期待
「モーヴォン、どうして怒らずにいられるのかしら」
小声の愚痴は、残った五人と十分に離れたところでやっと発せられた。まっすぐ歩いているだけで振り向けば様子が見えるが、この無音の空間でも耳を澄ましてさえ聞こえない距離だ。
僕の隣で俯いた顔は不満そうで、悔しそうで、それでいてどこか納得している。その横顔には彼女の、美しいまでの強さが垣間見えた。
「怒ってはいるだろう」
僕はそう言った。他に適当な答えを見つけられなかった。
ターレウィムの森には魔界との境界がある。そのため魔族や魔獣の危険は他より多く、あの里の者は皆、森で生き抜くために戦いの技術を修得していた。
だから、滅んだ。
戦いに参加した者の数が、そのまま死者の数になったから。
「魔族にていのいい助手扱いされるなんて、あたしだったら殺してる」
静かな、淡々とした声音。本気の声だな。
モーヴォンもハッキリとやめてくれって言ってたし、本気で嫌そうだったもんな。彼より感情的なミルクスでは耐えられないだろう。
僕には、ククリクは同じ術士としてモーヴォンを評価しているように見える。さっき助力を求めたのも、あの少年の魔術を認めているからだろう。……だが、それをこの少女に伝えたところでなんの慰めにもならない。
屈辱だろう。魔族と協力するのは本意ではないはずだ。同じ空気を吸うのさえ嫌悪が湧くに違いない。
「ククリクを殺したいか?」
「殺したいわ」
即答だった。
「殺そうと思えば殺せるぞ、アイツは」
「そうね。でもできないわ」
答えは淀みない。それが哀れだ。彼女は賢く、優しすぎる。
今ここで誰か一人でも殺してしまえば、全面戦争は避けられないだろう。それは結果として大勢死ぬことになる。それを彼女は理解しているのだ。
いや。それを理解していると知っていて、僕はミルクスを連れてきた。モーヴォンもだ。
「ネルフィリアがな、言っていたよ。魔族との戦いを止めたいと。君らにも言葉を尽くすとも」
あの日のことだ。ウルグラの夜。前魔王と僕の弟子が対峙した時。
エルフの二人は気絶していたが、僕はそれを聞いた。神聖王国の王女は戦いを止めたいと願い、祈り、あの漢を赦したのだ。
「なんと言われた?」
「……話を聞かれたわ。あたしたちの話を」
話している最中も足は進む。
突き当たりまで来て、僕は部屋の印の番号を確認した。そして地図の写しにも印を付けて、皆が待つ方へと戻る。
ミルクスは訥々と言葉を紡ぎながら、僕に続く。
「子供の頃の話。両親の話。友達の話。弓の先生の話。狩りの話。森の世話の仕方。好きだった木の実。お気に入りの景色。毛皮のなめし方。獣の骨で釣り針を作る方法。里の枯れ枝を保管する場所に秘密基地を作ったこと。苦労してたくさんの花を集めても、香水はほんの少ししか採れないこと。もちろん、サヴェ婆やポンペのことも」
「…………」
「そしたら、泣かれたわ。ぼろぼろ泣いてた。あの子、自分の子供の頃がないから感情移入しちゃったのね」
「…………」
「それで、がんばりますって言われたのよ」
「……何って?」
「がんばります、って。意味が分からないでしょう?」
「ああ。分からん」
「多分、なにも言えなかったんだと思うわ。なにも言えなくて、けれどどうにかしたくて、だからあたしたちになにか言えるようにまずは自分ががんばろう、って。そういうことよ」
「そうか」
僕の弟子はまだまだ未熟ってことだな。知ってたよ。
「ねえ、リッド」
「なんだ?」
「あたし、どうすればいい?」
自分で考えろ、なんて不誠実なこと、とてもではないが言えなかった。
勝手な期待をしていたのだと思う。
もう僕の弟子のネルフィリアが説得してくれているはずだとか、共に行動していくことが魔族のことを知る機会になるとか、二人は頭が良いから滅多なことはしないだとか。
そんな、愚かなほどに勝手な期待を僕はしていた。
だから彼女は問うた。どうすればいいか、と。
僕が抱いた期待を見透かして、僕が望む答えを求めた。
あるいは……委ねられたのだろうか。里の件で、彼女は僕とレティリエに恩義を感じているようであったし。これをもってその借りを返すという意があるのであれば、ここでの僕の言葉は彼女の人生をも縛るだろう。
「……前世の僕は悪人でな」
勝手な期待をしてしまっていた。
勝手な祈りを、し続けたいと思った。
「今でも夢に見る」
答えにはなっていなかった。ただの懺悔だった。
けれどミルクスは真面目に聞いて、そう、と返した。
正直なことをいえば……答えは僕も持っていないのだ。自分でもなにを期待していたのか分からないのだから。
だから情けないことに、こんな中途半端な受け答えしかできない。弟子の未熟を笑えやしないな。まったく、溜息が出てしまうよ。
