ククリク
気がはやったのだろう、あまり美味いとは言えない携帯食を皆が我先にと口に入れ、水筒の革の臭いが染みたマズい水で流し込む。
脳に糖分が足りないのか単純な疲労なのか、身体の求めに逆らえず僕が自分の荷から取り出した干し葡萄を今度こそ囓ると、皆もそれに追従して貴重な甘味を頬張った。
急いでこの馬鹿げた迷宮を抜けたいが、先に行こうにも疲労を自覚している。全員がそんな調子で、唯一の例外はククリクだ。
鋼鉄の精神を持っているのか、彼女は殊更にゆっくりと携帯食を咀嚼し、嚥下にも時間を掛けた。干し果物も少しずつ口に入れ、味を楽しむ様子まで見せた。とっくに食べ終わった全員の注目が集まる中それなのだから、大したストレス耐性だ。
「食べるのが遅くてすまないね。ボクはどうも胃が小さいようだ。魔族軍に入る前は栄養失調と友達の生活をしていたもので、ゆっくり食べないと吐いてしまうのだよ」
……初めて聞くな。この女が魔族軍に入る前の話。
「へぇ、あんたにも魔族軍に入る前なんてあったのね。どんな生活をしていたの?」
珍しくミルクスが話に乗る。挑むような眼光は、その不幸を己のそれと比べてやろうという意図でもあるのだろうか。……そういうの、あまりオススメしないけどな。
「うん、奴隷だったよ」
ククリクは干し果実を口に入れたまま言った。
「物心ついたころには奴隷でね。親は顔も種族も知らない。一日一回、生ゴミみたいな食事と変な薬を摂取させられて、毎日畑の世話なんかさせられてたよ。栽培していたのは魔薬に使う危険な毒草や毒樹だったんだけどね。ああ、調合の下処理なんかもやってたかな」
あまりにあっさりと語られて、ミルクスが面食らう。
矮躯だとは思っていたが、あの細身はその過去のせいか。背の小ささも種族的なものかと思っていたが、成長期に十分な栄養がとれなかったせいかもな。
「まあそんな生活をしていたんだけど、あるときその街……村? 集落? 柵の外に出たことがなかったから分からないけど、とにかくそこが滅んじゃってね。それで自由になったボクは、いろいろあって魔族軍に入ったワケさ」
……エルフ姉弟とは逆だな。二人は里を滅ぼされて外の世界に出るしかなかったが、この女は己の周囲が滅びたからこそ自由を得た。
話を聞く限り、使い捨ての消耗品に近い扱いだ。おそらくそれがなかったら、いずれ衰弱か毒で死んでいただろう。
「君を奴隷にしてたのは魂紋族とかいう魔族か?」
気になって聞いてみると、彼女は口の中のものを飲み込んでから首を縦に振った。
「へぇ。ゴアっちから聞いたのかい? そうだよ。魂に直接魔術式を書き入れるイカれた連中さ。そいつらが滅亡した後しばらく瓦礫を漁って暮らしたけれど、面白かったな。なかなか知的な魔族だったようだよ」
物心ついた頃から奴隷という生い立ちを感じさせない思い出し笑いをして、水筒に直接口をつけて中身を飲むククリク。
最後に彼女は手の甲で口元を拭って、食事を終えた。
「食事はね、ちゃんと摂らないとダメだよ。こんなときこそね」
魔力流れる迷宮の最奥ということで、どうやらマナは異常に濃い。僕の肌でも圧迫感のようなものを感じるほどだ。これくらい魔力が濃いと僅かな歪みや光のような魔法現象が発生したりしそうなものだが、それが一切起きていないのはこの遺跡が制御しているからだろうか。
「じゃあ、開けるぞ」
僕はスライムをスタンバイしてから、この一行のリーダーである魔王に確認する。彼女は最後に地図を見て、次に開ける扉が間違ってないことを確かめてから頷いた。
「お願いします」
スライムをゆっくりと動かせば、扉はあっさり開いていく。その先には両側が閉じた扉で、正面が壁の部屋。
魔力の流れを感じた。今いるこの部屋から、次の部屋へ流れ込む魔力。その勢いは本物の風のように服や髪が揺れるほどだった。
正面の壁に、天上の音階で記された魔術陣が浮かび上がる。
「開くよ。ボクの推理通りだ。ワクワクするね」
喜色に満ちた声。ククリクの言うとおり、壁が真ん中から二つに割れていく。音はない。継ぎ目もない壁のクセに、両端に飲み込まれるように入っていった。
