表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アルケミスト・ブレイブ!  作者: KAME
―転生錬金術師と儚き勇者―
27/250

運命を狂わせた者

 夜の川辺に出て、バキボキボキと全身を鳴らす。コリが酷い。何日も地下に籠もっていたから、全身が悲鳴を上げている。

 服を脱いで、畳んで置く。緩く流れる川にそろそろと踏み入り、ゆっくりと浸かった。

 冷たい。これでは長くは入っていられないだろう。身を縮めながら、岩に背中を預ける。


 身体も頭も疲れ切っていた。

 清流に身を晒しながら、欠けた月を見上げる。

 久しぶりの水浴びだった。さっき様子を見に来たエストにキレられたんだよな……臭いって真正面から言うの酷くない? ほぼ軟禁状態で働かせてるくせに。


 夜の川は不気味だ。暗い水中は何かが潜んでいるような気がして恐ろしい。ともすれば足を掴まれて引きずり込まれそうな恐怖がある。

 やっぱり、水浴びは明るいうちにやるものだ。寒いしな。


「……まあ、みんなと会わなかったのは幸運か」


 正直、彼らとは顔を合わせづらい。ほぼ全員敵に回したからな。

 特にワナやディーノには何を言われることか。あの二人に会うくらいなら、エストとお茶会してる方がまだマシってものだ。……ところでなんであの女、僕のことちょくちょく誘ってくるの?


 僕は大きく息を吸って、ザプン、と頭まで水に潜った。そのまま手荒く髪を洗う。冷たい水が思考まで洗い流す。

 危うくまた、鬱に向かうところだった。今は一人だ。忘れよう。

 それよりせいぜい身ぎれいにしておかないと、また文句を言われかねない。

 限界まで潜って、ぷはぁ、と水中から顔を出す。二、三回肩で息をして、また岩にもたれかかった。


 空を見上げる。しばらく地下だったから時間感覚が狂っているけど、この季節でこの星位置だから……深夜帯か。ちょうど前世でいう丑三つ時くらいだな。

 これでも僕は星詠みの弟子だ。この世界の天体については多少の知識がある。さすがに未来は見えないが、方角やだいたいの時間を割り出すくらいは楽勝だ。象限儀が欲しいな。無意味に緯度とか計って自己満足に浸りたい。


 岩に背中を預け、ぼう、と星空を見上げる。前世の世界なら誰でも知ってる歌が頭に浮かんだが、声にはしなかった。


「戻りたくないな……」


 つい、本音が出る。

 溜息も出た。どうしてもネガティブに戻るのは、いかにも僕らしいことだ。


 僕がやっているのはレティリエを殺すための準備だ。終わり次第彼女は殺され、勇者の力を摘出。ソルリディアのコピー製造という予定になっている。

 やりたいわけがない。作業中にも、ふと思い出して手が止まる。最悪の気分になる。


「貧乏くじだよな」


 本当に、そう思う。こんな役のために転生したのかと思うと涙が出そうだ。前世のバチが当たったにしても、これはあんまりだろう。


 僕程度の小物なんか見逃してくれてもいいだろうに。


 冷たい水にさらされ、疲れた身体が冷えていく。疲れた心が冷えていく。いっそこのまま凍え死ぬのはどうだろう。いや溺れ死ぬのも捨てがたい。誘惑がずりずりと、身体を水中に引きずり込む。

