返事
肉食獣を連想させる金の瞳に、褐色の肌をした女だった。革の鎧を身につけ槍を背負ったしなやかな長身は、誰が見ても分かる戦士の風格を纏っている。
腰まであった日焼けにくすむ金髪を短くばっさり切って、より活動的な見た目になっているのが印象的で、けれどくせっ毛はそのまま前と変わらず、いろんな方向に跳ねているのに纏めもしない。
懐かしいな。元気そうだ。会えて嬉しいぜ。
「そこで止まれ、ゾニ」
女が店の扉をくぐる前に止まって、ニィ、と口の端を吊り上げる。僕も同じように笑い返した。剣の柄から手を放そうとしていたレティリエが、ハッとして握り込む。
気軽に挨拶するような仲じゃないよな、僕ら。
僕は互いの距離を測る。―――入り口と、奥の窓際。一応距離はとれているが、この相手だと不安な間合いだ。初動を見逃さなければなんとか反応できるだろうか。
相手は邪竜堕ちの竜人族。二百年前の勇者に助力し、今は魔族に与する強力な戦士。バハンで共に戦い、共に山脈へ挑んだ最高にイカした女。
この程度の距離でゾニを侮るほど、僕は彼女を過小評価していない。
「まずは久しぶり。そちらこそ元気そうでなによりだ。それで用件は?」
僕は挨拶もそこそこに本題を尋ねる。彼女が開けた扉の向こうでは、爆発でもあったかのような土煙がもうもうと立ちこめていた。地面に小さなクレーターが空いているのがうっすら見えて、どうやらゾニが空から落ちてきた痕だろうと簡単に推測できる。
「いいナ安心したゼ。簡単に油断するようならうっかり殺してたところダ」
そんな礼儀を失する真似をするものか。前回は敵として別れたろうが。
バハン山脈で別れてから今まで、ゾニがどこでなにをしていたのかなにも知らない。魔王が代替わりし状況が変動した今では、彼女がどんな立ち位置でどういう動きをしているのかまるで分からない。
知り合いではある。現状、こちらには積極的に敵対する理由もない。
けれど確実に、彼女は魔族側なのだと分かっている。
「残念ながら今回のアタシは戦いに来たわけじゃねぇヨ。身構えなくていいゾ」
「へぇ? その言葉はなにに誓う?」
「ホントは魔王に誓うのがスジなんだろーが、ここは白銀の嶺なる母に誓ってやるサ」
僕は肩をすくめてヒーリングスライムの結晶をしまう。こちらが言わせたようなものだが、それに誓うのなら信用するしかない。
まあ、このタイミングにわざわざ来たということは、そういうことなんだろう。
「今日はコイツの護衛ダ。ほらヨ」
そうおざなりに説明して、彼女は扉の向こう側から無造作にそれを投げ入れる。―――扉の向こう側にいたから見えていなかったが、それは蒼白な顔色で完全に気絶した様子の、露出度の高い茶色い髪の女性。
「ペネリナンナっ?」
僕が駆け寄る前に、一番近いレティリエが彼女を受け止めた。
手ひどい扱いを受けたのに全く意識を戻す様子もないペネリナンナは、ぐったりとレティリエに寄りかかって動かない。苦しそうな表情が痛ましく、僅かに呼吸する様子だけが生命活動を教えてくれた。
「……その女性は、魔族軍に戻ったら殺されるかもしれないと危惧していました。彼女をこんな目に遭わせたのはあなたですか?」
モーヴォンが侮蔑の声音で責める。ミルクスも黙っていたが、批難するような視線を向けていた。
二人とペネリナンナとは仲良くなる要素がなかったが、一応は共に食事をした相手だ。こう無下にされているのを目の当たりにすれば、嫌な気分くらいにはなるだろう。それが自分たちのせいなのだからなおさらだ。
「まあそうだナ。アタシがやった」
ゾニは涼しい顔でそう答える。エルフ姉弟が戦闘態勢に入ろうとして、広げた右手の動きだけで止める。
彼女との戦いを忌避するわけではないが、場所は選びたい。ここの宿屋は家族経営だ。店主夫婦と小さい子供がいたが、ちゃんと避難したか確認してない。
そんな僕らの様子など気にもせず、ゾニは小指で耳をほじりながら続ける。尖った耳がピコピコ揺れた。
「魔王の頼みでコイツの道中の護衛を引き受けたんだけどヨ。伝令役指名されてんのに、やれ疲れただの腹減っただの飛ぶのが速すぎるだのとうるっセェんで、引っ掴んで全力でかっ飛ばして来たらこうなった。サキュバスって思ったより軟弱なんだナ」
……お、おう。
竜人族の全速力かー。下手なジェットコースターより怖いだろうな。つーかGがヤバそう。
てっきり気絶してるのは拷問かなにかの結果かと思ったけど、単純にゾニが相変わらず雑なだけだったか。あとそのノリで地面にクレーター作ったのか。
ていうかあのペネリナンナお姉さんが一方的にやられてこのざまだなんて、やっぱ暴力って最強の力なんだな……。つーかネゴシエイトって無力なんだな……。
