二つ目の条件
情報を整理しよう。
ペネリナンナは元々、前魔王ゴアグリューズの部下だった。
彼女はゴアグリューズに気に入られるために、仕事を頑張って媚も売っていた。
けれどあの真性バカが消えて新しい魔王が現れてしまったため、もう一度媚びの売り直し頑張るぞーってなってる。
仲のいい上司が異動したOLかな?
「つまり君は、噂には聞いてたけどイマイチよく知らない新魔王さんのご機嫌をとりたいから、直属侍女だったレティリエにいい方法がないか教えてもらいたいと? それが第二の条件でいいのか?」
……合ってる、よな? 飯奢って長話してわりと高度な駆け引きまでやった気がするが、結局はこういう話だった……のかな?
他になにもないような気がするんだけど。
「そう! そうなのですよぉ。魔王さまからの覚えが良ければお姉さん、これからも魔族軍にいられますしぃ、お近づきになれたらいろいろ勉強させてもらえると思うんですよねぇ」
キャリアアップを目指すOLかな?
積まれた皿で埋まったテーブル越しに、ペネリナンナは我が意を得たりとはしゃぐ。
ていうかここまでの会話、ほとんど必要なかったんじゃないかなぁ。最初からこんな感じで話してくれればもう少しスムーズだったと思うんだが。
まあ、それができないのが異種族間交渉だ。魔族とは価値観の違いがあると分かっただけ収穫とするべきで、そして彼女はその価値観のとおりに話を運んでいたのだろう。
取り入るとか籠絡とか寄生とか、そもそも良い意味だと考えて使っていたのかもしれないんだよな。話するだけで疲れる。……それは向こうも同じなのかもしれないが。
「だそうだが、レティリエ。なにかあるか?」
「ありませんね」
とにかく向こうの提出する条件の意味が分かったので専門家に促してみると、にべもなく断言された。頼みの綱なんだが。
レティリエは挑むような視線をペネリナンナへ向け、強い口調で続ける。
「意地悪で言っているわけではありません。知っているようでしたのでもう隠さずにお話しますが、たしかに新魔王殿は神聖王国フロヴェルスの王女であられました。そして、だからこそあなたの要望に応えるのは難しいのです。―――なぜなら姫さまは誇り高く才色兼備で気品があり、心清らかで責任感が強く公正で他者を思いやる優しさに溢れるお方。あのお方こそまさしく貴人の中の貴人と呼ぶに相応しく、麗しきアルソフォネの花姫と唄われる美しい姫君でありますから並大抵の褒め言葉など聞き慣れていますし、すばらしい芸術品や金銀宝石を贈ったとしても贔屓を得るどころか賄賂と見なされ逆効果になる可能性が高いでしょう。もちろん心にもない世辞などすぐに見抜かれます」
推しのコトになると早口になるオタクかな?
「むぅぅ……予想外の勢いにちょっと引き気味のお姉さんですぅ」
今日イチの怯えた顔で、ペネリナンナお姉さんがたじろぐ。
うん、これは同感だわ。僕もちょっと引いてるもん。
「元人族のお姫さまかぁ。たしかに難しそうかもですがぁ……けどですねぇ、条件は条件なんですよぉ。お姉さん勇者パーティに掴まるとかヘマやらかしてるんですからぁ、せめてそれを帳消しにするような何かを考えてもらわないと魔族軍に残れないじゃないですかぁ」
「いや、わりと往生際悪いな君」
「だってぇ、潔さとか生きるってことを勘違いしてる人たちの寝言じゃないですかぁ?」
「チクショウ、わりと好みな哲学なんだよなぁ……」
困った。こういう場合に備えてのあの第一条件か。あれで仕事の価値をつり上げられたせいで、こっちの無回答を封じられてる。
僕らは、彼女が新魔王さんに気に入られるようなアイディアを捻り出さねばならない。……なんだこの状況。
けれど、まあ。僕にはその解決策に、実は心当たりがあった。
誰にも見られないテーブルの下、右手で腰鞄をさする。……だがそれは、僕の敗北を意味してもいたのだが。
