殿役
以前の僕の命は消耗品だった。
バハンで反省して、大事にするべきものになった。
そして今はごく自然に、失う気のないものと感じることができている。
ゾニは変わらないと言ったが、僕は少しずつ変わっているのだろう。この旅を経て、以前よりもどこか、生きづらさを感じなくなっている自分がいた。……もっともそれを自覚できたのは、たった今なのだけれど。
少しだけだけれど、本当にほんの少しだけなんだけれども、僕はその変化が誇らしかったりする。
けれどそれはそれだ。
命を投げ出すのはダメだが、命を惜しんで結果全滅なんて無様は晒せない。いざというときに死ぬ覚悟を決めれないのなら、虎穴に入る資格などない。
でも、まあ……あれだ。仲間を犠牲にして生き延びる覚悟って、そんなキッツい決意を固められるほど、僕の精神は強くないもので。
ほら、しょせん僕なんて異世界の平和な国からの転生者だからさ。
大切な人たちが死ぬ姿を見るくらいなら、自分が死ぬ方が楽なんだよ。
「傭兵が負け戦とかで撤退を選ぶときはナ、殿は一番強いヤツが担うもんなのサ」
僕らは荷物を手早くまとめ、すぐに出発することにした。旅慣れてくると身支度なんてすぐに終わる。夜明け前に起きてすぐ発てるよう、前日の内から荷を鞄に詰め込んでおく癖が付いているからだ。
ただそれでも面倒事からは逃れられなかった。庭をメチャクチャにしたお詫びで多めに代金を払ってから宿屋を出ると、クレーターの衝撃音を聞きつけたフロヴェルス軍たちが数人集まってきていたのだ。
事情を説明するのに少し時間がかかって、結構なタイムロス。これは全面的にゾニが悪いと思う。
「殿ってのは撤退戦の最後尾で追っ手を足止めする役だロ? 時間稼ぎもできない、すぐにやられちまうような弱いヤツには任せられん」
ゾニが殿役について解説しだしたのは、王都へ向かう街道に出てすぐだ。
「んでもって、敵とマトモに戦う必要がない役でもある。うまく時間さえ稼げれば、自分もとっとと逃げ出していいってコトだナ。ま、だいたいは死ぬが、生きて戻るヤツもわりといる」
ペネリナンナはいまだに気絶していて、今はゾニが肩に担いでいた。……そういう持ち方だと、深いスリットの入った丈の短いスカートなせいで下着が丸見えだったから、今は僕の上着を被せてやっている。
サキュバスだし下着なんか見られたところでペネリナンナは気にしないかもしれないけど、僕が目のやり場に困るんだよな。うっかり視界に入れてたら全方位から白い目で見られそうだ。
「調子にのって追いかけ回してた相手に二、三人斬り殺されりゃ、結構な人数差があっても脚が鈍るもんサ。誰だってせっかくの勝ち戦で死にたくないからナ。それをやったのが見るからに強いと分かるヤツならなおさらだ。―――そんなふうに敵が怖じ気づいたら、隙を見て自分も逃げる。時間稼ぎ成功、だナ」
ゾニは冒険者のハズなんだが、傭兵の習わしなんてなんで知ってるんだろうな。
まあどちらもやってるって輩も多そうだし、ゾニは見た目二十歳くらいだけど実はその十倍以上生きてるからな。もしかしたら傭兵の経験もあるのかもしれない。
「だから、殿は一番強いヤツがやるもんなんだ。一番生きて帰ってくる可能性の高いヤツがやるってことサ」
王都までの整備された道を歩く。石畳が広く敷かれていて、馬車が通りやすいように砂で凸凹も埋めてあるのが嬉しいところだ。とても歩きやすい。
ところどころが雑な造りで、たまに木板で舗装してある箇所もあるが、そこまで古い道には見えない。むしろ新しいように見える。……おそらくは低予算だったんだろうな。軍事大国ロムタヒマの国庫に余裕はなかっただろうし、質実剛健なお国柄だ。
滅亡以前のかつて、ロムタヒマは軍を使って大規模な工事を行ったのだろう。―――おそらくは、フロヴェルスとの戦争を見越して。
