神殺し
「なあ……いったいどうなってんだヨ?」
空中で自由落下しそうになったところをゾニに拾われた僕は、襟首を掴まれ吊り下げられた状態で難しげに眉間にシワを寄せ、もっともらしく腕を組んだ。
「結果だけ見ろ。なんかでかいのがいて、どうにか倒した」
「説明するの面倒くさがるんじゃねーヨ」
バレたか。いやホントに面倒なんだよ。
この大穴に突き落とされてからどれだけのことがあったと思ってるんだ。イレギュラーありすぎて言葉でうまく説明するのめちゃくちゃ難題だぞこれ。あとククリクに告白されたとこさすがに伏せたいんだけど、そこ話さないと発端の動機が説明できなくて詰む。
「お前の中の竜はもういないみたいだナ」
…………そうか。
竜人族で邪竜堕ち経験者のゾニなら、最初から分かっていてもおかしくない。そしてその彼女が言うのだから、あの竜はもう僕から出て行ったのだろう。
「まあ、最後まで助けてもらったよ。うっかり殺されかけたけど」
「お、そりゃ竜の試練ダ。やるな、二度も乗り越えた人間は初めてのハズだゼ」
「過失事故を試練と言い換える精神、見習って生きたいな……」
でも、そういうことにしておこうか。その方が格好がつく。喉元過ぎればなんとやらだ。
本当はどっちだったのか聞こうにももういないし、どうせ聞けたところで答えてはくれない。
地面が近づいて、ゆっくりと降ろされる。乾燥した角質のような感触を足裏に感じてよく見れば、裸足だった。他にも衣服が所々破れていて、どうやらあの追加術式で再生できたのは肉体だけだったらしいと今更ながらに確認する。
「肌の色が変わってるな」
右手と同じ褐色だ。左手が変わっていないので、再生した場所だけだろう。てことは左目周りもか。有名な闇医者みたいになってるかもな。オッドアイとかになってたら嫌だな……完全に中二病じゃん。それ隠すために眼帯なんてしたらさらに極まった中二病じゃん。どうしよう一番オシャレなのやっぱ刀の鍔かな? でもこの世界の剣だとちょうどいい鍔ってなさそうだよな。ここは無難に包帯とかどうだろう。
「リッドさん!」
名を呼ばれ、駆け寄ってくる相手に振り向くのを躊躇った。変わっていない左手で左目を隠そうか迷って、どうせバレると諦める。
結局、僕はそのまま振り返った。泣きそうな顔をした、黒髪の少女へと。
「やあ、レティリエ。無事だったか?」
「それはこっちの台詞です!」
怒られてしまった。そりゃ怒られるか。
「大丈夫……なのですか?」
「問題ないよ」
左目の辺りを見てくるレティリエに笑った。実際に痛みはないし、視力も違和感はない。いたって良好だ。後で調べてみる必要はあるだろうが、今はまだいい。
「心配かけたかな。見ての通りいろいろあったが、とりあえず一段落だ……というわけで」
僕は彼女の肩をぽんと叩いてすれ違う。一段落とは言ったが、まだ終わっていない。
「ルグルガン!」
声を張り上げると、その名の主は肩をすくめた。
「はい、なんでしょうか?」
「二人を解放しろ」
レティリエは巨人にばかり気をとられて気づかなかったようだが、ミルクスとモーヴォンが動けないでいるのは彼のせいだろう。
二人は弓を構え魔術を唱えようとした姿勢のまま、麻痺したかのように固まっている。さすが最強クラスの魔族。本気の証である金の目にもなっていないのに、このエルフの双子を完全に拘束しているらしい。
掌底から肘までの前腕を貫通している矢がめちゃくちゃ痛々しいが、それで視線を集めたのかな……わざわざ矢の前に飛び込んだとか? それくらいでなきゃルグルガン相手にこの二人が視線を合わせるなんてしないよな……ちゃんと魔眼の性質教えてるし。
「それはいいですが、条件があり―――」
「飲もう」
みなまで言わせず被せてやる。驚いた顔が面白いな。コイツ魔王にならなくて良かったんじゃないだろうか。向いてないわ。
下手な交渉なんて聞く気にもならない。ルグルガンが要求してくる内容なんか分かりきっているしな。
「魔眼を使用していて見ていなかっただろうから教えてやるが、ククリクは死亡ではなく行方不明だ。どうやらどこかに潜伏していたらしい前魔王が連れ去った。……が、どちらにしろいないことには違いない。よって、現在は魔王殿の調律要員が不在状態である」
ゴアグリューズのムーブは現在、とりあえずあまり影響がない。とはいえそれは結果論であり、最悪のイレギュラーになる可能性はあった。予想はしておくべきだったのだろう。
彼はウルグラで、ロムタヒマ王都での戦争が再開したら動く、と宣言していた。であるなら彼なりにロムタヒマ周辺の動きを調べていてもおかしくはなく、勇者パーティーの動向にも注意を払うくらいはしていたかもしれない。