「―――ふむ。仮に全力で協力したとして、僕らにはなんの不利益もない話なんだがな。力になりたいところだが……レティリエ、君に良い案はないということでいいか?」
改めて、僕は黒髪の少女に問う。とても自然に、理知的に、そして紳士的に。
「あの方に認めてもらいたいのでしたら、日頃から誠心誠意お尽くしするのが一番の近道でしょう」
「その時間がないんですよねぇ……」
僕らに掴まっちゃったからな。なんて運の悪い女だ。
「一応聞いておくが、ミルクスとモーヴォンはどうだ? どんな案でもいいが」
一番身近な間柄だったレティリエに有効な案がないのなら、逆に接点のない二人ならどうか。そう思って話を振ってみる。
「あたしにはないわ」
椅子に深く座って腕組みしたまま、ミルクスは不機嫌な声を出す。なんかさっきから妙に怒ってるな。今のもあんまり考えず反射で答えたろ。
「自分がネルフィリアさんに聞いた限りでは、現在の魔王である彼女は本が好きとのことでしたよ」
少し間を置いて、モーヴォンが出したその情報は初耳だった。……ていうかどうでもいいけど、モーヴォンってネルフィリアのこと名前で呼ぶのな。僕やレティリエは名字呼びするのに。
フリームヴェルタさんって長いし、ナーシェランやエストと被るからかね。
「なんでも、特に小説を好むとか。親や教育係が差し止めるような大衆向けのものも、マルナルッタ殿下と共謀して手に入れていたという話でしたね」
「ふむ、本か……」
ていうかネルフィリアの情報エグいな。どんな恥ずかしい過去も筒抜けじゃないか。そりゃ自分の中にもう一個魂があるとか考えないもんあ普通……。
しかし、本ねぇ……。そういや、いあいあ、ふたぐん、とかを魔族に広めていたんだっけ。
あの銀髪褐色肌の魔族ルグルガンが、いずれ魔族の手で殺す、と語って信仰していた神も、たしか前世の小説などに記されたものだ。
うん、読書好きなのは本当かもしれないな。
「……書籍だったら賄賂だと思われないかもしれない。本も値段は高いが、イカレた魔術書でない限りは王侯貴族が愛でる宝石ほどの値にはならないし」
「たしかに姫さまは読書が好きでした。……ですが、有効かどうかは場合に依りけりだと思います」
両手でコップを持ち湯冷ましの水に口をつけつつ、レティリエはそう言った。
「わたしはどちらかというと、姫さまに勧められる方だったのですが……。ただ本を贈るだけではダメだと思います。もちろん良いものであれば喜んでいただけるでしょうが、本を薦めるということは、その内容を共有するということですから」
「あ、そうか。読書好きは読書好きの友人を欲しがるもんな。感想を言い合うことができて十全ってことか」
神聖王国の王城で、王女と侍女が仲良く話題の物語の感想で盛り上がる。……そんな、陽だまりのような日常があったのだろうか。
不意にそんな光景を幻視して、現在との剥離に気が重くなる。テーブルに山と積まれた空皿とピッチャーの荒廃感ヤバいな。
「ということは、贈る当人が面白いと思った本を贈るべきなのか。ちなみにペネリナンナ、君はどれくらい読書するんだ?」
「文字を読めるようになったのが半年くらい前ですかねぇ」
ダメだコイツ。
「あ、もしかしてダメな子扱いしてますぅ? しかたないじゃないですか、魔界で文字使うことってあんまりないんですからぁ。これでも間諜として、文書盗み読みとかするために頑張って勉強したんですよぉ」
「あー、なるほど人界に来てから覚えたのか。スパイの頑張りを褒めたくない気分でいっぱいだが、たしかにすごいなそれは。それで君の好きな本は?」
「催淫触手ダンジョンへの挑戦シリーズ、~ノブレスオブリージュ・錬金術師の罠~ですかねぇ」
どこからツッコミ入れりゃいいんだよ。
この世界、羊皮紙も製本も結構なコストかかるんだが? どこのバカがそんなのシリーズ化してる? ていうか錬金術師へのアツい風評被害だなそれ? 貴人にノブレスオブリージュとか副題付いたエロ本薦めるとか自殺志願かな?
