再試行
本当はいたのかどうか分からない。
実はいなかった説の方が濃厚。
誰も素顔は知らず、種族すら様々な説があって絞り込むこともできない。
その存在の不確かさと反比例するように、仮面の黒外套アーノの逸話は多い。
剣を使った。槍を使った。鎚を使った。弓を使った。魔法を使った。毒物を使った。石を投げたり素手で殴り倒したり、珍しいところでは牙で噛み殺したなんてのもあり、なんでもあり具合が半端ない。
二代目勇者世代の人気キャラだし次から次へ新しい逸話が捏造されたのだが、オリジナルが曖昧な設定しか残ってないから二次創作がやりたい放題なのである。
そんな不確定要素の塊のような相手が、真っ直ぐに僕へと視線を向ける。
虚ろに空いた仮面の穴の奥に瞳は見えないが、明らかにこちらを向いているのは分かった。
「どうしましたか、アーノ」
ルグルガンが少し大きく声を掛ける。少しだけ移動して、背後の扉を護るように陣取った。
……やだな。今のでアーノの魔族軍での立ち位置が分かったぞ。ゾニより信用されてないヤツだ。
大きめの声は中にいる魔王への警告。扉を護るのは、なにをするか分からないと目されている証左だろう。危険物扱いじゃないか。
「…………」
露骨な警戒を受けても、黒外套は無言だった。まるで意に介していないかのように、こちらに近づいてくる。
「僕になにか用か?」
自分からも声を掛けてみたが、反応すらなかった。聞こえているのかどうかも分からず、ただ距離を詰めてくる。
普通に会話できる距離を通過し、握手できる距離でも止まらず、つま先がぶつかってやっと止まった。露骨に圧を感じて一歩引くがその分だけ距離を詰められて、額がくっつきそうなくらい覗き込んでくる。なんだなんだいったい。
「る……ルグルガン。なんだコイツ怖いぞどうにかしろ」
「どうにかしろ、と言われましても。貴殿に興味があるだけでは?」
「扉の中に被害がいかなければどうでもいいって態度やめない? こちとら魔王の客人なんだけど。魔王の部下として同僚の粗相を窘めようって気にはならないのか?」
「ソレ、どうも私の術が効きづらいんですよね。相性が悪いというか。効かないわけではないんですが」
こいつの邪眼、精神に作用する系で決まりだチクショウ。こういうときくらい役に立て。
「―――失敗」
「…………は?」
初めて聞くその声は、男性か女性かも判別つかないくらい中性的。抑揚のない声が合成音声を彷彿とさせて、ククリクが自動機械に例えたことを思い出した。
「再試行―――……失敗」
えっと……。なに?
試行して、失敗している? 僕になにかを試みて、なぜか失敗しているってことか?
「再試行―――……失敗。再試行―――……失敗。再試行―――……失敗。再試行―――……失敗。再試行―――……失敗。再試行―――失敗。再試行―――失敗。再試行―――失敗。再試行―――失敗。再試行―――」
ヤメロそれ前世の嫌な記憶が蘇る。デバッグで徹夜するヤツじゃないか。声聞いてるだけで精神が削れるぞマジで。
「えい」
気の抜けた声とともに、アーノの横っ腹に靴のつま先が刺さった。一瞬、ぐしゃりと身体が捩れた気がして、黒外套が勢いよく吹っ飛び壁に激突する。
「特に危険が無ければ見過ごそうかと思いましたが、やはり魔王様の顔に泥を塗るような行いは見過ごせませんね。一度教育が必要であるなら、貴殿たちが来る前に済ませておくべきでしたか」
蹴りを放った当人であるルグルガンが前髪をかき上げながら、面倒そうに言い放つ。
なんかアーノ君、壁にめり込んでる気がするけど気のせいかな。教育どうこう言ってるけどその前にちゃんと生きてる?
