彗星のごとく
旅をしての体感なのだが、宿屋の一階にある食事処の料理は、当たり外れの振り幅が小さい気がする。
こう、メチャクチャ美味い、というものに出会ったことはないのだが、酷く不味いものに遭遇したこともない。チェリエカのスズの宿なんかもそうだったが、なんか普通に食べられて満腹になれる味が多い。
基本的に宿屋は宿代で稼いでいるわけで、料理にはそこまでの比重を置いていないからか、調理に気負いがないのだと思う。家庭料理の延長線上のようなものを作って、腹を満たしてもらえればそれでいいというスタイルに落ち着くのだろう。……観光とかだったら、宿を取っても他の料理屋に名物食べに行ったりするだろうしな。
ジェイザールで僕らがとった宿もその例にもれず、料理の味は普通だった。
「それで、次の作戦はあるんでしょうね?」
朝の日差し漏れる窓際の席に座ったミルクスが、こちらとは目を合わさずそう聞いてから、炙り燻製肉を噛みちぎる。テーブルには各々が頼んだ食事が用意されていた。
……ミルクスは肉系が好きなんだよな。彼女が弓を得意とするの、狩りでお肉をたくさん食べたかったからかもしれない、なんて益体のないことを想像する。
「次の作戦、考えなきゃならんかな……」
僕は玉子料理を切り分けつつ目をそらす。野菜と一緒に混ぜて焼いただけのオムレツで、味付けは塩だ。玉子は栄養バランスがいい。
普通、こういう食堂の朝食なんて二、三品のメニューがあればいい方なのだが、ここの店長は人がいいので頼めば簡単な品を適当に作ってくれる。……まあ本当に簡単な品なので味はやっぱりそこそこなのだが、気取らない店の安心感が僕のような平民にはありがたかったりするのだ。
つい先日まで王城にいたからな僕ら。
「あの夜から二日たっています。あのサキュバスには出し入れ可能な羽がありましたので、人が歩くより速く移動できるでしょう。ロムタヒマ王都間の片道は一日と見積もるとして、来るなら今日か、遅くて明日ごろでしょうか」
口の中の果物を飲み込んでから、モーヴォンが必要日数を試算する。
彼の朝食はだいたい果物だけで、量も少ない。エルフと人間では成長期に違いがあるのかもしれないが、見た目が育ち盛りなんだからもっと食べてほしい。
「いくら飛べると言っても、道中の安全が確保されているわけではありませんから。事故などなければいいのですが……」
レティリエは小さく切ったパンにチーズの欠片を挟んでいる。
彼女は料理の見識を深めるためか店で同じ品を頼んだことがないのだけれど、どうも乳製品が好きなんじゃないかと最近分かってきた。
特にチーズは地域によって製法が違うから、初めての土地では必ず食べるお気に入りだ。フロヴェルス滞在中に塊で仕入れてチーズフォンデュやれば良かったかな。無事に帰れたらやるか。
「そもそもサキュバスの羽、速度も持久力もあんまり期待できないけどな。羽を触媒に魔力で飛翔するのは間違いないとして、ヤツら魅了魔術に特化してるから飛ぶの下手なんじゃないか?」
それでも歩くより速いだろうが、定期的に休憩を入れつつでないと長距離を飛べないとかだったら、こちらの想定より時間がかかる可能性はある。トラブルの可能性も高くなるだろうしな。
彼女が戻るのは明後日か……さらにもう一日くらいは覚悟しておいた方がいいかもしれない。
「それで、待ってる間はなにもしないの?」
再びミルクスが聞いてくる。
たしかに、そもそも手紙が届いていない可能性だってあるのだ。悲しいがなんらかの理由で僕の茶葉と一緒に行方不明になっている可能性はゼロではない。打てる手は打っておいた方がいいのだが……。
「そうだな……君らに案はないか?」
「手紙を届ければいいんでしょう? 馬にくくりつけて走らせればいいんじゃない?」
いまいち次案が浮かばなかったので話を振ってみると、ミルクスがすぐに応える。
ありがたいけどそれ、僕も最初に考えて没にしたヤツなんだよな。
「馬はダメだと思うんだ。どれだけ脅かしてもあの魔都には近寄らないだろうから」
「む……たしかに戻って来ちゃいそうね」
どこだったかな、前世の世界で対戦車犬とかいう動物愛護団体に怒られそうな動物兵器使ったの。
犬に爆弾くくりつけて突撃させるんだけど、訓練した犬でも戦車を恐がって戻って来ちゃったりするやつ。結局自陣で爆発して阿鼻叫喚になったりしたらしいけど。
まあそんな事例を出すまでもなく、動物を使った作戦はあまり信用する気にはならないな。
以前、壁を覆う瘴気を使ってドッカーンとやってから、向こうの設備が壊れたのかこちらの魔具兵器を警戒してか、ロムタヒマ王都を囲んでいた瘴気のカーテンは取り払われているらしい。……が、それはそれとしてあそこは魔族が大量にいるからな。微量の瘴気は常に漂っているわけで、馬みたいに敏感で臆病な動物は絶対に行きたがらないと思う。
「あの、矢文はどうでしょう?」
次にレティリエが出した案は、ミルクスが曇った顔をした。まあ良くある手法ではあるんだが、この場合はなぁ。
「ミルクス。弓の射程は? 飛ばすだけでいい」
「モーヴォンの補助魔術があるなら……けど、それでもかなり近寄らないとダメね」
普通、弓の射程って百メートルくらいだもんな。ミルクスが今持ってる短弓じゃなくて長弓を新調して、狙わず飛ばすだけならその倍くらいか? それを魔術で飛距離を増幅したとして、三百メートルくらい?