 本当に、いっそこのまま。



「着替え、こちらに置いておきますね」



「ありがとう……って」


 不意に聞こえた声に心臓が跳ねた。


「レティリエ? なんでここに」


 振り向こうとして、裸なのを思い出した。慌てて背中を向ける。


「外へ向かうリッドさんを見て追おうとしたら、鉢合わせたエストさんに、水浴びに行ったからと着替えを用意するよう言いつけられました」


 身体をひねって顔だけ向ける。月明かりの下の彼女は、少しやつれて見えて。


「こんな時間まで起きてたの?」

「最近、あまり眠れなくて」


 そりゃそうだ。もうすぐ死ぬ予定だからな。死刑囚の気分だろう。


「少しお話ししたいのですけど、いいですか?」


 遠慮がちにこちらを伺う彼女に、僕は濡れた髪をかき上げる。


「ちょうど、上がろうとしていたところだ。……ちょっと後ろを向いててくれないか。すぐに着替える」




「……ワナさんが、毎日泣くんですよ。わたしのことで」


 僕らは川辺に並んで座った。レティリエは星空を見上げて、困ったように言った。


「そうか」


 僕はそれしか言えなかった。どう返したらいいのか。


「みなさんにも、何度も逃げようって誘われました。このまま死ぬなんてダメだ、と言って。とても良い方たちです」

「そうか」


 自分の気の利かなさにはほとほと愛想が尽きるが、どうしようもない。こんな時に口にする言葉の在庫なんか持っていない。そんな資格があるとも思えない。


「心変わりしたのか?」


 だから、ただそう聞いた。過程は飛ばして、結果だけを知るために。


「……やっぱり、リッドさんの方が優しいですね」


 夜風に流れた長い黒髪を、彼女はそっと押さえる。


「どこがだよ。彼らの方がずっと人間味があるだろ?」


 やめてくれ、そんな評価は受けたくない。


「だって、どちらでも受け入れてくれるでしょう?」


 レティリエは口元を隠し、クスクスと笑った。


「それに、言ってくれたじゃないですか。心の折れた勇者はツラいだけだって」


 そんなことを言っただろうか。覚えてないな。


「そのとおりなんですよね。わたしに勇者は重すぎました。その名にかけられる期待も、責任も、心が折れてしまうほどに苦しかった。リッドさんはそんな弱い人の気持ちが分かるんです。だから、わたしの願いを聞いてくれたんです。みなさんは、強いですから。すごい人たちばかりですから。……きっと、絶望なんて知らないんです」


 ……少し、イラッときた。


「そんなことはない。誰だって挫折くらい経験する。絶望だって味わう」


 僕なんかを彼らより上に見るな。


「けれど、それでも立ち上がるから強いんだ。何度でも上を向けるから、彼らは強くあれる。けれど君は、ソルリディアに甘えてそれを放棄した。歴代最強の勇者なら仕方ないと、都合のいい言い訳で責任を投げ出したんだ。僕はそんな弱さを見放した薄情者だよ」


 僕こそがクソヤロウなんだ。計算と打算で君を殺すロクデナシなんだ。

 そう思ってくれないと惨めすぎる。頼むから慰めなんかかけないでくれ。


「でもリッドさんは、何度立ち上がっても、どれほど上を向こうとも、凡人には手の届かない場所があることを知っています。どうしようもないことがあるって知っています」

「…………」


 何か言おうと口を開きかけても、結局言葉は出なかった。

 否定できるものか。人生二度目なんだ。そんなの嫌というほど思い知らされている。


「だから、これでいいんです。きっと、わたしではダメですから」


 レティリエの表情は、もう迷いもなく、どこか名残惜しむようで。

 そんな時でさえ、綺麗で。


 ああ、ちくしょう、と。僕は神を恨んだ。


「それに実はわたし、死ぬのってあまり恐くないんですよ。……ねえ、リッドさん。リッド・ゲイルズさん。一つ、質問してもいいですか?」


 改めてフルネームで僕を呼んで、彼女はまっすぐにこちらを見つめる。

 欠けた月の下、木の葉の擦れる音と川のせせらぎが聞こえた。


「あなたは、異世界から転生してきたのでしょう?」


 あまりにも儚く、さみしそうに、けれど悪戯っぽく微笑んで。

 己の死を受け入れたその少女……今代の勇者は、僕の秘密を射貫いたのだ。






 誰にも言ったことなどなかった。

 ワナやディーノも知らない。たった一人の肉親である母にさえ教えていない。

 知っている者はいないはずだ。


「なん、で……」


 口の中が乾いて声がつっかえる。

 ごまかそう、なんて考えつきもしなかった。驚きで頭が上手く働かない。


「最初からです」


 天使のように、レティリエはニコリと笑む。


「確信したのは料理をさせてもらった日。わたしのお茶を飲むと、みんな遠い目をするんですよ。遙かな過去を懐かしむように」


 お茶……って。まさか、紅茶か?

 最初に紅茶のまがい物を出したときから、疑っていた?

 いや、それよりも―――彼女は、僕と同郷の転生体を知っているってことか? それも、みんなってことは複数?


「わたし、思うんですよ」


 ふいに、レティリエは立ち上がる。後ろ手に手を組んで、川の方へ少し歩く。


「リッドさんが言ったとおり、リッドさんのお父さんは、きっとハルティルクの転生体だったんだって。きっと、人は死んだら次の命に生まれ変わるんだって。……わたしも、そうなるんだって。だから、死ぬのはあまり恐くありません。実際に転生している人がいるって、知ってますから」


