天地創造の一節
平坦な場所かと思っていたら、常軌を逸した下り方をしていた。
一部屋進むごとにその部屋の高さ分、下へ転送されるらしい。このままだと結構な距離を下りることになる。
「つまり、地下になにかがあるんだろうな」
そういう結論になるのは当然だが、なにがあるかは分からない。結局のところ進むしかないのだけれど、不安が増したのは事実だ。
しかし、下か……酸素チェックも必要かな。生きている遺跡だから有毒ガスは罠でもないかぎり発生しないだろうが、十分な酸素がないと一呼吸で死ぬとかいう話を聞いたことがあるしな……あれってどの程度で起こりうるんだろう?
一応、デコイにしてるスライムの様子に気を配っておくか。
「エディグ山の地下になにかがある、ですか。意外ではありませんね」
魔王の声が後ろから聞こえる。そういえば、目的地を決めていたのは魔族側だったな。もう聞いてもいいだろうか。
「魔王殿に一つ聞くが、エディグ山が魔界の中心部、ということでいいのか?」
「それについては分かりません。瘴気の範囲は東の海まで続き、その先の調査はできていない状態ですから」
「海があるのですか?」
地理の話にレティリエが驚く。そういえばフロヴェルスには海がないな。
魔界は広いから海に面していても不思議じゃないが、改めてあると聞くと興味が湧いてくる。
「見たことはありません。ですが、聞いた限りではおおむね普通の海であると。瘴気に日が遮られるので水温は低いのではないでしょうか」
「じゃあ泳げないな」
まあ、瘴気に満ちた海ってそもそも魔物いそうだけどな。えぐい毒とか持ったやつ。
「瘴気自体は魔界のどこの大地からでも発生しています。エディグ山はその中でも最も発生量が多い地であり、この地を中心に瘴気の濃い域が広がっていると観測されているのです」
「そしてエディグ山の地表部分はすでに、空を飛べる部隊が偵察している。その報告を受けた中で、最も怪しいのがこの遺跡だったわけさ」
まあ、濃密な瘴気の発生源にいかにもな神代の建造物があれば、まずはそこを目的地にしたくなるよな。
つまり、この先になにがあるかは分からないわけだ。……とはいえ、なにかがあるのだろう。いくつかの予想はできるが、さて。
「ところで、これは本当に下へ移動しているのですかね……? 完全に横移動しかしていない気がするのですが」
居心地悪そうに言ったのはルグルガンだ。術士系なのに、魔法的な構造に抵抗感があるらしい。さてはエルフよりもセンスで魔力使ってるなコイツ。
「……これはセーレイム教に伝わる世界創造の神話なのですが」
少しばかり躊躇った時間があって、魔王の声が響いた。……今の彼女はセーレイム教総本山の王族じゃないからな。わざとではないとはいえカルト教団を立ち上げて魔王になった立場で、セーレイムの教典をそらんじるのは憚られるのだろう。
「神の腕は天と大地を分け、すべての生命が繁栄できる世界を創った、と。かなり最初の部分に、そういう一節があります」
「あったなそれ……うっわ」
大した信仰心を持たない僕は、教典なんて読んだのかなり前だ。ほとんどうろ覚えだから、そんな文は忘れていた。
「ああ、それは素晴らしい。素晴らしいお魔王さま。とても面白い話だ。それはボクじゃ辿り着けなかったよ。なにせ、セーレイム教の教典は気になったところだけしか読んでないからね。あのクソ長いくせに冗長としたほとんど益体の無いアレを延々と読むなんてボクにはとてもできなかったけれど、たった今すこしばかり認識を改めたところさ!」
ククリクの声も弾んでいる。
もし魔王の言った一節が関係しているのなら、この迷宮は下っていく構造なのではない。この先にあるモノが下にあるだけなのだ。今進んでいる最中に起きている事象は仕掛けですらなく、あくまで点と点が繋がっているが故に起きているつじつま合わせに過ぎない。
僕はコレを知っている。嫌と言うほどに知っている。
