エスト・スロドゥマン・フリームヴェルタ 1
『結晶解凍・ヒーリングスライム』
合い言葉に反応し、僕の魔力を吸ってヒーリングスライムが起動する。……状態、良し。
問題がないことを確認し、鈍く蠢くそれをワナの傷に乗せてやる。
すでに矢は抜いているから、後はふさぐだけだ。腱や神経も無事なようだし、あとは放っておけばいいだろう。
……しかし、舌を噛んだのは失敗だった。痛くて発音しにくい。
スライムがみるみる傷を癒やしていく。あらかじめワナ用に調整しといたヤツだから馴染みが違うな。
レティリエの件で思いついた、特定個人用の魔素調整。その試験結果としては上々だ。
「ただの薬じゃないですね。魔具……でもない。まさか人工生命ですか? このような使い方が……」
ドロッドが興味深そうに眺める。彼の生徒たちも驚きを隠せず、スライムに魅入っていた。ディーノですら唸っている。
「魔力を生命力に変換する、生命力を譲渡する性質を持つ人工生命です。ワンクッション置くことで、魔術が苦手な治癒も可能にします。治癒術には劣りますがね」
「素晴らしい。帰ったら特許申請の書類を用意しましょう」
「まだその段階ではないので」
ワナのふくらはぎをスライムごと包帯で巻いていく。矢が貫通した怪我をすぐに完治させることはできないし、しばらくはこうしておくのがいいだろう。これ以上見られたくないしな。
僕ら調査隊一行は武装解除され、一番大きな部屋に集められていた。昨夜、僕とガザンとドゥドゥムが使った部屋だ。
エストは一カ所に集めた方が監視しやすいと踏んだらしい。あるいは人間関係の軋轢を誘って愉しむつもりかもしれない。性格悪そうだからな、あの女。
さすがに十一人も入れば狭いけれど、元々広い部屋なのでぎりぎり雑魚寝はできそうだ。部屋内に黒装束はいないが、扉の向こうに見張りが二人立っていた。
「それで自分の口も治療したらどうかの」
見かねたようなガザンの声に、僕は首を横に振る。
「今喋れなくなるのは困ります」
「聞きたくない」
ワナがだだをこねる。気持ちは分かるけどな。
「フロヴェルスの第二王女さまとやらは、おとなしくすれば人道的な扱いをすると約束した。けれど逆らえば一人ずつ殺されるだろう。選択肢はないよ」
「たった二十人ぽっちじゃん。ここにいるみんなでなら……」
「裏仕事専門とはいえ、相手は訓練を受けた軍隊だ。対してこっちは、戦闘の術や経験のない者もいる。全滅の可能性が高いし、仮に勝てたとしても、誰も死なずには無理だ」
「だからお前に従えってのは、気にくわないがな」
苛ついたドゥドゥムが険悪な目つきで睨んでくる。うん、僕が言ってもむかつくよね。
「魔王を倒すためには、強い勇者がいる。僕もエストも、最適解を求めただけだ」
「見損ないました」
ぼそりとティルダが口にした。端的すぎて心にグサリときたが、無視する。
「レティリエ。イルズさん。あのエストという女性はどんな方なんですか?」
ワナの包帯を巻き終えて、僕は部屋の隅でうつむく二人に質問する。
「あまり知りません。わたしが仕えていた姫様の実の姉にあたる方ですが、姉妹仲が悪いのかほとんど接することがなく……」
レティリエは首を横に振る。王女の侍女とはいえ、異端審問官の長とは関わりないか。
そうなると自然、注目は残ったイルズに集まる。
「……本人が言ったとおり、異端審問官長でフロヴェルスの第二王女です。おそらく神聖王国で一番、黒衣の似合う女性でしょう」
「衣服がどうとかは聞いてないんですが?」
まあ言わんとしてることは分かるけど。
「失礼。黒い話が絶えない方ですからね。……曰く、六歳の頃に兄と姉を暗殺しようとした。さらに曰く、九歳の頃に再度両者の暗殺を実行する。いずれも未遂でしたが二度目で王位継承権を剥奪され、修道院に預けられるも、その修道院で責任者の毒殺事件が相次ぎ……」
導入部だけでお腹いっぱいになりそうな話だ。ドン引きですマジで。
「やがて疑われて修道院からもつまはじきにされ、もてあまされた彼女は異端審問官に配属。しかしその尋問部にて頭角を現し、誰の目で見ても不自然なスピードで出世。前任の遺書にて指名され、十九の若さで異端審問官の長に就任という、ちょっと意味の分からない経歴がですね……」
意味くらい分かるわ。神聖王国の名は飾りかフロヴェルス。王族に悪魔がいるじゃないか。
そういや妹も魔族に敵国攻めさせてたな。どんな姉妹だ。
「黒衣、似合ってたなぁ……」
全力で関わりたくないけど、もう逃げられる段階じゃないんだよなぁ……。
