術理解析
思えば、なんとなく予兆はあった気がする。
そういう気配というか、微細な違和感というか、そういうものの積み重ねはたしかに存在した。
最初に会った時、彼は僕を殺そうとした。短絡的に。
次に見たのはフロヴェルスだ。見るも無惨な演技を披露していた。
そして今。彼は、こちらの話について来ていない。
「……なあ兄弟。もしかしてだけどさ」
「ああ、僕も今ちょうど同じことを考えてた」
二人して顔を見合わせ、小声で確かめ合う。
互いに良く知っている仲だし、アイコンタクトだけでバッチリ意思疎通できるよな。さすが兄弟ってことか。クソ失礼なこと考えるタイミングが一緒すぎる。
「あ……いや待て。僕がうかつだった!」
可能性に思い至って、僕の心臓が跳ねた。マズい。もしそうだったら申し訳がたたない。
「一ついいかルグルガン。君は今回、僕がどうして魔王殿に呼ばれたのか理解しているか?」
「はあ……魔王さまは異世界からの転生者であられ、貴殿もまた同じ場所からの転生者であるために、貴殿に対して強い関心をお持ちであったことは把握していますが」
良かっ……良かった! やらかしたかと思った!
僕としたことが、魔王が異世界転生者であることをククリクにしか話してない、なんて可能性を失念していたな。
彼が近衛騎士団長とかあまりにも魔王に近しい役職だったので油断していたが、
『神聖王国王女ネルフィリアは魂を二つ所持していた』
『現魔王は異世界転生者だ』
『現魔王とリッド・ゲイルズは同郷である』
この三つのうち、ルグルガンは一つ目しか把握していない可能性があった。その場合はこちらのミスだ。話についてこれないのも無理はない。
魔王がせっかく隠してたのをうっかり暴露しちゃいました、とか五体投地ものじゃないか。これから気をつけよ。
「そこまでの事情さえなければ、二人にきりになどするわけがないでしょう。我々が知るべきではない異世界の法則や技術、知識などを踏まえたうえでこの世界に関する意見交換をしたいと仰られては、近衛騎士とて扉の外で立ち尽くすより仕方ないではありませんか」
んな大層な会談だったかなアレ……。僕のこと勘違いしてたし、憧れの英雄にサイン強請るところ部下に見せたくなかっただけじゃない?
まあその変の裏話はどうでもいい。とりあえずホッとしたところで話を戻そう。……結構戻さないとな。前提の擦り合わせまでか。
「まあそれを理解しているならいい。で、あの魔王殿は元は人間だったはずだが、なんやかんやあってククリクの用意した魔族の身体を手に入れたんだよな? そのとき人間だった身体に別の人格が宿ったと思うが、それも当然覚えているかな? 他ならぬ君が僕らに差し出したネルフィリア姫のことだが」
「もちろん覚えていますとも。異世界転生者である魔王様は、人間の肉体に間借りしていただけ。つまり肉体と魂の切り離しが容易な状態であり、即ちあの御方は魔族の王となり我々を導くために人界で知見を蓄えておられたのだと―――」
やっぱコイツ脳みそバグってんな。
「あーと、魔王殿の運命? とかの話は後にしよう。大変興味深いし是非とも拝聴したいところなんだが、残念なことに今はアーノの問題の方が差し迫ってるからな。……とにかく、異世界転生者の肉体には魂が二つ入っていると思われ、身体をもう一つ用意すれば魂を片方取り出して入れ直すことができる―――という前例がある。二つほどな」
いやぁ、懐かしいね。あのときは心臓握りつぶされたんだっけ。きっと一度殺して肉体から魂を二つとも剥離させて、肉体を治してから片方だけを戻したんだろうな。さすが最古の竜種の一柱、イカレてるぜ。
ククリクはもう少し優しく施術したんだろうか。
「魔王殿の魂の片割れは、知っての通りフロヴェルスの王女ネルフィリアだ。そして、僕の場合は彼、竜人族のリッド・ゲイルズとなるわけだ」