「……術士系の魔族じゃなかったのか?」
「殴る蹴るが不得意と言った覚えはありませんが」
邪眼族、っていかにも魔術主体っぽい種族名のせいで先入観あったけど、魔王クラスの実力者なら体術もすごくて当然かぁ……。目を視界に入れない努力、わりと無駄だったかもしれないな。
「ジ、シ―――……」
死にかけた蝉のような声が聞こえてそちらを見ると、アーノが壁にめり込んだまま、油が切れて錆の浮いた自転車のような動きで仮面をこちらに向ける。……わりとホラーなんだけど。
「シシシシッパ……シッ……シシシシシシ―――シッパ―――」
マジでホラーなんだけど。
「もしかして壊れましたか? 不調のようでしたし、叩けば直ると思ったんですが」
「僕の前で二度とそのクソ舐めた修理もどきを口にするな」
いるんだよこういうヤツ。叩けば直るとか言って、それで完全に壊したら開き直る大馬鹿野郎。ほんっとクソみたいに余計な仕事が僕だけ増えるから精密機械を軽率に叩くなマジで。……いや今回は僕じゃないからいいけど。
「まあ、この程度でくたばる弱者ではありませんのでご安心を。アーノのことはこちらにお任せください。貴殿はどうぞ部屋へ」
「ああ……そうするか」
よく分からないが、とにかく実害はなかったから良しとしておいた方がいいだろう。
アーノがなにをやりたかったかは不明だが、ここで調べるよりはククリクに聞いた方が早いし安全だ。奇っ怪な行動の標的にされたのだし、僕にも説明を求める権利くらいはあるはずだ。
「―――別側面からのアプローチに切り替えて再試行」
仮面の黒外套が、何事もなかったかのように立ち上がる。
「……失敗」
黒外套はもう近づこうとしなかった。ルグルガンの蹴りが効いているのか、あるいはもう必要が無いのか。
「疑似回路の仮形成を試行―――……失敗。魔素配列からの読み取りを試行―――……失敗。記録から魔力信号の類似例を検索―――……該当無し」
淡々と羅列するような言葉たちはどれも感情が薄いが、若干、本当に少しだけ、苛立ちのようなものを感じ取れた。自動機械には出せない、ウンザリしたような声音が含まれている気がする。
なんか……いつもの流れ作業な仕事に異物が混入していて、残業が確定しました的な。
「意外と元気そうで安心したな。手加減したのか?」
「さすがに城を壊すわけにはいきませんからね。とはいえ、すぐ起き上がられたのは少しショックですが」
そういや、前魔王はボルドナ砦を粉砕してたな。この男も魔王クラスの実力者って話だし、本気を出せばあれくらいできるかもしれない。
巨竜を一刀両断したレティリエも負けてはないと思うが……あまり戦わせたくないな。
まあこの場面では頼もしいことだ。
ああしてアーノがまた起き上がった以上、このまま部屋に戻るというのは憚られる。後をついてきたらイヤだしな。ここで対処してしまうべきだろう。幸い、ルグルガン先生よろしくお願いします、ってできる状況である。
「疑似回路、魔素配列、魔力信号ね。なんとなく分かったかもしれない」
僕は仮面の黒外套を観察する。アーノについて、ククリクはなんと言っていただろうか。
情報を閲覧して記録している。事象に近い。ホントなら芥のように浮かんで消えるだけのものが、名前を与えられて不安定に定着してしまっている。
そして……呪い。
「魂かな」
僕は呟くように、そう口に出して言ってみた。
「普通なら見ただけである程度読み取れるけど、僕の魂が普通とは違うから、読み取り機能が上手く作動していないんじゃないかね。だから自動機械であるアーノは職務を完全遂行できず、僕だけもう一度観察に来た……そんなとこだろ」
黒外套が街の大通りに突っ立っていたのを思い出す。あのときククリクは、アーノは僕らを見に来ただけだと言っていた。アレは言葉通りの意味であったが、ただ外見を見られていたわけではなかったのではないか。
ただ、それだとこのアーノ、魂の情報を記録する現象が生命を持ってしまった姿ってことになるけど。なにそれどういう存在?
「生体の枠型から類似個体を検索―――……投影実行」
アーノの声が上擦った。
失敗、該当無し以外の新しい結果だ。……投影実行?
「我、夢幻を内包せしもの。仮面の下は誰でもなく、故に誰でもであるがごとく」
その手にはいつの間にか、材質不明な黒色の横笛。
ふざけたことに口の辺りへ仮面の上から押し当てれば、息吹を通すわずかな仕草もなしに音が鳴った。―――驚くほど澄んだ美しい調べが溢れ出て、こんな状況のくせに意識が溺れそうになる。
その音階には、僕でも分かるほどの魔力が込められていた。