どうやら戦争再開が思ったより遅くなりそうで、僕らが妙な動きをしていたら……まあ尾行くらいするんじゃないだろうか。別に隠れたりしなかったからな……王都に入るときとか堂々と正門から行ったし。
彼の身体能力と転移術を使えば、わりと無茶なスニーキングミッションも可能にしてくるだろう。……うん、予想できた。予想できたけど、なんかムカつくから次会ったら蹴ろう。
とにかくククリクは連れ去られた。アイツの目的はきっちり果たされてしまったわけだ。
「魔王の調律は僕がなんとかしよう」
言ってやると、ルグルガンは一拍の思考を挟んだ末に瞼を閉じる。解放されたエルフ姉弟が汗だくで膝をつく。
かなり消耗しているように見えるが、どうやら怪我などはなさそうだ。交渉材料として丁重に扱われたらしい。屈辱的だろうが耐えてくれ。
「できるのですか……などとは聞きません。できなければ赦さないだけですから」
「調律のやり方は道中で何度も見せられたよ。あれなら僕の方が上手くできる。任せろ」
実際にやってみれば想像以上に難しいのがお約束なんだけどな……正直あまり断言はしたくないところなんだが、しかしこうでも言ってやらないと納得はしないだろう。医者ってメンタル強いんだな……。
まあ、けれどなんというか。今なら瘴気の細かな扱いが、多少はできるだろうという確信があったりするのも事実だ。邪竜の術式を書き換えたあの感覚は、今も己の内に残っている。だから魔王の存在調律もできるんじゃないだろうか。多分。
「手を打ちましょう。あの学徒がいなくなったのは魔族軍として痛手ではありますが、どのみち毒でしたので惜しくはありません。貴方に協力いただけるなら、前よりも安心できるほどです」
「ククリクに関しては正しい評価だな。とはいえ、あの女は捜索する必要はある。何やらかすか分からん」
この期に及んで頭の痛い相手だ。ゴアグリューズもセットだし気まぐれで国の一つや二つ滅ぼしかねないんだよな。せめて見つけたら監視くらいはつけたいところだが、転移術があるせいでそれも無理。
捜索して、接触して、交渉して、契約関係を結ぶ。そうやって首に鎖を付けるのが一番の得策になるだろうか。弱いなぁ。でもゴアっちいるし殺そうとしたら返り討ちだよなぁ。
まあ後々考えよう。どうせしばらくは大したことできないだろうし。
「……あなたは、それでいいのですか?」
そう聞いたのは、当事者の魔王だった。僕が調律しないとそのうち死ぬんだから、いいもなにもないだろうに。こっちの心配なんかするなよ。本当に、お人好しだ。
まあたしかに、しばらくは人界に帰れないだろうが……そんなことは、それこそ問題ではない。
「魔界に長居する気はないさ。そもそも僕は錬金術師だぞ。魔術士みたいに個人の技量頼りでつきっきりなんて手法はとるものか。やり方を調べて、楽に調律できるような魔具でも造って、やり方をルグルガンでもペネリナンナにでもいいから教えてやって、それで終わりだ。経過を診る期間をとったとしても、三ヶ月もあれば終わらせてやるよ」
はあ、とこれ見よがしに溜息を吐いてやって。
言わなきゃ分からないのかな、なんて面倒そうな顔をしてやった。
ここで遠慮なんか、それこそバカバカしい話だ。
ザ、と歩を進める。この魔王には……僕の同郷たるこの女には、言わなければならないことがある。
距離を縮め、真正面に立って対峙し、まっすぐに視線を合わせる。
口を開くのに、躊躇いは無かった。
「僕はここでリタイヤだ」
この、宣言を。
「竜の女王からの賜り物を失った。だからもう、僕には一般人程度の魔力しかない。今までもだいぶキツかったが、前線に出るのは無理だ。これからは大人しく、慎ましやかな人生に戻るさ」
戦力の大部分を無くした僕は、これ以上戦えない。そして、もう戦う必要もなかった。
「次は、君の番だ」
バトンを渡そう。
ゴアグリューズの野郎が始めて、そのせいで僕が奔走したのだから、彼女が後始末をやるのがスジだろう。そもそもこの魔王、発端に関わってもいるのだから、ちゃんと異世界転生者としてこの世界を掻き回した責任をとってくれ。
「分かったか? 君の調律を請け負うのに、いいも悪いもないんだ。是が非でも君には働いてもらわなきゃならない。これから一番忙しくて責任が重い役を担ってもらわねばならないんだからな。―――だから、これからの未来を君に託すために、僕は全力で君の調律を成功させよう」
希望を託された者が、勇者になるのならば。
勇者なんていくらでもいていいのだと、僕は思う。
「…………その」
