはまたクスクスと笑っていた。




