ジェイザールの宿場町
以前滞在していたチェリエカのような、ロムタヒマ戦線を維持するフロヴェルス軍が一時的な駐屯地としている宿場町は全部で三つあった。
ジェイザールの町はその一つだ。
今回の馬車旅は妨害も予定していないし寄り道もない。つまりフロヴェルス王都から真っ直ぐ道を辿って、そのままたどり着いた町だ。―――すなわちジェイザールは、ロムタヒマと神聖王国を繋ぐ道の途上に位置している。
巡礼者が最初に立ち寄るこの町はチェリエカよりも大きく、そこかしこにセーレイム教の聖印が見受けられた。
「一応調べてきたが、フロヴェルス軍が駐屯地としている宿場町の中でもこのジェイザールは、戦争でかなりワリを喰った町らしい」
平時は巡礼者や交易商たちの行き来で儲けていたのだろう。二頭引きの馬車が余裕ですれ違える立派な鉄門をくぐりながら、僕は三人にそう説明する。
……せっかく通り抜けられる大きさだが、ここまで乗せてくれた軍用馬車と御者の兵士二人には、門前で礼を言って帰ってもらった。これからやることを考えると、軍とは離れて行動しといた方がいい。
「まず、ロムタヒマ対フロヴェルスとの戦争が始まろうとして、巡礼が禁止されただろ。これによって経済が止まり、次にロムタヒマ軍の中継地とされたため食料や人手を軍隊にかなり徴収された。まあそこまでは敵国への途上に位置する町なら仕方ないんだが、困ったことにここは巡礼者たちが利用する宿場町ってことで、ロムタヒマにしては敬虔なセーレイム教の信者が多かったんだな。そのため町の人々は戦争に反発してしまい、軍隊は力でそれを弾圧した」
隣を歩きながら、レティリエが痛ましい顔をする。
宗教ってのはやっかいなものだ。深く根付いた思想は時に人々を盲目にし、勝てるはずのない無利益な戦いへと駆り立てる。
けっこうな血が流れたんだろう。
「そして魔族が攻め込んできた時、すでに神聖王国へと行軍していたロムタヒマ軍は急いでとって返したが、指揮官はフロヴェルス軍への警戒もする必要があると判断したんだろうな。この町は対フロヴェルス警戒の拠点とされたわけだ」
まあここまで下がっておいて警戒もなにもないが、当時のロムタヒマにとって最悪の展開は魔族とフロヴェルスによる挟み撃ちだったことを考えれば、時間稼ぎくらいはできる程度の戦力をここに配置したかったのだろう。
もっともフロヴェルス軍側は専守防衛の構えだったので、すぐにロムタヒマに攻め込むということはなかったのだが。
「しかし魔族は指揮官の想定以上の速度で王都を陥落させた。ロムタヒマ滅亡だな。そうするとここに残っていた兵たちは、さらに進軍してくるかもしれない魔族から町を護るため陣形を敷き直し……とはならなかった。報酬が見込めなくなった傭兵は町を略奪してから散り散りになって逃げだし、正規兵たちは王都奪還の戦力を再結集させようと無事だった有力貴族の元へ行ってしまった」
「さんざんね。人間ってどこでもそうなのかしら。それで、その有力貴族さまとやらはどうしたの?」
「結局、集まった兵たちの全ては纏めきれなかったらしい」
「器ではなかったんでしょうね」
エルフ姉弟がそろって肩をすくめる。君ら、だいぶん人間のこと分かってきたよな。……彼らの視点からだと、人間はさぞ愚かに見えるんじゃないだろうか。
「ここの人たちは戦争でさんざん被害を被って来たうえ、見捨てられたのですか……」
レティリエの声は悲痛に満ちていた。その一端は信心深かったせいでもあるのだから、彼女にしてみれば痛ましいのだろう。
「君はロムタヒマ戦線にいたんだろう? ジェイザールのことは知らなかったか?」
「あのときは自分のことで精一杯でしたから……それに、わたしはほとんど野営地の方にいましたし」
あのバリスタのあった場所かな。まあ勇者なんだから一番の前線には配置されるか。