同郷の女は何事かを言いかけて、言いにくそうに口ごもる。僕の顔を見るその目は未だ遠慮がちで、形の良い眉をハの字に下げていた。
……やれやれだな。まだ説得に言葉を重ねなければならないのだろうか。どうせ僕がやらなきゃ、まだ定着しきっていない彼女の身体は解けて消滅してしまうのに。
そんなのを放っておいて安眠できるほど、僕は人格破綻者じゃないぞ。
「なんだ?」
「いえ……その」
言葉を促してやっても魔王は言いよどみ、けれどやがて意を決したのか、控えめに口を開く。
「……大人しく慎ましやかな人生に戻れると、本当に思っているんですか?」
僕は視線を逸らした。
「………………無理かな?」
「無理ですね」
即答するな。
「無理でしょうね」
ルグルガンは黙ってろ。
「戦えなくたって仕事はいくらでもあると思うわ」「というか、面倒事から逃げようとしてませんか?」
お前らまだ立ち上がれてないくらい消耗してるんだから口を動かすな。
「まあ、なんダ。頑張れヨ」
まるっきり他人事な応援なんぞいらんわ。
はあ……頭が痛いな。無能になったんだから暇をくれりゃいいのに、まだまだやらされるらしい。たしかに今回の件で魔族と人族の関係は複雑を極めているし、この魔王ならここからなんやかやと双方へのアプローチを仕掛けていくはずで、僕の立ち位置で楽隠居なんか甘い見通しではあったが……。
クスクスと、鈴のように笑う声がして。
視線を向ければ、黒髪の少女が僕に微笑む。
「逃がしませんから」
やれやれだ。
まあ、いいさ。できることくらいはやろう。こういうのは一枚くらい噛んでおく方がいい。後でコイツが何もしなかったから大変だった……なんて文句言われてもたまらないからな。
せいぜい地味な裏方でもあてがってもらって……―――
―――瘴気が、地面から噴き出る。
「な、何事……―――!」
レティリエが驚きながらも警戒態勢をとる。剣の柄に手をかけ、僕を背にかばうようにして周囲を見回す。
見れば、他の連中もそんな感じだ。不測の事態に遭って、各々に己の武器を手に、あるいは魔術の準備をして構えている。突っ立っているのは戦う術のない魔王だけだ。
「思った以上に早かったな。そもそもなりかけだったのだから、さもありなんか」
僕はと言えば、警戒なんて無駄はせずに一点を観察している。
レティリエの剣撃によって縦に割られ、黒水晶のように凍りつき、もはや巨大な前衛芸術の作品を思わせる巨人……その、心臓があった場所を。
「竜族と一緒さ。魔力量の桁が違うから、死ねば必ず不死族になる。生きていた心臓を失って、ついに不死族化が最後まで進んだんだろう」
「そんな……落ち着いている場合ですか!」
「腰から下が埋まってて腕も頭部もない、なりたての不死族だ。せいぜい瘴気を撒き散らすしかできないよ」
まあ、放っておけば大変なことになるだろう。放出された瘴気は霊脈に乗って、魔界の瘴気濃度をさらに数段階濃くするはずだ。もはや魔族の居住は不可能になるだろう。ターレウィムの森の楔も保たないかもな。
けれどそれは、放っておけばの話だ。
「……弔ってやってくれないか?」
大きな……改めて目にしてもあまりに大きな巨人を見ながら、僕は隣の勇者に頼む。
弔う。その言葉を僕は、自然と選んでいた。
殺してやれ、とか、消滅させろ、なんて言い方ではない。結果は同じなのに、やることだって変わらないのに、そんな言葉を選んだ。
原初の巨人セーレイム。思うに、あの心臓が動いていたからこそ……こんな状態で未だ生きていてくれたからこそ、魔界の瘴気濃度はあの程度で済んでいたのではないか。
もしかしたら―――今を生きる者たちのために、懸命に不死族化から抗っていたのでは無いか……なんて考えてしまうのは、さすがに呆けた解釈だろうか。
あれはきっと、この暗闇の底の底にありて、いずれやってくる希望を待っていたのではないか……などと。
「―――承りました」
僕の声に、なにかを感じてくれたのか。
凜とした声で請け負ってくれた彼女は、背筋を伸ばして一度だけ深呼吸して、剣を抜いた。
皆の視線が集まる中、勇者は巨人の亡骸へと歩を進める。
一歩。踏みしめるように。
二歩。他の者を巻き込まぬよう、さらに前へ。
三歩。それは、彼女が信じる神かもしれないなにか。
四歩。振りかぶる剣は、救うために。
……彼女が今代の勇者で良かったと、今更ながらに思った。
ただ強いだけの者に、この役を任せたくない。殺し、壊し、消すのが上手いだけの勇者なんて三流だ。とてもじゃないが仲間になんてなりたくない。
少なくとも、僕はそう思うのだ。
―――五歩。踏み込み、剣を振り下ろす。
美しい聖属性の光が、神の亡骸を飲み込む。




