仮面の黒外套
「貴方は、本当に世界を救うつもりなのですね」
「正面から入るんですね……」
整備された石畳を歩いて行く。いくつもの魔術の灯りを浮かべて、僕らはひとかたまりになって進む。
瘴気を逆利用されて消滅した壁の跡が痛々しい、大門があった場所にさしかかって、レティリエが今更な不安を吐露した。
「招待状はあるからな。隠れて行けば、向こうに迎撃の口実を与えてしまうだろう?」
「あたしたちに攻撃したら魔王に対する反逆になる、ってことね。でも、安心できるのかしら?」
「できるわけないよミルクス。マシな方を選んでるだけなんだから。灯りで照らしたい場所があったらいつでも言って」
エルフは理解が早いよなぁ。言うことがないじゃないか。
「ま、そうビクビクすんナ。なんのためにアタシが案内役買って出てやったと思ってるんだ。大抵のヤツは返り討ちにしてやんヨ」
ゾニは頼もしいな……。戦力的には頼りになるんだよな敵だけど。
「大抵のヤツ、の内に入らないのは?」
僕は前を見て歩きながら、聞きとがめた内容を問う。彼女であるなら、相手が上級魔族であっても笑いながら薙ぎ払いそうなものだが。
「アタシとマトモに戦える相手は二人だナ。お前の懸念はもっともだが、安心しろ。両方とも魔王の方針には賛成派サ」
一人はルグルガンだろうな。あと一人は……もしかしてゼファンとかいうあの子供だったりするのだろうか? ルグルガンの血縁だろうし少人数でフロヴェルスに乗り込んできた時にいたのだから、ただの子供というわけでもあるまい―――。
いや、さすがにゾニが子供相手に負けることはないか。魔族の強さは血筋に因るというし、アレも危険ではあることを肝に命じておく必要はあるが……。
大通りの先で、音もなく闇が蠢くのが見えた。
「アレはその内の一人だナ」
ゾニが顎で示してそう言った。モーヴォンが刺激しないよう慎重に、ゆっくりと魔術の灯りを飛ばす。
闇が蠢いたと思ったのは、その者が纏う黒い外套が風で僅かに揺らめいたからのようだった。
黒い外套。その擦り切れた黒の布地は、灯りに照らされてなお滲む夜闇のように見えた。視線を拒絶するようにフードを目深に被り、両の手をだらんと下げて突っ立っているその姿は、どこか人形めいた印象を受ける。
そしてフードの下に覗く顔は……目のところだけぽっかりと丸い穴が空いた、白い陶器のような仮面に覆われていた。
「出迎えご苦労、アーノ。アタシがいない間、なにもなかったか?」
ゾニが声をかけても、彼(彼女?)はなにも言葉を返さなかった。ただ道の脇に移動したところを見ると、声が届いてないわけでもないらしい。
通ってもいい、ということだろうか。
「今、アーノ、と言いましたか?」
レティリエがゾニに聞く。僕もそこは引っかかった。
ウルグラで見た絵画を思い出す。その名を持つ者はたしかに絵の中で剣を掲げ、他の五人の仲間と共に光の誓いの儀式に参加していた。
「仮面の黒外套アーノ。二代目の勇者の仲間の、あのアーノですか?」
「アー、なんかそんな噂があった気もするナ。よく知らんケド」
そう口にするゾニは心底興味なさそうだった。
「本物でも別人でもどうでもいいコトだロ。アレは強くて、魔族軍に所属している。それだけの話サ。そんなことよりほれ、行くゾ」
つまらなそうだが律儀に答え、スタスタと歩いて行くゾニ。
まあ、まったくだな。二百年前に勇者の味方をして、今は魔族の味方をしている彼女らしい考え方だ。僕も彼女のそのスタイルには賛成である。
人には歴史があり、気軽に詮索すべきではない。偽者だとしても、ゾニに比肩しうる力を持つほど強いなら普通「我こそは」と名乗りたくなるもんだろう知らないけど。なのに他者の名前を騙るなんて、立ち入りづらい事情がありそうなもんだ。
「仮面と外套さえ揃えれば誰でもアーノになれるさ。ワナも子供の頃やってたぞ、壊れた木皿と親父さんの上着で」
「やりそうですね……」
「というか、仮面の黒外套アーノは本当はいなかった説が濃厚なんだ。たとえ本人の口から本物ですと証言されたって、僕は信じないね」
仮に本物だとして、最低でも五百歳以上だろう。この世界、それくらい生きちゃう種族がいるからややこしいよな。エルフとか。
「それで、アーノ殿はなんで喋らないんだ?」
「アイツはやる気がないときはあんな感じサ。話しかけても返事はないから気にすんなヨ」
僕らは仮面の黒外套がいる横を通過する。
外套のせいで身体の線もいまいち分からないし、声も聞いていない。身長も中背で彼か彼女かも分からないが、不思議と既視感を覚えるのが不思議だった。こんな知り合い、絶対にいないハズなのだけど。
「そう警戒しないでくれたまえ。どうやら、その黒外套はキミたちを見に来ただけのようだからね」
その明るいがどこか淀んだ声は、道の先にある曲がり角の向こうから。
