異世界でも僕はやっぱり引きこもる 2
せっかくの異世界なのだけれど、基本的に僕は引きこもっている。……といってもこの世界、完全に外に出ない生活は難しい。水を汲むために井戸までいかなきゃならない世界だからな。お手伝いを雇えるほど金持ちでもないし。
だからまあ、半引きこもりだ。魔術学院の外にはあまり出ないってだけ。生活や研究に必要なものはだいたい学院内で揃うので、それで困ったりはしない。
しかしもちろん、学院では手に入らないものもある。その多くは嗜好品の類だ。魔術師はストイックであるべし、という風化しかけた風潮のなごりで、学院内の店はあまり嗜好品を取り扱わないのである。
まあ、さすが魔術学院であるからして、精神に作用する怪しい薬や幻覚の見える水煙草とかはあるのだが……僕が欲しいのはそういうのではなく。
「それで、収穫はあったんだろうね?」
ワナに聞くと、彼女はえへんと得意げに胸を張った。
「もちろん。今回は神聖王国フロヴェルスからの輸入物。サリスタ山の聖なる恵みと、聖者スプレヒルの加護を受けた極上のユロウグ樹の茶葉だよ」
商人の売り文句そのままだろそれ。棒読みがひどいぞ。
「サリスタ山のスプレヒルっていうと、葉冠の聖女だな。二百年前の勇者パーティの一人だ。ユロウグの葉はたしか、発酵加工したものでお茶を淹れるとか……。いいね、期待できる。早速お茶にしよう。君も飲んでいくだろ?」
「飲む……けど、実験用の容器はやめて」
ちぇ、実験器具でお茶入れるの結構好きなんだけどな。なんかマッドサイエンティストっぽくて。
「ワナ、火を頼む」
「はいなっと」
実験用じゃないケトルに水を入れて台座に置き、下に固形燃料をセットする。ワナが短く呪文を唱えると、簡単に火がついた。やっぱり魔術だと魔具を使うより経済的だ。錬金術師の地位が低いわけである。
「コケイネンリョウ、だっけ? これも便利だね。冒険行くときに持っていきたいくらい」
「造り方教えようか? レシピさえ知ってれば素人でも造れるよ」
「う、失敗したら馬鹿にされるからいい……」
ほんとに難易度は低いんだけどな……まあ、今度から多めに作ることにしよう。
「しかし、神聖王国からの輸入品か。ってことは今回行ったのは南の国境付近?」
湯が沸くまで少し時間がかかる。土産話を促すと、ワナは元気よくうなずいた。
「うん、二百年前の勇者の遺跡。何にもなかったけどね」
「探索してきたんだ?」
「ついでだけどね。依頼自体は魔族退治。オーガが棲み着いたって話だったから」
オーガか。魔族の中でも強い種族のうえ、群れで行動するんだったよな。
そんなのの討伐を任されるのだから、ワナはけっこうな腕利きパーティにいるのだろう。
「ああ……魔王軍のせいで、神聖王国も魔族が増えてるって噂だよな」
「どうだろ。魔王軍が占拠したのはロムタヒマだし、別口じゃないかなぁ」
魔術学院の地図上にも載らない南東。魔界と呼ばれる場所から魔王軍が侵攻して半年がたつ。……といっても正直遠いし、あまり実感がないというのが素直な感想だ。神聖王国フロヴェルスに勇者が出現して戦争状態になっているらしいが、勝手にやってろという感じ。僕にできることないしな。
「リッドは? 何か変わりあった?」
「特に何も」
即答する。そもそも学院から出てないから、考えるまでもない。
「……リッド、たまには外出た方がいいよ」
「僕には夢があるんだよ。外の世界にかまってる暇なんかないさ」
「知ってる。お嫁さんを造るんでしょ?」
うん、昔教えたからね。知ってるよね。
僕の前世はオタクだった。アニメとか漫画とかゲームとかが大好きだった。
そんな人種が生物を造る研究なんてやり始めたからには、そういうテンプレな夢を追わない方がおかしい。美少女育成ゲームならぬ美少女錬成ゲームだ。これはヒットする。
「嫁じゃないぞ。理想の嫁だ」
あきれ顔のワナに対して、得意げに胸を張る。こういうのは堂々と言い切ってやるのがいい。でないと惨めだからな。
「どうせ造るのなら、理想を追わなきゃ嘘だろう。やはり見た目の印象は綺麗さよりも可愛さを追求したいね。美は当人が望んで纏い形成していくものだが、愛らしさは無垢の領分だからな。こればかりは最初に備えてやるしかない。あざとい後付けのぶりっこほど、失笑ものの見世物はないからね。……しかし、そこに黄金比を求めすぎてはいけない。それを追求した先にあるのは崇拝だからだ。飾って崇め奉るための偶像なんて、それこそお話にならない。嫁とは常に自分の身近な存在でなくてはいけない。手の届かないものにしてしまったら本末転倒にもほどがある。麗しくあれど完璧ではなく、足りない部分をこそ愛しく思える。そんな存在をこそ目指して……」
「普通に恋人つくった方が早いと思うよ」
「っは、普通に恋人なんて僕につくれるはずないだろ? 空から女の子が降ってくるような奇跡でもない限り、無理に決まってる」
……つーか、女って恐くない? あいつらが固まってしゃべってるだけで悪口言われてる気がするもん。笑ってたら絶対自分が馬鹿にされてるって思うだろ。三次元の女なんて同じ空間にいるだけでストレスだ。
まあ、もちろん例外もいる。
たとえば目の前にいるワナは平気だ。こいつ陰湿さとは無縁だからな。ただ彼女はこの世界での幼なじみである。幼少期から前世の記憶があった僕にとっては、親戚の家の子供みたいな感覚が強い。だから正直、恋愛対象とはほど遠いんだよな。いやぁ残念。これはやっぱ造るしかないわ。
「リッドがそれでいいならいいけどさ。それで、その研究の方は進んでるの?」
「基本理論はある程度まとまった。術式構築は構想段階。お金はぜんぜん足りない」
「ほぼ何もできてないじゃん」
失礼な。下準備はしてるぞ。
でもたしかに完成にはほど遠そうなので、間違ってはいない。だから僕は反論せずに立ち上がった。
「そろそろお湯が沸くかな? お茶請けに干し葡萄でも持ってくるよ」
「あれ、食べ飽きてるんだけど……」
保存の利く携帯食だし、ワナは冒険中によく食べるのだろう。でもお茶請けになりそうなのはそれくらいしかないので許してほしい。
僕は二人分のティーセットと干し葡萄を持ってくると、早速お茶を淹れる。十分に蒸らして赤みがかった液体を注ぐと、ふわりといい香りが漂った。
「お、いいね。これは期待できる」
「ほんとだ。いい香り」
ワナがテーブルに顔を近づけ、鼻をひくひくさせる。犬みたいだぞそれ。
椅子に座ってカップを取ると、ワナが自分のカップを持ち上げ突きつけてきたので、コツンと当ててやった。―――二人して、小さな笑みが漏れる。こっちの世界にカンパイの文化はない。だからこれはまだ僕らが小さかった頃、二人で始めたささやかな儀式。
カップを口に運ぶ。気のせいか少し懐かしい感じだ。香りがちょっと前世の紅茶に似ている。職場の帰り道にあった喫茶店でよく飲んでたっけ。小さい店だったけど本格的な茶葉を使ってて、自宅以外では唯一といっていいほどの心安らげる空間だったあの―――。
「にがっ!」
「うぇえまっず!」
一口飲んだ僕らは、同時に悲鳴をあげたのだった。