Calamities!
絶対に間違えた。
口にした直後にゾッと血の気が引いた。貧血でフラつきそうになったほどだ。
馬鹿か僕はなにやってる。術士のくせにこの程度の融通も効かせられないなんてどんな半端者だ。クズゴミカスかよこのド三流。謀るにしても自分を曲げるにしても後々でどうにかするにしても今よりはマシに違いないだろうに。もう首から上を塩で固めて漬物にしてしまえ。
「うん、さすがはボクの敵だ」
ふふん、と。ククリクはなぜか得意気な笑みを見せた。それは本当に満足そうな顔で、けれど強がりでもある証拠にちょっと涙目だった。
ただ、不思議なことにさっきまでの緊迫した雰囲気はあっさりとなくして、今は余裕すら感じられる。
「キミは大事なところでは偽らないのさ。ここ一番で真摯になる。そう信じていたとも。そう信じたからこそ、ボクは勇気を出したのだとも。……だって、それがキミのエゴなのだからね」
「……エゴ?」
一瞬、なにを言われたか分からなかった。
「欲張りってことだよ。キミは今、キミのためだけに選択した。世界平和と自分を天秤に掛けて、己を選んだ。それが強烈なエゴでなくてなんだというんだい?」
驚いたな……僕が欲張り、なんて。そんなことは初めて言われた。
けれどその通りだ。今、僕は僕を選択した。たしかに秤は片側に傾いたのだ。
「ああ、素晴らしいね。素晴らしいよ。キミは今、真にこの世の災厄となった!」
―――災厄。それは僕が目指したものだ。
そうか、と。妙に腑に落ちた。コトの重大さを知りながら、それでも選んではいけない選択をした自覚があったからかもしれない。
これが災厄か。思っていたよりずいぶん重い。
他のことなど知ったことかと我を通し、善も悪も秤にかける錘にならず、己の道だけを真っ直ぐ進む。そうしていつか星も届かぬ遙か彼方へたどり着く。
たしかに、それは僕が目指したものだ。
そして、そのために必要なものを、僕は知っていた。
「それでこそ世界のコトワリを変えた大罪人。人族最大の危険人物。ボクの敵。キミこそは世界に仇なす災厄だとも」
まるであべこべだ。超級の脅威を手にしているのはそっちだし、これからやらかすのもそっちだろうに。どの口でなんて言い草だろう。
……けれどここまで言われて、やっと僕は僕の間違いに気づいた。
僕が、この世の災厄であるのなら。そう、この相手が定めるのであれば。
そうだ僕は間違っていた。迷う必要も悩む余計も無い。後悔なんてしてはいけないし後ろめたさもいらない。それは彼女への侮辱でしかない。
ここで彼女と相対するためには、僕はそう在らなければならないのだ。胸を張って、己がエゴでもって堂々と受け止めねばならない。この女を相手に情けない男のままでは、対等になどなれやしないのだから。
胸の奥の棘が猛るように熱くなった。本当に馬鹿だ僕は。
なんども言われた気がする。悲しまれ、嘲笑われ、怒られた気がする。それでも、どうしても僕にはできなかった。
けれどこの女と肩を並べるためには……同じ目線で対峙するために、それが必要というのなら。
なによりも、僕の中にその種が眠っていたのであれば。
「だからボクはここで、キミを倒そう」
その宣言を正面から受け止める。これにどう答えるべきなのか、僕は知っていた。
僕たちは敵同士なのだから。
全てをなぎ倒す。
その覚悟でもって、僕はここに災厄を名乗ろう。
この最高に勇気ある僕の敵に、恥ずかしくないように。
「いいや、僕が君を倒す。この世の災厄として、己を押し通すために」
僕は決意を固め、彼女はニヤリと笑って。
ドクンと巨大な心臓が鳴動し。
「覚醒めろ。創造神セーレイム!」
ククリクが心臓へ、魔力のパスを通す。
ズグン、と鳴動した。大地ごと揺れた。星ごと揺れたのかもしれなかった。