僕が黒外套を着た竜人族を指さして言うと、褐色肌の邪眼族はしばらく僕らを交互に見比べたようだった。
そして。
「おお、なるほど」
ぽんと手を打って、得心の声をあげる。
「……おい兄弟。コイツやっぱポンコツだぞ。大丈夫か」
額を突き合わせるくらい近くから小声で言ってくる我が兄弟くんから、僕は視線を逸らしてしまう。
だってそんなの僕に言われても困る。
「いや、単純に頭が悪いってわけじゃないだろ……あんなにイケメンなんだし」
「なんだその先入観? 顔がいいのと頭のデキは関係ないだろ」
「彼、一応術士系だぞ。高度な魔術使えるならバカなわけないって。たぶんだけど、魔王殿以外の物事に対する興味がないんじゃないかな……」
カルト宗教にハマる人って、わりと高学歴が多かったりするしな。弁護士とか教授とか医者とか。
ああいうのは思い込みやすいタイプ……つまりやるとなったらどこまでも一方向に突き進めるパワーと、多角的な意見や自己考察に対して無視できる図太さか強固に反論してしまえる地頭の良さ、そして崇高な目的のため従事するという自己肯定感に陶酔できるなどが条件なんじゃないだろうか。
そういう一つのことに危ういくらい打ち込めるヤツって、興味ないことには本気で興味ないんだよな。今思えば、ペネリナンナの名前間違えてたのもそういうことな気がする。
「いえ失礼。貴殿も我が王と同じようなことをしていたとは知りませんでしたので。察するに、おそらく竜種の多いバハンで何事かがあったのですよね? どうやらゾニの報告に抜け落ちがあったようです」
ああ、そもそもゾニがあまり詳しく話してない可能性もあったか。
バハンの件は彼女が深く関わっているせいで、魔族軍は一部始終をすでに知っていると思っていた。だがよくよく考えてみれば、あの時のゾニは魔族軍の一員としてではなく竜人族の巫女としてバハンの地に立っていた。
任務ではなかったのなら、魔族軍に詳細な報告なんてする義理がない。たぶん、女王の不利益になりそうな話はほとんどしていないだろう。そういうことなら話について来れてなかったのも分からなくはない。
「ま、いろいろあった、ってことだ。ゾニが言わなかった理由も分かる。説明が果てしなく面倒くさいうえに、本来ならば君たちがバハンに攻め入りでもしない限り、彼とは会うこともなかっただろうからな」
「ハハハ、たしかに説明をするのも受けるのも面倒そうな話です。まあ、ゾニへの追及はなしにしておきましょう」
面倒だからいいや、ってそれやっぱ上司としてはポンコツの台詞なんだがな……。とにかく、やっぱり大した興味はなさそうだ。
というか今の、魔族がバハンを害す気ならゾニは裏切るだろう、という警告なんだけど、ちゃんと伝わってるのかな。こいつどっちか分からないな。
「よし。まったくもって呆れ果てるが、これで状況は全部整理できたな。つまり僕はとばっちりで魔族どもひしめく魔王城に呼び出された、ってわけだ」
左手を真上に挙げ、右手で左腕の肘辺りを掴んで、ぐいぃ、と竜人族が伸びをする。台詞に反して危機感のない仕草だが、まあ変に気負われるよりはマシか。
それより問題は、これからこの竜人族リッド君をどうするか、なんだが。ホントにどう処理しようねコレ。首輪つけても制御できる気しないんだが。
「というかアーノとやらは僕を、兄弟と比べて観察するために呼び出したってことでいいんだよな? じゃあ今のこの瞬間も見られてるわけだ。おそらくは僕の目を通している……というか、この肉体の本体は依然としてアーノのままで、僕は単にアーノの身体に精神が憑依しているだけってのが本線となると思うが、その辺は術士としてどうだよ兄弟」
……やるじゃないか。術理の追い方がいっぱしだ。さてはお前の師匠とやら、なかなかの術士だな?
