前世と今世
奇妙な縁だと思う。本当に奇妙すぎる縁だ。
僕とこの魔王と、ゴアグリューズの野郎も含めて、僕たちは前世からの縁で繋がっている。同郷であり転生者であるという共通点が、本来なら有り得ない運命の交わり方をさせてくれている。
おそらく前の世界では、道ですれ違うこともなかったというのに。
名も知らず顔も知らぬうちから互いに興味を持ち、会えば互いの立場も越えて会話して、敵味方の区別をつけてなお戦い以外の選択肢を見いだせるのは、この縁のおかげだろう。
けれど、まさかこんな弊害があるとは思わなかった。
彼女は最初から、僕にかなりの興味を持っていた。だって同郷だ。同じ転生者ならそりゃ気になる。魔族で僕に接触した者から噂話を聞くたびに、僕に対する評価が高まっていったのも分からなくはない。それが思い込みによる過大評価になっていたとしても、それを訂正する者はいなかっただろう。
訂正しなければならない。僕は彼女の思うとおりの人物ではないのだから。
「膝……ですか? ええと、十回言った方がよろしいですか?」
僕の言葉に魔王は首を傾げつつ、困惑しながらそんなことを聞いてくる。他愛なくも懐かしいネタだな。先に言ってどうする。
「あ、もしかして膝に矢を受けたという話でしょうか? 素敵ですね!」
膝に矢を受ける=片膝をつく=プロポーズのポーズ……で結婚の暗喩って解釈があるんだっけ? 残念ながらそんなロマンチックな話ではない。
僕は人差し指と人差し指の先を合わせ、縦にして膝の形に似せた。
そして、指の甲同士がくっつくまでその「膝」を曲げる。
「膝をな、こう、折りたたむように逆方向に曲げられたんだ。両足とも」
一瞬ぽかんとした魔王だったが、やがてその光景を想像したのか、ヒェと小さく悲鳴をあげる。
痛い話は苦手なのかな。だとしたら申し訳ないが。
「そうして、数人がかりで錆の浮いた古い油の臭いのするドラム缶に詰め込まれて、ゲラゲラと笑われながら生のコンクリートを流し込まれた。脱出しようとしても、折りたたまれた足が痛むうえにつっかえてどうにもならない。ジャリジャリとした生コンクリートが目と鼻と口に入って苦しくて、わめくたび、もがくたび、下卑た笑い声が大きくなったのを覚えている。―――僕の前世の、最期の記憶だ」
僕は残っていたお茶を飲み干す。もうヌルくなっていたが、喉の渇きは潤してくれた。
転生者は、当然だが一度死を経験している。
死は平等だ。誰にでも訪れる終わりで、例外はない。この世界でも生在る者はみないずれ死ぬ。不死族になることもあるが、それだっていつかは消滅する運命だ。
―――ただ、死に方までは平等じゃない。僕のはわりとドン引きされる方だろう。……まあ、自業自得だから同情されたくはないのだが。
目の前にいる女は病死だろうから、きっとベッドの上で命を落としたのだろう。不謹慎だと思うが、それを少しだけ羨ましいと思ってしまう自分がいた。
「あれは溺死になるのかな。それとも窒息死になるのかね。なんにしろ他殺には違いない。……もう察してくれたかな。僕はそんな死に様がお似合いな、ちんけな小悪党だったよ」
そういえば、この話を他人にしたのは初めてだ。レティリエにすら言っていない。思い出すのも嫌な恥ずかしい話だしな。
なのにこんな下らない話をしてしまったのは……なんというか、そうするべきだと思ってしまったからだろう。
彼女の憧憬が、劣等感の裏返しであるのだと気づいてしまったから。
「君が憧れた異世界転生のヒーローなんて、どこにもいないさ」
少なくとも、ヒーローなんてガラじゃないのはたしかだろう。非常に残念ながら、僕には彼女の期待に応えられる人間性の持ち合わせがない。
「……どうして、ですか?」
「ん?」
主語のない疑問に視線を上げる。……自分でも無意識のうちに、テーブルに視線を落としていたらしい。
なぜか、女は泣きそうな顔をしていた。
「貴方はなぜ、そう在れるのでしょうか」
哲学的な問いだな。なぜ僕が僕として在ることができるのか。そんなもの、僕だからというしかないが。
「そんな過去を持ちながら、どうして世界を救うために立てるのですか?」