「挿絵も付いて分かりやすいし面白いんですよねぇ。お姉さん、あの本を教科書に文字を覚えたんですよぉ。言わば心の聖典ですぅ」
燃やしてしまえそんなもの。
……というか、サキュバスに好きな本聞くとかバカは僕だったか。
どうするんだよ超絶微妙な空気になったじゃないか。マトモに他の三人の顔見られないだろうが。
僕はテーブルに肘をついて額を押さえ、大きく、大きく溜息を吐く。もう悪あがきもここまでにすべきだろう。このサキュバス相手にこれ以上は、無駄な傷が広がるだけの気がする。
完全敗北だな。相手の要求に何一つ妥協点を引き下げられなかった。
「…………分かった。ペネリナンナ、君にこれを託そう」
観念して、僕は腰鞄からそれを取り出した。苦い、あまりにも苦い敗北を受け入れた。……あまりに口惜しいが、おそらくこれ以上の解決策は出てこない。
両手のひらに乗っかる程度の大きさで、軽く、清潔な白い布で丁寧に包装されているそれは、言わば僕の秘蔵の品だった。
「これは神聖王国のサリスタ山で採取できる、とある植物を発酵させて中毒性を高めたものだ。現魔王も以前は愛用していたと聞いているが、ロムタヒマでは手に入らないだろう。さぞ恋しく思っているだろうさ」
ペネリナンナの瞳が喜色に輝く。
僕は布包みをテーブルの空いている場所に置き、心の中で手を合わせてお別れした。―――せっかく、神聖王国で仕入れてきたのに。
「……えっと、リッドさん? それって……」
「言うな、レティリエ」
拒絶したが、レティリエはなおも伺うようにこちらを見てくる。……うん、そうだよ。
他ならぬ君が、かつてあの遺跡のある森で語った……―――
―――わたしのお茶を飲むと、みんな遠い目をするんですよ。遙かな過去を懐かしむように。
アレだよ。
神聖王国滞在中、自分で飲むためにわざわざ市場を探し回って、けど売ってなかったから駆け出し冒険者パーティ雇ってサリスタ山の麓まで行ってもらってやっと手に入れた、紅茶の味がする茶葉だよ。
自分用でチビチビ飲むために買っておいたヤツだよ!
「そして、これを使うにはちょっとしたコツがいる。だがそのコツを熟知し、魔族の中で誰よりも扱いが上手くなれば、魔王殿から重用されることは間違いないだろう。なんなら側近だって夢じゃないぞ」
鉄の意志で布包みを押しやる。
これは僕の実体験も含めての考察だが、故郷の味……というか前世の味は、僕ら転生組にとっては特別な意味を持つと思う。前魔王もこのお茶で過去に想いを馳せたいう話だし、かつて食べたラーメンを再現しようと模索してもいた。僕だって錬金術を使ってまでダージリンの味を作ろうとしていたくらいだ。
前世について、僕は思い出したくない記憶の方が圧倒的に多いが……紅茶を飲んでいた時くらいは心穏やかだったからかな。時折飲みたくなるのは、もしかしたら魂の懐郷病なのかもしれない。
「ほほぉう。それはそれは、いいですねぇいいですよぉ。そういうの待ってたんですよぉ。……でもぉ、魔族で一番上手く使えって、具体的にはどうすればいいんですかぁ?」
「それはレティリエに聞いてくれ。彼女はその専門家と言って過言じゃない。……いいかな、レティリエ?」
確認のために聞いてみると、黒髪の少女は少しだけ機嫌悪そうな顔をしてから、それでも頷いた。薄々感じていたけど我らが勇者様、ペネリナンナと相性悪そうだよな……。
最終的には新魔王殿の口に入るものだ。どれだけ不服でも、レティリエがレクチャーの手抜きをすることはないだろう。が、だからこそストレスは溜まるはずだ。後でお詫びになにかしよう。
「どうだペネリナンナ。これで二つ目の条件も成立でいいか?」
「そうですねぇ……。首の皮は繋がりそうですしぃ、いいですよぉ。手紙は必ず魔王さまにお渡ししましょう」