ここが高さの概念がなかった時代に造られた遺跡であるのなら、今の僕らが進んでいる道はバグのさなかだ。
「いやぁ、楽しくなってきた! 本当に最初期の遺跡の可能性が高くなってきたね。学徒として、これほどの僥倖はないよ!」
どれだけ長くとも、ゴールがある限り、終わりがないということはない。
一つ一つ進めば、いずれはたどり着くものだ。
気が遠くなるような作業は慣れている。錬金術で膨大な量の術式を書き始めるとき、僕だってうんざりしないわけじゃない。
……ただ、それが終わった時は、なかなかに悪くない気分になれるものだ。
ひたすらに同じ間取りの小部屋を行く。通った部屋に印を付け、地図にも書き込んで、スライムを先行させて次の部屋へ。
頭がぼうっとしてくる。思考能力が削られてくる。一部屋進むごとに、今が何番目の部屋か分からなくなる。心の嫌な部分から黒い靄が湧き出るように、もうこの迷宮は実は閉じていて、僕らはここから出られないのではないかと不安が押し寄せる。
人の精神は弱い。それは僕も例外ではない。
「甘いものが食べたい」
例えば、気づけばこんな欲求を口に出してしまっていた、なんてことも。
「干した果物でいいかい?」
「うおっ」
ククリクが後ろから干し果物をサッと差し出してきて、ビクッとなる。言葉にしていたつもりがなかったので、心を読まれたかと思った。けれどたしかに声に出してしまったような気もして、心臓を抑えつつ果物を受け取る。
「お、おう。ありがとう」
「糖分の補充は重要さ。しっかり食べたまえ。休憩はいるかい?」
「必要無い。あと少しだ」
あと少し、と言いつつ、残りが何部屋かは覚えていない。部屋に印を付ける役は魔王で、地図に書き込む役はククリクからモーヴォンに変更になっている。僕はその二人が指示する扉を開ける役だ。
思考能力の低下した状態では、一番前の僕には正確な把握が困難になってきている。
ただ、ここから早く出たい。そんな気持ちに急かされるように、足を先へ向ける。ククリクからもらった干し果物を口へ放り込んだ。
「――――――辛ぇっっっっ!」
頭蓋にガツンとくるような悶絶するほどの刺激に、膝から崩れ落ちる。ヤベぇ! 辛い! 死んじゃう!
「おやすまない、魔界のフルーツは味が安定しなくてね。それは特別辛いやつだったようだ」
「嘘つけこの女! これ絶対辛い実だろ甘みねぇもん!」
「アハハ、バレちゃ仕方ない。油断する方が悪いのさ」
コイツここで殺しちゃダメかな……! ミルクスとモーヴォンも我慢してるのに僕がやっちゃダメだよな……!
「なにやってるのよ……ほらリッド、水よ」
ミルクスが水筒を出してくれて、僕は慌てて流し込んで咽せる。エルフの少女は呆れた様子で背中をさすってくれた。介護だこれ。
「いやなに、精神的にまいっているようだったからね。キミだけじゃなく全員がさ。途中まで和気藹々と雑談まじりだったくせに……いや、そんなに盛り上がってはいなかったかな? まあそこはどうでもいいか。とにかく誰も彼もほとんど喋らなくなって、まるでゾンビの行軍のようだったよ。薄気味悪いったらないね。ま、みんな目をパチクリさせて正気に戻ってるし、キミの絶叫はいい刺激になったんじゃないかな? 今日の夕食に赤色が足りなくなるのは寂しいけれど、それだけの効果はあっただろうさ」
「そういう行軍に刺激を与える役は自分自身でやってくれ……」
「断る」
気持ちいいくらいスパッと拒絶しやがって……!
「というか、その状態で最後の部屋へ入るつもりだったのかい? まあこの精神状態で長々と止まっていると、妙な動きをする者が出てもおかしくないけどさ、せめて携帯食を腹に収めるくらいの休憩を挟むべきだと愚考するがね」
「まあ、たしかに小休憩くらいはするべきかもな……ん? 今なんて言った?」
「次が最後の部屋だよ、ボクの敵」
………………それは、なんというか。
「君の判断は間違ってないな」
そう認めるしかなかった。




