神の腕
「そういえば、ルグルガンは神を殺したいんだったな?」
結局デコイ作戦は採用されてしまって、僕は一行の先頭になってしまった。仕方ないので今は、視力担当のミルクスと並んで歩いている。
すぐ後ろにはルグルガンとククリクがいて、もし戦闘行動が必要になったときは、すぐにミルクスがルグルガンと入れ替わることになっている。……この二人にスムーズな連携なんて求めるべきではないから、僕が時間稼がないといけない気がするな。できるかどうかはともかく覚悟しとこう。
ちなみになぜこの隊列なのかというと、そのすぐ後ろに魔王殿がいるからだったりする。
ククリクが前に行きたいとワガママを言ったのが始まりなのだが、困ったことに魔王の調律役は繊細すぎて彼女にしかできない。万が一分断される系の罠があった場合を考えれば、魔王はできるだけククリクの近くにいるべきである。
そして、ならば当然のごとく近衛のルグルガンが前に立たねばならない―――こいつらホント面倒くさいな。
「そうですね。神を殺す。私のみならず、多くの魔族が同じ志を抱いています」
「ならせっかくの遺跡なんだ。神の正体に近づくために、まずは神の腕について推察してみたらどうだ?」
「神の腕についての推察……ですか?」
「ああ。そういうことを考えるのもわりと面白いぞ」
こんな話題を振ってしまうのは、早くもこの遺跡に少し慣れてきたからだろうか。まったく変わり映えのしない通路は警戒心までも摩耗させる。
スライムを先行させながら、入り口から真っ直ぐ続く長い通路を進んでいく。
建材が淡く輝いているため視界は悪くないが、それはどうやら勇者の近くだけらしい。明るいのはだいたい半径二十メートルくらいだろうか。不便は感じないが、先までは見通せなかった。
……この遺跡、エディグ山の岩壁に埋まってる感じなんだけど、もしかしなくとも山の中心部へ向かってる感じだな。
「まずはこの通路から分かることを言っていこう。ルグルガン、気づいたことがあればなんでも言ってみてくれ」
「気づいたこともなにも、見たままでしょう。二人なら並んでも多少の余裕をもって歩けるほどの幅で、進むと明かりも移動してくれる便利な造りですね」
「付け加えるなら、高さは人間の平均身長の二倍弱ってところか。そして飾り気はなく表面はのっぺりとした建材は、高い魔力耐性を持っているらしい、と」
本当に大したことではないのだが、これだけでも分かることはあるものだ。
「遺跡というのは、元はなんらかの施設だったものだ。住居だったり工場だったり、珍しところだと遊技場だったりもあるんだが、つまりは神の腕が使っていたものだな。だから、この通路も神の腕が歩くためのものだ」
まあ、だいたいの遺跡は分枝期に造られたものだから、工場やら遊技場やらは人間が利用していた可能性もあるが。
「この通路の幅と高さは、そのまま神の腕の体格を推測できる材料となる。これより小さいのは当然として、ストレスを感じないだけの広さを確保しているのであれば……まあ、背丈は人間とそうは変わらないだろう」
「そして通路が光ることから、神の腕は視覚を頼りにしていたことが分かるね」
学徒として好みの話題なのだろう、ククリクが話に乗ってくる。
「たしかにそうですね。ですが、それでは二本足だったかどうかまでは分からないのではありませんか? 四つ足の場合はけっこうな大きさになると思うのですが」
「いいなルグルガン。そういう意見は面白い。たしかに神の腕が人型をしているなんて、この通路からは読み取れない。……まあ実際には他の遺跡の様子から、人型だっただろうと言われているんだが」
「面白いだけじゃないですか……」
恨みがましい声を出すな。一応褒めてるんだぞ。君にしてはなかなか目の付け所が良かった、と大絶賛だ。
「まあ、ここで分かることで何が一番重要か、というとだな。―――神の腕は肉体を持っていた、ということなんだ」
だいたい三百メートルほど歩いただろうか。けっこう長い通路だが、先を行くスライムには一度も異常らしい異常は観測できない。
ここ、もしかしてトンネルじゃないだろうな? だとしたら部屋なんてないぞ。
