迷宮
せっかくククリクが解き明かした小部屋の謎だが、先を進むには後発隊が補給物資を届けてくれるのを待たねばならなかった。
「食料の準備が必要ですね……」
「心が折れたら終わりだな」
「人員は厳選しましょう」
暗い顔で皆が意見を交わしている。誰も彼もが嫌そうだ。遺跡って調査ってこんなげっそりした顔になることあるんだ……。
「アーノさんもどうせ動きませんしぃ、もう置いていくんでしょうねぇ。鬼人族さんたちは元々道案内の人ですからここまででしょうかぁ。……あとぉ、お姉さんもそろそろ役立たずかなぁとかぁ」
削減される人員側であることを主張するな。
……とはいえ、やる気も役立つスキルもない者は普通に連れて行きたくないんだよなぁ。発狂でもされたらコトだし。
まあ、ペネリナンナお姉さんのメンタルはこのメンバーの中でトップクラスに頑強な気もするのだが。
「やあ戻ってきたよ! ちゃんとゴール地点も確認したさ! ボクの敵が見落としていた隠し扉をね!」
この女はほんっと楽しそうだよなぁ。
つまるところ、あの小部屋は小部屋ではなかった。扉は扉ではなく弁であり、ゴールは存在していた。
即ち、それは迷宮だった。
『知っていますか? 迷宮と言えば普通は大規模で複雑な迷路を思い浮かべるものですが、本来は分岐のない一本道のことを言うのです。あのクレタ島の大迷宮も一本道で規則的に造られているとか』
「おおう……そうなのか。それは知らなかったな」
なかなか物知りだな魔王。けど、その豆知識をわざわざ前世の言葉で伝えてくるのはなんでだ。
その程度の知識、この世界に持ち込んだところでなんの影響もないと思うぞ。
「これは真に迷宮ってことね……。人喰いのバケモノが巣くってないといいな」
「そんなものがいたら、むしろありがたいかもしれませんね」
軽口を聞きつけたルグルガンが肩をすくめる。まあたしかに君にとっては気分転換になるだろうな。問題は相変わらず僕が先頭であるということだ。
右回りに一周した時点では正直もう罠はないと思っていたのだが、この通路の構造を聞いて少し警戒心が増している。いかにも集中力と警戒心を削り油断を誘う構造であるなと感じたからには、初志貫徹してデコイ作戦を続けねばなるまい。クソ面倒くさいな。
「どうかご無事でぇ。拠点の方は任せてくださいねぇー」
残る方は気楽だな。元気に手を振りやがって。
拠点組の護衛として残るゾニと目が合うと、へらりと笑ってこちらは軽く手を振ってきた。
まあ、この二人はこの先に向いていないだろう。遺跡に興味なさそうだもんな。
「さてさて、それでは挑むとしようか。諸君、心の準備はいいかい?」
一人元気なククリクが音頭をとる。そのまま、僕らがお通夜な雰囲気である理由を改めて説明する。
「ボクたち第二陣が調べたところ、あの第一の部屋をまっすぐ行った突き当たりに隠された魔術式を見つけた―――いいや、まだ発動していない式と言えば良いかな。その術式を発動させるためにはおそらく大量のマナが必要であり、この小部屋は進んだ方向へマナが流れる造りになっている。よって、ボクらはこれから全ての小部屋を通って魔術式のあった部屋を目指すことになる」
頭痛がする話だ。僕ですら溜息が出る。
計算上、部屋数は一万二百と一つ。部屋は一辺が約二メートル半。全ての小部屋を通るとなれば、単純計算で二十五キロ半。
スライムをデコイにノロノロ進むのであれば、丸一日でいけるかどうか。
単純に距離が長いのだ。景色の変わらない道を延々とゆっくり歩くのはツラいな。一周回ってくるだけでもウンザリしたのに。というか下手したら精神疾患になりかねないぞ。
―――問題なのは、それがおそらくただの通路でしかないことだ。
なんの発見もない通過点を行き来するために、結構な時間を要する。タイムリミットもある以上ロスは避けたい。食糧不足なんかで戻ってきたくはないので、準備は万全にすべきではあった。
「一筆書きで歩けばいいというのは分かりましたが、再挑戦には一度全ての扉を閉める必要があるというのが面倒ですね。その縛りがなければもっと楽に行き来できるのですが」
モーヴォンの声は悔しそうだ。試してみたのだが、一度回路を繋げて魔力の流れが安定してしまうと、扉を閉めても魔力の流れは発生しなかったのである。
詳しく検証してみたところ、おそらく扉を開けるという行為に一定量の流れが発生する仕掛けなのではないか、というところまで突き止めた。なので一旦全ての扉を閉じてある。
