アーノ
横笛。笛。楽器。
たしか二代目勇者パーティーには、ハーフリングの笛吹きがいたんだったか。それが関係しているのかどうかは定かではないが……。
つまるところ、仮面の黒外套アーノの在り方はコレなのだ、と直感で理解した。それほどに澄んで美しく、そして人では絶対にマネできない精密で一切のブレがない演奏。のせられた膨大な魔力。
けれど、仮面の黒外套アーノの伝承で、笛を演奏しているシーンなど一つも聞いたことがない。
笛の音に呼応するように瘴気の霧が湧き出た。黒く視認できるほどの濃度を持つソレは、仮面の黒外套を包み込む。
距離をとって懐を探る。ヒーリングスライムの結晶を掴む。予測不能なまったくわけが分からない状況に、僕は邪眼族の名を呼ぶ。
「ルグルガン、アーノはなにをしている?」
「いえ、楽器なんて演奏するんだな、って驚いてますが……」
なんで知らないんだよ仲間のことだろうが。
というか初めての挙動なのか。やはりこのアーノ、伝承なんて参考にしない方が良さそうだ。
「しかしアーノ自身を覆うこの瘴気濃度、正気ですかね? 黒狼が発生しかねないレベルなんですが」
黒狼ってアレか。モーヴォンが召喚した闇猫シュレディンガーが使った黒い球。
ルグルガンが正気を疑うレベルなら相当だ。
「自滅してたらお笑いだな。僕のせいじゃないぞ」
「その時はそう証言しましょう」
あっさりしたもんだ。まあ、明らかに使い難そうな駒だもんな。いくら個の能力が高くても突飛で未知数な動きするヤツは大組織に向かない。
「―――しかし、楽器か」
美しい笛の音が一段と高らかに響き、脈動するように瘴気の霧が蠢く。どうやら中のアーノは無事らしい。……というか、完璧に制御してるのかな。だとしたらすごいな。この濃度の瘴気属性完全制御、魔族だとしても難易度高いどころじゃないと思うが。
「楽器は表現する、発露する、伝えるといった類のツールだ。インプットじゃなくアウトプット。読み取って記録する、と言っていたククリクの説明と合わない」
けれど、これが魔族たちの前で行う初演奏であるのなら、話は違ってくる。
つまりククリクすら、これがそういうモノだと知らないのだ。
「なにが大した害はない、だ。把握もしてないくせに適当言いやがって」
ヒーリングスライムを起動させる。
未知のモノは恐れるべきだ。このレベルの魔力をぶん回しておいて、何もするななんて言われる筋合いはない。
『檻よ』
投げたスライムが渦巻いて対象の周囲を取り囲み、結晶化していく。
「ほう、そんな使い方もできますか。面白いですね」
「君なら力技でこじ開けられるだろうがな。アーノであってもそうだろう」
「ですが我々は、アーノがこの檻をどうするか、を見てから動けると。十分です。あとの対処はお任せを」
準備運動のつもりなのか、ルグルガンが左手首を回しながら僕の前に出る。どうやら効果が薄い術を使う気はないらしい。
頼もしいね。味方だとは思わないが、一時的とはいえ協力関係を築く相手としては申し分ない。こいつゴアグリューズのお墨付きだし、実力だけは疑いようがないからな。
「さて、ところで人界の賢者リッド・ゲイルズ殿はこの現象、いかが推理するのです? ぜひアーノがこれから何をするのか、解き明かしてもらいたいのですが」
檻のおかげで余裕ができたのか、少し愉しむような声だった。振り向かなかったのは、アーノの警戒を優先してか、顔を見ないようにしているこちらに気遣ってか。
……ああ、こっちの実力は疑われてるわけね。
「たぶんでしかないぞ。間違っていても文句言うなよ」
「文句は言いますとも」
さいですか。勝手にしてくれ。
「オルゴールだ」
「ええっと、なんですそれ?」
知らないだろうな、僕もこの世界じゃ見たことない。でもあれ、自動音楽再生機としては最古じゃなかったっけ。この世界でいかに音楽が贅沢品かって話だ。
ふむ……いままで考えたことなかったけど、構造そのものは複雑じゃないしいずれ造ってやろうかな。量産までこぎ着ければ良い財源になるかもしれない。
「あの魔王殿が知ったら狂喜乱舞するかもな。……伝承、伝説、尾ひれ背びれとかも含めるなら創作上の物語とかもか。とにかくその他もろもろ、そういう存在だろこれ」
「つまり?」
「楽曲そのもの」
芥のようにすぐ消えるものが、名を付けられたせいで生を得た者。ホントはいたかどうかも分からない、二代目勇者パーティーの人気キャラ。
存在からしてあやふやな、事象に近い存在。
―――我、夢幻を内包せしもの。仮面の下は誰でもなく、故に誰でもであるがごとく。……だったか?
