会談
魔術の灯りを頼りに、教えられた道順で廊下を進んでいく。深夜のためか進む先しか照らされていないから、分かりやすくていい。
僕は城内を一人で歩いていた。……ククリクは部屋に居残ったから案内役は無しだ。ゾニもついてきてくれなかったから、知らない夜のお城に一人である。
これがホラーなら幽霊が出てくるところだが、出てくるとしたらもっと怖い誰かだろう。
「ゾニが三人と一緒に居てくれるのは正直、ありがたいな……」
口にはしないだろうが、彼女は僕らに味方してくれているのだと思う。魔族軍が僕らにどう接するべきか、を身をもって示してくれているのだ。
とはいえ甘えるわけにもいかない。ゾニは僕らが相手でも、戦うことに躊躇しないと思う。……というかむしろ、僕らの成長ぶりを確かめたくてワクワクしているかもしれないからな。戦士って迷惑だよな。
「よくぞお越しくださいました。錬金術師殿」
慇懃な男の声に、僕は視線を向けなかった。
「こちらこそお招きいただきいて感謝しているよ、ルグルガン殿。魔王殿はそちらの部屋かな?」
「ええ。中でお待ちしていらっしゃいます」
魔術の灯りの下、ルグルガンは扉のすぐ横に控えていた。
かっちりした執事みたいな服を着て、背筋を正し足を揃えて立っている姿は、とてもじゃないがイヤイヤやっているようには見えない。当然のように、今代の魔王の下に収まることを受け入れている在りようだった。
ゴアグリューズがいない今、この男なら実力で魔王の座を狙えると思うのだが……どうやらそんな気は微塵も無いらしい。
「このたびは大切な話だそうで、私は閉め出されてしまいました。ですがなんとか、この場での警護はお許しいただきましたよ」
「君も大変だな。まあ、安心して会談が終わるのを待っていてくれ。彼女に手を出す気は毛頭ない」
「そうであってほしいものです」
ルグルガンが肩をすくめるのが分かって、僕は歩を進める。
彼は扉の横に立ってはいたが、あくまで警備としてなのだろう。客人のために扉を開けてくれる、なんて隙は見せなかった。
なので、僕は自分でドアノブに手をかける。
「ああ、ところで」
ノブを捻る直前にそう声を掛けられて、僕はそのままの姿勢で止まった。
「どうした?」
口だけを動かして聞くと、一拍ほどの間があった。
「いいえ、なんでもありませんでした」
「そうか」
ドアノブを捻る。
―――ゴアグリューズが魔王になったとき、旧魔王との決闘で両目が潰れたらしい。そして、その旧魔王はルグルガンの父親だったそうだ。
邪眼族……邪眼という名称だけで、ルグルガンが行使する魔法の発動条件はある程度絞り込める。そのうえで、先の話……両目が潰れても勝った、という話が、両目が潰れたから勝った、ということであるのならば。
この男の瞳は、視界に入れない方がいいだろう。
部屋に入ると、中は廊下よりは明るかった。魔術の光はないが、代わりに壁の燭台が全て灯っている。廊下で慣らされた目には十分で、王宮にしては小さめの部屋なのもあいまって隅までよく見えた。
待ち受けていたのは、二人の女性。
「あ、来ましたねぇ」
なぜかテーブルに茶器を用意しているペネリナンナと、
「ようこそお越しくださいました。リッド・ゲイルズさん」
優雅に椅子に座った今代の魔王が、微笑んでいた。
用意されたティーカップは陶器製のもので、見るからに高級そうな絵付きの白磁だった。……たぶんウルグラ製かな? 旧ロムタヒマ時代に併合した折、ぶんどった品の一つかもしれない。
そのカップを丁寧にペネリナンナが魔王と僕の前に置いて、ケトルから湯気の立つ液体を注ぐ。覚えのある、ふわりとした香気が漂った。
「はい、用意できましたよぅ。どうぞぉ」
「ありがとうございます、ペネリナンナ。あとは彼と二人で話したいので、さがってよろしいですよ」
新米給仕の仕事を一部始終を見届けて、完璧な微笑みで言う魔王。ペネリナンナはケトルをトレイに置いてから、淑女の所作で一礼した。