そんなことを考えながら、僕は平坦な道を歩いて行く。
今回はネルフィリアもいないし、ペースはけっこうな早さを維持できている。このままこの整備された道を歩けるのなら、かなり距離を稼げるのではないか。……そうなると一番の問題は僕だな。一番体力ないし気合いを入れなきゃ。
「つまり、だ。ちっこいエルフのお前らは、性格の悪いアイツに下に見られてるってことだゾ」
仲間割れを煽るな。
「そんなの場合に依りけりだ。殿役だって向き不向きがあるんだろ? 例えば君の説明だといくら強くても、一見して強そうに見えないヤツは相手がビビってくれないって問題がある。ミルクスもモーヴォンもこの見た目でかなりの手練れだが、この見た目だからハッタリは不得手だぞ」
だから姉弟も露骨に額に青筋浮かべないでくれ。
「ゲイルズさんだって別に強くなさそうですが」
「あたし、素手でリッドと試合したら勝てるけど」
「ハハハ。だが君らよりハッタリが得意な自信があるぞ。これでも魔術学院所属だからな」
あとそういう技術なら、僕のクソみたいな前世の知識も役立てるかもしれない。……ホント、ろくでもない時にしか役立たないよな僕の前世。
「しかし……一番強い者がやるというのなら、殿の役はわたしが担うべきではないですか?」
「君はダメだ」
勇者の力……神の腕の力は、人族にとってなくてはならない力だ。―――それは魔族に対抗する兵器であるだけではなく、世界のコトワリを変換するツールであるのだから。
仮に、世界のせいで人族が滅びる運命だったとしても、彼女の力があれば運命をねじ曲げられるかもしれない。そんな力だ。
だからレティリエは死なせない。なんとしても生きて返す。
「あくまでその必要があればの話だが、殿役は僕が受け持つ。だがそれでも足りなかった時は、ミルクスかモーヴォン、あるいは両方が犠牲になってでもレティリエを逃がせ。順番は君らで話し合っておけよ」
わざわざこんなこと言うの、我ながら鬼畜だよな。他人の命に価値を付けて比べるとか、何様のつもりなんだろうね、僕。
魔族は夜目が利く。
これは魔族は夜行性ということではなく、魔界は瘴気に覆われているため昼でもあまり明るくないからだと言われている。
ロムタヒマ王都への中途で、僕たちは一旦の小休止をとった。このまま進むか、ここで止まって夜を越すか決めるためのもので、場合によってはこのままキャンプに移行する。
もう空は暗くなりかけているが、道は踏み固められた一本道だ。エルフ姉弟の魔術で灯りもあるし、月も少ししか欠けてないから明るそうで、気をつければ迷うことも足を取られることもないだろう。
「正直、もう少し進みたいんですけどね……」
そう悔しがるのはモーヴォンだ。声から苛々しているのが分かる。
ジェイザールはチェリエカの町よりもロムタヒマ王都から離れていて、急いで徒歩で一日……夜明け前に出発して、日が沈むころになんとかたどり着くくらいだ。基本的には乗り合い馬車で行き来することを前提としているのかもしれない。
「しかたないわモーヴォン。歩くのが遅い人がいたもの」
嫌味を言ったのはミルクスで、これ見よがしに諦観の溜息を吐いた。
たしかに旅慣れた僕らが速いペースで歩き続けていれば、あの時間に出発していても今日中に王都へたどり着けたかもしれない……いやそれは怪しいか? でも途中からペース落としたし休憩も普段より多くとったし、それがなければかなり距離は稼げていたのは間違いない。
「だ、だってぇ、お姉さんあの日からほとんど休めてないんですよぅ。精気も摂ってないですしぃ」
そうやって言い訳したのは、さすがに気絶から醒めたペネリナンナお姉さんである。
根っからのシティガールである彼女は僕らと比べて歩くのが遅く、すぐ疲れるので完全に足手まといだったのである。正直ゾニの肩で寝ていてくれた方が良かった。