魂を読み取り、曲にして記録して……ならば、それを演奏することはつまり。
あの仮面の意味は、つまり。
「記録した魂の情報を曲にして魔力をのせるのなら、あの霧から出てくるのは題材にした人物―――僕だろうさ」
だから実のところ、ここまでの警戒は必要ないとは思う。……とはいえ、未知の現象が全て推測通りになるなんて自惚れるとか、そこまでの過信できるような精神構造はしていないもんで。
「……なんだこりゃ?」
笛の音が止んだ。僕の声が聞こえた。瘴気の霧が晴れていく。
ま、今回は予想通りかな。事前情報が多かったからさすがにね? これくらいは当てないとね一応いっぱしの術士としてね。いやぁ自信はそれなりにあったけれど答え合わせができるとホッとするわ。
「おいおいおいおい、これはいったいどうなってるんだよ。とりあえずどこだここ。―――コレお前のせいか? 答えろ兄弟」
黒い霧が晴れたあとには、なぜか側頭部にあった角を片方失っている、蒼白の羽を持つ竜人族がいて。
あれからちょっと伸びた前髪なんかかき上げながら、不機嫌そうにこちらを見てきて。
「なんでお前が出てくんの?」
顕れた竜人族リッド・ゲイルズを前にして、僕は眉根を寄せて聞き返す。
バハンに引っ込んでろ。
捻れながらも天を向く二つの竜の角と、蒼白の皮膜の羽を持つ、竜人族リッド・ゲイルズ。
ものすごく誤解を招く言い方だが、茶化してやるなら僕の生き別れの兄弟である。……べつに懐かしくないし感動の再会とか全然ないが、まあ向こうが兄弟と言ってくるならそれでいいやくらいの感覚なのだが。
バハン山脈の女王のもとで立派な兵になれるよう、勝手に修行しててほしいんだが?
「つまりアーノは僕の魂の解析を諦めたんだろうな」
廊下の真ん中にあぐらをかいて座って、僕は持っていた羊皮紙を広げる。
契約書にするために持ってきたヤツだが、あの内容を文面にしたくなくて使わなかったために白紙である。うん、下手したら重要文献として数百年残る可能性もあるからね。あんなの絶対文書になんか残さないぞ。
羊皮紙に適当に、アーノと僕を描き込んで矢印を引っ張った。絵心には自信が無いけど、仮面の黒外套は描きやすくて助かるな。
「アーノの目的は僕の魂の解析と記録だろう。けれど僕の魂は知っての通り特別製だ。だから、魂を直接読み取るって方法が採用できなかった」
「と、なんの確証もないけどとりあえず推測する」
「よってアーノは次に、別の方法で僕を解析しようとした。それもほとんど失敗したが、得られる情報の正確性を下げてでも、次々と次善の方法をとり続けた」
「と、検証もしていない推論を無責任に披露する」
「うるさい黙れ。なんでさらに性格悪くなってるんだお前」
僕は羊皮紙の上でアーノから僕へ曲線の矢印をいくつも描きながら、いちいち合いの手を入れてくるにわか竜人族に苦言を呈す。バハンのあの大自然の中で生活してて、さらに人格歪むことってある?
特に暴れる様子はなかったので檻から出してるけど、もう一度閉じ込めてやりたい気分なんだが。
「師匠の影響だろ。……それで、お前の推理だとこれは結局どういうことなんだ?」
「学ぶ師匠はちゃんと選べ。アノレ教室の面々見てたらそれくらい分かるだろ」
「全方面、お前のせいが八割くらいなんだよな……」
よく分からないが、なんでもかんでも人のせいにするな。まったくどんな教育受けてるんだか。
ま、それでも師がいるってことは、ちゃんとまっとうな修行してるってことではある。そこだけは評価してやってもいい。
……しかし、この我が兄弟について気になることが二つある。
竜人族リッド・ゲイルズが以前と違うところは性格の悪さだけじゃなかった。
一つ目は、二つあった竜の角が一つ無くなっている。最後に見たときはちゃんとあった気がするから、あれは僕やレティリエのせいじゃないと思う。
二つ目は、服装。以前は竜種信仰の民と同じような民族衣装に身を包んでいたが、今はアーノの黒外套を纏っていた。フードは外しているし仮面もなくなっているが、間違いなくアーノの装束である。―――特にそれが、少し引っかかった。
たしか……投影、って言ってたな。
「アーノは僕の解析の失敗を繰り返す内に、僕そのものを理解することを諦めて、近似値を割り出すことにしたんじゃないか。だから、この世界で最も僕に似ている者を検索した」
これが、一旦落ち着いてみてから必死に捻り出した仮説である。
たしかにもう一人の僕が指摘するようになんの確証もないのだけれど、こういうのはとりあえず仮説でいいんだ。話す方も聞く方も話半分と知っていて、なんとなく分かった雰囲気になっておくものである。仮説が覆されるなんて、学問の世界じゃ日常なんだから。
「いやワケが分からないしな? よしんばお前の言う通りだとして、お前に最も似ているのが僕だってのはまあ受け入れてやるとしても、どうやって僕にたどり着けたんだよ?」
「縁を辿ったんだろうさ。……まさかロムタヒマからバハンにいるお前を引っ張れるほどの強固なパスが繋がってるとは―――いや、そもそもお前の存在そのものを失念していたんだけども―――アレはそういうのに長けてるんじゃないか?」
「いつにも増して推理が適当じゃないか?」
「そもそも前提であるアーノの存在があやふやなんだよ」
さすがもう一人の僕と言って過言でない存在だな。思考方法を把握されてるからツッコミがいちいち的確だ。面倒くさいったらない。
「……ええと、つまりお二人は兄弟であると。しかし、人間と竜人族で血縁ということがありえるのですか?」