「僕の意見は少し違う。その肉体はアーノのものだというのは同意見だが、今ここにいるお前は、本物のお前の精神ですらないと僕は考えてる」
魂の情報を曲にして記録するなら、アーノこそは楽譜であり楽器であり演奏者。即ち楽曲そのものだ。
だからこそ今ここにいる竜人族リッド・ゲイルズは、アーノの魔法によって再現された竜人族リッド・ゲイルズという題名の曲でしかない……―――なんて、さすがに一度見ただけで決めつける気はないのだけれど。
「うっわ、今いる僕は本物ですらないって? 残酷だなお前」
「聞かれたから答えただけだ。でなきゃ、さすがに言うつもりはなかったよ」
僕が正しければ、魔法が解けたらそこで終わり。ここにいる彼はすぐに消えて無くなる運命で、それは死に等しい。
それは酷だと思って言わずにいたのだけれど、術士として意見を求められては黙るわけにもいかないからな。せめて外れてることを願うくらいだ。
「ええと……つまり?」
話が途切れるタイミングを見計らっていたのか、ルグルガンが解説を求めてくる。……ううむ、術士なら普通についてこれるレベルだと思うんだけどな。実際、僕と兄弟君は普通に会話できてるし。
そういえば、だけれども。この銀髪褐色肌の魔族さん、前の前の魔王だった親父がものすごい暗君だったって話だったか。―――もし遺伝だとしたら、彼は本当にポンコツかもしれない。
「影法師のようなものってことだ。ここにいるのはあくまでアーノであり、この状態は遠くにいる竜人族リッド・ゲイルズを真似ているだけにすぎない」
「と、人間リッド・ゲイルズは推測している、というわけだ。僕は魂を召喚されて一時的に憑依している状態って論を推すね」
僕の説明に、竜人族リッド・ゲイルズが肩をすくめながら補足する。ルグルガンはそんな彼をマジマジと見たようだった。
「ふむ……少し気になるところはありますが、この現象に関しては理解しました。つまりどちらにしろ、彼の本体はアーノであると」
「そこは一致しているな。気になるところってのは?」
「この場では特に関係ない話ですよ。……以前、アーノは我が王とも面会したことがあったのですが、あんな挙動はしていなかったなと思い出しまして」
……ふむ?
それは前提が一つ崩れるな。アーノが僕の情報を読み取れなかったのは、僕の魂が異世界製だからじゃないのか?
なんだ? 他に原因があると仮定するなら、心当たりは……あ、あるわ。女王から賜ったアレだろ。アレならたしかにアーノの処理能力を超えててもおかしくないが―――いや、待て。
「それ、いつの話だ?」
「そうですね。我が王がまだ魔王になる前でしたでしょうか」
やっぱその時期か。王女ネルフィリアは半年以上捕虜をやってたんだから、接触する機会なんて普通にあったはずだもんな。
ならそれは……僕の中に在る女王からの賜り物も規格外だったに違いないだろうが、もう一つ理由がありそうだ。
「たぶんだけどな、神聖王国に今いるネルフィリアの魂がダミーとして働いたんじゃないか? あっちを読み取って満足して、読み取り不可の方は見落とした可能性はあると思うぞ。魂なんて普通は一人一つしか持ってないんだし」
「ああ、なるほど」
ゴアグリューズもスルーされてるなら、わりといい線いってる気がする。……もしそうなら、精度あんまり良くないかもしれないな、アーノ。
「では我が王の模倣はできそうにありませんね。もしそれができるのであれば私室に囲って毎日変身させようかとも思いましたが、しかしどうせ偽者などが真なる我が王の代わりになるはずもなく……しかし僅かながらも心を潤す薬になったかと思うと、残念なのか安堵なのか複雑な気分ではあります」
どうしよう、シンプルにキモい。
「あんたの特殊性癖の話なんか、後で二人でとっくりしてくれよ。なんにしろアーノとやらの魔法が切れたら、僕は魂がバハンに戻るか……コピーだったら綺麗さっぱり消え去るかだなんだ。ま、それはどっちだろうと気が楽なんだが。―――それで、その魔王殿ってどこにいるんだ? せっかくだし挨拶がてら、ご尊顔を拝みたいところなんだが」
ああうん、後でとっくり性癖談話なんてしたくないのだけれど、たしかに優先順位は我が兄弟君の方が高いな。キモい話からも逃げられるし。
「魔王様はこの部屋にいらっしゃいますが、謁見の許可はできかねますね。貴殿は魔王様に呼ばれたわけではありませんので。どうしてもと言うのであれば……」
「へぇ、なんだ。そこにいるのか」
トン、と。
竜人族リッド・ゲイルズは、自分の側頭部を人差し指で小突く。竜の角がなくなっている方を。
折れた角の名残を基盤に、小突いた人差し指を軸に、淡く発光しながら魔力が編まれ……それが棒状の形を取るのを、僕はハッキリと見た。
「許可はいいや。推し通る」
笑ってそう言った彼が手にしていたのは、咆吼する竜の意匠を象った短杖で。
灼熱の竜の吐息が、ルグルガンと僕を巻き込むのもかまわず、扉に向けて放たれる。