改めてそう問われて、僕は少し考え込んだ。本当は答えがパッと浮かんだのだけれど、自分自身への確認のために数秒を要した。
だってそれはあまりにも自明で、僕はやはりクソ野郎だったんだなと再認識するものだったから。
「世界を救いたいわけじゃない」
まったく、勇者の仲間としては落第点だな。自分への諦観で失笑もできないね。
「前よりはマシな生き方がしたいんだ」
つまり、手段と目的が逆なのだ。
本質的に、僕は世界の運命に対して使命感みたいなものはない。世界を救う? 僕が? そんなの本気で思ってたら、身の程知らずすぎて笑い飛ばすしかない。
結局は自分自身のためでしかなくて、この世界に生きる顔も知らない人々のため、とか微塵も思っていない。思える気もしない。しょせん僕の器なんてそんなものだ。
そんなクソッタレみたいに舐めた僕の答えを聞いて、魔王は首を横に振った。
痛ましそうに。
「貴方は、自分が赦せないのですね」
そんな台詞を、訳知り顔で言いやがったのだ。
「なんの話だ」
自分の声が、自分で思ったよりも低い音をしていた。
「貴方は自分を、悪党だと言いました」
「小悪党だ」
間違いを訂正しておく。僕はそっち方面でも大物ではない。
魔王は少し沈黙してから、言葉を続ける。
「貴方にとって、それは過去のこと。その認識は事実でしかないのでしょう」
「当然だな」
「ですが、その過去は前世の世界のもの。故に……」
ああ、そうか。僕は次の言の葉を待たずに理解した。この女が言いたいことは正しい。それはなるほど、当たり前のことだ。
けれどそんなこと、落胆も感じないくらい無意識下で理解していた。
「貴方は、この世界でどれほどの功績を積み上げても、前世の罪を贖うことはできない」
ハ……ちゃんと言ってくれるのか。濁したら席を立つところだった。
いいな。手の付けられないバカかと思ったが、ちょっとは見直した。残酷な女だ。
「私は貴方に憧憬すら抱いていました。ですが今は貴方の姿が、とても悲しく見えます。いっそ、全て忘れて新しい人生を生きられれば良かったのに……過去を切り捨ててしまえるほど、貴方は弱くなかった。この世界では、誰も責める人などいないのに」
「あまり知った風なことをいわないでくれないか? そもそも、犯した罪が消えることはないんだ。マイナスをプラスで埋めても釣り合いが取れるだけで、無かったことにできるはずがない。それは世界を跨がなくても同じことで、だから僕は贖罪なんてガラじゃないことはしていない」
「ですが、過去に囚われているのは間違いないでしょう」
前世よりマシな生き方がしたい、と。そう願うのならば、たしかに僕は過去から抜け出せていないのだろう。
「前世の所業に囚われるかぎり、貴方はいつまでも自分を赦すことができない。もし全てが終わったとき、貴方はきっと、築き上げた格を放棄し、賛美を忌避し、褒賞を断り、幸福から遠ざかる。そんな資格はないのだ、と。今、私に向けているその表情で吐き捨てるでしょう」
そこまで言われる筋合い、さすがにないぞ。同郷のクソ女。
「それは、ダメです」
「あ?」
「それではダメなのです。貴方は大切なことを見落としています」
他人事のくせに、マトモに話したのは今回が初めての相手のくせに、今代の魔王は泣きそうな顔で頭を振って、僕へと語りかける。
「貴方はそれでいいかもしれません。それはご自分の勝手だと思っていらっしゃるのかもしれません。……ですがそれでは、周囲の人たちが報われない。貴方がご自分を蔑ろにし、自ら傷つき、当然の栄光から背を向けるとき、周りの人は貴方以上に心を痛めるでしょう。なぜ、救われてくれないのかと。なぜ、救うことができないのかと、悲しみに涙を流すでしょう」
「……そんな、ことは―――」
―――お前は人の心が分からない。
そんなことを、誰かに言われたことがあった。
自分勝手で、他人の心をないがしろにして、それが最善だと思い込んで疑わない。そんなクソみたいな評価を、受けたことがあった。
「貴方は、ご自分の幸せを願ってくれている人に、心当たりはありませんか?」
同郷の女の言葉に、僕はしばらく声を出すこともできなかった。