「そして、さんざん荒らしてから去って行ったロムタヒマ兵と入れ替わって、今度はナーシェラン率いるフロヴェルス軍の到着だ。ロムタヒマ軍が最悪だったから、フロヴェルス軍もここに入った当初は苦労したって話だな。すっかり軍隊嫌いになってたんだろう。今はそれなりの関係を保ててるらしいが、それでも警戒はされるらしい」
「ああ……だから御者の二人と馬車には門の前で帰っていただいたわけですね」
「ご名答。僕らはフロヴェルス軍と無関係のていで動く。つまり宿を取って情報収集するんだな。場合によっては軍にも頼るかもしれないが、それは後でいい」
チェリエカで丁半やってたときを思い出すな。まあ今回はあの時より難しくないと思うが。
あのときはなんのツテもない状態からフロヴェルス軍を動かすとかいうキツいミッションだったが、今回は僕ら四人だけでちゃんとなんとかできる難易度だ。
というかこの町でやることって、僕一人でもいいんじゃないかな? くらいに思っているのだが。
「それで、なにをするんです?」
「サキュバス狩り」
端的に問いに答え、僕は自分の胸を叩いてみせる。
「なあに任せてくれ。淫魔くらい僕がサクッと捕まえてやるから」
三人の眉間に、同時にシワが寄った。
「いや、だからな? あの魔王への連絡手段がないって言ってるんだよ」
もう夕刻だったので少し心配だったが、さすが巡礼者の宿場町らしく部屋はたくさん空いていて、無事に宿をとれた僕らは背中の荷を降ろしてすぐ口論になった。なんか僕の提案が気に入らなかったらしい。
「あちらがなにを欲しているかある程度推測はできたけど、推測は推測で確定じゃない。向こうが協力的と決まったわけじゃないんだから、初手は慎重に行くべきだろ? じゃあどうするか。レティリエと現魔王がいくら元主従だからって、勇者である君がいきなり行ったら当然警戒される。かといって誰か伝令を向かわせるとなると、最悪の場合は死んでこいって言ってるようで忍びない。だから、あちらのスパイを捕まえて伝書鳩にしてやろうってわけだ」
どうだこの完璧な計画。一人として血を流さず安全穏便に向こう側へ連絡できるナイス案だ。さすが腐っても異世界転生者だけあって僕も平和主義者だよな。
「ええ、それは分かりました。分かりましたが、いくつか質問があるのです」
「質問って……。君らだってディーノたちを手伝ってたんだから、魔王軍は淫魔を諜報や工作員として使ってるって知ってるだろ? やつら当然この町にも潜り込んでるだろうし、淫魔はスパイができる程度の知能を有していて、かつ戦闘能力そのものは低い。どう考えても一番手頃な相手だと思うが?」
宿屋の部屋の壁際までレティリエに詰め寄られ、僕は首をかしげる。なんでこんな圧かけらてるんだ僕。
ちなみに一応だが、ここにもスパイがいる説はかなり自信がある。
魔族側が今一番知りたい情報はおそらく、フロヴェルスがいつ攻めてくるか、というものだろう。だとしたらこのジェイザールは外せない。
フロヴェルス軍が駐屯地にしている三つの町の中でも、ジェイザールは最も神聖王国に近く道も整備されている。増援や補給物資などはまずここを経由するだろうから、間諜を配置すれば戦争の準備がどれだけ進んでいるか丸分かりだ。こんな重要地点を放っておくほどヌルい相手ではない。
「いるかどうか、は今はいいです。問題は方法です。リッドさんはいったい、どうやってサキュバスを見つけるつもりなのですか?」
「うん? ああ、方法論の方か。けどそれは簡単だ。以前チェリエカの町でメリアニッサが、街角女が立つようになったから前より稼げなくなった、とかなんとか言ってたことがあってな。多分その中に紛れ込んでると思うから、夜になったら僕がその辺の娼婦を買って……」
「却下です!」
ええ、なんで……?