僕はスライムを操り、足を進める。もしまた小部屋があったら心が折れるだろうなと思ったが、どうやら迷宮は終わりらしい。その先は広い、とても広い空間だった。
「……いい加減、おかしいだろ。最初期の遺跡といっても、貴重なリソースを使ってこの規模の建築物を造る意味が分からん」
「浪費じゃないなら、意味はあるんだろう。とはいえボクもこれには驚きだ」
まるでドームだ。プロが観客入れてスポーツでもやりそうな広さ。これだけでもうこの遺跡は最初期と確信してしまっていいんじゃないだろうか。
「あ、気をつけてリッド」
ミルクスから警告が飛んでくる。それに反応する前に、先を進ませていたスライムに異変があった。
ずるり、と下に落ちたのだ。疑似神経を介して操作していた僕は手を引っ張られ、バランスを崩してしまう。
「危ないですよ、錬金術師殿」
転びかけた僕の襟首を掴んだのは、後列にいたルグルガンである。さすが上級魔族。手がスライムに引っ張られて重み増してるのに、片手で支えてくれるの凄いな。分かってるけど生物として別物だわ。
「ありがとうミルクス、ルグルガン。危うく落ちかけた……」
「もう、気をつけなさい。……あたしからも礼を言っておくわ、ルグルガン。力が強いのね」
「礼を言われることではありません。この程度に反応できないようでは、魔王様の近衛騎士団長はとても務まりませんので」
己の胸に手を当てたルグルガンが紳士的に微笑むと、その後ろで魔王がホッと胸をなで下ろす。
「いえ。よく彼を支えてくれました。さすがルグルガンですね」
「おおおお、もったいないお言葉です魔王様!」
なんか、魔王へのアピールの積もりで助けられたっぽいな……。まあいいけども。
しかし固い言い方ではあったものの、ミルクスまで礼を言ったのは驚いた。―――本当に、自分が穴に落ちかけたことより驚いたな。
「これはこれは、そうとう深い穴だね。底が見えないや」
僕がスライムを手元に引き寄せる合間に、ククリクが地面に膝をついて穴の縁を覗き込む。……今、殊更に慎重にいくながれじゃなかったか?
「広さと高さに気をとられましたが、下にも広がってたんですか。大きな穴ですね」
ククリクの横にはモーヴォンがいたが、こちらは膝はつかず立ったまま腕を組んでいる。まあ、彼は落ちたとしても魔術で浮遊して戻るだけだろう。ククリクもゆっくり降下するくらいはできるだろうか。
溜息を吐いて僕も観察する。広い円形でドーム型の空間だが、外縁に約三メートルの床があるだけで、あとはくり抜かれたようなでかい穴が空いていた。規模が違うな。まさか、まだ下に行けというのか。
「……神の腕は、どうしてこんな遺跡を造ったんでしょうか?」
そう、呟くようにレティリエが宙へ問いかける。
地の底にまで続きそうな穴を覗き込んでも、答えを返せる者はいない。それを知るには、おそらく下へ向かう必要があるだろう。
すごく単純な話だ。行けば分かる。
「みなさん、あちらに階段があります」
魔王の声に、皆が振り向く。見ると、少し離れた場所に下へ向かう階段があった。
どうやら彼女だけは穴を覗かず周囲を観察していたらしい。もしかして高所恐怖症だったりするのかな?
「……階段?」
はて? ここはまだ、世界が天と地に別れる前……高さのない時代に造られた建造物だと思っていたが。
まあでも、そもそもそんな時期があったのかは怪しいし、さすがに決めつけるのは早すぎたかもな。有力視されていた学説が後々調べたら違ってました、なんていくらでもある話だし。けどそれだとさっきまでの迷宮の構造説明がなぁ……高さのない時代に造られて、後で手を加えられた可能性もあるか。
「えい」
「お?」
ドン、と。気の抜けたかけ声とともに、背中に衝撃があった。余計なことを考えていたせいで、僕も気の抜けた声を出してしまった。
こんな場所だというのに。
崩したバランスを戻そうと足を踏ん張ろうとして、地面がなくてスカった。
あ、ヤベこれ落ちる、と思って、そのときにはもう手遅れで。
両手を前に伸ばして、僕を押した姿勢のまま、満面に笑うククリクが視界に映って。
「ファック」
僕は悪態を吐きながら穴へ落下した。