了承の言葉に、僕はやっと安堵し息を吐く。―――とにかく、交渉はコレで終わりだ。第二の条件もクリアしたし、あとはもうペネリナンナ次第だろう。
……とはいえ、まだ仕事は残っている。レティリエにペネリナンナの教鞭を執ってもらう間、僕は魔王殿へ手紙を書かなければならない。
羊皮紙とペンを取り出し、テーブルに羊皮紙を置くスペースがないので、空いている隣の席へ移ろうと腰を浮かせ……。
「話は終わった?」
それは静かな、冷たい怒りを含んだ声で。
僕よりも先にミルクスが立ち上がった。
「じゃあ、あたしは先に宿へ帰るわね」
その場の誰とも目を合わせず言って、エルフの少女は矢筒の位置を直す。彼女はテーブルについても装備を外さなかったから、それだけで帰る準備が終わる。
「……夜道の一人歩きは危ないぞ?」
「大丈夫よ。森より安全だから」
ききんと椅子を戻したミルクスは、僕が次の言葉を発する前に踵を返した。そのままスタスタと行ってしまう。
いや……比較的安全は、安全じゃないんだが。
「それなら自分も一緒に戻りますので、安心してください。皆さんはゆっくりどうぞ」
やれやれ、と溜め込んだ息を吐いてから、モーヴォンが立ち上がった。そして僕とレティリエに向けて、困ったような笑みを向ける。
「ミルクスのことは気にしないでください。そのうち自分で折り合いをつけると思うので」
どうやら姉の不機嫌の原因は察しているらしい。
ミルクスは行ってしまったが、宿までは大通りをほぼ一本道だからか、モーヴォンには特に急ぐ様子もなかった。……だからというわけではないのだが、僕は彼が行ってしまう前に問いかける。
「……なあ、彼女はなにに苛ついていたんだ?」
「分かりませんか? そこの女性は敵ですが、必ずしも悪とは断定できなかったからですよ」
あっさりそう告げられて、僕は真顔になった。
なんの表情も浮かべることができず、茶化すことすらできやしなかった。ペネリナンナがキョトンとしているのが、かろうじて視界の端に見えたくらいだ。
「ミルクスは、魔族は絶対悪でいてほしかったんです。その方が気が楽なんですよ、どこまでも赦さなくていいんですから。そんなこと、あり得ませんけどね」
肩をすくめて、一度だけペネリナンナに困ったような視線を向けて、モーヴォンは「では」と背を向ける。
彼が店を出るまで、僕らはなんの言葉も発せられなかった。
「ううーん……どういうことですかぁ?」
ペネリナンナがそう口を開いても、僕が店の出入り口から視線を放すことはなかった。
ただ、義務感で答えただけだ。
「二人の里は、前魔王が率いた魔族軍のせいで滅んだようなものだからな。君はゴアグリューズの部下だったから、本音ではここで殺したかったんだろう」
「おやぁ? もしかしてお姉さん、九死に一生でしたぁ?」
顎に人差し指を当てて、冷や汗をかく魔族。
見た目よりもずっと大人な二人のことだから、ペネリナンナがよほど間違えなければ我慢したとは思うが……比較的安全は、安全じゃなかったんだろうな。
「―――悪でいてほしかった、か」
やたら耳に残ったその言葉を、僕は反芻する。
どこまでも赦さなくていいから、と彼は言った。なるほど赦すということは苦痛を伴う。理解できる話だ。
自分と親しい者たちを殺した相手の事情など、知りたくもないに違いない。ただ復讐でもって殺し尽くすだけでよければ、たしかになにも考えず楽でいい。
悪は、どこまでも断罪すべき悪のままでいてほしいのだ。
「そうか」
二人が出て行った扉を眺め、空虚に納得だけして。
「そうなんだろうな」
それより他に言葉が出てこず、そう呟く。
「……リッドさん?」
そのレティリエの声でやっと扉から視線を離すことができて、僕は振り向いて微笑んだ。
「ああ、すまない。手早く済ませて僕らも戻ろう」
たぶん、ぎこちなかったとは思う。




