挿入話 課題
行ってしまった。行ってしまった。あの二人は行ってしまった。
急ぎたいからなどと面倒事を押しつけて、あたしも含め学院とか生活とか人間関係とかいろんなものを放り出して、大して準備もせずに行ってしまった。
だから、当然のようにあたしも行く。
いつものように旅の準備をして、仲間たちに声をかけて。黒装束たちとエストとかいう敵の首魁を連行するのに人手が必要だったから、あの時はどうしてもついて行けなかったけれど。
大丈夫。あの二人は、特にリッドはあんまり旅慣れていないからすぐに追いつけるはずだ。
「それはダメだよ、ワナ。君はあの二人についていってはいけない」
薄暗い部屋で、燭台の火が心に連動するように揺らめく。
事の顛末を報告し終えるとアノレ師匠は椅子の背もたれに身を預けて、重厚な執務机と水晶球ごしに止めたのだ。
あたしはそれが凄く腹立たしくて、つい大きな声を出してしまう。
「そんな、なんでっ?」
もうソナエザに戻って二日が過ぎていた。エスト王女の身分や、黒装束の審問……騎士団? とかいうのは機密になるから、事情を知る者が主体で動かねばならなかった。
彼ら面倒くさい肩書きの捕虜の護送もその仕事の一つ……というかそれがメインで、それはあたしたちのパーティが中心にやるしかなかったのだけど、おかげでかなり時間をロスしてしまっている。―――リッドはきっと、これを避けるためにわざわざ逃げるように出発したのだと気づいたときは、あのとき無理矢理にでもついて行くべきだったと思った。
「そりゃあ、キミにはまだ課題があるからさ」
千里眼の刺繍された黒いとんがり帽子の下に覗く、肩で綺麗にそろえたキラキラの金髪と、つき抜ける夏空のように蒼い眼。美しいという形容詞に躊躇わない整った顔の造形は、美男美女揃いのエルフにも負けないのではないか。
師匠のセピア・アノレはいつもの印象深い笑みを浮かべる。最高に面白い悪戯を思いついた子供のような笑みだ。
「ワナ・スニージー。実はかねてから、キミに聞いてみたいことがあったんだ」
椅子の背もたれに体重を預けていた占術師が、今度は前のめりになる。のぞき込むように見てくる。
見透かされるような気分になる。
「キミはなぜ、我が教室を選んだのかな?」
…………えっと。なぜってそんなの、大した理由はないのだけど。
「リッドがいたから、だけど」
もう一人の幼馴染みと一緒にするかも迷ったが、あちらは学院で一番の教室に入ったからやめた。あたしはバカだし魔力の制御も下手だから、ちょっと敷居が高かったし。
……まあ、今回の遺跡調査の途中であちらの教室の講師に―――副学長のドロッドさんに誘われたけれど、あたしでもさすがにお世辞や社交辞令だって分かるよ。
「そう、それだよ。それなのさ。仲の良い幼馴染みと同じところだからって理由は立派ではないけれど、より順応しやすい環境を選ぶという選択は決して間違っていない」
フフン、と。師匠は鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌だ。
あたしはこの人が不機嫌になったところは見たことがない。ほとんど未来予知の占星術師たるこの女性は、いつも破天荒でむちゃくちゃな道筋を選ぶことが多いが、実は毎回ゴール地点を見据えている。
どれだけ変な道程を辿っても、結果が分かっていれば大きな失敗はしない。弟子たちの不評を買うことがあっても、それも最初から織り込み済みなら不機嫌になるはずもない。
―――けれど、この人がここまで上機嫌なのは初めて見た。
多分、今は未来が見えないからだろう。
「けれど、だ。我が教室にいながら、そんな理由しかないというのは希有なことなんだ。気づいているかい? 我が弟子たちの中で唯一キミだけがそうだってことを」
ズグン、と心臓をナイフで刺された気がした。