地面がせり上がった。固いはずの足下が冗談のように波打ち、星座のような模様が強烈に励起していた。たまらず左手を地につけるが、それでも跳ね上げられそうになって四つん這いになる。
それでも僕は目を離さなかった。
やるとは思ったが、本当にやりやがった。
さすが常軌を逸しているぞ魔族の学徒。あんなものと魔力回路を繋ぐなんて、それだけでタダではすむまい。最悪魂ごと分解される。
それでも、来る。
ボコりと地面が隆起し、地面が裂けるように割れて、くの字の黒い巨大ななにかが引き抜かれるようにして顕れるのが見えた。
それはよく見れば節があり、引き抜かれた先には手首があり、人差し指と薬指が欠け小指も半分以上を失った手があった。
それは、それだけで絶望したくなるほどの巨大な腕だった。
「竜じゃなかったか……」
そんなことに目が行ってしまったのは、自分でもどうかしていると思う。明らかにそれどころではない。けれど思考は止まらない。
特徴的に竜種ではない。それだけは分かった。アレは人型の腕だ。親指の発達具合からしても間違いないだろう。……だが、スケールはでかいが人の腕に比べてずいぶん細い気がした。それこそ昆虫の節足を思わせるほどに細い。もちろん近寄れば大樹もかくやという太さなのだろうが、あの腕の長さにはまるで合っていない。
顕れたのは右腕のようだった。ソレは地面に前腕部をベタリとつけ、赤黒い体液と瘴気を撒き散らしながら、地中から身体を引き抜こうともがく。……それだけで、身体が浮くほどに地面が揺れる。
人間では有り得ない関節の動きで、右肩が出現する。心臓の部分が持ち上がっていく。漆黒色に星座模様の胸部が露わになり、そしてソレが何なのかやっと分かった。
「アハハハハハハ! やはりね! やはりだ! 創世神セーレイム。神の腕たちと共に世界を創造せし存在! そして世界の基となったモノ! ここに在るキミは、使い残しだと思っていたよ!」
頭部がなく、左腕も肩の付け根からごっそり欠けて、心臓が剥き出しになった上半身。肉はすべて世界創造のリソースに使われて、もはや節くれ立った骨格が透けて見えるほどに痩せ細ったそれは、視界が歪むほどの瘴気を纏っていて―――それでも生を主張するかのごとく、ドクンと鳴動する。
その灼き付くような光景を、もはや理解する気にもならず。
見上げるほど高く持ち上がった心臓の隣で僕の敵が、高らかに声をあげる。
「だからこそ、コレはこの星の全てと繋がっている!」
―――クッソ。
思わず笑みが漏れてしまって、そんな状況じゃないだろうにと思った。
この女はもういつもの学徒に戻っている。もう今更土下座して謝ったところで、僕のモノになどなるまい。
そういう相手なのだろう。気持ちの良いくらいにサッパリしている相手なのだ。
そして、冷酷な魔族である。
「決めた! 決めたぞボクの敵! キミを殺してコレをもらうよ! コレさえあれば未知の全てをつまびらかにするのも夢じゃない!」
「……それでこそ僕の敵」
獰猛に笑う自分を自覚した。痛みも忘れて右拳を握りしめる。
ついさっき僕が災厄であるから倒すと宣言したのに、もうこれだ。そうだよな。そんなタマじゃないよな僕の敵。
己の道しか見ていない。高みしか目指さない。それ以外のことなど唾棄してなぎ倒す。
僕の敵であるなら、災厄であるのは当然。
状況は最悪で、戦況はすでに絶望的で、けれどもすこぶる気分が良い。
世界のことなど知ったことか。今この瞬間、数多ある他の全ては取るに足らぬ余計と堕した。ついでに僕もクソ野郎に堕ちた。
なんて果報者なのだろうか。
あれほどの相手が、僕を好敵手と認めているのだ。
「その性根、ぶん殴って叩き直してやる」
神代最古の遺跡の深奥。神話の始まりの地。神秘の原点。世界の中心で。
クソみたいな私闘を繰り広げることに、一欠片の躊躇も湧かなかった。




