遺跡の進み方
「つまり、この遺跡の中は安全ってことだ」
僕は盛大に食い散らかされたスライムを指さす。黒狼という瘴気属性が引き起こす現象は硬質化させたスライムをいとも容易く削り取ったが、それがある一線を境に止まっていた。
遺跡の入り口である。
「ククリクの挑戦の時に見せた瘴気属性への耐性は、建材のみならず遺跡全体に結界のような形で敷設されているものかもしれないな。それが瘴気のみなのか、それとも他の魔力も受け付けないのか、なぜ生体が内包する魔力は弾かないのかなどの疑問はあるが……とりあえず、黒狼を警戒するなら拠点は遺跡内部に確保した方がいいと提案しよう」
すでに黒狼の発生は収まっており、この騒動で怪我をした者はいない。改めてそれを確認した僕は、ヒーリングスライムに魔力を喰わせてから結晶に戻す。
「もしかして、ソレ確かめるためにスライム使ったのかヨ?」
「さすがに失礼だな、ゾニ。黒狼はその体積と同じ大きさの対象と消滅するんだ。スライムを喰わせてれば時間稼ぎくらいにはなる。皆を助けようとした結果だよこれは」
僕だって今のは予測できていなかったし、とっさの判断だった。皆が避難するまで壁になれたんだから、少しくらい褒めて欲しいね。
「そうね、あたしも助かったしお礼は言っておくわ。……そもそもあの変な実験なんてしてなければ、危険な目に遭うこともなかったでしょうけど」
「ぐ……」
ミルクスが冷たい目で真理を突いてくる。悪かったよ。
「遺跡内なら今のような現象が起こらないのであれば、拠点は中に作る方が安全かもしれません。ですが外部からの危険への備えと、やがて来る後発隊を迎えるためにも、この場所に見張りは必要でしょう」
魔王はもう作戦の組み立て直しに入っていた。
たしかにこの場所での見張りは必須だろう。全員遺跡の中に入ってしまっては、後発隊が困りかねない。
ただ外部からの危険に関しては……エディグ山に近づいてしばらく生きている動物には出くわしていないんだよな。この濃い瘴気の中で生存できる危険生物がいないとは断定できないが、あんな黒狼みたいな現象が頻繁に起こる場所で生きているものなどいるだろうか。
……いや、そういう生物がいたとしたら、それは本当にヤバいやつだな。警戒して損はないか。
「でしたらできるだけ近い場所で、拠点になりそうな場所を見つけましょう。なにはなくとも、当面の安全を確保しなければ深部には進めません」
魔王の意を汲んでそう纏めたのはレティリエだった。
元主従だからかこの二人、ごく自然に以心伝心してるよな。横でルグルガンが口をへの字にしているのが面白いな。自分が言いたかったのに、って顔してる……けれどそんなことを考えてる時点で従者としては出遅れてるんだよな。レティリエの視線はもう、通路の奥へ向いてるし。
彼女を見習って、僕も進行方向へと視線を向ける。そこには床に手を突いているククリクがいて、そして先ほどまであったはずの扉がなくて。
「ああ……開いてしまった……」
学徒殿の哀愁漂う声が響き、僕はせっかくの勇者が遺跡の扉を開けるシーンを見逃してしまったなと悟った。
まだいくつか天上の音階相手に試したかったんだけどな……ま、人命が失われるところだったから仕方ないか。気持ちを切り替えて行こう。
奥へと続く通路は先に伸び、壁も天井も床も僕らを迎えるように淡く輝き始める。
どうやら神の腕という創世期の登場者たちは、わりと常軌を逸していたようだ。それを僕らは、一つ目の部屋で知ることになる。
「遺跡内は僕が先行する。モーヴォン、たぶん引っかからないと思うが罠感知の魔術を二十歩ごとに頼む。ミルクスは目視で警戒。妙なものがあったら何でもいいから教えてくれ」
お手伝いという立場をわきまえずに仕切った僕に、魔族側からは非難の声が、人族側からは正気を疑う声が上がる。
