魔眼と幻術
「さて、それでは突然暴れ出した不届き者の制圧といきましょうか」
ルグルガンが前に出る。武器も手にせず、気負いも見受けられず、普通に歩くように五歩ほど足を進める。
「寂しいね。バハンの使者とは認めてくれないわけだ?」
クルクルと短杖を回す竜人族も、立ち姿に力みは感じられない。互いに雑談のような調子で相対し合う。
「ふむ……もし貴殿の王が押印した書状を持参であれば、我が王に取り次ぎさせていただくのですが」
「ハハ、いきなり喚び出されたのにあるわけないだろ。というか、着てた服すら持ち込めてないのになに言ってるんだ」
「それではやはり、今日のところはお引き取りを。後日正式にお越しいただけたら歓迎いたしますよ」
「お前らの仲間もそうやってたなら、こっちの女王や諸先輩方もまだマシな対応したと思うぜ?」
二人が言葉を交わすごとに、間の空気が張りつめ緊張感が高まるのを感じる。
互いにわかり合うための会話ではない。わかり合えないことを確認するための会話だ。決裂は目に見えているが、かといってしないわけにはいかない。双方共に自己の正しさを譲る気はないのだが、きちんと決裂するまで言い合わないと正しさに汚点が残ってしまう。
……ううむ、相打ちで両方死なないかなこの二人。ルグルガンとアーノ、両方とも魔族軍の強者だから戦力大幅ダウンが見込めるんだけど。
「そもそも、今の貴殿は魔族軍のアーノが影法師を纏った姿でしょう? その口を突く言の葉は、はたして完全に本物をなぞったものなのでしょうか。貴殿の行動も言動も、アーノの意思が介入している可能性があるのであれば、それを鵜呑みにしてバハンの意思と見なすのは双方にとって不利益なのでは?」
「お、脳みそが足りないと思ってたが、なかなか考えられるじゃないか。たしかに僕がその可能性を否定することはできないな」
コツ、と足音が響く。ルグルガンがさらに歩を進めた音。
コツ、コツ、コツ……と、ゆっくりと。竜人族の正面を避けるようにして、褐色肌の魔族はただ普通に歩いていく。―――けれど僕の兄弟君といえば、視線がまったく動いていなかった。
まるで相手が変わらず立ち止まっているかのように、誰もいない場所へと話しかける。
「そうだな、僕が使者を名乗るのはさすがに無理があるかもしれないか。いいよ、そこは認めよう。……だが、やはり面会の許可がいるとは到底思えないな。―――さっきの話じゃ、統制できなかったハグレどもがバハンに来たってことだろ? そんなの国がまともに機能し管理してたら有り得ない話だ。しかもそれに関し国としてなんの謝罪、釈明もないとくれば、もはや国家の責任を放棄しているとしか思えん。猿山にガラクタの王座を据えてごっこ遊びしてるだけなら、こちらが付き合ってやる理由がないだろう」
よく回る舌だなー。あれって誰に似たんだろうね、親父殿かな。生まれ持った底意地の悪さが透けて見えるんだけど。
いやホント、あんなに憎たらしい言い回しするなんて悪人の才能があるとしか思えないもん。兄弟として恥ずかしい限りだわ。
「こちらにもいろいろと事情がありましたが、そうですね。我々はたしかに、国家を運営するにあたって不手際があったと認めましょう。―――魔族は知らなすぎた。人界のことも、人族のことも、国のことも、貴殿たちのような竜種のことも。そして自分たち魔族のことですら分からないことだらけだった。ええ、それはもう、囚われの姫君に教えを請うほどでしたから」
そこはゴアグリューズが悪いな。人間の国家について理解してるくせに、魔族ばらまいても各国への手回しすらなかったのは、あいつの抜け落ち……―――あ、待てよ。それは違うのか。
あの頃の魔族軍、というかゴアグリューズは、そもそも外交なんてする気なかったんじゃないか。アイツは人族と魔族が仲良く共存するなんて無理だとスッパリ諦めてたもんな。必要あれば戦うまでと割り切っていたに違いない。
あるいは、まだまだ人界で領土を広げるつもりだったのなら……それこそ外交なんて意味が無い。なにをしようとどうせ、人族はすべて敵に回るのだから。
つまりこれ、魔族軍が無理な方向転換をしたツケなんだな。
「―――ですが、魔族軍は以前とは違います。国を運営するに足る知識と統率力を備えた者が、新たな王となりましたから。これより魔族は歴史上で初めて一丸となるでしょう。今こそが魔族の転機。この大事な時を、影法師ごときに脅かされるわけにはいきません」