「肉体ですか。それはそうでしょうね」
「なんでだよ。妖精だの精霊だの死霊だの、肉体を持ってなくても精神がある存在はいるだろう」
「ですが、こんな遺跡を必要とするなら肉体を持つ存在でしょう?」
それを言ってたんだよ。
それを、言ってたんだよ。
「………………その通りだな。それで、神の腕のだいたいの大きさと肉体に縛られた存在だということが分かったうえで、だ。神話の時代に彼らは、この広い世界をそんな矮躯で創り上げた―――いや、創り上げなければならなかった。とても大変な作業だと思わないか?」
「身体の大きさが関係ありますか? 神の腕には天上の音階という魔法があったのですから、いくらでも好き勝手にできたのでは?」
この褐色美形、既存の神を信じず魔王の説いた悍ましき神々を信望してるわりに、神の腕の話にも普通に乗ってくるな。
まあ実際に遺跡が目の前に存在するわけだから、それを認めないわけにもいかないか。もしかしたら頭の中で混ぜてこねくり回して、魔族にだけ通用する整合性を造り上げてるのかもしれない。
「その通りだ。素晴らしいなルグルガン。今の発言は冴えている」
「バカにされているようにしか聞こえないのですが」
「いやいや、本当に褒めてるのさ。君の言うとおり、いくら世界に比して塵芥にも満たないちっぽけな矮躯でも、凄まじい魔法の力で好き勝手にできるのであればなんの問題もない。……つまり神の腕というやつは、世界の創造にあたって天上の音階を乱用しているはずなんだ」
隣を歩くミルクスは黙々と歩きながら警戒に専念していて、先ほどから一言も口を挟んでこない。魔族とは壁があるのだろう。
無理に打ち解ける必要はないし、そんな不自然は誰も望んではいない。心の中に憎しみを留めておくことを、咎めることは誰もできない。
もしかしたら今も暴れ出したい気持ちを堪えているのかもしれないが、そんな愚かな結末を良しとするような少女ではないと、僕は知っている。
とはいえ、精神的に無理をさせているのも事実だよな。そろそろ心の休息を入れたいところなのだが。
「……乱用、ですか」
ルグルガンのいまいちピンときていない声音が響く。まあそうだろうな。はるか過去に終わったことで、僕らはそれで創られた世界の上に立っているんだから。
「乱用だよ。魔法とはな、単純に魔力を消費することじゃないんだ。魔力の移動、活性化、停滞化、拡散、凝縮、変質と、まあいろいろあるわけだが、最終的には循環に帰結する。……ルグルガン、君が炎弾の魔術を使ったとしよう。すると対象は当然破壊される。もし周りに可燃物があれば火が燃え移るかもしれない。そして君は使用した分の魔力を失う。だが、その分の魔力は休めば回復する。ここまでがセットだな?」
「そうですね。枯渇までいったとしても一晩寝れば全快します」
「ものすごくザックリと、誤解を恐れず難しい説明を端折って、わかりやすさ全振りで少しの間違いに目をつぶるのであれば、それが循環だ」
「なぜそんなに凄まじく葛藤した顔をしているのか分かりませんが、理解しました」
「神の腕がひとたび天上の音階を使用すれば、それが世界規模で起きると思われる」
魔素は魂から産まれるって一文すら省いているから、これはもう本当に正確性に欠ける分かりやすさ全振りのザックリとした説明なのだが、それを事細かに理解できるのはククリクとモーヴォンくらいだろう。
「一回使えば天変地異さ。余波をまき散らしながら何度も何度も、特にこの遺跡が創られたころである創世期は大規模なものを積み重ねるように使用しまくって、世界の原型はやっと形作られた。それが乱用でなくてなんだと言うんだ」
前世の世界で僕の立っていた星は、齢にして四十五億歳くらいだっただろうか。
この世界の創世期がどれほど前なのかは伝わっていないのだけれど、もし神話のとおり神と神の腕が一から造り出したのなら、かなり若いのではないだろうか。……まあ、僕はどうにもそれを信じる気にはならないのだけれど。
「神の腕の誤算はな、彼らが肉体を与えられた、世界に対してあまりにも矮小なる存在だったことだ」