「別に向こうのスパイを一網打尽にしたりとかする気はないんだ。たった一匹捕まえればそれでいいんだし、これが一番簡単な手法だと思うんだが。そのためにナーシェランからたんまり金せしめてきたし、軍資金に関しても心配する必要はないぞ?」
「だ、ダメなものはダメです!」
うーんレティリエ、それはちょっと理不尽じゃないだろうか。他者の意見に反対するときは最低限、どういう理由で反対しているのかくらいは言うべきだと思うが。でないとどこが悪いのか分からなくて次案も出しにくいぞ。
「……ねえミルクス。自分、たまにゲイルズさんのことただの馬鹿なんじゃないかと思うことがあるんだけど」
「そうなのモーヴォン? あたし、リッドはわりといつも馬鹿だと思ってるわよ」
そしてなんでエルフの二人は、後ろの方でコソコソ失礼な話してるんだよ。こら、呆れた顔でこっち見んな。なんだミルクスその仕方ないなー、みたいな溜息は。
「まあ、サキュバス狩りって聞いた時から分かってたけどね。……リッド、あなたまた一人で危険なことやるつもりでしょ」
…………む。
「あたしたちの里でもゴブリンの大群を相手に一人で最前線張って、ウルグラでも一人で前魔王と会ってたわよね。前に聞いたけれど、あたしたちと会う前もレティ置いてバハンの山に登ったんでしょう? そりゃあ、そろそろレティも怒るわよ」
ぐぅの音も出ねぇ……。たしかに一人でやるつもりだったけど。
言われてみればたしかに魔族を一人で相手にしてくるぜ、って危険か。ミルクスの言うとおり何度かやらかしているだけに、三人の視線が痛い。
「い……いや、しかしだな。男組織の軍隊から情報とりだそうっていうスパイが淫魔なら、まずインキュバスじゃなくてサキュバスだろ? ってことは淫魔狩りは男がやるべきだが、モーヴォンは外見年齢が足りない。やるなら僕だろうってことでな? 幸いなことに淫魔は戦闘能力が低いし、油断しなければ問題ない」
まあそれでも魔族だから素手じゃ負けるだろうけど、僕にはヒーリングスライムがあるからな。あれの対人制圧能力はけっこうなものだと自負している。正面からやって負けることはあるまい。
「けどリッド、淫魔は魅了の魔術を使うって話でしょ?」
「ああ、それは大丈夫なんだ。僕に精神干渉系の魔術は効かない」
僕、魔力容量だけはあるからな。大概の魔術は自動的に弾いてしまうくらいに魔法抵抗力が高い。……まあこれは竜の女王からの賜りものの力なんだけど。
「あ、そういえばそうだったわね。じゃあ魔術無しの魅了ならどう? サキュバスってみんな美人らしいわよ」
「……む。いや、さすがに警戒しててみすみす魅了されるなんてことはないと思うが」
「どうだか。すっごい好みの相手だったら、男なんてわりとあっさりコロッといっちゃうんだから」
知った風なこと言ってるけど、ミルクスそれどこから仕入れた知識なんだろうな? 二十六歳とはいえエルフの里じゃまだ成人前だったし、チェリエカかどっかで耳年増になったんじゃないか?
……まあとはいえ、僕も絶対に大丈夫だなんて言えないけれど。そもそも淫魔って見たことすらないからな。未知の相手の未知な手管に対して完璧に対応できるなんて自信満々に言えるほど、僕は馬鹿じゃない。
うん、これはたしかに僕の見通しが甘かったと認めるしかないようだ。具体的には本でしか知らない淫魔を低く見積もり過ぎていた可能性がある。作戦に関して少し軌道修正が必要だな。
「というか、そもそもリッドってどんな相手が好みなの?」
それ聞く必要ある?
「スズでしょ、メリアニッサでしょ、ネルフィリアにワナちゃんやティルダ。あとエストさんも綺麗よね。ククリクも……まあ入れておく? 今までけっこういろんな女の人と仲良くなってきたけど、リッドって誰に対してもいまいち異性としての興味が薄そうっていうか、わざと女性だと意識しないようにしてない?」
……けっこうよく見てるな、ミルクス。
たしかに魅力的な女性と知り合うことは多かったけど、僕はモーヴォンみたく惚れやすい性質じゃないし、異性とは意識的に心の距離感を保っていたが。
「もしかしてリッド、男の方が好きだったりするの?」
「違う」
やっぱ全然見てねぇわこのエルフ。ていうかモーヴォンは後退らなくていいから。あとなんでレティリエは妙にハラハラして顔でこっち見てるんだ。
はあ、と溜息を吐く。
なんだろうな。サキュバス狩りの話だったのに話が逸れてるのはもういいとして、この話題は少々遠慮したいんだが。……自分でもあまり言語化できない範疇だぞこれ。
ガリガリと後頭部を掻く。気恥ずかしいし上手くも言えないのだが、ここは正直に自覚している己の欠陥を吐露してしてしまった方がいいだろうか。
この世の全てをつまびらかにする。なんて豪語する学徒と敵対する身としては、情けないことこの上ないのだが。
「……色恋沙汰って正直、僕にはよく分からないんだ」