「ドロッド副学長。みんなと遺跡の補修の件、お願いしていいですか?」
「やりたくありませんね……。やらないわけにもいかないのでしょうが」
この人は大人だな。ちゃんと天秤で量ってる。
彼に任せればこっちは大丈夫だろう。あっちは僕がなんとかするか。
僕は立ち上がって自分の荷物を背負う。
「ではそういうことで。あ、これから僕、しばらく一人で行動することになりますので、言いたいことがあれば今のうちに」
僕の言葉に、レティリエ以外は遠慮なく口を開く。
「クソが」「くたばれ」「卑怯者」「最低です」「陰険」「悪魔」「人でなし」「破産しろ」「ドン引きですねぇ」「死ね」
覚えてろよお前ら。
「というわけでエストさんこれ必要な品です。ちょっと街まで行って揃えてきてください。フロヴェルスの経費で」
おおっと王女様の額に青筋が浮かんだ。肌白いからそういうのよく見えるわ。
やっべー笑顔が超恐い。冗談じゃなく今ここで殺されても不思議じゃない。
「リッド・ゲイルズ君、わたくしたちをパシリ扱いするとはいい度胸ですね。ところで目玉って二つも必要ですか?」
あー、そういえば尋問部で頭角現したって話だったわ。殺す前にまず拷問かぁ。
「僕らの誰かが行ってもいいんですけどね……」
ここは昨夜ドロッドが使用した、九つある内のちょうど真ん中に位置する部屋だった。
どうやら今日からエストの部屋になるようで、すでに組み立て式の椅子とテーブルが備え付けられている。テーブルには上物の光源魔具とティーカップがあり、紅茶のような香りが漂っていた。
「逃げるかもしれませんし、誰かに言うかもしれませんし、なんなら応援呼んで戻ってくるかもしれませんし? どうせ監視付けるなら、そっちで行ってきてもらった方が効率的です。あとお金がそっち持ちなのは順当かと」
僕はチラリと背後を見て肩をすくめる。
入り口の脇には黒装束が二人、影のように立っていた。僕に付けられた監視役だ。
「……いいでしょう。羊皮紙を見せてください」
エストにメモを渡す。彼女は上から順に目を通して……困った顔を見せた。
「これらは何に使うものでしょうか?」
「遺跡の補修材。魔術陣に使うインクの材料。地下にある筒型の容器を満たす薬液の素材。属性魔石各種。足りない魔術実験用の道具や消耗品……」
「そちらで魔術師を一人選出してください。素人には荷が重そうです」
みなまで聞かず、投げやりな命令。やはり魔術の知識はないらしいが、どうやら興味もないらしい。
「では、破産しろって言ったヤツを」
「はい?」
「栗色の髪の顔の濃い顎の割れた男が適任です。顔は濃いですが優秀な魔術師ですので」
よく知らない人だけど、ドロッド教室の生徒なら大丈夫だろう。エリートだしな。
「……なんだか個人的感情のみで選んだ気がしますが、まあ、よろしいでしょう。ところで補修材の項目はどういうことでしょうか? なんですか持てるだけ大量にって」
「この遺跡は大きいですからね。さっきざっくり見積もってみようとしましたが、これは街からここまで何度も往復してもらわないとダメかなとおぶふっ!」
「はい睾丸を潰されたくなかったらふざけないでくださいねー。街まで距離がありますからねー。一回で終わらせる代替案を出しなさい」
「……遺跡知識のイルズと、魔術知識の爺さん、建築知識のドワーフに協力させて見積もらせれば、最低限の数字が出せるかと。ドワーフは荷運びに連れていっても有用でしょう」
「代替案ではないですが現実的ですね。仕方ありません。残念ですが良しとします」
この人マジ恐いよ……。
「それとこの森で採れそうな素材も、こちらの羊皮紙に。獣人が森に詳しいので連れていくといいでしょう」
「……見せてください」
メモを渡すも、やはり分からなかったようで、エストは眉をしかめる。
彼女は疑心に満ちた目をこちらに向けた。
「何か企んでいます? こちらの人員を分断させるのが狙いですか?」
「いいえ。せっかくの人手なので、そちらにも働いてもらおうかなと」
「……ご自分の立場、分かっていますか?」
「もちろん」
僕は得意げに頷き、人差し指を立てる。
「あなた方にとって、僕らは勇者ソルリディアをこの時代に蘇らせるための労働力です。そして、フロヴェルスの裏組織の目撃者であり、勇者の力の秘密を知った厄介者であり、神聖王国が犯す非人道的な行為の証人となる者たちです。最終的に、僕らはあなた方に始末されるでしょう。例えるなら屠殺場へ向かう家畜でしょうか?」