それは知っていて、目をそらしていたことだから。
「千里眼の弟子は、ことごとく星も届かぬ遙か彼方、前知不能の災厄を目指す者なり……ってね。誰が言い出したのか、おそらく第一期生のどちらかだとは思うのだけれど、過去を見るのは得意じゃないから分からない。けれどこの文句、キミはその自覚がないんじゃないかな?」
「それは……あたしは元々、冒険者になりたくて。そういうのより、今は冒険の方が……」
「ああ、勘違いしないでくれたまえ。なにも責めているわけじゃない。別に理由なんてどうだっていいのさ。―――ただ、これは可能性の話なのだよ」
可能性、と彼女は口にした。大陸最高の占星術師が、ほぼ確定したような未来の話ではなく、まだ全然確定していない先の話を語る。
「キミのその大容量で大雑把な魔術の特性を、リッドはなんと言っていた?」
「? えっと。あたしの魔力は水を張った大きな瓶で、傾けるとダバッと水がこぼれる感じ……だったかな?」
「良いたとえだね。気取りや飾りのない表現なのは少々寂しいが。では、これは聞かなかったわけだ」
上機嫌に、楽しそうに、面白そうに。まだ見ぬ新たな景色を求めて駆け出す時の顔で。
あたしの師匠は言葉の大剣を振り下ろす。
「キミは天才の類だよ。術士としてではなく、広義の意味の方で魔法使いとして」
そんな、今まで一度もかけられたことのない言葉を。
「やれやれ、あの男もずいぶんお優しいことだ。知らなかったかい? あるいは、気づいていて知らないフリをしていたかい? 心地よい場所を持っている者なら、誰でもそこに在り続けたいと思うのは当然だからね。リッドやキミの冒険者の仲間たちといつまでも共に居たいとか、思っていたのではないかい?」
「そんな、そんなことは思ってない! あたしはあたしの本気でいつも……」
「ではさっさと殻を破ろうか」
卵を割るような気軽さで、師匠は机に両肘をつき、組んだ指の背に細い顎を乗せる。
「キミは、だからこの教室にいるのだよ。この星詠みが見通せぬ災厄になれる者として、この星詠みが才覚を見定めたからここにいる。―――さあ、ではキミに課題を与えよう。キミがあの二人を追いたいのなら、その資格をその手でもぎ取ってもらおう。なにせ師としては、もっとも危うい弟子を判断ミスなんかで失いたくはないからね」
あたしはこの放任主義者が弟子に課題を与えるなんて、聞いたことがなかった。もっとも危うい弟子だなんて、それだけ自分は頼りないのか、と愕然とした。
これでも冒険者として、戦いの経験は積んでいる。旅の経験も多い。今のままでもあの二人のためにできることはあると思うし、仲間たちからも了解は得て準備してもらっている。
冒険者として、あたしがあの二人を追うのに足りないなんてことは……―――
「勇者の旅だ。甘くみてはいけないよ」
…………それは、そうなのだけれど。
「あの二人のことは心配しないで大丈夫さ。勇者様はまだ荒削りにもほどがあるが、力だけならもう最大値をたたき出せる。戦いはぎこちなくとも、あとは慣れるだけだろう。……それに、リッドもいるからね。うん、リッドの名前のこの、ワクワクと不安の混じった響きはなんだろうね?」
「それって安心できてないんじゃ……」
「まあ問題ないさ。アノレ教室からの応援として、もうピアッタを向かわせたからね。うん、とても適任だろう」
「って、あの子全然戦えないよ!」
戦闘に不慣れな二人が戦いに赴くのに、なぜ戦えない者を遣わすのだろうか。意味が分からない。意味が分からないが、さらに意味の分からないことを師匠は口にする。
「ハハハ、勇者の伝承はほとんどが華々しい戦いの物語だからね。それに、向かうは魔王の座す魔都ロムタヒマだ。キミが危惧するのも無理はない。けれどね、ワナ。これは願いでもあるのだけれど……勇者の旅の本質とは、戦いとは別にあると思うのだよ」