「ハン。つまり、どう足掻いても結論はこうなるわけだ。いいぜ、僕を暴漢とみなすならそれでいいさ。それらしく暴力で決着つけようじゃないか」
この雑談を終わらすのは、僕の兄弟君だと予想していた。
魔素とは流れうつろうもの。故にマナの固定は難しく、魔法の効果を長時間持続させるのは至難の業だ。……つまりあの竜人族リッド・ゲイルズには時間制限があるだろうと、ここにいる三人は全員が認識している。
ルグルガンは会話を長引かせようとし、僕の兄弟君は早々に終わらそうとするだろう……なんて、術士なら予想できて当然。
竜人族リッド・ゲイルズが短杖を顔の前で構える。大きく息を吸う。
―――が、僕が見る限りその視線の先には誰もいない。ルグルガンはすでに彼の横に立っているというのに、気づきもしていない。
「こちらとしても、貴殿が何者であろうと関係ありませんね。あの部屋にいる御方へ危害を及ぼす行為は、万死に値します」
邪眼による幻術で惑わし、隙だらけの敵を狩る。それが彼の基本的な戦い方なのだろう。
それはもはや戦闘と言うより狩りに近い。意識の外から致命の一撃を与えるだけならば、作業と言ってしまっていい。
勝敗などとうに決していた。僕は腕を組んで、影法師の魔法が解除される様を観察する。
竜人族リッド・ゲイルズが口を開く―――同時、ルグルガンはその顎を思いっきり蹴り上げて焼き菓子のように歯と骨を折り砕き、竜の息吹を不発に終わらせる。
そして。
「ハ―――やっぱ脳みそ足りないわ、お前」
嘲る声と共に掌底が鳩尾に突き刺さり、ルグルガンの身体が吹っ飛んだ。通路の壁に激突し、破片を散らしながらめり込む。
そこへ間髪入れず、目も覚めるような紫電の息吹が放たれた。
「あんな子供だましにかかるかよ、バッカにしやがってさ。魔眼も幻術もお前の専売特許じゃないだろうに」
息吹を吐き終えて、竜人族は飄々と嘯いた。したたかに蹴り上げられたはずの顎には痣一つなく、歯や骨の異常もなさそうだ。
「うっそだろ……相手は最上級だぞ」
まさかの結果を目の当たりにして、僕は自分の声がかすれるのを自覚する。マジかよこれ。
―――竜は、竜眼という魔眼を持つと聞いたことがある。
ルグルガンの邪眼みたいなものではなく、視るという受動的機能の延長線上にある、魔眼としてまっとうなモノだ。たしか、魔力の流れや生物の感情などを視覚で捉えることができる……だったかな。
それでルグルガンが使用したであろう幻術を見破って、逆に魔術で幻術をかけ返したって感じだろうか。
……幻術。幻術か。そういえば、この男は以前も幻術を使っていたな。あの時に見せたレティリエの幻は一目で偽者と分かるような酷いデキだったが、今のはこうして端から見ていても気づけなかった。
いくら才能と竜のポテンシャルがあったとしても、こんな短期間の修行ではさすがに、ほとんど詠唱もなく僕とルグルガンの魔力抵抗は抜けないだろう。だからおそらく光学系の幻術だと思うんだけど、それにしてはやられモーションまでバッチリだった。芸術点をくれてやりたいくらいだ。どうやら竜の魔力量にかまけず、それどころか驚くほど丁寧に細かい技術を磨いてるのが見てとれて脱帽ものである。
本当……あれを仕込める師匠とやらに興味出てくるな。何者なんだろ。
「………………うっわ、すっげ」
そんな驚きと呆れの混じった呟きが聞こえて、僕は思考に気を逸らしていたことを自覚した。あまりに予想外な出来事の分析に気を取られていて、現状把握が遅れる。
声につられてそちらを見ると、竜人族が突っ立っているのが見えた。
先ほどの位置から一歩も動かず……つまりは魔王のいる部屋に向かうでもなく、ルグルガンの生死を確認するでもなく、その場に釘で打たれたかのように、バカみたいに突っ立っている。
その表情には、強き者に対する敬意すら浮かべていて。
「なかなか……やってくれますね。小僧が」
口から結構な量の血を吐いてから、ルグルガンは前髪をかき上げる。……ああ、クソ。気をつけていたのに、油断して見てしまった。よりによって一番ヤバいときに見ちゃったじゃないか。
その瞳は以前に見た時とは違い、怪しくも美しい金色の光を灯していたのだ。