つまりズルはできないわけだ。
「一日で踏破しましょう。我々は先へ進まねばなりません」
魔王は背筋を伸ばし、毅然とした態度で宣言する。
「いやあ、面白い。面白いね。ボクが思うにこの迷宮……もうこの小部屋の連続を迷宮と仮称してしまうけれど、この迷宮はただ進んでいるのではないんだよ。この魔力が流れる仕組みこそがその証拠さ!」
なにも面白くないし楽しくもないが、ククリクはご機嫌だ。鼻歌交じりに進んでいく。
事前に作成してあった予想の地図を手に、通った場所を朱色のインクで塗り潰していくのが彼女の仕事で、つまりルート確認というミスの許されない役であるのだが、大丈夫かな……このテンションでうっかり記入ミスやらかしたら、僕が紳士として許せる気がしないぞ。
「魔力が流れる、と簡単に言うけどもね。マナを思い通りに動かすのは術士にとって最も基本的な最初の一歩であり、そして最後まで抱える命題の一つだったりするんだよ」
まあ、言わんとすることは分からなくもない。術士にとっては避けて通れない魔力効率の話だ。
平均的な術士が十のマナを扱った場合、実際に魔法現象として顕れる魔力は八ほどだと言われている。初級であれば十の内の四程度しか扱えればいい方で、九まで使えれば一流を名乗れる感じだ。
一流と平均の違いはたった一割。この差はたとえば攻撃系魔術の単純な威力であれば、そこまで変わらない。だがその一割は連発性能や命中精度はもちろん、射程と射出速度などに大きく影響する。そして高度で繊細な術式であれば、その一割は発動の可否に関わってくる。
もちろん僕にとっても他人事ではなくて、造るときはロスなく魔力を導通させるために毎回手間と金をかけている。
インクとか自作で結構な魔力伝導率を確保してるしな。まあ最高級とはいかないんだが。
「たしかに魔力の流れをつくる、というのは簡単ではありません。マナとは気まぐれなものですので、どれだけ導いても整然とはしないもの。ですが、ここの魔力はその……気持ち悪いくらいに一方向に移動しています。まるで河川を水が流れるように」
肌感覚で分かるのか、モーヴォンが居心地悪そうにしている。
水属性の精霊についてもそうだったが、どうにもこの遺跡内は魔力が通常空間と違うな。なんというか、機能的に最適化されている感じだ。まるで使用されることを前提とされるような。
エルフとして森に産まれたモーヴォンとしては、この迷宮は違和感しかないだろう。
「河川で例えるのは秀逸だね。上から下へ水が移動するのは自然の摂理だ。ボクが思うに、それと同じようなことがここでも起こっている」
「水のマナであるなら分かりますけどね……」
「風でもギリ分かるかな」
モーヴォンと僕が代表的な移動の性質を持つ二つを上げる。水と風はわりと一方向に流れやすいからな。
けれど、ククリクはそんな僕らを見てフフンと得意げに笑ってみせる。
「甘いね。とても甘い。愚にもつかない浅薄な意見と言うしかないね」
「この女ホント……」
「よく考えてみなよ。属性に関係なくマナが流れる場所が自然界にもあるだろう?」
属性に関係なくマナが流れる……? 自然界で? そんなとこあるか?
こう、そうとう特殊な条件が揃えばありそうだが。魔獣が特殊な方法で縄張りマーキングした場所とかじゃダメか?
「霊脈でしょ」
答えたのは僕でもモーヴォンでもなく、ミルクスだった。
「ここまで整然とはしてないけれど、ターレウィムの森に感じは少し似てるわ」
「ああ、あそこも霊脈だもんな」
「いえ、自分は似ていると思いませんが……」
「モーヴォンよりあたしの方が外に出てるもの。里にいたころ、マナの薄い場所に出かけたことないでしょ?」
姉の言葉に呻る弟。ううむ姉弟の会話だな。モーヴォン、たしか半年で森の世話から外れたんだっけ。そりゃ狩人のミルクスの方が行動範囲は広いわ。
ただ、たしかミルクスも迷いの森から出たことはなかったんじゃなかったかな……。あそこだいたい霊脈の上だったはずだぞ。
彼女も彼女で、結構な精度で魔力を感知してそうだ。……魔術士としての才能は申し分ないと思うんだけどなぁ。狩人としての才能も申し分ないけどさ。
「素晴らしいね弓手君! その通り、ここは擬似的な霊脈になってるのさ」
「…………」
ククリクが上機嫌に褒めると、ミルクスは眉間にシワを寄せて黙り込む。どうやら魔族嫌いはまだまだ拗らせてるな……。少しはマシになりつつあるのか、それとも悪化してるのかは分からないが。