まあ彼女が泣き言役を買ってくれてるおかげで、僕の体力もまだ余裕があるわけだ。たどり着いたときにヘトヘトで動けない、なんて無様は晒さずに済んだのは悪くない。
「それで、このまま向かいますか? それともここに留まりますか?」
レティリエが僕に意見を求める。
ロムタヒマは高い山は少ないが小さめの丘は多く、道がうねっている。おそらくあと一つか二つ丘を回り込めば王都に着くだろう。
「ゾニ、この辺りはもう魔族軍の警戒区域だったりするのか?」
聞くと、褐色の竜人族は首を横に振った。
「分からんナ。アタシは最近まで軍を離れてたから詳しくないんだ。以前は偵察の中級魔族がこの辺まで来てた気もするケド、今はどうだか」
「最近まで離れてた? ……ああ、君は出戻り組なのか。ゴアグリューズが魔王から降りた時、一度離反したのか?」
「そうだ。ま、そんなヤツはいくらでもいるサ」
やっぱり魔王交代劇はそうとうな混乱をもたらしたらしいな。ネルフィリアの話から推測するに、一部の上層部以外の不満は大きかっただろう。
ただ、組織に属する方が生きやすいのはどこも同じなのか……あるいは、新魔王のカリスマが浸透していっているのか、出戻り組も多く存在する、って感じだろうか。まあそれは想定内だ。
ただ、この女に関してはどちらも当てはまらない気がする。だって一人で生きられるし、以前は今の魔王さんに興味なかったし。
「ゾニ、君はどうして魔族軍に戻ったんだ?」
「そのコトだが実を言うとアタシ、厳密には今の魔族軍には所属してるワケじゃないんだヨ」
「? どういうことだ?」
「魔王交代が納得いかなくて前の魔王のとこ行ってみたら、アイツが姫さんを手伝ってやれって言いやがってナ。しかたねーから戻ってきたんだが、軍に入る気にならんかったし食客扱いで居座ってるだけなんだワ。今回はお前らと顔見知りだから案内人を買って出たわけでサ」
メシの分くらいは働かねーとナ、などと肩をすくめるゾニさん……えっと、つまり派遣社員かな? 有限会社前魔王所属鉄砲玉部署ゾニ契約社員? なんかいつでも辞めれるし、いつでもクビにされそうな立場っぽい。
つまりゴアグリューズがこっちを手伝えって言って、ゾニがそれを受けて、新魔王が受け入れたってことだよな。互いの関係性が窺える話だ。興味深いけど今はその辺の話は後回しにしとこうか。
「じゃあ、ペネリナンナ。この辺りが魔族の警戒区域かどうか……」
「ちょっと分からないですねぇ。お姉さん、町ばかりにいるのでぇ」
だと思った。
「ただ、王都攻略のときに制御の効かなかった下級魔族とか、バラけたのがまだこの辺りに棲み着いてたりしますからぁ、お姉さん的にはあまりこんなところで休みたくないなって」
「だったら昼頃からもっと速く歩きなさいよ」
「お姉さん、日が出てるうちは調子でないんですよぉ……日差しに弱くてぇ」
ミルクスの苦言に、よよよ、と演技過剰に言い訳するペネリナンナお姉さん。
そりゃサキュバスは夜行性だろうな。そして今の様子を見るに、やっと調子が出てきたらしい。
僕は改めてゾニを見た。信用できる相手だ。そして、彼女は隠し事はしても嘘は吐かないだろう。それは褐色肌のルーツを辿るまでもなく人柄で信じられる。
立場上仕事にやる気はなさそうだし、罠を張るようなこともしないだろう。案内は任せて問題ない。とはいえ、彼女の立場は向こうからしたら捨て駒にしても問題なく、僕らと一緒くたに罠にはめて一網打尽、とかやられる可能性も考慮すべきか。
けれど、それでも僕は考える。
魔族は夜目が利くから、罠の可能性を考えるとこのまま進むのは恐い。……が、時間は惜しい。今回はタイムリミットがあるのだ。
「……僕は行きたい。夜の間にロムタヒマ王都へたどり着く」
レティリエに向かって答えると、彼女は微笑んで頷き、他の皆も荷物を背負い直す。