 そんな。

 死んだら転生できる、なんて。そんな、藁みたいな話に縋って。

 僕らの……僕のせいで。

 命を差し出す覚悟をしたってのか。


「ダメだ、そんなの……保証できない」


 勝手なことを言っているのは分かっていた。彼女を殺そうとしているのは、他ならぬ僕なのだ。

 でも僕は、自分がなんで転生したかなんて、見当もついていない。

 なにかのイレギュラーだろうとは察している。けどそれだけだ。彼女が次の生を得られるなんて、そんなの肯定できるはずがない。


「死んだらそれで終わりだ。僕らは特例だ。何かの間違いなんだ。この世界にとってはバグに等しい。次の生なんて信じて……」

「いいじゃないですか。どうせ死ぬなら、せめてそんな希望を持っても」


 神がいたら僕が殺してやる。

 ふつふつと怒りが湧いてくる。胸の奥の棘が熱を持つ。


 決定した死を前に縋れるものなんて、死後の救済くらいしかないのに。本当に実例を知らせるなんて最悪だ。

 彼女は僕ら転生者のせいで、今の生を足掻くことなく終わろうとしている。

 そんなの間違っている。壊れている。破綻している。


「……みんなって、誰だ」


 そいつらも殺してやる。余計なことしやがって。お前らさえいなければ……。

 レティリエはくるりと振り返って、微笑む。


「姫様と魔王です」


 それはまるで、冗談のようで。

 がつんと頭を殴られたようで。


 僕は愕然として、彼女に手を伸ばす。あんまりな情報を押しとどめるように。


「待っ……待ってくれ。そんなの」


 そんなの、ない。

 やめてくれ。勘弁してくれ。

 息が苦しい。納得してしまった。なんで魔王がフロヴェルスの王女を訪ねたのか、なぜ王女が魔王と取引をしたのか、理由が分かった。


 互いに転生者だと知ったからだ。

 そしてレティリエは、その二人のいざこざに巻き込まれたのだ。


「転生者が……僕の同郷が、寄ってたかって君の人生を狂わせたってことなのか?」


 魔王がもっと大人しくしていれば、王女が暗殺など謀らなければ、そもそも二人が会わなければ、レティリエは勇者になどならなかった。ならなくて済んだ。

 転生者がいなければ、彼女は、普通の人間として人生をまっとうできていた。


「そんなことを言いたいわけでは……」


 少女は否定しようとするが、何が違う。

 他所から来た異分子のくせに、この世界の人様に全力で迷惑かけやがって。

 胸の奥の棘が暴れ回る。脳が沸騰しそうだ。


 僕は。


「……地下に、戻るよ」


 クラクラする頭を押さえて、ふらふらと立ち上がる。

 最低の気分だ。自分も含めて全員殺したい。


「あ、わたしも……」

「一人にさせてくれ」


 同行は拒んだ。これ以上はどうにかなりそうだ。

 彼女に背を向け、よろめきながら歩き出す。精神的にやられたせいで貧血でも起こしたか。苛立ちに任せて木の幹を殴る。


 ちくしょう。チクショウ。なんでこんな。

 転生者のせいで、彼女は不幸になった。

 僕も加害者だ。僕さえいなければ、僕が転生なんて可能性を示さなければ、彼女は生を諦めなかったかもしれない。

 彼女がディーノやワナたちと共に旅に出て、少しずつ強くなって、いずれ本当の勇者と呼ばれる未来があったかもしれない。


 僕らが、いなければ。


「レティリエ。転生なんかに期待するな」


 我慢できなくて、振り向いて言い放った。


「仮に転生できたとしても、ろくなもんじゃない。くそったれな神のオモチャだ。どうせ君も、好きになった相手を殺さないといけないような、最悪の役を押しつけられるぞ」

「え……」


 歯を食いしばり、背を向けて去る。もはや振り返る気はなかった。




 ぐるぐると脳みそがかき回され続けるような心持ちで、遺跡へと戻る。

 ストレスで吐きそうだった。病人のように胸を押さえて、おぼつかない足取りで歩く。

 その中途で、ふいに近くの茂みが小さくガサガサと鳴った。

 そちらを見やると、小さな金色の双眸がこちらを見て鳴く。


「にゃあ」


 闇になれた目をこらせば、欠けた月の明かりに照らされ、黒猫がちょこんと座っていた。


「……ああ、やっと来たのか」


 呟いて、僕は空を見上げた。

 頭上には満天の星。申し分ない夜空だ。


 僕はわずかに瞑目する。

 ゆっくりと目を開けたときには、心は決まった。


「僕の頭上の星は、輝いているか?」


 黒猫は、にぃ、と笑って。


「にゃあ」


 楽しそうに鳴いた。


 僕は歩き出す。

 暗い森を戻り、遺跡へ入る。地下への階段を降り、ハルティルクの研究部屋へ。

 部屋の片隅に設置された魔視鏡のもとへ行き、起動させた。


 取り出したのは、あの瘴気の魔石だ。魔視鏡に置いて球形立体魔術陣を映し出す。

 もはや、躊躇すらしなかった。


「―――我ら、真実を求め闇へ踏み出す者」


 それは、迷彩化されたブラックボックスを開く合い言葉。


「―――我ら、未知の全てをつまびらかにする者」


 それは、契約の祝詞。


「―――我ら、学究の徒」


 決意の表明。


「―――世界に挑み、神を殺す者なり」


 知りたいのなら肩を並べろ、と。そいつは扉の先で待っている。


「―――我、同朋として、汝の名を知る権利を主張する」


 魔視鏡の映像がぐにゃりと蠢く。

 顕れたのは、たったの四音。

 線を越えてしまえば何も難しくはない。こんなもののために、ずっと躊躇していた。


「芸術家だもんな、君は」


 まったく、いじらしい。サインは残したいが、価値の分かる相手にしか教えたくないと。

 だからせめて、同志の宣誓くらいはさせてやろう、などと。

 どう見ても最高峰にいるくせに、隣に並び立てだなんて。


 なんて高慢で、なんて子供っぽくて、なんて……孤独な。


「覚えた」


 立体魔術陣の向こうの敵に、約束する。



「君の相手は、僕がしてやる」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