彼女のことだから必ず顔を出すと思っていたけれど、予想より登場が早かったな。まだ城にも着いてないんだけれど。
「ソレはちょっと特殊な存在でね。今、君たちの情報を閲覧して記録しているのさ。まあ大した害はないんだけれど、なるべくならあまり関わらない方がいい」
「……訳知りだな。このアーノにも君が関わってるのか?」
「まさか。興味深いから調べたけれど、逆に抜き取られそうになったことがあるだけ。ボクもまだまだだよね」
もう何度目かな。一度会ったら殺し合うしかない相手だと思ってたんだが……そう考えると数奇なコトだと思う。
白い矮躯の女……学徒ククリクはなにも気取らない足取りで僕らの前に姿を表すと、まるで昨日ぶりに会った友にするように片手を上げた。
「やあ、いらっしゃい勇者御一行。夜分の訪問を不躾だなんて咎めはしないさ。むしろよく来てくれた。ボクらの魔王さまが首を長くして待っているよ」
「端的に言うと、あの仮面の黒外套アーノは事象に近い存在だ」
薄手の白い半袖と、同じく白のゆったりとした膝丈ズボン。ククリクはその肌と髪の城も相まって、夜の町並みにぽつんと浮いて見えた。前回はカッチリとした男性用の正装を身につけていたから、今回の部屋着のような姿はギャップがすごい。
おそらく今が夜だからなのだろう。彼女の肌に昼の日差しはキツいはずだ。
彼女は勇者パーティの眼前でも緊張の様子すら見せず、率先して先導して歩く。
「ホントなら芥のように浮かんで消えるだけのものが、名前を与えられて不安定に定着してしまっている存在、って言っても分からないかな? 生きてはいるし薄弱な意思もあるが、在り方としては機能を優先する自動機械のようなもの。そこのエルフ君は、なんとなく感じ入るものがあったんじゃないかい?」
「……そうですね。妖精に近しいものを感じましたよ。もっとも、近いだけで別物ですが」
ククリクに視線を向けられ、モーヴォンが渋々といった様子で所感を口にする。歯切れが悪いのは、結局あれが何なのかが判別しないからだろうか。
黒外套アーノはもう見えなくなっていた。僕らが通り過ぎても突っ立ったまま動かず、距離が離れてもついてきているような様子はなくて、やがて夜の闇にのまれてしまった。
「自動機械で、妖精ねぇ……」
深夜だからか、都に人の気配はない。
襲ってくる魔族もいないが、けっこう居たはずの人族の生き残りも見かけない。さすがにこの時間だし寝静まっているのだろう。
出会ったのはククリクと……あのアーノだけ。
ククリクとモーヴォンの評を念頭に、もう一度あの姿を思い浮かべてみる。身体の大部分を魔素で構成したロボットという感じか? 意味が分からないな。
「お姉さん、あの人は苦手なんですよねぇ……色欲なさそうで」
「アタシも苦手だナ。嫌いじゃないが、なにを考えてるか分からん」
「あの仮面も趣味悪いですよねぇ。目のとこに穴が空いてるだけって、悪夢に出てきそうですよぅ」
「服のセンスもないよナ。いっつもあの黒外套ばっか。アイツ、ちゃんと洗濯してんのかヨ」
ペネリナンナとゾニは多分、アーノについて何も知らないのだろう。聞こえてくるコメントがまったく役に立ちそうにない。
というかただの悪口だな今の。
「薄弱でも意思がある、というのが面倒でね。思考回路が常識で量れないから、行動予測がつきにくい。ボクが来たのは、万が一アレが君たちに粗相したとき、的確に消滅できるよう助言するためさ」
「それならルグルガンが来るべきだろう。手ぶらの君じゃ助言はできても戦力にならないじゃないか」
「ルグルガンとアーノが同時に現れたら、厄介な敵が二人も! ってならないかい? とてもじゃないけど信頼して協力しよう、なんてならないのでは? 第一、ルグルガンは魔王さまの親衛隊長だからめったなことじゃそばを離れないよ」
前回もそうだったけど、弱さを便利に使ってくるよなぁ。今も人質のつもりなのではないか。
「まあ、ボクも完全に理解しているワケではないがね。アーノの在り方については、呪いだと思ってくれたまえ」
「呪い?」
学徒の声はどうにもつまらなそうな響きがあって、彼女であってもこの話題はそこまで楽しいものではなさそうだった。
「呪いだよ。エルフ君は妖精に近いと言ったが、ボクはアレがスペクターに近く感じる。本来は生命なきモノに命が宿ったとして、その個体は己の生命活動に価値を見出せるのか、という哲学の具現だ。アレは生きているが、死んでいないだけってことなのさ」
それは……心当たりがあるテーマだな。
僕が昔造った人型ホムンクルスは、生きようとしていなかった。食餌もせず、怪我も厭わず、想定よりもかなり早くその命を手放した。
僕は道を振り返る。とっくに見えなくなっていることは、分かっていたが。
仮にアーノが僕のホムンクルスのようなものだったとして……なぜ生命活動を続けているのだろうか。