「分かりましたぁ。ではルグルガン様と共に部屋の外で控えてますのでぇ、なにかあればお申し付けくださいね」
最高権力者に名前を覚えて貰って上機嫌なのだろう。喜色が滲み出る声でそう言って、サキュバスは部屋を辞する。しずしずと歩いて音を立てないよう扉を開き、そっと閉じた。
……人間社会が長いからか、給仕役も妙に様になってたな。服装が侍女服なら完璧だったかもしれない。
「貴方に提供していただいた茶葉です。どうぞ」
ペネリナンナの退室を見届けてから、魔王は僕にそう勧めた。
こういうとき、前世のマナーだとどうだったかな。偉い人が先に飲むまで待った方が良いんだっけ? この世界だとそういうの聞いたことないんだけど。
いや、そうか。僕がペネリナンナに渡した茶葉だし、毒を入れてない証拠を見せるべきなのか。
「では、お言葉に甘えて。いただきます」
白磁のカップを持ち上げ、香気を確認して口をつける。懐かしいほどに似る紅茶の味をゆっくり楽しんでから、飲み込んだ。
「―――うん、悪くないな。一夜漬けにしてはよくできてる。悔しいが、僕より淹れるのが上手い」
「そうですね。とても美味しい」
見れば、魔王もすでにお茶に口をつけていた。……どうやらさっきの懸念は全くの無意味だったらしい。
しかし―――アッシュブロンドの髪に揺らめく燭台の火を映し、優雅にお茶を飲む女性ってすごい絵になるな。美人だからなおさらだ。
対面にいるのが僕だと、絵画に仕上げても二束三文の価値しかなさそうだけど。
「何度かやれば、もっと上手になるでしょう。いずれレティの味に追いついてくれるかもしれません」
「どうかな。彼女、勇者になってからも腕は伸びてるぞ」
「あら、相変わらずなのですね。あの子は以前から凝り性でした」
凝り性ですよね。やっぱ昔っからそうなんだ。
実際、レティリエの淹れるお茶は、僕なんかじゃ絶対敵わないくらい美味しい。一流は茶葉の状態や気温に湿度、シチュエーションや使用する茶器の色合い、果ては飲む者の顔色まで考慮して淹れるらしいが、まさしく彼女はそうやって淹れているのではないか。
たかが茶にどれだけ、と思うなかれ。実際に美味しいのだから仕方がない。
そんなに工夫できるほどの作業工程なくない? とか思うなかれ。不思議で眠れなくなるから考えるのはやめた。
好きこそものの上手なれ。それが高じた結果のスキルなのだから、あのペネリナンナに追いつけるかどうか。
まあ、どうでもいい話か。この調子ならペネリナンナお姉さんは目論見通り、魔王のそばに置かれることになるだろう。
「全てがつつがなく終われば、僕らと一緒にいたエルフの少年がターレウィム森林を領地として得ることになっている。魔界との境界の森だ。彼に頼めば、魔界への交易品としてこの茶葉を扱うことも可能だと思うが?」
「あら。それは、魔族は魔界に退去せよということですか?」
その辺りは手紙に書かなかった話だ。もし書いていれば、そもそもこの話し合いの場が成立しなかったかもしれない。
「そうしてくれると、これ以上の血が流れなくて済むな」
無茶な要求だろう。せっかく奪った国を手放せ、と言っているのだから。
戦争をチラつかせて、のめないなら戦いになるぞ、と脅して。これを相手がそのまま受け入れたら、それは敗戦主義の売国奴呼ばわりされてもしかたがない愚者である。
「瘴気のある場所と無い場所で住み分けましょう、と。そう言いたいのでしょうか?」
問答無用で突っぱねられなかったのは、考える余地があるということだろうか。
「その通りだ。少なくとも貴女は、戦争を望まないのではとこちらは期待している」
「難しいですね。人族には貴方がいる」
涼やかに言って、お茶を飲む魔王。
―――数拍、なにを言われたのか分からなかった。
「貴方は瘴気を利用できますし、今もその足で魔界へ向かおうとしている。貴方がいるかぎり、魔界は人族にとって侵略できない土地ではありません。住み分けはもう、できなくなったのではありませんか?」