これは僕の持論でしかないのだけれど。
完璧な術式は存在しない。完璧なプログラムは存在しないのだ。
もしそれを造れるとしたならば。
「神の腕は、神ではなかった」
僅かに足音が響いた。皆が黙ったので、そんな音まで聞こえてしまった。この通路、硬質のくせにあまり音が響かないのだけどな。
「だから瘴気が溢れ出したと?」
「僕はそう思っている」
ルグルガンの問いに、僕は頷く。
「ではやはり、瘴気を宿す魔族は望まれぬ存在ということですね」
「そうだな。君たちは神に叛逆する権利があるよ」
それがどれだけ都合の悪いものでも、他者の持つ権利は認めねばならない。それを否定するのであれば、己の生きる権利すら奪われても仕方がない。
ま、それができないから人族と魔族は殺し合うしかないんだが。
前を向いているので、後ろのルグルガンの表情は分からなかった。
「ボクが魔王さまの説く神の話を聞いた限りでは、ルグルガンたちが殺したいのは神より神の腕の方が近く思えるけどもね」
雑談の隙間へするりと差し込まれたククリクの声は、どこか他人事のように聞こえた。
学問としてはともかく、宗教そのものには興味はなさそうだもんな。
「肉体があり、凄まじい力があり、得体が知れない。キミたちが信じるのがそういうものなら、神の腕は条件を満たしていると思うけどね」
「それでいて、なにも愛していないモノですよ。神の腕はずいぶんと人族が好きなようですからね。条件は満たしていません。ですが、神の腕の産みの親であれば……―――」
「ボクはそこ、けっこう疑っているけどね」
声は淡々と、それでいて酷く冷たく、徹底的に他人事のようで。
「神の腕同士が愛し合って、最初の人族が産まれた。まあそれはそうだとしよう。揺籃期には人族を生かし育てる施設を建て、分枝期には人族に知恵を授けた。神の腕はその頃は人族を愛していたかもしれないね。……けれど、今は? 人族は無償の愛を受ける資格があるほど純粋で心美しい存在かな?」
ああ、もう。本当にこの女は。
四方八方に喧嘩を売ることに、なんの躊躇いもないんだな。
「あるいは、揺籃期ですら神の腕は本当に人族を愛していたと言えるのかな? もしボクが創造者であれば、完璧なデキと自負できる完成品をこそ愛すけどね。それまでの試行錯誤でできた数多の失敗作は、纏めてゴミにしてしまうけども」
芸術家らしい意見だな。今の人族は先の完成形への課程であり、創造者は後世に出現するだろう最高の一人だけを愛すと。
人族とは即ち、その一人にたどり着くための屍の道か。レティリエと魔王殿はどんな顔してるんだろ。
「……神の腕はもうこの世界にはいない。皆、どこかへ去ってしまったさ。彼らがどう思っていたかなんて、それこそ想像するしかできないね」
「いやいや。ここにいるじゃないか。キミだってそうじゃないかって思ってるんだろ、ボクの敵?」
僕の言葉を否定するその声音は、意地の悪い猫が鳴くように。
「キミや魔王さま、そしてもう一人の例があるからね。神の腕が同じことをやっていてもおかしくはない。むしろ神の腕がそうするために、世界のコトワリにそれを加えた可能性もあるかもしれないね」
話している間も歩は進んでいて、不意に、あまりにも不意に、通路の先に扉が現れた。
入り口にあったのとほぼ同じ術式の書かれたそれを、もう少し早く出てきてくれよと僕は恨んだ。……今ので、ルグルガンの標的がレティリエになったかもしれない。
「ボクの敵も、ここにいないボクの友人も、自分の身体に宿るもう一つの魂から魔力を引き出していた。だったら聖属性の魔力を引き出せる勇者とは、神の腕がいなくなった現代で神の腕の力を使える存在とは―――神の腕の魂を身を宿した者なんじゃないか……なんて、キミが思い至らないハズがないじゃないか」
レティリエに反応したのか、扉が開いていく。
神の腕が利用していた施設が、彼女を受け入れる。
「この世界に転生という現象があるのは、神の腕が転生を望んだからじゃないかな?」
……だとしたら、好き勝手しすぎだな。どうせロクなヤツらじゃないんだろう。