「待ちたまえよ僕の敵。未知の宝石箱であるこの遺跡を先頭で歩きたいからって、そんな横着が許されると思っているのかい?」
「リッドさんは治療役ですから、むしろ一番安全なところにいるべきではないのですか?」
残念だがククリクほど無謀ではないし、レティリエほど常識人じゃないんだよな、僕。自分の中途半端さを自覚するね、ホント。
けど、僕も嫌だけど多分これが最適解なんだよ。だってこれまでの行軍中にそれとなく探り入れてきたもん。
「……この中に、遺跡探索に役立つスキルがある者は手を上げてくれ」
全員を見回し沈痛な声で聞くと、しん、と静まりかえる。
なんだっけこの、騒がしさの間になぜか一瞬だけ訪れる静寂。天使が通った、って言うんだっけ。
天使だったらいいけど、今通ったのは死神だぞ。
「魔王殿。つかぬ事を聞くが、鍵開けや罠解除などが得意な者は魔族軍に所属していないのか?」
「もちろんいますね……」
「なんで連れてこなかった?」
「……なんででしょうかね」
なんでなんだよマジで。分かんないよ僕にも。
この女、レティリエに聞いていた通りだ。頭は良いし善人だしなかなか見所ある人物のようだが、どこか肝心なところで空回りしている。絶対忘れてただろ。
「ちょちょちょっと待ってくださいよぅ。そちら勇者パーティーなんですよねぇ? なんでそういう技能持っている方がいないんですかぁ? というかお姉さん薄々思ってましたけどぉ、そちらの四人のパーティーバランス悪くないですぅ?」
「ハハハ役立たずのくせに指摘ばかり鋭いなペネリナンナ。パーティーバランスなんか整うわけないだろ寄せ集めなんだから」
「心が強い回答ですねぇ!」
パーティーバランスとか冒険者の詩かよ。
酒場で使えそうなヤツに話しかけて一緒に手頃なクエストなんてどうですか、で始まる冒険? 一回やったけどソイツ邪竜堕ちした竜人族で魔族軍の将だったぞ。
これ見よがしに溜息を吐いてやって、それから淡く光る壁を手の甲で軽く叩く。
「まあ、創世期の遺跡に普通の錠前や罠なんかないけどな。そもそもその時代は、敵どころか悪の概念すらなかったんだし。だから遺跡調査がいきなり頓挫するワケじゃない」
とはいえ、いわゆる盗賊的な人員がいれば役に立つ場面もあっただろう。特殊な訓練を積んだ彼らの目は、素人のそれとはまるで違うからな。
悲しいなぁ。遺跡への挑戦は二回目だけれど、なんで二回とも危険な先頭を歩かなければならないのか。僕はなぜこうも探索のプロに縁が無いのか。
……ま、なんだかんだで汎用性は僕の自慢だ。中途半端は中途半端なりに、便利に使われるのがお似合いである。
「というわけで、遺跡を進むにあたってデコイを使おうと思う。―――『開け』」
僕は皆の前でヒーリングスライムを起動すると、それを人型程度の大きさに膨らませた。試しに少し通路の奥へと進ませる。
うん、マニュアルだと人が普通に歩くより遅いくらいの速度しか出ないが、警戒しながら行くならちょうどいいだろう。
「なるほど、それを先行させて、罠などがあれば発動させてしまおうというわけですね」
「ああ。大岩が転がってくるようなお約束の罠があったら泣くしかないが、まあまあ有効だと思う」
魔王が感心してくれたのでほぼ決まりかな。今からでも間に合うから、実はもっといい作戦があるんですよ、とか言ってくれない? これ一番危ないの僕なんだけど。
「便利だねぇそれ。一個くれないかい?」
「ふざけんなしばくぞ」
これまでの旅でもヒーリングスライムが他人に渡ることを覚悟したことはあったが、ククリクだけには絶対に渡したくない。コピーを造られるくらいならともかく、ネチネチ粗探しされた上で完成系を造られたら立ち直れなくなる。




