儚き勇者
勇者は死んだ、と聞いて、直感ですべて理解した者はもう一人いた。破壊の化身だ。
叫ぶような、激昂の声が詠唱を紡ぐ。
僕は懐のヒーリングスライムを引っ掴んだ。
そうだ。それだ。
まだ、それがある。
「やれワナ! 消し炭も残すな!」
この場で、彼女の決断を止める人物は一人しかいない。僕は呪文を唱えようと口を開いたドロッドに跳びかかる。
申し訳ないが身体で妨害を阻止し、スライムで拘束させてもらう。
副学長だとか、ハルティルクだとか、そんなの知ったことか。
これは……これだけは。
今ここで、全部ぶっ壊す。
『落ちよ』
一言だった。
詠唱破棄の魔術で僕もワナも、それどころか他の冒険者まで地面に叩きつけられた。くっそ重量操作……いや、魔力抵抗無視で範囲魔術なら重力操作か。
詠唱破棄でこの威力、分かっちゃいたがとんでもねぇなこの爺ぃ。
「……いったい、どうしたというのですか」
ドロッドは呆けたような顔で首を傾げて、僕らを順に見回した。
そしてワナに目を留めると、唱える。
『事情を説明せよ』
……くそったれ。悪手った。
結局、僕らは何の処罰も受けなかった。拘束すらされなかった。
事情をすべて知ったドロッドとイルズは、一旦地上に戻ることを提案した。全員が頭を冷やす必要がある、と。
気絶していた四人を起こし、筒の中の女性と、曲がり角の生徒の遺体を回収して、地上で埋葬した。
そうして、今。僕はレティリエと森の中にいる。
二人で話したいと、彼女が言ってきたのだ。
「誰にも話してはいけない話を、してもいいですか」
遺跡からだいぶん離れた場所で大樹を見つけ、レティリエはその木の根に座り込んだ。
もうイヤリングは取って、顔は元に戻っている。バレたからな。もう顔を変える必要もない。
「どうぞ」
僕はその大樹の幹に背中を預ける。
「わたしは、姫様の侍女でした」
姫様……魔王に連れ去られたフロヴェルスの王女。レティリエはそのお付きの侍女か。
料理や掃除の腕、そして品格はそこで培ったんだな。
「ある日の夜、いつものように姫様と姫様の部屋に戻ると、魔王がいました。突然のことです」
神聖王国の王女の部屋にいきなり乗り込んだのかよ……。やんちゃだな、魔王。
「そして、魔王は姫様に取引を持ちかけました」
「取引?」
意外な単語が出て、思わず聞き返す。
王女は魔王に攫われたとは聞いたが、取引なんて話は初耳だ。
「神聖王国の知識で瘴気をなんとかできないか、と。瘴気は魔族にとってはお酒のようなもので、あまりに濃いと酔って暴れる者が出る……そんなことを言っていました」
人族にとって瘴気は毒だが、魔族にとっても無害というわけではない、ということか。どの程度の話なのか気になるところだ。
「取引なら、君ら側も何か要望を出したはずだけど?」
「はい。姫様は魔王に、ロムタヒマへ侵攻するよう持ちかけました」
……。
…………。
………………は?
「ロムタヒマは魔王軍に侵略される前の当時、軍事大国として周辺の小国を取り込み、大陸の覇権を握ろうとしていました。いつ神聖王国に攻め込んできてもおかしくない、という瀬戸際で、姫様は心を悩ませていたのです」
「だからって、神聖王国の王女が魔王にそれを頼むか……」
正直、どうなの? って話だ。
思ってたのとは別方向で機密事項じゃないか。
「そのように誹られても仕方がないのは、姫様も承知していました。それでも王族として、国を護ることを選ばれたのです。……そして、魔王は約束を守りました。ですがそのやり方は、あまりにもおぞましく」
だろうな。相手は魔族だ。人族の禁忌なんか平気で犯す。
魔族の軍隊が何を食べながら進むか、なんて考えるまでもない。
「姫様は魔王を危険視し、放ってはおけないと考え……魔王の暗殺を謀ったのです」
頭痛がしてきた。
なんというか、穏やかじゃないな姫様。本当に酷い。思い切りが良すぎる。深窓の姫君の発想じゃない。ちゃんと約束守った魔王がかわいそうに思えてきた。
「それで、君か」
「魔王は騒ぎにならないよう、わたしと姫様の前にだけ姿を現していました。わたしは一応護衛の訓練も受けてましたので、少しなら戦う術も身につけていました。わたしなら絶対に不意を打てる。不意を打てば倒せる……そう思ったのです」
そのときの感触を思い出したのか、レティリエは自分の右手を見る。
彼女は少し、震えていた。
「でも、失敗しました。深傷は負わせましたが、敗北しました。そうして姫様は連れ去られ、わたしは王国に命じられ勇者としてロムタヒマに向かいました。ですが……」
「攻略がはかどらず、ここに送られた、か」
「……きっと、あれはフロヴェルスの慈悲だったのです。わたしが戦争で活躍していたならば、勇者の力を十分に扱える素質を見せられていれば、きっとここには送られなかったでしょう」
それは、どうだろう。たとえ彼女がある程度の成果を出していても、結果は変わらなかったような気がする。
強大な力は呪いだ。
功績は勇者の力のおかげとされるだろう。失敗は彼女の力不足のせいにされるだろう。
彼女がどれだけ頑張っても、それをマトモに評価する者はいない。
それこそ魔王を倒しでもしない限り、ここに来させられたのではないか。
「レティリエ。なぜ、その話を僕に?」
「…………」
少女は膝に顔をうずめる。一度口を開こうとし、閉じたのが分かった。
ああ、ダメだな、と。僕は天を仰ぐ。これが嫌だった。
彼女にヒーリングスライムの話をしたときのことを思い出す。
破綻した人工生命に、彼女は親近感を覚えると言った。
あのときの消え入りそうなほど儚い表情が、ずっと頭から離れない。
「わたしを、殺してくれませんか」
枝葉の間から、柔らかな陽光が注いでいた。空は抜けるように蒼く、風は涼やかで。
泣き叫びたいほどに、胸の奥にある棘が熱かった。
「勇者は死んだが、勇者の力は人族の手にある、ってイルズさんは言ってたっけ」
きっと。僕は転生なんてしてはいけなかった。
「勇者の力は、宿主が死ねば受け継ぎ可能になるんだな」
「はい……」
仮に二百年前の勇者が使い物にならなくても、彼女より勇者にふさわしい人物はたくさんいるだろう。僕がここで拒否しても、あの装置を粉微塵にしても、彼女は刺客に狙われ続ける。
最適解は明らかだ。
「このまま、どこかへ逃げるって手もあるけれど」
「できません」
そうだよな。君にはそんなこと、できるはずがないよな。
「そうまでする理由があるのか?」
「……はい」
レティリエは拳を握る。その声は涙に濡れていた。
「姫様を、救いたい。でも……わたしでは、ダメなのです」
もし、神なんてものがいるとして、そいつの意向で僕がここにいるとしたら。
許すことなど、できそうない。
引きずり出して、何かのたまう前に、のどぶえを噛みちぎって殺してやる。
「……承った」