でもその距離まで行くなら魔族の見張りに見つかる可能性高いよな……今回は陽動もないし。
今は下手に魔族を刺激したくないのに、そんな近くまで僕ら自身が足を運ぶのはいかがなものか。
「そうですよね……弓ってそんなに飛ばないですよね。すみません……」
頬を赤らめて萎縮してしまうレティリエさん。……けれど、モーヴォンが彼女の意見を拾った。
「それなら、あのバリスタを使えばいいでしょう」
ファンキーな意見だな。嫌いじゃないぞ。
「射程は十分。狙いも正確。そして撃てば絶対に気づいてくれます。手紙をくくりつけて、被害の出なさそうなところに撃ち込めばいい」
「ちょっと名案ぽい雰囲気出すのやめてくれないか? 実はやる気ないだろモーヴォン」
ツッコミに、素知らぬ顔で切り分けた果実を口に運ぶ少年エルフ。
「あら、いいじゃない? もしかしてフロヴェルス軍から借りられるか心配してるの?」
「被害が少ない場所を狙うって言っても、攻城兵器ぶち込むことに違いはないんだ。相手の受け取り方次第でそのまま戦争始まるだろ……」
あと言うほど飛ばないからな、バリスタ。フロヴェルス軍の陣にあるやつ、以前使ったときはもっと前に移動させてたと思うぞ。あんなでかいの動かすんだから大人数の作戦行動で、当然向こうの警戒も最高潮だ。
「そもそも、だ。ただ届かせるだけじゃ不安がある。魔族の全部が戦争反対な穏健派だとは思えないからな。本当に勇者から来たのか分からない手紙なんか、魔王に渡る前に中身は当然見られるに決まってる。そこで戦争賛成派に握りつぶされたら終わりだ」
「だから敵の密偵に運ばせる、ですか。定期的に魔王に状況報告する職務にある者なら、手紙を託すのには都合がいいわけですね」
モーヴォンがウンウンと頷いて納得したふりをする。分かってて言ってるよなこのガキ。
多分ミルクスがこの間からご機嫌斜めなので、一番刺激しない説明方法として一旦僕を挟むやり方を選択しているのだ。
つまりダシにされているのである。
「ですが、それなら事前にそう説明してほしかったですね。ゲイルズさんはいつも肝心なことを先に言ってくれません」
「そうね。一人で決めるし、一人でやろうとするし」
ダシにされているのである。
まあ僕が悪いか。二人の言うとおりだもんな。このくらいの文句、粛々と受け入れとこう。
僕はオムレツを一切れ口に入れて、良く噛んで時間稼ぎする。その間にアイディアを絞り出した。
「あと、遠くに情報を伝える手段と言えば……狼煙とかになるかな」
狼煙はこの世界ではかなりポピュラーな情報伝達方法だ。事前に打ち合わせさえしておけば、煙の色や本数で結構いろんな情報を伝えることができる。
事前に打ち合わせさえしておけば。
「それでどうやって細かな内容を伝えるの?」
「ううむ……」
ちょっと真剣に考えてみる。……僕と新魔王ならあるいは、狼煙みたいな原始的手法でも情報伝達が可能かもしれない。
いあいあ、という言葉を王女が魔族に広めている、と聞いて趣味嗜好を察したときのように、共有している可能性の高い知識を使ってなんとかできないか……―――
どっかにスマホないかな。アレがあれば超簡単なんだけど。
「まあ狼煙じゃ限界があるよな。しかたない、こうなったらもう一人くらいペネリナンナのようなサキュバスを見つけ……」
「やめましょう」「やめときなさい」「やめてください」
遮られるの早かったな。やっぱみんな、ペネリナンナお姉さんみたいなのの相手はしたくないと見える。
暴力で解決できない敵って厄介だよなぁ。などとあの晩を思い出しながら、僕は湯気のたつ豆のスープを掬って口に運ぶ。
―――突如、轟音と共に衝撃が建物を揺るがした。
「熱っ、顔! 熱ぅっ」
衝撃のせいで豆のスープをもろに顔面に浴びて、悶える僕をよそに三人がフォーメーションをとる。
椅子を蹴倒して立ち上がったレティリエが前へ、ミルクスは射線確保のため音もなく壁際に寄り、モーヴォンは衝撃音とは反対方向の窓の外を警戒する。
僕は悪態をつきながら雑に顔を袖で拭いて、ヒーリングスライムの結晶を手にした。……衝撃は玄関方向から。かなりの威力がある何かが地面に激突したような感じだが、宿に揺れ以外の大した損害はなし。奇襲なら直撃が来てるハズだが……―――
思考も間に合わず、衝撃の余韻も冷めぬうちに玄関の扉が開く。
「ヨッ、久しぶりだナお前ら。元気そうでなによりダ」
場違いなほど明るく響く訛った声。僕はその声の主のことを、もちろん覚えていたのだ。