……いや、違うな。答えを持っていないことが、答えなのかもしれない。吐きそうなほどに気持ちが悪い話だが、委ねようとしたのは僕の方だ。
赦されたくもないくせに、断罪してくれる相手もいないくせに、贖罪の方法もないくせに。
加害者である僕がどう在れば良いのか分からず、まったく別件の被害者である彼女の選択を見たいと思った。―――そんな、あまりにも身勝手に過ぎる浅ましさに気づいてしまって、目眩がした。
「そんな前世に縛られてるから、今世でも間違えてるの?」
刃物で心臓を貫かれたかと思った。
以前、彼女に己の劣等感を見透かされたことがあった。自分で自分の価値を認められないから、価値のあるモノに手を伸ばせない、と非難されたことを思い出した。
「バカバカしいわね。それこそ赦される罪じゃないわ。少なくともあたしは赦さないから」
あのときと同じように、彼女は怒っていたのだ。
「やあお帰り! 首尾はどうだい? なんだか不機嫌そうだったり青い顔してたりと興味深いイベントがあったようだけど、迷宮に関係ないならサクッと飛ばしていいかな? ちょっとボクの敵の意見が聞きたくてね」
……スゲぇ安心するなぁこのズケズケとしたマイペース。興味深いとか言いながら絶対興味ないだろ。
「なにか面白いものでも見つかったのか? 壁にカビでも生えてたとかの大発見なら歓迎するぞ」
僕とミルクスが元の小部屋に戻ると、五人は車座になって座って頭を悩ませていた。レティリエ、モーヴォン、魔王が頭を付き合わせて呻っているのはともかく、ルグルガンすら難しい顔しているのはただ事ではないな。壁にカビよりかは分かりやすい発見かもしれない。
「いや、すごく真面目な話なんだ。実は魔術で計測したところ、拠点がかなり上方にあることが判明してね」
……………………なんて?
「実は魔術で計測したところ、拠点がかなり上方にあることが判明してね」
「二度も言わなくていい。それは物理的にか?」
「そうそう。これはここにいる全員にしてみた確認だけど、今まで坂や階段なんかなかったよね?」
「まったくなかったよ」
「弓手さんもかな?」
「……歩きにくい場所はなかったわね」
段階を踏むにしてもそんな質問からか。今まで歩いてきたところはすべて平坦で、感覚的に分からない程度の斜面になっていたとしても誤差の範囲に収まると思うが。
「ならよかった。ここにいる全員が正気であるか、もしくは全員が狂気に侵されたかのどちらか、というのが分かったからね。ではボクの敵、すまないがちょっと次の扉を開けてくれたまえ」
「……まあいいが」
言われるままにスライムを解凍して膨らませ、次の扉を押し開けると、ククリクは飛び込むように部屋へ入って手早く魔術を唱える。
「うん、やっぱりだ。ボクがざっと計算してみたところ部屋を一つ進むにつれて、この部屋の高さ一つ分下がっているようだね。いやぁ面白い仕掛けだよ!」
この小部屋、天井は三メートル近くあるが。
「モーヴォン、今の話は本当か? この白いのの学徒ジョークじゃないだろうな?」
「事実です。自分も確認しましたから間違ってないと思います」
この少年が言うなら間違いないか……。つまり僕らはただ歩いているだけだと思っていたが、一部屋進むごとに魔法的な効果で地下へ送られていると? どんな術式だ。
この部屋で三三九番目の部屋だっけ? すでに一キロくらい下ってるってことか? というか部屋数は計算で一万二百と一つなんだから、全部進むと三十キロメートル以上下りるのか。マントルまではいかないと思うが……いや待て。
「拠点じゃなく、遺跡の入り口は探れるか? 最初の通路も結構歩いたぞ。もしその間でも魔法的な仕掛けで下っていたとしたら……」
「それはボクも思ったんだけどね。知ってるだろう? 魔術は便利だけど万能じゃない」
「だいたいの方角と距離は分かりますが、計測するとなると別です。遺跡到着前の最後の野営地なら術印を残してあるのですが、そこだと距離がありすぎてやはり難しいでしょう」
現在の正確な深度を測るのは無理か。くそ、もどかしい。
入り口地点で術印を残してくれていたら良かったんだが、むぅ……なんかあの時ワチャワチャしてたから責められないなぁ。天上の音階に挑戦するの、もうちょっと段階踏むべきだったか。
「つまり、この小部屋は部屋ではなく階段だったってイメージか……。一周して回ってきた時、部屋が繋がったのはどう説明する?」
「扉が繋がってるんだろうね。そして一度繋がってしまったら、階層が同じになってしまうんだろう。」
「ややこしい……どうしてそんな構造になってるんだ……」
僕の声に、学徒はクツクツと笑う。楽しそうに。
「どうして? 愚問じゃないかボクの敵。疑問というのはね、解消するためにあるものさ」