「つまり、君はペネリナンナの運び屋やってくれたわけだ。助かったよ、君のおかげで次の作戦を考えなくて済んだ」
「いや護衛だつってんだロ」
「護衛は護衛対象を気絶させねぇよ」
仮にもAランク冒険者なんだからちゃんと仕事しろ。
「いいんだヨ、重要なのは返事の手紙の方だロ? ソイツに持たせるように、とか面倒くさいだけの条件つけやがって。アタシが一人で飛べばもっと速かったのにヨ」
―――ペネリナンナもこんなのが護衛に付くと知っていれば、あんな一文を追加させなかったろうにな。……まあ災難だから同情するが、僕らのせいではないのでそれ以上のことはしない。
「とにかく、ダ。返事はソイツが持ってるから勝手に探して読め」
そう顎で示され、レティリエがペネリナンナを身体検査すると、ほどなく豊かな胸の谷間から封書が出てくる。大事な書簡をそんなとこに入れるな。
「……招待状、ですね。来訪を歓迎すると」
ペネリナンナを支えたまま小さいナイフで器用に封書を開けたレティリエが、書面を見て内容を簡単に説明する。
「それだけか?」
「はい。見ますか?」
手紙を受け取ってざっと目を通す……までもなく、文面は本当に短かった。レティリエが言ったとおり、あなたたちの来訪を歓迎します、と本当にそれだけ。
あまりにも短すぎる。
「署名がないな。本当に魔王が書いたのか?」
「間違いありません」
僕はゾニに聞いたつもりだったのだけれど、レティリエが答えた。自信満々に筆跡鑑定するね君……。
「誰を、誰が、どのように歓迎するか書いていない。なんなら場所も時間もない。罠を警戒せざるを得ないが、これを見て警戒しないヤツもいないだろう。現魔王殿なら、もっとらしい文書なんていくらでも書けるだろうに。……ゾニ、君はこの文面を見てどう思う?」
「知らん。行ってみりゃ分かるんじゃないカ?」
ペネリナンナお姉さんが起きたら答え合わせするかぁ……。
「多分、魔族軍の過激派に見られたときの備えかな。やっぱ向こうも一枚岩じゃないってことだ。あっちじゃいつ奇襲を受けてもいいよう、十分注意すべきだろう」
肝心なことがなにも書いていないこの文面なら、誰に渡ろうが問題ない。これはそういう書き方だ。
逆に言えば、問題のある誰かが手紙を奪うかもしれない、という危惧があったのではないか。そしてそこまで推測するまでもなく、こんな手紙を渡されれば僕らは警戒するしかない、と。いやぁ、どこもかしこも恐いよなぁ。
さて。とにかく行動方針は決まった。どんな形であれ、同郷さんが歓迎してくれるのなら行こうじゃないか。会って話したいこともあるしな。
けれどその前にやるべきことがある。―――僕は皆の顔を見回す。そして、エルフの姉弟を改めて視界に収めた。
「ミルクス、モーヴォン。君ら、魔族との交渉に向いてないの自覚してるか?」
二人が顔を歪める。うん、どうやら自覚してるらしいな。
ならいいんだ。
「無理して来る必要はないが、どうする?」
「行くわ。当然」
だろうな。でなきゃこの町までついてこないだろう。
「ゲイルズさんの了承を得る必要がありますか?」
おっとこれはなかなかの返しだな、モーヴォン。たしかに勇者はレティリエなのに、僕が仕切るのもおかしな話だ。肩をすくめて答えてやろう。
「ないよ。好きにするといい」
死地になるかもしれないなんて、今更説明するまでもなく分かりきった話だ。それでも来たいというのなら、この二人は今回も成り行きで僕らに付いてきているわけではない。それが分かったなら、まあいいさ。
僕だって生きて帰るつもりだ。レティリエだって死なせるつもりはサラサラない。二人の力が必要になるときもあるだろうし、みんなで仲良く帰れるよう努力するだけの話である。
「だがもしもの時のことを決めとこう」
言葉の意味が分からなかったのか、エルフ姉弟が揃って眉をひそめる。
僕は視線を動かす。ゾニは入り口の扉をくぐらないまま腕組みし興味なさそうに話を聞いていて、レティリエはペネリナンナを床に寝かせたところだった。
「レティリエ。なにかあったときは僕が殿になって時間を稼ぐから、君は二人を連れて全力で逃げてくれ」
そういう事態になるかどうかは分からない。が、決めておくべき事柄だ。
生きて帰るのが今回の僕らにとっては最重要なのだから、いざという時に迷わないように。
「リッドさん、それは……」
「レティリエなら小柄な二人を抱えて全力疾走できて、僕はこの中で一番時間稼ぎに向いている。最適解だろ?」
転生前も合わせればこの中で一番歳上だしな。
「ハ。変わらねーナお前。性格が悪いまんまだ」
エルフの二人がなにか言う前にゾニが茶化して、シシシと可笑しそうに笑う。
「一番楽な役を真っ先に取りやがってヨ」
そのコメントには、へら、と笑ってしまった。
さすが、ゾニは戦士だよな。




